小生の備忘録

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GL1200サイドカー 2 練習と整備



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 おじいちゃんのGL1200が我が家にきてもうすぐ1ヶ月。サイドカーの運転になれるよう多賀町の五僧峠や権現谷のツーリングに行ってきた。サイドカーには場違いな山道だけど、踏破力なども知りたかったから「お試し」みたいな部分もあった。またGoproのマウントを幾つか用意して実際にサイドカーに取り付けて画像を確認してみた。



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上石津町より五僧峠方面を望む


 この日は9月最後の日曜、しかも天気は申し分なしってのもあり関ヶ原から四日市に抜ける国道365号は、「うじゃうじゃ」とライダーにすれ違う。そんな賑やかな本道から外れて小生は脇道にはいって滋賀の秘境に分け入る。

 サイドカーの運転は独特、クルマともバイクとも違う。ハンドルを切った分だけクルマのように曲がってゆく。路面のでこぼこを拾うと上下よりも左右に体が振られる。この横揺れはバイクでは体験しないので不思議な感覚。
 寝かしこんで重力に抗するバイクと違って、サイドカーは立てたまま外側にはらむ重力に対応しなくてはいけない。自重が500kgを越えているにもかかわらず、左コーナーではサイドカー側のタイヤが浮き気味となって右側に転覆する危険がある。対して右コーナーはサイドカーが踏ん張るので荷重をかけて余裕を持って曲がることができる。



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上石津町時山


 美濃から近江にぬけるこの旧道は伊勢街道のひとつで古くから人の行き交った街道。峠の東側は「時山」でススキの穂が揺れる静かな村落だ。小さなコーナーをこなしながら上がってゆくと、本日は解放された時山林道のゲートを通過する。

 サイドカーにパッセンジャーがいるとそれだけでも走行は安定する。ライダーとパッセンジャーが協力して、コーナーでの「イン側への体重移動」をこなすことができれば、さらに安定してコーナーを抜けることができる。サイドカーの制動はリアタイア重視である。このGLも右足のフットブレーキは70%までリアローターのみを制御。それ以上踏み込むとフロント片側ディスクとサイドカータイヤのドラムブレーキも制御がはいって「全輪ブレーキ」になるように設定してある。
 フロントブレーキが出しゃばりすぎると、下りなどでカー側前方に「でんぐり返り」転倒を来す心配があるからだ。


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五僧峠


 この日はすれ違う軽トラックなどもあったりで、賑やかな林道。路上の落石を避けながらさくっと峠に到着。バックギアがないから、鎰路では「対向車こないでね〜」とお祈りしながらイノシシのごとく突っ込んでいくしかない(^^ゞ。
 サイドカーになれていないと、カー側の取り回しに苦労する。車幅の感覚がないと「縁石」などにタイヤやカーボディをヒットしてしまう。このGLでは横幅1800mmあって、1815mmのフェアレディZとほぼ同寸のもの。日頃、対向車に気をつけて路肩の車線を目やすに、道路の左よりを走る癖がある小生は気をつけないとすぐにぶつけそうだ。


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五僧峠 工事現場


 五僧峠を滋賀側に下りるとすぐに工事現場。このあたりは落石の多いところだから、沢の反対側にでも新道を作っているんだろうか?看板を見直してこればよかったけど、通り抜けてしまったので詳細不明。。。まさかトンネルなんてことは無いだろう。


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県道139号 保月方面通行止め


 アサハギ谷から廃村「保月」や「すぎ」を抜ける島津越えのルートは通行止めの表示。昨今の台風なので土砂崩れなどがあったんだろう。お彼岸の時だったから元村民の人たちのお墓参り時期であったけど無事にお墓参りができたんだろうか? 住んではいないけど、ふるさとを大事に管理している。



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白谷林道 通行止め


 セローで体験できたこの先の「白谷林道」は分岐にはしっかりと通行止めがなされていた。これまで小生は一度進入できたのみで、大抵は無情にも通行止めになっている。この先はそれなりのダートが続き、霊仙山の頂も見える素敵な展望が待っているんだが。。。



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権現谷林道


 権現谷は霊仙山の取り巻くような急峻な谷だ。いつもは伏流して流れのない沢も先日の雨のためかブルーの澄み切った流れを見せていた。大きな岩がせり出し、晴れていても深い谷は薄暗い。路面には落石がいっぱいでよけきれずにドスンともろに衝撃が来る。バイクだと避けることもできるけど、3輪だとどうしようもない場面に出くわす。


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滋賀県多賀町河内 廃村


 多賀町の山間には多くの廃村が今も沢山残っている。昭和50年代〜道が開けるに合わせ、住民はより住みやすい平地に移転していった。ここに限らず高度成長期に合わせ、日本中の僻地で見られた現象。住み手のいなくなった庭には、大事に育てられたであろう花々が自生していて季節になると密かに花を付ける。
 サイドカーにはサイドブレーキも備わっていて、斜面での駐車も安全になっている。しかし長時間停めたりする際には車止めなどを置いてやるのが安全のようだ。


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 バイク自体が完調ではないのが残念だ。去年の暮れ車検のあとおじいちゃんがツーリングに出た先でエンジン停止、そのままショップに運ばれてきた状態で小生が巡り会った。故障はダイナモとレギュレーターが原因だったようで、これらをOEMの新品に交換。エンジン降りていたのに合わせてタイミングベルトなども交換した。
 おじいちゃんは低速走行ばかりだったのか、キャブのジェット類がつまっているみたい。始動には手こずるし、50-70kmまでの市街地走行はなんとかなるが、100kmの定速走行を維持するのも難儀するくらい回転が上がらない。この記事を書いている時点で、まだキャブのOHが出来ていない。いつも世話になっているバイク屋さんも場所をとるGLが数日間作業場を占拠するのに準備が大変らしい。

10月初めにこいつでロングツーリングに行こうと企んでいるので、なんとか完調になったエンジンで出かけたいモノだ。



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 サイドカーショップでは、オーダーメイドでぴったりのカバーを作ってくれた。屋根付き駐車場にクルマ1台分のスペース、手間のかかるバイクに手を出してしまった感ありありだけど、サイドカーに乗ってみたいという願いは叶えられた。荷物を一杯積んでこの秋のツーリングは本当に楽しみだ。







# by akane8150 | 2017-09-25 22:19 | Motorcycles | Comments(0)

XT250 セロー 11 粟柄河内谷林道 マキノ黒河林道



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粟柄河内谷林道 マキノ黒河林道

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奥琵琶湖 木之本町山梨子

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旧国道8号線 賤ヶ嶽隧道


 地図を見ていると、奥琵琶湖〜敦賀の山おくに林道らしき道を発見。調べてみるとすでに「セロ尾」さんや「山神」さんたちのブログに登場している林道たちだった。小生にとってはお初の地域の山奥、ささっと準備して出発。木之本まで高速道路で、ここからは国道8号線。賎ヶ岳も旧道を選んで走り、味のあるトンネルにご挨拶。トンネル脇の山道を下ると琵琶湖湖畔の村落、「山梨子」に通じている。山梨子は湖岸沿い、行き止まりの小さな村落でとても静かなところだ。湖北の静かな景色を楽しみたいときには、おすすめの場所。


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箱館山スキー場


 交通量の多い奥滋賀の道、塩津・永原・マキノ・箱館山スキー場と走る。国道161号線「海津」交差点にあった「第一旭 マキノ店」がコンビニに変わってしまったのは、非常に残念だ。特に旨いってわけじゃ無かったけど昔からやっていて食事時にこのあたりまで来ると、わざわざこのラーメンを食べに寄ったものだった。家族でお店をやっていた風で、古くからあって長距離トラックも立ち寄るようなお店だったから、なんで店じまいなんてしたんだろうか? もったいない。
 箱館山スキー場には初めて来たけど、施設もきれいでアクセスの良さや展望などなど一度来てみたいと思った。ゴンドラで南斜面より山頂まで上がるとそこにゲレンデが広がるという設計だ。


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粟柄河内谷林道 入り口

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箱館山ゲレンデからの遠望


 琵琶湖北部から敦賀、美浜へ抜ける山道は、2本あって「粟柄河内谷(あわがらかわちだに)林道」と「黒河マキノ林道」。まずは西寄りの粟柄河内谷林道を北上する。舗装林道がゲレンデにむかって山の南斜面を上がってゆくと、林も切れて琵琶湖の展望が広がる場所もあった。やがて峰を越して北斜面に入ると草の広がるゲレンデになり、これを山頂に向けて登ってみた。ゲレンデ最上部からの眺めはよくって、朽木村方面の山々が見えた。



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淡海湖(処女湖)


 右に分岐が出てきてこれを進むと淡海湖を通ってキャンプ場に向かう。「淡海湖」って面白い名前に惹かれてみてきた。山奥の峡谷を堤でせき止めたため池で、大正初期に日本で最初に作られた人造湖らしい。放流されたザリガニは今も繁殖を続けていて「タンカイザリガニ」って名前までついてるそうだ。当時の新聞記者が「日本初」であったたので「処女湖」と報道したのが名の由来。夏場の草のおかげで展望は望めなくって残念であったが、神社があるという島も見ることができた。険しい峡谷に囲まれてなかなか観光客も来ないような厳しいところだった。


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ワンボ
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粟柄河内谷林道 南側ゲート


 林道は未舗装路となるが、硬く締められていてとても走りやすい。地名を表記した新しい看板がやけに目立つ。「ワンボ」っていう看板を発見、ちょっと拓けたところだったんで小集落があってもおかしくない場所、それに因んでいたんだろうか?? おかしな地名だ。。。セロ尾さんや山神さんもブログで取り上げていた(^O^)。やがてしっかりした鍵のかかったゲートに到着、ゲート右脇からいよいよ探検の始まりだ。



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河内谷 崩落個所


 快適な未舗装道をはしってゆくと大きな崩落個所に出会した。谷から川へ幅20mほどに土砂が流れ込み、クルマはおろかバイクも走った形跡がない。がれきの高さは2mほどだけど崩落は川原まで続いているので、落ち方が悪いとバイクが上がってこれなくなる心配もあり。歩いて走破ルートを考えたうえで一発勝負で駆け上がってみた。頂はクリアして下りになったのだが、勢いつけすぎてハンドル取られ前方へ飛ばされた。クラッチレバーのホルダーが緩んだり、がれき石で車体にあちこち傷が。。。小生も左膝を擦過傷、このあとしばらく血はでるは痛いわで(T^T)。2年前のセロ尾さんの記事ではこのような崩落も無くって、至極快適な様なレポートだったんだけど。。。


