小生の備忘録

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XT250 セロー 8  酷道418号 丸山ダム


 丸山ダム、岐阜八百津にあるこのダムは戦後に造られた大規模ダムで、洪水を防ぎ、発電で潤し名古屋の水瓶である木曽川水系を支えてきた。名古屋からは1時間くらいの距離にあり、ちょいツーリングなどでバイクやクルマが訪れるところだ。
 現在「新丸山ダム」の建設途中でこれが完成するとこの上流の景観も大きく変わるそうな。なので水没してしまう前に全国的に名の通った「酷道418号」を見てこようとトコトコとセローで向かった。


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丸山ダム


 竣工が1955年ということは60年以上もこの地でそびえ立っているわけ。コンクリの苔むした外観も周囲のうっそうとした木々も年月を感じさせる。当時は観光地としても賑わっていたようで、ダム湖には観光船が浮かび散策路も整備されていた。


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新丸山ダム(黄線輪郭)


 新しいダムは現行の丸山ダムにおんぶするように重ねて作られるようだ。上記の写真でセローがいるあたりまでダムの躯体がせり出し、丸山ダムより20m以上湖面が上昇する。合わせて周囲の道路もさらに高い場所へ移転を始めていた。


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小和沢橋


 ダム直下に昭和27年に作られた吊り橋でレトロな味わいがいい。現在は歩行者のみが通行可能だけど、以前はここをダンプカーが走ってダム建設をささえていたわけだ。幸いにも新ダムができてもこの遺構は保存される。


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酷道418号
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旅足橋


 丸山ダムができるまえは木曽川の渓流に沿って村落もあり道路もあったはず。ダム建設に合わせ村は移転してダム湖右岸に新たに幹線道路「国道418号」が建設された。しかし、切り立った山肌を削ったこの路は落石や崩落で維持をするのが大変であった。周囲の村落も無く生活道路としての存在理由が薄れる中で、この国道も不通となる期間が増え現在では「酷道418号」という不名誉な名称で有名となってしまった。新ダム建設の道路からダム右岸沿いに下ると418号になり、地図の上では恵那市武並橋までの20数キロまで通行できように見えるが。。。

 クルマも走行できる1.5車線の舗装路をダムに沿って上流へ向かう。まず目に付くのが「旅足橋」、たびそこばしだ。土木建築として有名らしい。補剛桁をメインケーブルで直接吊り上げている非常に珍しい形式だそうで、世界で5つ、日本では唯一残っているとのこと。赤い塗料とさびが何とも言えない味を出している。歴とした生活路線で現役ではあるが、新ダムができると水没となるようで保存運動が始まっている。                                 


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湯谷橋


 さらに進むとしっかりとしたトラス橋、湯谷橋が現れる。ここの分岐の県道を上に上がれば整備された高規格な418号バイパスに出ることができる。小生はダム湖沿いにさらに上流へ向かう。

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二股隧道


 やがて路は砂利道となり、ついに現れる二股隧道。中をのぞくと途中でカーブしているためか、真っ暗闇・・・照明はもちろん無いし、ろうそくのようなセローのヘッドライトでは心許ない。。。

 この二股隧道には都市伝説が伝わっている。全国に広まっている「口裂けおんな」の発祥地がこの八百津とされ、またこの隧道の壁には工事に関わった労務者の遺体が塗り込められているとか、名称「二股」は隧道の途中で二股になっているから名付けられたが、今の隧道には分岐が見当たらないとか、様々な噂が残っている。

 小生は怖いモノは嫌いだ。遊園地のお化け屋敷など入ったためしがない。今日は当然ひとり、誰かと走っている訳じゃ無し、近隣に人家もないし・・・・どう見てもひとりでこの隧道を抜けきる勇気が出なくって。。。引き返すことに(^^)!!


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 だけど、せっかくここまで来たのに先を見ないでは物足りない。。。隧道の反対側がどうなってるのかを知りたくって、先ほどの湯谷橋まで戻って上流の418号へ山越えをすることにした。


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県道353号篠原八百津線分岐部


 苔むして路肩もあやふやな15kmを迂回して二股隧道の上流の418号に出た。ここには堅固なゲートがあって、これから上流の通行不能区間をがっちり閉ざしていた。

 
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 ここから恵那の笠置ダムまで10kmほどの深沢峡沿いは、40年近くにわたる通行不能な区間で、国道ではあるが事実上の廃道である。落石や倒木でクルマはもちろん、バイクも通過できない状況なのに現役の国道っていうのが酷道マニアに受ける所以だろう。小生は険しい路こそ好きだけど、このゲートをすり抜けて挑戦する勇気は無い。


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ゲートの反対方向を振り返ると先ほどの二股隧道につながる酷道418号が口を開いている。。。さて、どんな景色が待ってるのか!!


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 このゲートから下流の丸山ダムまでは険しい路ではあるけど、未舗装路、泥道はクルマでも走破は可能。味のあるコンクリ橋、苔がびっしりと張り付いた岩の壁など、朽ちた景色がなかなか素敵。
 路上には折れた枝なども散乱しているが、日向ぼっこしているヘビと区別が付きにくい。。。今日は2度もへびを轢いてしまった。気づいても直前で避けるのは危ないし、「おりゃ!!」ってな感じで踏みきるしか無い。。。怖いから両足をステップから浮かして情けない格好。。。へびさん、悪いなあ〜〜。


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 山奥に入ると野生の動物に出会すことが多いが、この日は先の路上にニホンカモシカがいるのを発見。その手前でバイクを止めたが、逃げる気配まったく無し。やがてそのまま近づいたら、やっと崖の上へ逃げてくれた。2,3分の間、振り向くカモシカと対面していた、というか、どっちが路を譲るかの「根比べ」だったような。


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 小一時間かけて、二股隧道の反対側出口にやってきた。これで通過可能区間は制覇したことになる。まずまず満足して酷道巡りは終了なんだが、さてここからどうやって帰ろうということに。。。へびやカモシカに遭遇した迂回路を戻るのは、気が引ける。なんたって、距離もそれなりにある険しい路だったし。。。 

 悩んだ結果、遠回りをするよりもこの恐ろしい二股隧道を「一瞬」で通り抜けることを選んだ。口裂け女が出てきたらどうしよう、途中で二股になっていて行く方向間違えたらどうしよう、隧道の壁面になにか映ったらどうしよう、などなど刹那に思い浮かんだが、、、、ヘッドライトをハイビームにして、ハンドル抱えるよう身を縮めて隧道に飛び込んだ。

 頼りないセローのヘッドライトは空しく真っ黒の闇に吸い込まれ路面を浮かび上がらせるだけ、隧道の壁面や天井、行く先はまったくの闇だった。隧道はとことどころ広さを変えてカーブを描いて延長400mほどあった。先に出口の明かりが見えたときはホントに安堵した。

「わたし、きれい??」って、口裂けおんなに肩を叩かれなくってよかった・・・。


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旧八百津発電所資料館。


 無事に?! 丸山ダムまで戻り、レトロな発電所を尋ねてきた。竣工はなんと明治44年(1911)!! そして1974年まで稼動を続けていた働き者、1998年からは重要文化財として博物館として開館した。天井の高ーい建物の中には、タービンと発電機が鎮座し、むき出しになった碍子や変圧器が迫力いっぱいであった。まだ当時は国内でもこれだけの発電所は無く、試行錯誤を重ねて苦労していた歴史の遺産だ。

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三勝屋 八百津
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カツ丼(並) 味噌汁(大)


 ダムをさらに下ってくると八百津の町が現れる。随分と前に単線の電車も廃止されてしまったような山裾の町。秋の栗きんとんが有名で、戦時に掘りすぎた亜炭鉱が町内で突然の陥没事故を起こしているのも知られている。

 小さな町のメインストリート交差点のいわゆる大衆食堂「三勝屋」さんで遅めのお昼ご飯をとった。創業80年になる昭和レトロなお店は、壁に掲げられた黒塗り木札のお品書きが雰囲気いっぱい、小さなテーブルとスチールとビニール張りの丸椅子もこのお店にぴったりだった。「パーコー定食」「中華そば」「玉子丼」が定番のようで、いずれもお安くボリュームたっぷり。特に中華そばは懐かしいルックスと味を出していると食べログに。小生が訪れた日も平日ではあったが、とても繁盛していた。とろとろ玉子のかかったカツ丼は昭和の香り、たっぷりのお味噌汁で八百津の味を頂いた。





# by akane8150 | 2017-05-16 18:36 | Motorcycles | Comments(2)

MT-01 OS 26 横浜 箱根 西伊豆スカイライン



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 全国的に朝〜〜!!  食べてばかりであまり飲んでいないからスッキリとお目覚め。横浜の町を一望して、いそいそとバイク支度を始めた。今日は伊豆を走ろう!!


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箱根ターンパイク


 小田原厚木道路で小田原へ、土曜の朝だからすでにバイクやそれっぽいクルマが多い。箱根峠まで旧東海道かターンパイクかしばし悩んだが、時間節約でターンパイクを駆け上がった。中速コーナーが続くのでここは面白い、高めのギアでアクセル開度で変わる排気音を楽しみながら、マイペースで駆け上がり、クルマにも邪魔されずクリーンに大観山に到着。動画の準備しておけばよかったと思うくらいナイスな状況だった(>o<)。