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粟柄河内谷林道 峠

 なんやかんやで峠に到着。峠は草に被われて展望なし。安全を見守ってくれるお地蔵さんも草に紛れているのか、峠らしい風情には欠ける。調べてもこの峠に名前がついていない。粟柄谷、川原谷に挟まれた峠だから、粟柄峠、川原峠なんて名前がつきそうなんだけど。


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 下りのそこかしこで「流水跡」が路面をえぐって走りづらい。猿投山の広見林道の「えぐれ道」とは比較に出来ないけど、「走りやすい」って先達たちの情報とは違ってる。転けて間もない場面だったんで、気分はイケイケモードから愚痴モードに(^^ゞ。 やがて美浜側のゲートに到着でコンクリの隙間を通過。ここからは舗装路となって快走、川沿いを下る。


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粟柄関所跡


 河原が広くなって林道の支線も分岐したあたりが「粟柄」の村落があったところ。ここには小浜藩が関所を設けて人の往来を監視した場所だ。ここから旧街道は林道から外れ、東に山を駆け上がり「粟柄越え」の峠を抜けて現在のマキノ町に出る重要な街道であった。いわゆる「鯖街道」のひとつで若狭と京都を繋ぐ最も西寄りの旧街道であった。従って、今回走行したルートは後世に作られた林業目的の自動車道であったと思われた。なので、峠の名前もはっきりしないんだろうか。粟柄の村落も昭和40年代に廃村となり、今は関所跡や村落の遺構が残っているだけ。


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 粟柄から程なくして人里の松屋に入ってホッとする。この安堵感は人里離れた林道を初めて走る際にはよく味わうもの。河原にはバーベキュー施設などもあって、賑やかだった。このあたりではすでに川幅もそれなりにあって、「耳川」と言う。次の林道に向かうべく、この川にそってどんどん下ってゆく。振り返って抜けてきた山並みを遠望する。



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美浜 耳川河口


 そしてついに日本海にぶつかる。耳川では河口近くで鮎釣りをしているのを見かけた。友釣りなのか、引っかけなのか分からないが、こんな海に近くでも鮎がつれるんだ。いつも山奥ばかり走っていて、海なんてめったに見ることのないセローには珍しい光景。


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県道211号


 敦賀で腹ごしらえとガソリンを補給して、2本目のマキノ黒河林道にむかう。国道沿いの海鮮市場には家族連れやライダーで溢れていた。発泡スチロールを積んでも大丈夫なツーリングだったら「鯖寿司」でもお土産に買って帰るところであるが、今日は林道攻めなので断念。先の情報ではこの林道にはゲートもなくって距離もしれているので、お気楽モード。周りの水田では稲刈りの真っ最中でコンバインが活躍していた。


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 黒河沿いに登ってゆき、村落を外れると一気に道は細くなってやがて未舗装路となった。林道の表示も丁寧で道に迷うことなくすいすいと登ってゆく。「通り抜けできません」なんて標識も脇が開いているので不安なく突入してゆく。


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 護岸が緩いので、林道と川の高低差もなく水辺に降りやすい箇所が幾つかあった。コケも生えないくらい急流なのか、清流は澄んだ水色を呈していた。セロ尾さんが絶賛する場所もこのあたりにあるんだろうか。


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 やがて工事現場に差し掛かる。ユンボが上手に道をふさいでいたが、わずかに川側に隙間を残している。さて、抜けるか撤収するかひと思案。隙間の土手はタイヤを乗せるスペースがありそうだけど、ユンボのアームが邪魔していてバイクに乗ったままでは高さが足りなくって無理。ならば、エンジン掛けたまま歩いて渡ろうと決断、しかし事はそうも簡単にはいかず何度も失敗しながら通過。


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Uーターン箇所


 ユンボの攻撃もいなして程なく、コンクリ路面の工事現場にぶちあたる。段差は全然越えることが出来るけど、養生している端っこの材木を越えるときに、タイヤで痛めてしまう心配がありあり。ユンボが頑なに通行止めを主張しているなかで、この養生の材木を傷めてまで走るのは「良心」が許さず。潔く撤退を決めて、ふたたびユンボの隙間を抜ける羽目となった。


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マキノ黒河林道 マキノ側始点


 ここで諦めるか悩んだけど、敦賀まで舞い戻り、ぐるりと国道161号でマキノ町まで迂回する事にした。まだ日は高く、今日の課題をこなしても自宅の夕飯には間に合うだろう。先達の情報を元に林道の分岐部も間違えることなく、舗装林道を駆け上がる。


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マキノ黒河林道


 やがて未舗装となって、遠望のきかない林におおわれた林道を登ってゆく。粟柄河内谷林道と同様に路面が流水で削られている部分も多く、決して走りやすい道ではない。登山道にもなっているのか、ハイカーの人たちに迷惑にならないよう気を遣う。味わいのある切通などもあって、面白いところもあった。ゲートこそ現れなかったが、総じて自動車が通行するには辛い道、バイクもオフロード車でなければ無理であろう。



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黒河峠 


 登山者用の公衆トイレを通過すると峠であった。ここは黒河峠、ちゃんと名前が付いては居るが、定番のお地蔵さんも道路標識も見当たらない。福井県河で撤収した工事箇所は、峠の先数キロのところにあるんだろう。U-ターン箇所まで峠を下る気力もなかったので、本日の峠攻めはここまでとした。


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マキノ白谷温泉八王子荘


 山を下りてくるとメタセコイア街道で名の知れたマキノ町、今日はメタセコイアに一瞥もせずに帰路に就く。挑戦した粟柄河内谷林道 マキノ黒河林道、いずれもお初の林道だったので満足感あり。当分、河内谷の崩落を越えようとは思わないが、粟柄河内谷林道は距離もあって未舗装路も美味しい林道。マキノ黒河林道は工事が終了した暁には、再度挑戦して完走を目指してみたい。






# by akane8150 | 2017-09-11 23:38 | Motorcycles | Comments(3)

MT-01 OS 30 R157号 温見峠 看板「おちたら死ぬ」 洗い越し



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 お山に吹く風が涼しげになり、秋を予感させる時期に。災害で通行止めになっていた温見峠を今季初、走りにいってきた。セローの出番を敢えてMT-01で出動、路面のガレ石やコケが気になるけどゆっくり走れば大丈夫でしょ(^^)


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根尾ゲート


 名古屋からは東海環状自動車道で関広見ICまで時間短縮、そこからR418号を武儀川にそって上流に向かう。途中には神崎川や上大須ダムへの分岐をやりすごすと根尾の町、「薄墨桜」って案内板が丁寧に残りの距離を教えてくれる。

 薄墨から根尾川を北上し、道の駅「うすずみ桜の里ねお」でトイレ休憩。ここの温泉はおすすめ、山奥のためか休日でもそんなに混まないしぬるっとしたきれいなお湯。隣接するお蕎麦屋さんも当地でそば打ちしたものを出してくれて、バイクで来たときなどには最適だ。

 峠手前の最後の集落、「根尾能郷」を過ぎると災害通行止め用のゲートが現れる。2005年にこの先の溢路で岩盤崩落があって以来、7年後の2012年末までずーっと通行止めであった。その期間は上大須ダムや猫峠使って迂回することが出来たが、迂回路の険しさやその長距離に気が滅入ったものだ、



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「落ちたら死ぬ」看板

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「pikachu75007500さん」の動画より


 このゲートの手前にはマニアの中では名の知れた「落ちたら死ぬ」看板が鎮座している。山奥のなんてことのない看板なんだが、言葉のインパクトは確かにあるわな。。 はじめはも少し先の目立つ路肩にあったが、いつしか手前のひっそりと置かれてあった。

 このゲート先から約5kmに渡って、断崖にへばりつくようにすれ違いの出来ないような峡路が続く。カーブミラーはあるのだけど、谷側にはガードレールもほとんど無いし路面には落石多数。木立がみっしり生えていて、数十メートル先の崖下に転落したら誰も気づいてはくれないだろう。「酷道」40kmの行程のうち、最も気の抜けない区間だ。

 まめにバイクを停めて写真を撮るのが常ではあるが、この危険箇所でバイクを降りて画像を撮ったことは無いなあ(バイクを停める余裕が路肩に無いから)。You Tube で 「pikachu75007500さん」がドローンを使ってこの区間を見事な動画に納めている。切り立った緑の山間を縫い糸のように繋がっている細い道、山深い奥美濃の美しい景色だ。



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名物「洗い越し」


 沢からの流れを通常なら橋を架けてやり過ごすのだが、恣意に道路に流してしまう荒技が「洗い越し」と呼ばれる道路管理。国内でも数少ない「洗い越し」がこの峠道には5,6箇所は存在する。平静は蕩々ときれいな沢の流れを見ることが出来る。しかし大雨の時にはガレも流れて通行することは危険であろう。そんな場面では通行止めとなり、後日ブルドーザーで堆積物を谷に落とす事になる。

 川底のように濡れている路面は水苔でぬるぬる、バイクで通行するときには低速でハンドル立てて大人しくすり抜ける。流されて路肩から落ちようなモノなら、バイクはおろか自分までも大けがは必須、怪我が無くても斜面を上がってくるのも無理だろう。



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温見峠


 根尾側の右岸を道は続き、確実に高度を上げる。最後のつづら折れを2,3つこなすと標高1020mの県境、温見峠に到着。能郷白山に登る人たちであろう路上駐車がいっぱい。小生の私見ではあるが、残念ながらこの峠には、「らしさ」が欠けていると感じている。隣接する「高倉峠」「冠山峠」に比して展望もイマイチ、整備環境も良くなくって。。。特に峠からの大野側はまっすぐな道路と空が見えるのみ。

 この温見峠は古代から美濃と越前を結ぶ主要道路であったが、歩道の昔は今よりもやや東に峠がおかれたようだ。古くは南北朝から、戦国時代は朝倉氏がここより美濃に進入し、織田信長が一向一揆の戦いで北に進入した。 一時的には廃道となっていた温見峠であったが、1974年に自動車道が作られ人の往来が復活した。


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福井県初期の管内地図(明治15年)


 峠の手前、河川敷が広がる「大河原」に「蝿帽子峠へ」という案内が立っている。これを調べてみると、この大河原から「蝿帽子峠」を越えて越前に至る旧道があることを知った。この変わった名前の峠は、明治時代の古地図にも登場していて、当時は温見峠よりもこちらの往来がメインであった。地図には大野側にある「温見」村落も書かれてはいるが、その先の温見峠が書き込まれていない。現在もこのルートで山に入るハイカーは居るようで、人跡のついた小道を知ることができる。

 それにしても「蠅帽子峠」なんて、変な名前になったんだろう?? 夏の峠が蠅だらけで帽子をかぶる必要があったからだとか、古代人が急坂を這い上がって進んだからとか、いろいろいわれがあるようだ。



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 峠を越えた先は、1.5車線の狭くて険しいが続く。しかもガードレールは見当たらない、積雪や落石がすぐにガードレールを痛めてしまうから、もとより付けなかったのか? 除雪や落石排除にはガードレールがない方が都合良かったから?? 