 ポルシェの試乗で雑誌記者が事故死したのは記憶にあたらしい。事故現場も通り過ぎたが、下りでコントロールを失って路傍の木に激突。現地でみると緩やかなカーブでぶっとい911のリアタイヤを滑らせるにはかなりのスピードが出ていただろう。んっでも、自分の目の前に高速で突っ込んでくる対向車を考えるだけでも恐ろしい。


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箱根 大観山


 前日は富士山を拝むことができなくて悶々としたが、この日はすっきり目前に見ることができた。名古屋人は雲ひとつかかっていない富士山に完璧にノックアウト。ベンチに座ってしばし無心状態(^^)。


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伊豆スカイライン


 熱海峠から伊豆スカイラインを南下する。所々に富士山ビューポイントがあるけど、自分は名も無いこのじゃり広場がいつもの撮影場所。ガードレールもなくってスッキリした背景に富士山はもちろん、三島のまち、駿河湾も一望できてすごい景色。地元の人には見飽きた景色かもしれないけど、県外から来る人にとっては天候次第の富士山、ただひたすら感動、感動。
 ただし、このビューポイント、MT-01だと砂利で転けないように気を遣う必要あり、ださくても本線に戻るまでは足をばたばた、4足走行。



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伊豆の国農協湯ヶ島支店


 伊豆スカイラインの終点ひとつ前の冷川ICで下道に。緩やかな勾配の谷間に広がる村落を抜けて、県道59号で峠越えをする。気づけばバックミラーにブルーのYZF-R1、一緒にクネクネを楽しめるかな〜〜なんて思ったりもしたけど、いつの間にかいなくなっちゃった、、残念。
 このあたりの村落には立派なソテツが目につく、これも暖かい伊豆に来たんだなあと思える。下ったところは湯ヶ島でJAの施設でしばし休憩。土曜なんで地元の人たちはテントで地元の物産を販売していた。


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西伊豆スカイライン 風早峠


 さらに県道59号を登ってゆく、どんどん高度が上がって見晴らしのいい交差点に到着。そこが西伊豆スカイラインの風早峠で、ここから尾根伝いに快走路が北に延びている。峠を抜けるが風が年中強いので、こんな名前になったそう。左は駿河湾が一望、右は伊豆の山々が遠くまで広がる景色のいい場所だ。



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西伊豆スカイライン 戸田パーキング


 路面の整備がそれなりになされているので、とても走りやすい。有料の伊豆スカイラインは言うまでもないが、西伊豆スカイラインもバイクには走りやすくって、楽しい山岳路であった。この2本を乗り継ぐ今回のコースは渋滞知らずの展望ナイスのとてもいい選択だと思えた。



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戸田港


 お昼を食べるべく山を下りて戸田の町にやってきた。海鮮丼、しらす丼、タカアシガニ丼などなど食欲をそそるお店が並ぶ。しかしどこもお客さんでいっぱい、並んでまで食べるのは辛いので空いている大衆食堂に入ったら、なんと地元の人たち用のメニューばかりでお魚と言えば「焼き魚定食」のみ(^^)。なににしようか悩んだが、頼んだのは「トンテキ定食」だった・・・これって地元四日市のグルメじゃ無いの??


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大瀬崎


 戸田からは昔ながらの海岸線を走る。時折対向車をやり過ごす事もできないような狭さもあり 、それなりに交通量もあって地元の軽トラを先頭に淡々と走る。それにしてもこの日は良い天気、大瀬崎では駿河湾と富士山と180度のパノラマ写真が楽しめた。今回の旅では富士山をいろんな場所から眺めることが出来た。もう十分に富士山に満足。


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 基本的に小生は晴れ男と信じているけどは天気予報の正確さには敵わない。戸田から沼津に出た頃には富士山もすっかりと雲隠れして天候の悪化を示していた。後は高速を走るのみ、沼津インター手前の干物屋さんでお土産の「金目鯛」と「トロ鯖」をゲットして後ろにくくり付けた。

 A地点からB地点までの長距離トラックの運転手のごとく、クルマの車列に混じって淡々と高速道路を西に向かった。案の定、浜名湖を過ぎたあたりから雲行きが怪しくなって、新東名岡崎SAではトイレ休憩と共に持参のカッパを着た。面白いもので、小生がカッパの準備をしていたら周りの同類も雨対策を始める。自宅まではあと少し、しかし豊田ジャンクションあたりからは猛烈な風と横殴りの雨粒に襲われる。この重いMT-01でさえ横風に煽られて、80km走行がやっと。ひたすらニーグリップを意識して風に耐える。

 そんなこんなでお家に着いた頃にはずぶ濡れに、でも干物はぬらさずに家族に渡すことが出来た。いつもは洗車してカバーを掛けるのだが、明日はちゃんと洗ってやるからってバイクに囁いて、走りっぱなしでキーを抜いた。