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温見ストレート


 大野側におりてゆくと、植林された林の中の意外な「直線路」に出会す。廃村になった部落「温見」」があった場所であり、そのメインストリートであったんだろう。最近は廃村であった温見にも人の気配を感じるようになった。週末に畑にきたり、家屋の整備をする住人などを見かける。


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 真名川は大野盆地に出る直前に深い谷となって270度変針する。これまで川沿いをくねくね走ってくると、この地形の大きな変貌はとても印象に残る。古代の人たちが商いを担いでこの山越えをしたときも、この岐路ではさまざまな思いがあったんだろう、峠に向かう重圧感、山間から盆地に出てきた開放感。ここより盆地の縁をはしって、九頭竜川沿いの国道158号線にむかう。


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越前大野


 大野の盆地は周囲を山に囲まれ、一面の水田が緑の絨毯のようになっていた。高い建物もないので、周囲ぐるりと見渡せる、ホント気分のいい町だ。山奥から出てきてこの開放感を味わうと「大野」という地名がついていることも大いに頷ける。

 夏の大雨直後であったため、美濃白鳥に向かう油坂トンネルの手前で通行止め。九頭竜の道の駅で情報を得ると、石徹白から桧峠を抜ける裏道は通れるとのこと。スキーに没頭していたころによく通った石徹白スキー場跡地を通り抜け、問題なく美濃へ抜けることができた。しかしクルマで抜け道を選んだ人たちは大変だった。石徹白の山奥の離合ができない区間では、ファミリーカーが折り重なって渋滞していた、、、あんな山奥で渋滞とは( ・_・;)。




# by akane8150 | 2017-09-02 18:00 | Motorcycles | Comments(5)

RZ250改 7 野麦峠 お助け小屋


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1981年 RZ250 改


 7月上旬に通行止めで通れなかった野麦峠の通行止めもやっと解除の情報を得た。例年であればゴールデンウイークの頃には雪解けで開通しているので、約3ヶ月もおくれた計算だ。楽しみに今年初めての野麦峠を予定したがなんと朝寝坊。。。 すっかりお日様が上がってしまった午前9時に自宅を出発。ウインカーが振動で折れているMT-01はお休み〜〜、オートルーブを満タンにしてRZをお供に選んだ。



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美濃加茂


 乗鞍の野麦峠へ最短で行くなら、中央高速で伊那でおりて薮原からのコースになろうがそんなんじゃ面白くない。時短にはいいけど、バイクの高速道路は単調すぎる。下道で高山方面をめざす「ルーティンロード」、美濃加茂〜上之保〜岩屋ダム〜小坂 の裏道街道をいつものように走る。渋滞知らず、くねくね満載、信号無しの美味しいルートだ。自宅から名古屋高速道路を小牧北ICまでワープ。あとは国道41号線で美濃加茂までくると、この先が野麦峠までの裏道街道を起点となる。


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津保川 あゆ漁


 美濃加茂からは道の駅「平成」を通り過ぎ、津保川にそって上之保村を北上する。日本中に「平成」と名のついた地名は珍しく、元号が変わったときには、多くの観光客がこの小さな町に押し寄せた。「へいせい」と書いて「へなり」と呼ぶのが正解だ。

 お盆の津保川は「あみ漁」も解禁になったようで、帰省中の家族も相まって地元の人たちが川にあみを仕掛けて鮎などを捕っていた。父親が元気だった頃、中学生くらいから鮎の友釣りに連れて行かされたものだ。この「あみ漁」が始まると、友釣りのシーズンも終わり夏が過ぎてゆくことを感じる。


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 町とはそれほど離れていないけど、上之保周囲はお山に入ると過疎感たっぷりの静かなところ。道路標識もレトロなモノが残っていて、これなんかも昭和の味わいがあってよろしい。この型式の案内表示は昭和25年から46年まで採用されていた、この場所で50年以上も機能してるんだからすごい。


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金山巨石群(岩屋岩陰遺跡)


 上之保を抜けて岩屋ダム、馬瀬村をめざす。岩屋ダムはワインディングが続くこともあって、アドレナリンがふつふつと湧いてくる。路面がきれいなのは安心だがこの時期は下草が路上にせり出しているために、コーナーの見切りが悪くって要注意。6000〜9000回転の美味しいところをつないでくねくね道を楽しんだ。

 途中に10mを越える大きな石が寄り集まった遺跡がある。地元のサイトを引用すれば。。「日本に数多くある巨石遺跡の中で金山巨石群は、考古天文学的調査が行われた最初の遺跡。この調査によって3箇所にある巨石の石組みは、いずれもイギリスのストーンヘンジのように、太陽暦として機能するように設計され建設されたと推定されるなどいくつかの事実が明らかになった。」だそうだ。縄文時代からの発掘も見つかっており、一見の価値あり。


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道の駅 飛騨美輝の里


 ダム湖周辺路が終わって馬瀬の村に入ると「道の駅 馬瀬美輝の里」。くねくねを真摯に走った後の休憩にはもってこいでいつも静かで好きな道の駅だ。トイレを済ませてバイクに戻ると。。。 小さな虫がたくさんバイクに集っている。。。夏の夜に白い布団に虫が集まるのと同じだろう。タンク、フェンダーにいっぱい取り付いている。走ってみても風圧にも耐えて張り付いたまま、なんてタフな虫なんだ??


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馬瀬村

 馬瀬川上流のこのあたりは全国的にも鮎釣りで有名な所。人を見ることも少ない静かな村だけど、お盆と重なったためか帰省した人たちで賑わって楽しそう。道が開けるまでは、この馬瀬上流にくるには難儀をする鎰路であった。今はダム湖や峠越えのトンネルもできて一気に近代化された印象だ。


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道の駅 飛騨小坂


 寒くて凍えた新日和田トンネルを抜けて山越え、下呂温泉を流れる飛騨川に出る。ここからは国道41号線の対岸を併走する県道を爆進。信号、クルマなど皆無の抜け道だ。やがて小坂の町並みになり小坂川に沿って山に入り込む。湯屋、下島などの温泉も有名で、アルカリのぬるっとした温泉がいい。高校卒業旅行で友人と自転車2台、2泊3日かけて名古屋から高山までの往復をしたことが懐かしい。この湯谷温泉に泊まったのを覚えているが、今なら「風呂上がりのビール」なんて楽しみあるが、当時は湯上がりにどうしていたんだろう?? 冷えた牛乳を飲んでいたのかな。


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鈴蘭峠

 小坂から鈴蘭高原までの15kmほどは適度なカーブと登りが続くとても楽しい小生のおすすめくねくね道だ。登った先が鈴蘭峠、さらに鈴蘭スカイラインでいつもの展望所に到着。ここからは右に御岳、正面に乗鞍を見渡すことができてすごく気分のいい場所。雲が多くて残念であったがまずは一息休憩だ。


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道の駅 飛騨たかね工房


 鈴蘭高原をそのまま北進して御岳麓に下りて、秋葉ダム沿いを抜けて木曾街道に出る。道の駅 飛騨たかね工房は野麦峠への分岐近くにあって、バイクも多い道の駅。それがためか、軒下のベンチにはシールド掃除用にぞうきんが置かれてあって( ・_・;)。こんなサービスしているところってないでしょう、まあ山奥で来客もそれほど多くないからやれているんだとは思うけど、これを思いついたのはきっとバイク乗り、しかもマッハ好きなんだろう。


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野麦街道


 木曾街道を左に折れると野麦への分岐。崩落した個所の工事もあったので、10ヶ月以上も通行できなかった計算だ。ここから野麦峠までは人里のない山道となってどんどんと高度を上げてゆく。気圧の変化でエンジンはふけ上がるのをいやがるようになり、低めのギアで引っ張らないとスピードも落ちてしまう。正面には乗鞍岳が見えるはずだが、今日は雲隠れ。


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野麦峠 お助け小屋


 高い木が無くなってクマザサがでてくると峠に到着。バイクを中心に観光客がそれなりに訪れている。お助け小屋に上がってまずは目標の蕎麦をいただく。とりわけ美味いわけじゃあない、ぶっちゃけよくある乾燥麺のおそばだとは思うが、野麦まで上がってきた「あかし」で毎度食べている。以前は宿泊もしていたくらいだが、辞めてしまってずいぶんとなる。このお助け小屋に少しでも応援できたらという思いで毎度注文しているような気がする。切り盛りしているご夫婦にはぜひ今後もお店を続けてもらいたい。


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野麦峠


 いつもの撮影ポイント、しかし今日は雲に被われて乗鞍岳の雄姿は見ることができなかった。ここにいるかぎり猛暑とは無縁だ、気温18度、湿気も少なくからっとした空気はとても過ごしやすい。年に2,3度は訪れているこの峠、次回は紅葉の秋の頃だろうか


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乗鞍高原


 奈川に下りてきたら奈川渡ダム〜野麦街道だけど、再び山に入り込んで上高地乗鞍スーパー林道を進む。くねくねの続く木立の道は乗鞍高原、白骨温泉へ続く。昔は砂利道でひどいルートだったが、いまでは路肩もしっかりとした舗装路となっている。20-30年前は道路脇の木立も低く展望がずっと良かったはずだけど、いまはすっかり成長した木立に囲まれてしまって見晴らしは決して良くない。

 ぱっと広がる景色になるところが乗鞍高原の一ノ瀬遊園で、遊歩道や湿原、小川が平地に広がり背景には乗鞍岳がでんと構えている。この日は家族連れがバーベキューをしている姿が目についた。こんなところで景色見ながら冷えたビールを頂いたら美味いだろうね〜(しかし片付けの事を思うとバーベキューは気が重いなあ、みんなまめだなあ〜〜)。


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白骨温泉


 トンネル越えて降り着く渓谷が白骨温泉で、その行き止まり最も奥にあるのが「湯元斉藤旅館」。明治、大正、昭和、平成と歴代の建物が残っている由緒あるお宿で、白色の硫黄泉が小生は大好きだ。一時期白骨温泉も湯量が足りなくって、掛け流しを偽っていたお宿もあったほど落ち込んだ時期もあったが、安房トンネルなどの開通で再び人気を取り直しているようだ。



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中の湯露天風呂跡


 白骨温泉から山を下ると国道158号、これを左にとって安房峠方面に向かう。急峻な谷をトンネルで貫いた快適な道を進むと川の左手に昔の中ノ湯温泉の露天風呂が見えてくる。学生時代にここに泊まったときには、このお風呂は現役であった。遮るモノなど何も無い露天風呂は、観光バスなどからも丸見えでお風呂に入っているとバスの乗客が手を振ってくれたりしたものだ。いまも湯船は残っていてゆけむりが上がっていた。

 中の湯温泉は上高地へ続く釜トンネル近くに建っていたが、安房トンネルの水蒸気爆発事故がきっかけとなって旧峠へ移転してしまった。残された洞窟風呂(卜伝の湯)にはクルマで移動するらしい。この洞窟風呂は湯気もうもうの面白いお風呂だ。



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釜トンネル


 上高地へ続く入り口がここ、いまはマイカー規制でタクシーとバス以外は上高地に入ることができない。この日はタクシーがひっきりなしに吸い込まれていて、路線バスが満員御礼であることを伺わせた。釜トンネルはマニアには知られた非常に勾配のきついトンネルだ。


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安房峠旧道


 安房トンネルのおかげで安房峠をあっという間に通り抜けることができるが、味わいのある旧道を選んで上がる。登ってゆくと左側に移転された中の湯温泉が見えてくる。それにしてもひび割れたコンクリートのヘアピンカーブで綴られた峠道はとっても細く、自家用車の離合すら難しい個所がある。まして観光バスなどはどうしていたんだろう。


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安房峠


 10個のヘアピンカーブの先にガスに被われた安房峠があらわれる。以前はここに峠の茶屋があって風情があったけど、トンネルの開通と共に無くなってしまった。涼しいを通り越して冷たい風が抜けてゆくメッシュジャケットでは辛い。

 峠の空き地には金沢ナンバーのクロのMT-01が駐めてあって、横にはオーナーとおぼしき男性がクルマに惹かれはしないか心配なほど車道に近い路面で寝込んでいた。ブーツも脱いでいびきも聞こえそうなくらい熟睡しているので、よほど疲労困憊でここまでたどり着いたんだろうか? MT-01の10周年記念に参加した人であれば、お知り合いのはずなのだが。。。 ひとまず何か困っている様子では無いので、そのまま通り過ぎた。



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平湯峠


 平湯温泉は盆休みでどこのお宿もクルマで一杯、繁盛するって事はいいことだ。平湯バスターミナルもバスやクルマで混雑しており、大滝周囲のキャンプ場はテントの花が一杯咲いていた。脇へそれて峠の旧道を上がり、ほどなく雲が流れる平湯峠に到着。天候が今ひとつのためか、自転車乗りの人たちは少なめ、ここから先の乗鞍スカイラインはマイカーも見当たらなくって峠は静かな雰囲気だ。



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せせらぎ街道


 混んでる高山市街地を北に迂回して、せせらぎ街道に入る。高山と郡上八幡をつなぐ信号が無い60kmを越える快走路で、バイクやクルマのツーリングによく使われる。最近まで道路工事で対面通行で数分の停車などが強いられていたが、この日は工事も見当たらなかった。制限速度を簡単に超えてしまう道だけに、白バイによる取り締まりには要注意。反対車線ですれ違っても、Uーターンして速いバイクを追いかけたり、古民家の影に隠れて待ち伏せなんて常套手段だ。


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道の駅 明宝


 寝坊して出発したのが災いで、郡上八幡まで戻ってきたらすでに日没前。前日から始まっている郡上八幡の徹夜踊りが今夜も始まる時間だ。郡上八幡にむかうクルマには浴衣姿が多い。踊りの輪も見てきたい気分ではあったが、郡上八幡から名古屋まではまだ100km近く残っており高速道路を使って家路を急いだ。

 満タンで出かけた2stオイルも道中で残量警告灯が点灯、約400km走行した場面だった。スーパーオートルーブ 1Lで400km、比較する対象がないがそれなりにオイルを燃やして走ってることが分かる。ガソリン消費が15~16km/L さらに1500円ほどのオートルーブを400kmで消費、アバウトでガソリン、オートルーブを合わせると4stエンジンに換算して10km/Lほどのガスイーターとなる。5倍ほどの排気量なのにMT-01が20km/Lの低燃費を示すのとは対照的だ。これでは2stの未来はないわけで、新規に作られることは無いだろうな。

マフラーにオイルがたまっている状況だと、燃え切るまでひどい白煙を吐くことはあるけど 普段はそれほど後ろに迷惑をかけていないはずだが。。今回は後ろを走っていたドライバーたちはどう思っていたんだろうな(^_^;。





# by akane8150 | 2017-08-15 22:06 | Motorcycles | Comments(4)

GL1200サイドカー 1 巡り合わせ


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R75 降下猟兵
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R75 オートバイ大隊


 まだバイクの免許も無かった頃、穴があくほど眺めていた「オートバイとドイツ兵」って雑誌があった。そこには悲惨な戦争ではあるが、大好きなオートバイが活躍している写真が満載で特に力強いサイドカーにはとても惹かれた。

 いつかはサイドカーに乗ってみたいって思っていて、サイドカーメーカーや専門ショップなどを調べてみるが、バブルの頃には沢山あったショップも現在ではずいぶんとその数を減らしてしまっている。まずはお店でお話を聞いてみようと三河にあるサイドカーショップを訪ねてみた。



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MT-01サイドカー(ヨーロッパのサイドカークラブ)


 ヨーロッパでは側車をつけたMT-01を散見する。いずれはその重さで取り回しも辛くなるであろうMT-01にサイドカーを付けたら面白そうだ。小生の魂胆はMT-01に側車が付けれるかどうか知ることだった。訪ねたショップには、何台ものサイドカーがあって普通のバイクショップとは雰囲気が違っていた。新規に舟の型どりをしていた主が手を休めて、小生の応対をしてくれた。

 それによると、、1999年7月以降に生産された250cc以上のオートバイに側車を付けて正規車検を取るには、指定されたコースに実車を持ち込んで2日間にわたる試験を受けて合格する必要があるそうな。MT-01に気に入った側車を付けると軽自動車1台分くらいの費用がかかるときいて唖然。
250ccの側車であれば車検もないのでお手軽ではあるが、いかんせん非力はどうしようもなく、かつ軽い分だけ運転操作は難しいそうだ。

小生はがっくりと気落ちしたが、主が修理に入っているGL1200を見せてくれた。



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 1986年の新車からずっとこのお店で面倒をみてきたGL1200アスペケンド、オーナーは80才を越えるおじいさんでこの春まで大事に乗ってきたそうだ。ツーリング先の故障で車庫入り、家族の反対もあって降りることを決めたらしい。修理をして売れたらおじいさんのお小遣いにでもするんだと聞いた。


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 そのバイクはワンオーナーで正規の車検がまだしっかり残っていた。フロントにはアールズフォークが奢られている。側車はこのショップオリジナルのもの、サイドブレーキも完備していてリアブレーキは側車側も制御している。つやの失せた車体は30年の時間を感じさせるが、欠品も無く大事にされてきたことがうかがえた。ショップの主もこのバイクとオーナーには思い入れがあるようで、「だれか乗ってくれれば」と。

 ここに及んで小生は「大思案」。。。「今日は話を聞きに来るだけだ」「いますぐサイドカーが欲しい訳じゃない」「だけど、この先サイドカーを作ることは大変だぞ」「このおじいさんのサイドカーを見過ごしてもいいのか??」などなど、心の中で自問自答をしてみたが、ワンオーナーで大事にされてきたバイクという「小生の心の琴線」に触れてしまっては。。。。
思い悩んだあげく、「修理で治るようなら、譲ってください」ってなことになった。


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 オルタネーターが死んでレギュレーターなども逝かれた様子。パーツはメーカーからはもちろん出てこないので、アメリカから中古やOEM製品を取り寄せることとなる。タイミングベルト・燃料ポンプ・ウオーターポンプ・エアサスペンションなどの消耗品も合わせて交換の重整備となった。それにしてもバラバラになった姿をみて、無事に元通りになるのか?? いささか心配だ。

 予てから小生は秋雨前線の心配も無くなる10月に東北一廻りのロングツーリングを計画していた。名古屋〜仙台間はフェリー、仙台を起点として三陸海岸、下北半島、白神山地、男鹿半島、八幡平など温泉を楽しみながら巡る予定だ。もしもGL1200の修理と側車運転の修練が間に合うようなら、こやつをお供にしてみたい。きっとソロバイクとは違った世界があるだろう。




# by akane8150 | 2017-08-02 22:48 | Motorcycles | Comments(4)

中日ビル ビアガーデン2017 回転レストランバルーン オリエンタル中村 観覧車



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名古屋 栄 中日ビル


 名古屋を代表するビルというと「大名古屋ビルヂング」「中日ビル」「都ホテル」「明治屋」など、昭和レトロから続く市民に親しまれた建物が多かった。しかしいずれの建物も耐震性を問われてどんどんと町並みから消えてゆく。中日ビルは1966年の開業から、森光子の放浪記などをロングランした「中日劇場」、事務所を置いている「中日ドラゴンズ球団」などを抱え、栄の待ち合わせ場所としても知られている。

 50年以上続いたこの建物も2019年3月で閉館し、数年後には新しい中日ビルができることになった。小生も幼い頃からこのビルには親しみがあって、特にその屋上にある回転レストランも無くなってしまうことは寂しいかぎり。


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回転レストラン ばるーん


 開業当時からあったものかどうか不明ではあるが、2000年頃まで営業していた回転レストランのばるーん。小学生の頃に両親に連れてきてもらったことがあって、ゴージャスな内装と食事が鮮明に記憶に残っている。遊園地の回転カップですら感動するのに、床が動いてご飯を食べるなんてスペシャルな出来事はビックリだったんだろう。


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ひろしま国際ホテル(広島経済新聞Webより)


 インターネットで探しても、このばるーんの画像や資料が出てこない。現役で活躍中のひろしま国際ホテルのレストランの画像を挙げてみたが、小生の記憶をたどるとこのような雰囲気であったように思える。中央の回転しない厨房と回転する客席の間には明瞭な境界があって、じっくりみていると動いているのがよく分かった。ばるーんの規模も広さもこれくらいだったんだろう。


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 ビアガーデンが置かれた屋上からさらに上に回転レストランが作られている。屋上からレストランには階段を上がってたどり着いたはずだが、その階段はプライベート空間で立ち入ることは出来なかった。屋内はライトアップされていて今でも営業できそうなくらい管理されている。ほどなく取り壊しになって、回転レストランを間近に見るのも最後、時代の移り変わりと自身の齢の変化を実感する。


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中日ビルビアガーデン

 さてさて、ここにやってきたのは、病院の納涼会ビアガーデンに参加すること(^^)。病院スタッフの約半数と調剤薬局のスタッフ、委託給食会社のスタッフなどなど、総勢60名ほどの参加となって今年も賑やかな企画になった。


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 ここがいいのは開閉できる屋根があることだ。雨が降ったらどうしようなんて心配を幹事がしなくて済む。キリンビールの銘柄が選べて、ソフトドリンクなども充実している。ビアガーデンといったら揚げ物中心ときまっているんだろう、料理はこんなものと納得すべきで期待してはいけない。


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 家族で来てくれた職員もいて、初めてのビアガーデンと夜景にお子さんも喜んでくれたようだ。背景にはライトアップされた「テレビ塔」、こんな派手な照明だったっけ??