# by akane8150 | 2017-05-06 23:34 | Motorcycles | Comments(5)

MT-01 OS 25 道志みち 江ノ島 三崎 横浜



 たしか昨年の学会参加は大阪だった。今年は横浜、ならば久しく合っていない横浜の友人Sくんと酒を交わすのを口実に、一泊二日のバイク旅行と決めた。天気が悪いようであればロードスターのつもりだったが、概ね晴れそうなので迷わずMT-01で早朝に名古屋を出発。


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新東名 新清水IC


 時間短縮のため好きじゃない高速を淡々と走る、特に新東名はまっすぐとトンネルばかりでバイクだとなーんも楽しくない。MT-01の振動は制御されているとはいっても、グリップを握りしめていると間違いなくしびれてくる。なので自然と添える程度でグリップを握っているようになってくる。このところクラッチの滑りも気になっていて、80kmあたりからガバッと開けるとズルズル滑り出し程なく直結する感じだ。まるでクルマのトルコンスリップみたい。ブログ「おれ☆せん!」にはプレートのへたりよりスプリングが押さえきれないことが原因と挙がっていた。いずれうちのも整備にださなきゃいかんだろう。


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桜峠(国道469号)

 
 横浜が終着点だが、これまで行きたかった道を選んで走る。まずは新清水ICでおりて「見延みち」を北上し、桜峠を越えて富士山麓を御殿場までというルートをとった。新清水ICからは富士山がちょこっと顔を出してくれている。桜峠は地図で見ると目前に富士山が一望できる立地なのでとても期待していたが。。。峠の頂もその先の下りも樹木に被われてまったく展望ゼロだった。。。地図から想像した景色は外れることも多々あるわけで、それはそれでまた面白い。



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富士山こどもの国


 記憶にあるよりも国道469号は立派な道になって裾野を貫いている。快走路なのでついついスピードが出そうだから、敢えてスピードを抑えてのんびり走った。途中の富士山こどもの国では富士山のいい写真が撮れるだろうと立ち寄ってみたがお山はすっぽりと雲に隠れていた。


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山中湖


 富士山は雲隠れしてしまったので、写真を撮るのは断念して御殿場〜山中湖とみちなりに走る。新しくできていた道の駅「すばしり」で休憩して、山中湖に到着。この日は平日のため人も少なく静かだった。湖畔のレストランやホテルなど廃墟になった所も目立ち、一抹の寂しさも。これが夏だったら、部活の合宿などでテニスコートも賑わっていて欲しい。


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道志みち
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道の駅「どうし」


 道志みち、ここも以前から走って見たいと思っていたところ、バイクネタではよく登場するルートだ。山中湖から山の中をまっすぐ相模原まで貫いている。路面も整備されていて信号も見当たらず、小さなRをつないだコーナーも楽しめる。景色は単調だけどバイクを走らせるには楽しい道だと思った。


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江ノ島


 宮ヶ瀬湖から南進して伊勢原に出た。このあたりからは市街地をつなぐだけで、全然楽しくない。湘南の海岸線も渋滞ばかりで信号待ちとすり抜けで辛抱、辛抱(T_T)。江ノ島は思い出のあるところで、今は無い「パッチワーク美術館」や亡き父と宿泊した「岩本楼本館」など懐かしく。江ノ島や鎌倉の海岸には、修学旅行の高校生達がたくさんやってきてわいわい。江ノ電はアニメマニアの聖地となっていてアジアからの観光客がスマホで自撮りを盛んにしていたが、堤防の工事のためか無粋な衝立が海の景観をぶちこわしていた。期待していた人たちもがっかりしていただろうに。


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葉山の路地


 葉山はSくんの実家があるところで、学生時代の夏を過ごさせてもらったことがある。それ以来の来訪であったけど、路地が入り組んだ海沿いの景色が懐かしかった。当時はサザンが流行っていた頃で、歌詞に登場する地名やお店を巡ったのも懐かしい。Sくんのオヤジさんが三崎の漁業組合に勤めていて、マグロなどの遠洋漁業の面白いお話を晩酌に付き合いながら聞くのは好きだった。オヤジさんは亡くなってしまったけど、この年になって息子のSくんがおやじさんにそっくりになっている。


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三崎港
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県道215号


 まだまだ日没には余裕があったんで、葉山から南に下って三浦半島を一周することに。でも認識が甘かった・・・1車線の海沿いの道は渋滞していてなかなか前に進まない。したくはないすり抜けもやるっきゃ無い、原付スクーターと絡むように先を急いだ。やっとやってきた三崎港、まぐろで有名で「まぐろ丼」でも食べたい気分だが、横浜での夕飯を考えてがまんがまん(>o<)。

 南端をぐるっと巡る県道215号はアップダウンする広々とした畑と海の景色がミックスして気分爽快な道だった。ただし畑仕事の軽トラが多いことと、ブラインドコーナー先に路上の畑土が残っているのは要注意。