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 「サッポロビール浩養園」「マイアミ」「丸栄百貨店」「名鉄百貨店」などが名古屋では知られたビアガーデンがあるが、立地の良さや会場の清潔感から小生はここのビアガーデンが好きだった。これまで、毎年楽しませてくれてありがとう!! 


おまけ
 
 中日ビルの外観を撮るために、お隣の三越デパートの屋上に上がってみた。幼稚園の頃、デパートの屋上は子供達にとって「楽園」であったと思う。両親と日曜にデパートの屋上遊園地で遊び、大食堂で「お子様ランチ」を食べて付属の「日の丸」を自慢げに家に持ち帰るという、一連の過ごし方は、小生にとって最高のイベントだった。それに反し、現状の屋上遊園地は廃墟のようだ。まずは人の姿が見当たらない、粗大ゴミのような動物の張りぼてや動きそうも無い乗り物。。。


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栄 三越百貨店 屋上遊園地
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現在の観覧車(Hideto Uchiikeさん動画より)




 デパートの屋上観覧車は全盛期であった昭和40年代には全国にあったようだ。決して高さは無いのだが、上がるとビルからはみ出るんじゃないかと心配するくらいスリリングだった。そんな中で、1954年日本最初の屋上観覧車として生まれ、かつ現存する最古のモノがこの三越には残れさている。人を乗せないが日に2回、今もミュージックと共に回転しているらしい。手前のカンガルーは「オリエンタル中村」時代の正面玄関に置かれていたデパートのシンボル。こやつの背中にまたがった覚えがある、いまはひっそりと屋上のオブジェになっていた。


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1954年 オリエンタル中村 観覧車(中日新聞Webより)


 都会で育った小生は街の喧騒の中で大きくなった。まさに昭和レトロな建物、デパートの屋上遊園地などは幼い記憶に刻まれているが、すこしづつその風景も失われようとしている。懐古趣味はどうよって思うけど、この現実は残された小生のかすかな「記憶」をも消してしまいそうだ。





# by akane8150 | 2017-07-23 17:33 | Life | Comments(2)

RZ250改 6 蓬莱泉 ガソリンタンク修理



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 これまでに多くのバイクを乗り継いできたが、RZだけは手放さずに維持してきた。振り返れば、36年(*゜Д゜)。。。ひどい転倒で入院生活も経験し父親から猛反対されたピンチの時代もあった。数年の間、友人宅の納屋でひっそりとほとぼりが冷めるのを待ったことも今となってはほろ苦い思い出だ。

 まだRZの外装パーツが手に入った20年ほど前に、高速道路で焼き付きをおこしてしばらくバイク屋に預けた場面があって、その際に手に入る外装パーツや消耗品を新品と交換した。それから月日が流れ、外装のさびやデカールはがれが目立ってきたので外装を信頼している塗装屋さんにお願いした。また手に入れていた予備のきれいめタンクも使ってやろうと魂胆し、待つこと2ヶ月オリジナルの塗装を大事にした「ぴっかぴか」の外装パーツが手元にやってきた。


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 しかし、外装を組み付けてタンクにガソリンを入れたら。。。泣けることに複数箇所からぽたぽたとガソリンが漏れてくる。タンクキャップのある右側の底を主に5,6か所にピンホールのような穴が見つかった(T_T)。手に入れたタンクはどうやら長いこと水が入ったままで置かれていたようだった。塗装の仕上げをする前にタンク内のさびを確認しなかったのは失敗で、行きつけのバイク屋さんに外注を含めて修理をお願いしたが、綺麗にした外装もいじることになり穴も大きくなるかもしれないから修理の太鼓判が押せないと難色を示されてしまった。

。。。となれば、自分でやるしかない。




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 汎用の内視鏡で中を覗いてみると、底の部分が全体に腐食していて沈積物も見られた。いかにもタンク内にあった水分が悪さをした感じ。けど幸いなことに底の部分以外は大きなダメージは見られなかった。



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それじゃ、ダメもとでDIYでやってみることに。

 ネットでしらべると、POR-15というタンク内を強力にコーティングして錆を防いでくれる定番を見つけた。送られてきたセットには洗浄剤、錆取りが含まれていて通常の「錆びたタンク」であればこれで完璧であろうが、穴が開いたタンクには通用しない。

 穴は一般的に「半田付け」「エポキシ樹脂」「溶接」などなどで直接埋める作業が必要になるが、きれいになった外装を再び溶接などで汚してやり直しなどしたくはない。なので確認した穴を外側から最小限にリューターで削ってエポキシ樹脂で埋めてみた。

 キットの錆取りを使いたいところだが「逆に」穴を大きくしてしまう可能性が高かったので、脱脂をした上で「POR-15」だけで穴を埋めて封じ込める作業をおこなってみた。厚塗りを狙ってじっくりとPOR-15をタンク内に注入して行き渡らせた。手順書には残ったPOR-15はタンクから排出するようにあったが、重ね塗りを期待して抜かずに2本分のPOR-15を使い切った(タンク内容量が100ccほど減るかもしれないが)。


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 乾燥をまって1週間後にタンク内を覗いてみると、見事に底の部分は裏打ちされていた(^^)。このPOR-15は約1時間で乾燥が始まり、固まると強力な塗装皮膜を形成してくれるらしい。小さなピンホールのような穴であればそれ自体で塞いでくれるようだ。文面にはしていないが、小生なりに工夫をしたこともよかったようで、POR-15がタンク内全体に厚く塗装できたようであった。この塗料の皮膜は相当に堅固なようで、ユーザーの書き込みを見る限り耐久性もあるようだ。


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フロントスプロケット 16丁

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ドリブンスプロケット 39T サンスター

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DID 530 シールドチェイン リンク102


 固着しかけていたチェーンも合わせて交換。オリジナルは530サイズの太いもの、当時は高馬力のエンジンに耐えるような細いチェーンはなかったようでナナハンクラスに使われていたものがRZにあてはめられていた。DIDのシールドタイプ530は簡単に手に入るが、問題は「スプロケット」。 純正品は当たり前のように欠品し、ヤフオクで探したらなんとか「530」規格のモノが手に入った。特にドリブンスプロケットは純正品で。。「出会えて良かった」(^^)。手に入りやすい「520」規格のコンバージョンタイプがRZ用に出回っているのが現状のようで、次に整備する時には「530」でスプロケットを手に入れるのは難しいだろうな。


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 意を決してガソリンをタンクに入れてみる。少しの漏れも許されないからじっくりと観察。一晩おいてもガソリン漏れをみることなく、タンク漏れ修理はひとまず成功したようだ。タンクをバイクにのっけて、ピカピカの外観をまったりと眺めて自己満足。純正のミラーも手に入らないので取り外してストックした上で、日頃のツーリング用にVmav1200で使ってた「モーフィングのミラー」を付けてみた。これはこれですっきり似合ってよろしい(^^)。さてさて、出来上がったからどこかにお出かけ走りに行くよ。

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蓬莱泉 愛知設楽


 行った先は愛知県設楽にある蓬莱泉の酒元。愛知の地酒では名のとおった銘柄で、小生はご縁があって毎年、夏と秋の蔵出しの際に「空」と「吟」をお願いしてある。いずれも大吟醸だからのど越しがするりとしていて和食のアテにはぴったり美味しいもの。「空」は名古屋の地酒酒場で時折みかけるが、「吟」はかなりのレアものだ。フルーティな香りの「空」と水の如しの貫禄「吟」は愛知の誇る地酒だと思う。

 この度はさらにお使いモノに「空」を別途注文してあった。郵送してもらっても良かったが、お出かけの口実にRZで受け取りに向かう。名古屋から設楽までは「定番」な山道を走って到着、ピカピカのタンクは気分良く燃料フィルターも働いていてゴミの詰まりも起こさなかった。炎天下でタンク内の圧もそれなりに上がったはずだが、ビシッとガソリンの漏れは起きることは無かった。

 これでRZの外装リニューアルはひとまず完成(^^)。この春にリアサスのOHとフロントフォークのシール交換などできていたので、乗り心地と合わせて良い感じに仕上がってきた。またまた愛着が増してRZとの蜜月は続きそうだ(^^)。




# by akane8150 | 2017-07-18 22:03 | Motorcycles | Comments(2)

MT-01 OS 29 熊野三山・神倉神社 お参りツーリング




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 小生の身の回りに、病と闘っている仲間がいる。治療に小生が関わっていないのでせいぜい愚痴を聞くくらいしか出来ないのだが。。。困ったときの神頼み、仲間の代わりにここはひとつお宮参りにでも行こうと思い立った。ならば熊野三山を巡ってこようと、朝5時に家を出た。


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花窟神社(はなのいわや)


 高速をひた走り、尾鷲から熊野の海岸に出ると右手に高さ50mにも届こうかとする巨岩が見えてくる。この巨岩をご神体として「いざなみのみこと」が亡くなった墓所とされている花窟神社は日本最古の神社とされる。長いお縄掛けが巡らされた巨岩を見上げると、なんとも厳かな気持ちになるのが不思議だ。


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熊野速玉大社


 名古屋を出てから3時間で新宮に到着。熊野三山は「熊野速玉大社」「熊野那智大社」「熊野本宮大社」を総称したもので、全国に広がっている熊野神社の本山だ。熊野速玉大社は新宮市内にあって国道からもすぐの場所で、三山最初の参拝をした。時間も早く訪れているのは地元の人だけの静かな雰囲気であった。ここの祭神は熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)のふたりの神、いわゆる夫婦の神といったところか。

 それにして、ずいぶんと道路が整備されたものだ。大泊〜新宮の未開通区間を除くとほぼ名古屋から新宮までの200km以上が自動車道でつながっている。熊野や新宮までが日帰り旅行範囲なんて30年前には考えもしなかった。



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那智の滝


 次いでさらに西に向かって那智の滝。写真にしてしまうと削がれてしまうが、その場で見る滝の迫力はなかなかのモノ。天気もいいから滝の白さと青空が際だって良い景色。

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熊野那智大社


 熊野那智大社は熊野夫須美大神をまつるとあって、熊野速玉大社の祭神の奥さんにあたる(^^)。夫婦で熊野三山を支えてるわけで、子孫繁栄・子宝の神様でもあったんだろう。 那智の滝を自然崇拝した古代の姿が熊野那智大社の始まりであったから、このお社が歴史に名前が出てくるのは他の二社に比べてやや後になる。有史よりも古くから、数え切れない人たちがこの滝を崇めてきたと思うと、なるほど世界遺産になってもおかしくない。

 長い石段を上がって参拝するのが普通だけど、南からつづれ折りを登ってくると本殿近くの社務所駐車場に止めることが出来る。ここまでクルマ・バイクで上がってこれると本殿までは目と鼻の先。ずいぶんとずるをしたけど、二礼二拍手一礼で本願を伝えた。お隣には那智山青岸渡寺も控えて、古代からの神仏習合をよく表している。



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神倉神社


 再び新宮の町に戻る。町の北側、岩山の上に小さな社が見える、熊野速玉大社の案内図にも載っていた神倉神社。熊野権現が最初に降り立ったのがこの神倉神社とされ、熊野三山の始まりの地とされる。ゴトビキ岩と呼ばれる巨岩がこの神社のご神体で、創建年代は128年頃で神話の天磐楯として登場する。これも那智の滝同様に自然崇拝から発生した聖地で、やがてそこに神話や仏教が混ざり合って近代に至ったのであろう。最初に権現が降り立った場所としてこのお宮を「旧宮」、そして新たに創設された速玉大社を「新宮」と呼んでいるが、これはこの地「新宮市」の由来。

 朝一で寄ってきた「花窟神社」の岩壁と神倉神社の巨岩は「対」とされ、この「ゴトビキ岩」と花窟神社の「ほと穴」はそれぞれ男性・女性のシンボルで古代信仰の姿を残している。

 新宮市内の住宅地にニョッキリと断崖絶壁のお山、この麓から120mの高さの拝殿まで、恐ろしく急な石段を538段登ってゆかなくてはならない。30度を超えようとするこの日の夏空では、バイク装備のブーツやウエアが辛い。この石段は源頼朝が寄進したとされるが、もうちょっと斜度を下げて安全に登れるようにして欲しかった。この石段を転げ落ちた気の毒な信者がきっと何人もいるにちがいない。逆に・・・この石段を安全に上り降りができるってことは、その信者が健全で長生きもできることを示してるのかも。


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 たかだか120mとはいえ、清風がふく山の風が心地よい。目前には新宮の町並みが一望できる。時間はもうすぐ11時、お腹が空いてもきたんで、このお山の麓にあるお店にむかって石段を駆け下りた。



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新宮 めはりや


 新宮名物の「めはりずし」を頂きに「めはりや」さんに到着。しょうゆ漬けた高菜のおっきな葉っぱでご飯をおにぎりのように包んだものがめはりずし。このしみこませた醤油だれがシンプルなんだけど美味しい。串カツ、豚汁も自慢の料理のようで、「おためしセット」がお薦めかな。友人宅と家族へお土産に、自宅で作れる「めはり漬け」を2つ購入してバイクにくくり付けた。完全に凍っているので、発泡のケースだから夕方の名古屋までは持つとのこと。


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国道168号 通行止め


 さて、新宮の町を出て熊野本宮大社へ向かうべく、168号を北上開始のはずが町を抜けたところで通行止め・・・この先で法面が崩壊したとのこと、直接の迂回路がないのではるか東の国道169号を介して瀞峡方面から迂回する事となった。。もう一度新宮市内に戻って約50kmの迂回路、それでも行かなきゃ、まだ本日の目標を達していない。


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熊野本宮大社


 熊野三山の〆、本宮大社には12時到着。土砂崩れの通行止めが無ければ、もっと早く来れただろう。通行止めのためなのか、駐車場も空いていて参拝者が少ないように思えた。ここにも石段が鎮座しており。。153段を上がって本殿に到着。本宮大社は家都美御子大神(けつみみこのおおかみ、熊野坐大神〈くまぬにますおおかみ〉、熊野加武呂乃命〈くまぬかむろのみこと〉とも)を主祭神とする。家都美御子大神は唐の天台から飛来した神、のこりの二人の神様の素性は、ウイキペディアをもってしても不明との表現。これだけの歴史をもったお社の祭神がよく分からないって?? 文字の無い大昔からの継承が、祭神の詳細まであやふやにしてしたのか?? いろいろ考えると想像が掻き立てられすっごく面白い。いずれにせよ、巨岩や奇石、滝などに神を見いだしてきた自然崇拝が古代からの宗教であって、そこに神さまや仏様のお話が後付けされて現在に至るって考えるのが妥当か。

 明治22年の洪水でそれまであった熊野川中州の大社が流されて、現在の山腹に移転した。明治に入って森林の伐採量が増え、洪水が起きやすくなったのが原因だ。2000年以上にも渡ってお社が熊野川の中州に君臨してきたってのも興味深い、きっと古代にも洪水がたびたび起きたであろうが、敢えて洪水の際には危険となる中州にお社を建設してそれを維持してきたのはなぜなんだろう?? 最初から洪水の心配の無い山に作ればいいのに・・・、。

 本願を伝えて参拝、熊野三山のお守りもゲット、本日の祈願参りは達成だ。さて、これからどうしよう?? まだ日は高いし、十津川から北上して三輪大社も回ってこようか、・・・ そうそう、十津川村から入り込む「玉置神社」もお参り甲斐のあるお宮、これに寄ろうと決めて熊野川を上流に向かって走り出した。


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十津川 七色


 蛇行する熊野川を串刺すように新しいトンネルで168号は快走できる。深い谷沿いに道路がクネクネと続いていくこの景色は、十津川を連想させる景色だ。平日ではあるけど。。。妙に交通量が少ない?? 炎天下はじりじりと暑いけど、連続するトンネルの中は冷蔵庫のようで一時のクーリングが気持ちいい。


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十津川 十二滝


 クネクネ道の途中には、はっとするほど綺麗な滝に出くわす。水の量は決して多くないが、その高さと容姿がすばらしい。滝フェチではない小生でも思わずバイクを停めてしばし見とれた。


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 さてダムも過ぎてもう少しで十津川の集落と思っていたら、通行止めに出会う。クルマは何台も止まっており、ドライバーも路肩で座っている?? 車列の前で看板を見ると、道路工事の時間規制でこの先50分の通行止めと分かった。開通するまでここで待つのはあり得ない、しかしこれを進まないと玉置神社は断念することに、、、さらにここを抜けないと奈良方面からの帰宅も無理になる。

 やむなく引き返して、再び本宮大社に向かって走り出した。また同じルートで名古屋に帰るのはいやだな〜、まだちょいと時間があるからどこかに立ち寄ってもいいな、などなど思案。


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湯の峰温泉 共同浴場


 玉置神社には通行止めで行けない、これはきっと神様の思し召し。ならば、温泉に浸かって帰るべしと湯の峰の共同浴場に立ち寄った。ここは小生の大好きなお湯、ちょっと高い料金を支払って「薬湯」をチョイス。「薬湯」は源泉90度を薄めること無く温度を適温にした贅沢な温泉、湯の峰の御利益を100%味わえる、硫黄泉の湯の花とぬるっとした源泉ゆずりの感触、やっぱりえ〜わ〜。

 初めの計画では熊野から奈良方面に抜けて名古屋へ帰る予定であったが、メイン国道168号の二か所の通行止めに引っかかってあえなく断念、さらに玉置神社にも行けず今回のツーリングは「道路の神様」に見放された感があった。二度あることは三度あると自分に言い聞かせていたけど・・・

 気持ちよく湯船に入っていたら、「バイクで来たお客さん??」みたいに従業員の人から声を掛けられ・・・「あそこにバイク停めてもらっては困るんですよ・・・周りの住人がうるさくって、」なんてお叱りを受ける。湯の峰温泉は学生の頃から来ていて勝手知ったる部分があるので、
まさかの駐車禁止??のチョンボだった。反省しつつも、今日三度目の災難に呆れてしまった。



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鬼ヶ城歩道トンネル


 湯の峰温泉にも浸かったので、本日の行きたいところははこれにて終了、あとは家に向かって走るだけ。お金のかかったトンネルを幾つかやり過ごし、至極快走の奥瀞169号線を突っ走る。熊野市は小さいけど味わいのある町、西から東へこの町を抜けるときにはぜひ寄ってみたい鬼ヶ城歩道トンネル。大正14年に竣工された当時では珍しいクルマ・歩行者用のトンネルだ。煉瓦造りとその大きさ、延長500mを越える堂々さなど、とても味わいがある。二股隧道や旧伊勢神トンネルなどで感じるジメジメさは全くなくって、暖かい人の気配を感じられるものだ。


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鬼ヶ城海岸


 鬼ヶ城隧道を越えるとそこはもう海、国道42号と合流して鬼ヶ城への分岐部だ。海の色は梅雨に入ったにも関わらず蒼く澄んでいた。もうすぐで海水浴シーズン。このあたりの海岸でのんびりビールでも飲んで日光浴をしてみたいなあ。


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 災い三度あることは、四度ある?? 友人宅によってお見舞いとお守りを渡して最後のミッション終了、友人夫婦に見送られ格好良く出発したんだけど。。。程なくして「あれ〜っ!!」て気づいて振り返れば案の定・・・・・後ろのシートはひらひらとネットが舞うだけで、自宅へのお土産はもぬけの殻・。友人に1つ渡したのはいいけど、残りの荷物にネットをかけず走り出してしまったのだ。きっと友人宅500m以内に小生の落とした「めはりづけ」とお風呂で使ったタオルが路上に落ちていただろう。

小生的には冴えない事が続いた熊野三山ご祈祷ツーリングではあったけど、災いを小生が一手に引き受けたと思えば、
病と戦っている友人たちに御利益があることを願ってやまない。

 日があるうちに帰宅するようにしているが、今日は寄り道もあってすっかり日が落ちていた。お土産落とした事件は家族に受けたけど。。。家内にはひどく残念がられ。。。再度「めはり漬け」を通信販売で手に入れなおす羽目になった。