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横須賀 三笠公園


 軍港の町、横須賀で三笠をチラ見。時間切れだったので中には入っていないけど、以前来たときはじっくりと見て回った。きれいに保存されて展示物も見応えがあって満足した覚えがある。そのときにレジンと真鍮の三笠の模型をゲットしたが未だ手を付けていない。実物を見て制作意欲がもりもり、今度時間を見つけて取りかかってみよう。


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横浜 日本丸


 友人との約束時間が迫っていたので帰宅するクルマの中を縫うように横浜を目指した。首都高湾岸線に乗ったまでは良かったけど、本牧ジャンクションで左に折れるところを見過ごして気付けば横浜ベイブリッジを走っていた(^_^;。左に横浜が遠のいて、さっさと大黒パーキングに降りる。やっちまった感ありありでトイレ休憩とSくんにちょいと遅れる旨の連絡を入れた。幸いここからUターンできたので、気を取り直してみなとみらいに向かった。


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 ホテルに着いたが地下駐車場の入り口には「二輪進入禁止」の案内。予約時に地下に停めることが出来ることを聞いてはいたが、ドアマンに確認を取る。「係員が入り口ゲートで待機しますからお待ちを」とのこと、わざわざバイク1台のために待ち受けてくれて無事に指定された所に駐車した。「基本的にバイクの走行は想定していないので、明日の朝は出口のゲートまでバイクを押してください」なんて指示受ける。

 これまでにもバイクの客を扱って居るはずだけど、いつもこんな対応なんだろうか? バイクの市民権もまだまだ認めてもらっていないなあと実感。



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野毛おでん
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 横浜住まいも長いSくんは手ぐすね引いて歓待してくれた。まずは中華街で「同發」の焼豚、ついでこのおでん屋さん、〆は「平沼田中屋」のきざみ鴨せいろ。飲むよりもお腹が一杯になってしまった。とりわけこの「野毛おでん」は気に入った。濃いめの出汁にでっかい大根がしみこんで日本酒にぴったり。お店の雰囲気も良い味出していたし、煮付けやお刺身などおでん以外のメニューも気になった。

 友人とはたっぷりと話をすることが出来て、30年前の学生時代バカばっかりやっていた頃が瞬時に蘇る。お互い齢をかさねてしまってはいるが、彼の話し方や仕草もまったく変わりない。くつろいだ横浜での親交だった(続く)。





# by akane8150 | 2017-05-04 21:30 | Motorcycles | Comments(2)

XT250 セロー 7  権現谷・白谷・大杉・御池・杠葉谷林道 五僧峠 君ヶ畑




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 滝谷武奈林道から霊仙山周囲の廃村を巡って霊仙河内の部落までやってきた。ここからは林道巡りの行程で、すでに11時を過ぎようとしており先を急ぐ。河内の部落からは霊仙山の南端がそびえ立つ。



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権現谷林道


 狭い峡谷がつづき、簡易舗装はされてるが、狭くて晴れでも薄暗い峡谷を進む権現谷林道。「これでもか」ってくらい落石があって、クルマではちょっと厳しい。日の当たらない所にはまだ残雪があって、冬の間に雪崩や土砂崩れでの道路閉鎖にならなかったのは幸いだ。秘境を思わせる雰囲気がいっぱいで好きな渓谷。


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白谷林道起点


 権現谷を過ぎてさらに南下、すると・・・ 小生にとっては「開かずの白谷林道」であるはずなのに、今日はロープが外されている!! ワクワク気分で「お初の白谷林道」に進入した。さあ、どんな景色が待ってるんだろう。


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 分岐してからは、地図の上でも十分に延長距離があってグラベルが20km近く続く。ガレていない硬めの林道なので普通に走りやすい。どんどんと高度をあげてゆくと、多賀の山並みが眼下に見えて天気も良いことも重なってすこぶる爽快、快感。


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霊仙山


 盲腸線だからやがてぷっつりと道路は無くなって終点になる。引き返す見通しの良い先に霊仙山の山頂が目の前に。なかなかこのお山を近くで見ることは難しいので、こんなにきれいに見えて感動!。しばらく見とれていた。同じ場所でも盛夏だったらお山も隠れてしまう、まだ木々の葉がない分、視界が開けていて得した気分。


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 ふと見つけた小さな沢の堰堤。残雪にちょっと隠れているけど、どこかで見た光景!、そうそう「セロ尾さん」のブログに挙がっていた「泣き顔堰堤」ではないかと確信。今日はお口からよだれ、左目から涙を流してるように見えた(^^)。この先、「堰堤」を見つけるとその排水孔についつい目が行ってしまうようになっちゃった。この白谷林道は初めて踏み入れたが、リピートしたい場所が増えてしまった。また天気のいい日には訪れよう。



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五僧峠


 権現谷にもどり、行きがけに遠望した五僧峠に立ち寄る。時山のゲートまでは下りていないので通行可能かどうかの確信は無いけど、碑の前には尾張小牧ナンバーのクルマが停車していて、時山方面から上がってきたのではないかと推測。



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大杉林道


 五僧からは南進して一旦国道302号経由で大杉林道にとりつく。その国道302号の鞍掛峠はいまだ災害で通行止め、これが通れるようになるとツーリングコースの選択肢が増えるのだが、今年の開通は見込めるんだろうか??

 本日のメインイベント、酷路林道の起点になる大杉部落に到着。部落の中を通り過ぎるとやがて植林地を経て、未舗装でガレだらけの大杉林道が始まる。特に峠の前後はゴルフボール大からげんこつ大の尖った石で埋め尽くされ、さらにざくざくと石が浮いているので走りにくいこと甚だしい。転けて右くるぶしをバイクにはさみ、痛い思いをしたのは昨年のこの林道だ。そんな痛い思いをしても、この大杉林道のワイルドさや秘境感、林道好きの小生にはたまらないところ。



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御池林道


 大杉林道を上がった先がこの林道、いいかげんガレ道走行に疲れたあとで、この広い舗装林道は正直ホッとする。ここなら転倒して動けなくなっても誰かが通るだろうって期待できる。まだ数日前に冬期通行止めが解除されたばかりなので、路面には落石ばかり。そんなんでもストレスなく快調に林道を下ってゆく。滋賀ナンバーのご夫婦にと遭遇し立ち話。「しゃくなげ」を楽しみに御池林道にやってきたそうな。今年はつぼみも見当たらないほど全滅と言っていた。花が咲いていればシャクナゲだって小生でも分かるのだが、たしかにその類いは見かけていない。

でもよくよく考えたら、シャクナゲって5月頃〜の開花じゃなかったっけ、まだ早いんじゃないのかなあ??




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君ヶ畑


 御池林道をどんどん降りてきて最初に現れるのが「君ヶ畑」の集落だ。そろってとんがり屋根が目に付くが、とても静かな所。

 「木地師」・・・バイクで山奥を走ると山陰、北陸、信州などなど、いたる所でこの君ヶ畑の名前が出てくる。それはこの小さな集落が日本に広がる木地師達のふるさとだからだ。その理由とは・・・この地で始まった「ろくろ」による木製品の加工は、良質の木材を求めてその木地師達の集団が全国の山奥に広がるきっかけとなった。やがて木材を伐採する「許可証」をこの地で管理するようになり、ますます君ヶ畑の存在は大きくなったようだ。なんせ、全国に広がる木地師達の半数がこの地を「本籍地」にしていたくらいだから。


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惟喬親王御廟所


 木地師にろくろを教えたというのが、文徳天皇の皇太子であった惟喬親王。時の権力争いから天皇には就かず、出家して隠棲した。その先がこの地であったとされ、地名もこれに由来する。巻物をほどくと芯がくるくる回ることから「ろくろ」が開発され、庶民の器であった白木の椀として広まったそうな。1000年以上も前の遙か昔のお話。それを今も大事に守り伝えていることは、素晴らしいこと。


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蛭谷 筒井神社


 君ヶ畑をすこし降りてくると蛭谷の村落が現れる。そこには筒井神社が鎮座し筒井公文所が並ぶ。公文所とは全国に広がった木地師達の免許を管理するところで、このお宮と合わせ「一生に一度は参拝する」聖地であった。このあたりは木地師の「小椋」「筒井」を名乗る住民が大半、これは同族婚姻が多かったなごりだ。


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蛭谷 筒井ろくろ


 以前の探訪で、この下界にある道の駅で地元の特産物の中に木製食器を見つけていた。そこでこの筒井ろくろの作品であることを知っていたので、今回はバイクであったにも関わらず、何か気に入ったものがないか訪れてみた(訪れた事はなかったが、この工房は何度か素通りしていて既知ではあった)。

 現れたのは北野さんという蛭谷では唯一のろくろ師、小さな工房でお話を聞くことが出来た。いろいろ見せて頂いて、ビールや冷酒を美味しく頂けそうな器を吟味して譲り頂く事となった。会話の中で面白かったのが、「君ヶ畑」の名を出すと「いや、ここは蛭谷」ってすごく拘ってみえたこと、それは後学で理解することに。。。。



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杠葉谷林道


 蛭谷からは快走路の国道421号に乗ってその先の石榑トンネルを目指すが、トンネルの手前で右に分岐する林道のゲートが開いているのを発見。地図ではここから南に向かって鈴鹿山脈の西側、道路も村落もなーんもない扇状の流域があってどんな景色か前から気になっていた杠葉谷林道。この機会を逃がしたら再訪はないと思い探検開始。