# by akane8150 | 2017-06-26 10:14 | Motorcycles | Comments(4)

XT250 セロー 10 内ヶ谷開拓地 西峠 川浦渓谷 タラガ峠 大谷大栃林道 亀尾島林道



 前回のセローツーリングで宿題になっていたタラガ峠、あまりに天気がよすぎるので、予定してなかったけど行ってみることに。地理院の地図を何枚かコピーして出発。

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板取 モネの池


 名古屋から東海環状自動車道で関広美までワープ、そこから県道59号の坂の峠を越えてR256号で板取川を北上する。この道はやがては西峠を越えて岐阜大和へ抜ける古くからの街道。

 行きがけに「モネの池」に顔を出してみた。数年前にはなーんにもなかったのに、いつからか人がわんさか訪れる観光地。村の鎮守、根道神社の境内前にあるのでお宮の池かと思っていたが、灌漑用の貯水池でわき水が源となっているそうな。隣で花苗を営んでいる住民が池を掃除して睡蓮などを植え、村にいた鯉をここに放したのが20年以上前、それが最近のSNSなどで広まったのが現実のようだ。

確かにきれいだけど、わき水の池に鯉が泳ぐ姿はそれほど珍しくも無いだろうが。。。とにかく人がやってくる。



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湯元すぎ嶋


 今回の第1の目的地は、未踏である県道52号の西峠より北の内ヶ谷方面を探検すること。川に沿って上がってゆくと板取の村落もまばらになり分岐路の島口に到達。ここに「日本秘湯の会」の湯元すぎ嶋があり、気になっているお宿。お湯はどんなんだろう?お昼ご飯も頂けるようなので、家族を連れて再訪してみたい。


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三洞


板取川上流で最後の部落がある三洞、ここにはこの先の道路案内もあり。表示はもちろん通行止め、いけるだけ行ってみる。


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西峠


 ここまでは来たことがあって、その時はバリケードでこの先が閉ざされていた。それが今回は通行止めの看板だけで道路は全くのオープン! さて、どんな景色がまってるんだろう??


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内ヶ谷ダム予定地方面


右手に内ヶ谷川をみつつ、舗装された県道52号はくねくねと続いていく。狭いながらクルマが通行するには不自由なく整備されている。


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内ヶ谷


 大きく屈曲する川辺には平坦な領域があって、このあたりに内ヶ谷の村落だあったんだろうか。この内ヶ谷の村落もとっくに離村しているが、最後までクルマ道が入らなかった真の秘境であったようだ。すでに内ヶ谷川ダム建設が始まっており、この村落後が排土の置き場所となっているようで、ダンプカーが連なって土砂を運んでいた。


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内ヶ谷 県道52号通行止め


 西峠からくねくね7kmほどで通行止めとなっている。このすぐ先で内ヶ谷川沿いの県道315号が分岐し、それを直進すると大和黒田の方面に抜けることができるはず。


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 内ヶ谷ダムの建設のために、この周辺は立ち入り禁止となっている。ダンプカーなどの工事車両は大和川から内ヶ谷トンネルを抜けて、この内ヶ谷川に進入するようだ。平成35年がダム竣工予定となっていて、その際にはこのあたりの通行も容易にはなるだろう。


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黒田亀尾島林道


 まずはここまで進入できたことで満足していたが、さらに「内ヶ谷開拓地」に通じる林道が開いている!! 国土地理院の地図に「開拓地」とだけ書かれたこの上流にすごく興味があって。。。本日第2の目標、ついに現地をこの目で見ることができる。入り口には「黒田亀尾島林道」の表示、しかしこの先は亀尾島とは反対方向だ。開拓地に続く林道の名前にはふさわしくないようにも思える。


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開拓地


 林道に入るとグラベルになるが、踏み固められた走りやすい道。4kmほど先で二股に分かれ、それぞれがゲートで閉じられていた。このあたりが「開拓地」と云われる地名のようで、コンクリの遺構やさびた橋などの遺構が残っている。

 開拓地は戦後に入植されたようで、昭和46年ごろに近隣の上会津などと共に離村された。ここに入植したのはわずかに6戸、それでも小学校の分校まであったようだ。夏はよいとしても、冬は雪に閉ざされ人里から遠く離れ、非常に厳しい環境であったことは容易に想像できる。

この北側の山を越せば九頭竜ダムはすぐ近く、ずいぶんと北上してきたものだ。



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板取川温泉


 奥地の板取、唯一と云えるくらいの規模と集客できる施設。食事もいろいろ選べるし、お風呂もアルカリ泉だ蕩々と流れる贅沢な温泉。遠方からもこのお湯を求め、他県ナンバーのクルマがいっぱい。

もうすでにいろいろ冒険できたので満足していたが、ここからさらに板取川源流の川浦渓谷に分け入ってみた。



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川浦渓谷


 4kmほど上流に行くと川浦渓谷(かおれ)の案内あり。新しいトンネルの手前、旧道に入り込むと岩壁が左右から迫る峡谷になっていた。道路から下を覗くと。。。深い峡谷の底はさらにV字谷となり絶壁の底をエメラルドグリーンの川が流れていた。そうだな〜ミニ高千穂峡ってな感じかな。はじめてきたけど、なかなか見応えのある景勝地。



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銚子谷林道


 川浦渓谷を過ぎるとすぐに林道ゲートがあらわれる。ここから先は銚子谷林道と名前を変えて福井県との県境の源流まで続いているが、ゲートから3kmほどでトンネルとがっちりゲートで閉鎖されていた。すぐ先の峰は分水嶺で日本海側の福井がその向こうに。人を寄せ付けない秘境中の秘境である川浦ダムもお隣の山、地図を見るとすんごい山奥に来てるんだと実感した。


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タラガトンネル(板取側)


 県道52号を折り返して、本日第3の目標、タラガ峠に向かう。この立派なトンネルができるまでは、旧道の峠を越えるしかなかった。10年前に開通したトンネルは全長4571mで、一般国道のトンネルとしては日本で2番目にながーいようだ(一番 高知寒風山トンネル5432m)。


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旧256号 タラガ谷(板取側)


 トンネル入り口、南側の集落よりタラガ谷に通じる山道が始まる。厳重なゲートと通行止めの表示であるが、今日はクルマも通れるほど開いている。上からも軽自動車が下りてくるのを見て登坂開始。


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タラガ峠


 狭いながらも舗装が整った1.8車線をキープして登ってゆく。カーブが厳しいわけでもなく絶景が望めるわけでもなく、沢沿いに道が延びている。部落から約5kmであっけなくタラガ峠に到着。樹木に被われた切り通しの峠、初めての来訪で雰囲気をじっくりと味わう。トンネルが完成するまでは、旧256号としてこの道が生活路として頼りにされていたわけだ。


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タラガ谷大栃林道入り口


 地理院地図ではこのタラガ峠から尾根伝いに北上して東の亀尾島川に抜ける林道を見つけていたので、未踏のこの道に挑戦。分岐部は峠の板取側にあって、通行止めなど規制看板や林道名などの表示は見つけなかった。


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板取 ミオ


 1車線のグラベルが尾根の西斜面にそって続く。数カ所の崩落場所があり重機が入って通行可能になっている。倒れかけた木や路面状況からは、ほぼ廃道状態にあるように感じた。新しいクルマの轍もバイクのタイヤ跡も見かけない。初めての探訪なので慎重に登ってゆくと一人のハイカーとすれ違う。エンジン駐めて挨拶とこの先の道を聞いた。多分抜けられるだろうとの返事、お礼を言って分かれたが、前後20km以内に駐車したクルマを見かけていないし。。。 あの初老のハイカーはどこから来てどこまで歩くのだろうと後になっていぶかしくなった。お山の神様の化身だったんだろうか(^^)。

 地図で記載されている「ミオ」はこのあたり?深くて鋭い谷沿いだけで、村落があったような気配も無い。谷底にも道も載っていない。ネーミングを含めて分からないことだらけ。


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タラガ谷大栃林道終点


 林道は果てしなく続くように思え、突入20km手前で分岐部を迎えた。ここにはゲートがしつらえてあって、走行してきた林道への進入を拒んでいた。


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大谷大栃林道


 大谷大栃林道に出会してこれを右折、見事で味わいある切り通しを抜けて東に山を下ってゆく。ここも未舗装で荒々しいグラベルが続く。路面は雨水で剔れている所も多く、ジムニーなどの小型4駆じゃないと辛いだろう。人の気配を全く感じない寂しいところ、もちろんスマホもエリア外で絶対にトラブルを起こしたくない山奥だ。


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大栃


 沢に沿って山を下りてくると拓けた場所に廃屋を見かける。林道の名前になった大栃の村落跡だ。ネット上で探してもこの大栃のことはあまり出てこない。名前からしてきっと立派な栃の木があったんだろう、それにしてもよくもこの山奥で生活を維持できたものだ。自給自足ができないと生きてはいけなかっただろう。


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 通行止めの看板を幾つかやりすごすが、通行には支障なく未舗装路を走り続ける。終点近くは一気に斜面をくだりヘアピン続きとなっていた。そこは規模の大きな崩落跡の工事現場だった。一つの崩落で3筋の路面が削り取られたのであろう、平日であったこともあり、工事中の作業員の横をぺこりと挨拶しながら通らせてもらった。


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大谷大栃林道終点


 工事現場をすぎるとすぐに林道終点となる。がっちりとバリケードで通行止めをされていて、こちらから進入しようとは思わないだろう。タラガ峠の分岐からここまで約30kmほど、秘境感たっぷりのタラガ谷・大谷大栃林道であった。未知の大谷に通じるルートを含めると未舗装路をたっぷりと味わえる林道だ。


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亀尾島林道


 ここまで来たので、内ヶ谷ダムの下流をどこまでさかのぼれるか試してみた。亀尾島林道と名の付いたこれまた未舗装の林道を上がってゆく。やがてネットで見たことのある廃墟、山奥に忽然と現れる建物は異様な雰囲気だった。


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亀尾島林道 行き止まり


 亀尾島林道は小生にとっては初林道、だけど未舗装で水たまりや泥でぐしゃぐしゃは余分・・・この上流には内ヶ谷ダムの建設現場があって、さらにその先には午前に終点を確認した県道52号の通行止めになる。7kmほどバイクを汚しながら進むと白沢林道の分岐を越してほどなく、絶賛工事中の現場で行き止まり。地図で確認するとこのあたりから点線になっていて、元来車道はここで終わっているはず。ダム建設のために道路を作っているんだろうか?
 いずれにせよ、秘境たっぷりの行き止まりまで探検できて満足、今日はタイミングもよかったのか、初めて通った林道を幾つか経験できた。


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 大谷大栃林道、タラガ谷大栃林道は予備知識なく突入したけど、帰宅後、Web上で調べてみるとセロ尾さんのお仲間の山神さんが「新・山神のブログ3」(http://poseidon2693.blog.fc2.com/blog-entry-2.html)で過去、現在にわたり取り上げているのを見つけた。探検する前に情報を入手したいのも山々だけど、地図の上だけでは林道の名前が分からないので検索することも叶わない。同好の仲間が探して尋ねる場所はやはり同じのようで、先達の行動力や探求心はさすが!! けど、このような秘境の林道探索の単独行は避けた方がいいと重々承知しているが、、、同好の人たちはどうしてるんだろう。



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 セローのお尻痛い対策に「ワイズギア ツーリングシート」を試してみた。座る部分のクッション剤が厚く硬めになっているものだ。ノーマルで2時間と保たなかったお尻が、休憩しつつ一日我慢できたってくらいの効果はあり。しかし帰る頃には尾骨の鈍痛はあったし、ずっとスタンディングポジションを取りたい気分だった。この秋には1週間ほど休みを取って東北を巡ってこようと画策中、気楽に動ける相棒としてセローを考えているが1週間の旅にお尻が堪えられるかどうか、、、。Ripさんのようなゲルザブトンをツーリングシートの上に貼り付けるのが究極か??