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神崎川流域案内図

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 どうやら神崎川の渓流釣りの解禁に合わせてゲートが開いたものと推測。ということは、夏期の間は解放されているってことか。路面は行き止まりの終点まで舗装されており、クルマの進入も問題ない立派に整備されていた。分岐部からしばらくは切り立った峡谷を走るが、その先は地図で想像していた通りでこの流域を俯瞰する景観となった。


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 本流に沿って林道は延びているが、途中からいい雰囲気で分岐する林道を見つけこれも上がってみた。コンクリ路面はぐんぐん尾根を登ってゆき最後は木材搬出のモノレール場で終点だった。この地図によると「風越林道」と言うらしい、なかなか風流なネーミング。


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筒井ろくろ トチノキ 木器

 筒井ろくろの主、北野さんとの会話で「蛭谷」を強調されていたのは、木地師の歴史にその理由があったからだ。全国に広まった木地師達は、その利権を総括する「君ヶ畑」と「蛭谷」の2つに分かれていた。自由に木を伐採して木器を作るには、どちらかに所属しなくてはならなかった。当然、その勢力を競い合うこととなり、わずか数キロしか離れていない隣村で切磋琢磨してきたのであろう。

 譲って頂いたのは貴重なトチノキの木器。きれいな木目で片方は銀をすり込んだ上に無色で塗られ、もう一方は深い漆塗り、いずれも軽く口当たりも持ち具合も気分良い。ささっとシャワーを浴びてさっぱり、この器で冷えたビールをゴクゴク美味しく頂いた。






# by akane8150 | 2017-04-25 23:00 | Motorcycles | Comments(4)

XT250 セロー 6  霊仙山 滝谷武奈林道 彦根・多賀の廃村たち 




 そろそろセローでお山巡りも良い時期になった。温見峠、冠山峠にも行きたいが、そちらはまだまだ冬期通行止め。。ならば、大好きな滋賀の山奥、気になっている林道、神社、廃村を求めていざ出発。


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二之瀬峠


 名古屋市内の自宅を6時半に出発、名古屋高速と東名阪でワープして桑名東インターからお山を目指す。まずは養老山脈を越えるために二之瀬峠をさくっと走る。すでに自転車軍団はストイックな峠走りをしていた。気をつけないといけないのは「下り」の彼らの速さ!! セローよりも確実に速く下ってくるので、ブラインドコーナーではインベタで登ってゆく。がっつり漕いで上がってゆく自転車には、追い抜くたびに手を挙げて挨拶、喘ぎながらも挨拶を交わしてくれる勇者もいるなあ。




 養老山脈を越えると鈴鹿の山並みが見えてくる。石灰採掘で無残な姿の藤原岳がくっきりと見える。もう冠雪もなく新緑が始まりかけている。ウグイスは方々で鳴いていて、しばしその声に耳を傾けた。春だなあ〜〜。


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時山、五僧峠を望む


 冬期通行止めが解除されているかも分からない五僧峠はパスして、ぐるっと反時計回りで滋賀多賀の山奥を走る予定。時山のさとを見ながら、今日は向こう側から五僧峠が通行可能かどうか、調べてみよう。


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上石津 萩原


 地図を眺めていると面白そうな上石津の霊仙東尾根作業道。偵察がてら入り口の上石津萩原の部落から上がってみたが、案の定すぐにゲート。でも、開けたら閉めよの看板は、探索の希望が残るもの。いずれ、準備万端でこのゲートを越えてみたい。小生の教科書、「セロ尾さん」の情報では、この先に楽しい林道が潜んでいるのだ。


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伊吹山


 滋賀柏原の街道からはすくっと伊吹山が望める。これも藤原岳と同様に、採掘のため西側斜面が削られてしまっている。コンクリートの原料となる石灰は大事だと思うが、名山と言われるお山にいとも簡単に人の手を加えることはいかがなものか。お役所も大事なお山の景観を壊すのを分かって許可したんだろうか。昭和30年代からの創業、当時は環境問題は二の次であったんだろう。採掘跡は緑化をすすめているというが、一度壊してしまったものは元にはもどらない。


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醒ヶ井養鱒場


 いよいよ今回の主座となる霊仙山の麓に取り付く。まずは、北側から汗ふき峠にむかってセローで行けるだけ上がってみる。中途の醒ヶ井養鱒場ではえさ釣りができて「がっつき」状態のニジマスは入れ食い。幼い頃に家族で遊びにきたが、小生が調子に乗って釣った思い出がある。しかし釣った魚はすべて買い取り。。。やっちまった感たっぷりの両親だったろうなあ。


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霊仙山登山口


 数キロ走った先には登山者の路上駐車がとんでもないことになっている登山口にたどり着いた。ゲートはオープンになってはいるものの、さすがにここを突破する神経は持ち合わせず。それにしても登ってゆくハイカーは沢山いた。