# by akane8150 | 2017-06-14 12:46 | Motorcycles | Comments(4)

MT-01 OS 28 R152号 中央構造線 2017.6 その2 地蔵峠 兵越峠



中央構造線 2017.6 その2

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地蔵峠 標高1314m


 青木川にそって上流を目指すとつづら折れが始まってやがて地蔵峠に到着する。ここから先のR152号は人だけが通れる登山道に。。。代わりの蛇洞林道が迂回路として太平洋側に続いている。それを知らないと、峠を越えたはずなのにまだまだ登ってゆく道に??と思うはず。

画像のカーブミラーの横から登山道に分け入ると名の通り、お地蔵さんが祭られている。そこを南に下れば本来のR152号が山道として続いている。


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伊那山脈(大西山 鬼面山)


 蛇洞林道はぐんぐん高度を上げて南に向かう。谷のむこうには伊那山脈がまっすぐに剣を伸ばしている。頂が目の高さだったのがどんどん眼下に見えるようになってゆく。標高は1500mを越えて日陰の風が冷たい。

 伊那山脈最高峰の鬼面山は地蔵峠から山岳路2時間半で頂上に達する。山頂の展望台からは360度のパノラマ絶景が見えるとヤマレコにあった。地蔵峠までクルマできて、日帰りハイキングに行ける行程なので紅葉の時期に来たら素晴らしいだろう。


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しらびそ高原 標高1900m


 蛇洞林道から分岐してさらに登ってゆくとしらびそ高原に至る。林道をそのまま南進して上村にぬけるのに15km、しらびそ高原と下栗の里に寄り道すると25km、くねくね林道が続くので距離差以上の遠回りを感じるが、天気のいい日のしらびそ高原は外せないポイント。春にRZで来たばかりであるが今回も来てしまった。


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南アルプス 赤石山脈


 南アルプスの赤石山脈 連峰が目の高さに広がる絶景。クルマやバイクで体験できる峠の景色、いろいろあるけどここのしらびそ峠、しらびそ高原は抜群にお勧めだ。新穂高ロープーウエイの山頂駅からの穂高連峰もこれ以上のスケールで感動するが、しらびそはクルマで上がってこれるところが大違い。展望が望めるような日にこちらに来た際には、外せない、外しちゃ勿体ない景勝地。

 宿泊もできるハイランドしらびその食堂で昼食の後は、しばらくお山を見ながらの休憩。午後1
時に南アルプスエコーラインと名の付いた林道使って下栗の里に出発。



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御池山クレーター


 しらびそを出て程なく 御池山クレーターの看板にであう。この林道の裾の部分が扇状に凹んだ沢を形成してその特異な地形にハイカーが気づいたところから、この隕石落下の名残が見つかった。スケールがでかすぎで、現地に立ってみてもクレーターの実感はわいてこない。案内によるとそ数万年前に直径40-50mの隕石が東方面からこの御池山の中腹に落下して約1kmのクレーターを形成したらしい。もしも現代にそのような大きさの隕石が落下したならば、原爆クラスの破壊力、影響力をもって人間の生活に悪影響を起こすらしい。これが直径10kmを越えるようなら、過去の地球史に登場するような種の絶滅をもたらすケーオスになる。

 アニメの「君の名は」で隕石落下はキーワードになるけど、御池山の隣県である岐阜が設定されてるあたり、この御池山クレーターも脚本に織り込まれているのかもね。


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下栗の里


 南アルプスエコーラインを下りてくるのにいい加減飽きてきた頃にやっと下栗の里に入り込む。典型的な山岳村落である下栗の里は、縄文の頃から人が住み、近世では遠山氏の所轄となるも木材や鉱物資源などのために江戸幕府直轄領であった。

 里の東西距離500m対して、高度差は200m !! 斜面にへばりつくように集落があって、その中を切り返しが必須のヘアピンカーブの狭い路地が続く。深い谷の向こうもくっきりと見え、東には赤石山脈がどーんと控え、「日本のチロル」とも呼ばれている。

 10年ほど前から、駐車場や展望台などが整備され、一躍観光客の押し寄せるようになった。しかしバイクを止めて景色を眺めていると風の音だけが聞こえて、人の気配を感じない静か〜な集落だ。村民はなにしてるんだろう、畑にでも行ったのか、お昼寝タイムなのか?


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道の駅 遠山郷


 しらびそ高原から40分かかって、やっとセンターラインのある国道152号の道の駅、遠山郷に到着。バイクを止めて缶コーヒーで一息、ベンチに座って青空を眺めた。朝からずっと晴天、日差しは強いけれど日陰に入ると乾いた風が寒い。

 茅野で満タンにしていたが、150kmをこえてそろそろガス欠が心配になる。遠山の前後50kmほどには日曜営業のGSが無いので、ここで給油は必須。頼りにして寄ってみたが、ロープが張ってあり休業。。。ガス欠が心配ならばここで右折して、平岡経由で天龍村に抜けるのだけど。。。リザーブを見込めばあと80kmくらいは行けるだろうと踏んで、勇気を出して計画通り青崩峠方面に向かう。



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青崩峠を望む


 遠山を南進するとR152号は行き止まりとなり、変わって兵越林道が峠にむかって山を登り始める。道が無い青崩峠も、三遠南信自動車道としてトンネル掘削が始まっている。崩れやすい岩盤であることは承知の上の難工事と云われている。いつかは「浜松いなさ」から「信州飯田」まで高規格の自動車道が完成するわけだ。陸の孤島と云われるこの地が拓けると同時に、小生のあこがれるR152号も冒険心を掻き立ててくれる対象では無くなってしまいそう。


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兵越峠 標高1165m


 木立の中をぐんぐん登ってゆくと奥行きのある切り通し、兵越峠に到着。茅野を出てから6時間で最後の峠を乗り越えた。浜松市と飯田市の県境であり、「峠の国盗り綱引き合戦」を毎年秋に行って非公式な国境を決めている。訪れたときは目盛り4つ分だけ浜松側に国境が入り込んでいた。浜松市の負け越しが4つ。。。そろそろ挽回しないと目盛りの木も足りなくなっている(^^ゞ。昨年度は30周年であったようで石碑も建てられていた。

 この峠で写真をとっていたら、軽トラのおじいさんがわざわざクルマを止めて話しかけてきた。「さっき追い抜かれたときに、聞いたことの無い大っきな排気音、どこのバイクだね?」なんて、とても地元のじいさんらしからぬ言葉をかけていただく。「こりゃ、空冷2気筒か??」なんて質問もするくらいだから、バイク乗りの大先輩なのかもしれない、そこのところ聞きそびれてしまった。


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水窪駅


 峠をこえればあとは水窪までノンストップの快適な下り道。民家も増えて秘境から脱した感あり。水窪駅は町の高台にあって静かな駅だ。なんと2015年度駅の一日の平均利用者数 55名!! 20年前の1993年には720名であったのに。


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秋葉ダム


 秋葉ダムに差し掛かる頃には、周囲はすっかり街の態をしていて緊張感も抜け気味。ツーリングの後半で、この前後のR152号は変化も少なく睡魔に見舞われる。トンネルの中に出来た分岐部を左折して秋葉ダムで休憩眠気対策。ここは時期ともなると桜並木が見事で多くの人が訪れる。


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天竜二俣 行者尊


 リザーブランプが付く前に、茅野から天竜二股までの220kmの走行でやっとGSで給油ができた。このGSは日曜でもやっているので、よく利用させてもらってる。このGSを頼って山奥から来たことを伝えると、主がしたり顔でガソリン満タンにしてくれる。

 二俣川は洪水を防ぐために、岩山を切り通して川の流れを変えている。人為的に切り取られて残った小山に鳥居がかかっているのが気になって今回はちょいと寄ってみた。鳥居のさきの急なコンクリ階段を上がってゆくと修行者の役小角を祭ってあった。真下に流れる川の淵が真っ青に、町を高台から見下ろして眺め良好。役小角は奈良時代の修験道の開祖とされる人物だ。


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筏問屋 田代家


 天龍二股の町では、史跡筏問屋の案内を発見して寄り道。関所のような重厚な門構え、建物もどっしりした風格のあるものだった。田代家は徳川家康から御朱印を与えられた旧家で天竜川水運の商いを担った名家。2代目九郎左衛門の子の孫丞(まごのじょう)が家康を筏で助けたのがきっかけという。天竜川を流れてくる木材を一手に引き受ければ、さぞかし大きな商いをしていたんだろう。


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鳥羽山洞門


 田代家をでて程なく出会った味わいのある隧道。鉄道が近くを通ることもあって旧鉄道の隧道かと思ったが、後学では明治時代に作られた道路隧道であったようだ。古びたレンガがいい感じ、明治22年から100年以上も現役で利用されている。


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天竜二俣駅


 中央構造線の終点は天竜二股駅として記念写真。茅野を9時に出発、220km縦走をして午後3時半に天竜二股に到着。無事に完遂できて達成感に浸る。今日はずっと晴天のまま、メット越しに日焼けをした。


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 新東名を西に向かって自宅に5時半に到着。十分に日が高いうちに帰宅することができた(本日の走行距離540km)。振り返って、このルート、やはり面白い。あらわれる景色も乗り越える山道も毎度わくわくさせてくれる。次回は紅葉真っ盛りの秋に訪れたい。




# by akane8150 | 2017-06-11 09:43 | Motorcycles | Comments(3)
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