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 霊仙山の登山案内、幾つかのルートがあって、違う枝分かれ林道もトライしてみたけど、バイクでいける最上部が今回の登山口のようだった。季節をえらんで登山靴に履き替え登ってみたい気もした。汗ふき峠って、どんなところなんだろう。。。でもその先は彦根・多賀の廃村しかないけど。



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滝谷武奈林道


 米原から彦根・多賀の山奥に至るこの路は舗装林道ではあるが、くねくね度とそこからの景観が面白い。ぐんぐんと高度を上げてゆくと、澄んだ空気も味方して琵琶湖はもちろん比良山地もすっきりと見えた。芽吹き始めたお山の薄緑と湖、空の青さが美しい。

 中腹にある鎌刃城跡にむかっていると谷間に響く銃声が聞こえる。その先には猟銃を構えた猟師さんが道の真ん中で仁王立ち?!。このあたりで狩りをしてるから引き返して欲しいとのこと、この林道を通らないと大きな回り道になることを伝えて通してもらったが、その先の道中にも複数のグループが狩りをしていた。セローが鹿に間違えられることは無いだろうけど、小生に流れ弾は欲しくない・・・ かなり恐ろしかった。


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大杉竜王


 林道を上がってゆくと樹齢二千年と伝わる大きな杉の木をご神木とする北原(きとら)龍宮 大杉竜王に至る。伊邪那岐尊(イザナギノミコト)が祀られていて、山頂の聖地には伊邪那岐尊の御魂処の岩座(いわくら)がある。長い年月を堪えてきたすぎの大木は見応えがあり、パワースポットなどは信じない小生にも手を合わせたくなる迫力。



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武奈の廃村


 山を下ってくると小さな谷間に廃村の武奈が現れる。ゴボウや里芋畑、薪割りや炭焼きで生計を立てていたが、戦後の経済成長に合わせ離村が始まり周辺の村と同様に昭和40年代頃には廃村となった。明治時代には村人154で戸数37を数える村であったようだ。家屋は朽ちてしまっているが、石垣はきれいに残って黄色の水仙が人知れず自生していた。



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比婆神社


 お社は山の頂にあって、今回は麓の鳥居でお参りを済ます。杉林に囲まれた雰囲気はやはり神秘な空気を作り出していて好きだ。このお宮、先ほどの大杉竜王、そして麓の多賀神社も同じ神様、伊邪那岐尊(イザナギノミコト)を祭っている。イザナギはイザナミと共に日本の土地も生き物もすべてを作ったとされ、アマテラスやスサノオなどを生んでいる。この彦根の山奥に古代からの歴史が眠っているって思うと不思議に思う。


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廃村 霊仙
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廃村 入谷


 点在する霊仙山周囲の廃村たち。霊仙はちょっとひらけて日だまりも感じられる風情ある村。家屋はきれいに残っていて山桜も美しい。対して、入谷は恐ろしいほどの坂道にできた村。セローのブロックタイヤでも坂の途中では止まれないくらいで、積雪の冬はどうしていたんだろう。村のお寺さんでは今も定期的に前住民の人たちが集っているようで、廃村とはいえ玄関から人が出てきそうな雰囲気。でもエンジン切って、周囲が鳥のさえずりと風の音だけになると、急に人気配の無さが寂しくなってくる。

 さてさて、次は本日のメイン権現谷、大杉林道へ向かった(続く)。

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# by akane8150 | 2017-04-24 20:00 | Motorcycles | Comments(0)

屋形船宴会 名古屋堀川 東山ガーデン 2017



 今年も新人を迎える季節がやってきた。これに合わせ職場では慰安イベントを企画してきた。昨年はバス旅行であったが、一昨年の屋形船宴会の再現と決めた。職員からの受けもよかったけど、実は小生が屋形船が好きだからだ(^^ゞ。


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 名古屋にある屋形船は「東山ガーデン」という名古屋に古くからある結婚、会議、イベント施設を運営していた会社が運営している。名の通り、東山に以前は施設があって、それなりに流行っていた。その後、その施設はなくなって現在は名古屋港関連のレストランやケータリング、サムライクルーズと称した屋形船などの運営を行っている。一時は名古屋の能楽堂の管理もしていたようだが今はどうなってるんだろう。



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 遊覧船やより小型の屋形船もあるが、尾張藩の関船「義丸」の名をつけた屋形船をお願いした。これだけの大きさがあると横揺れもすくなく、お座敷もゆったりとしている。最大48名まで乗れるが、20名から運行できて36名までであれば「掘りごたつ」となって居心地がいい。ただし今回は40名を優に超えている参加なので、あぐらがきつい小生には「座椅子」が恋しい状況(^^ゞ。


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 職員は約100名なので、今回も前半後半に分かれての企画。土曜は夕方まで通常業務だから業務命令でちゃちゃっと仕事を片付け、午後7時に名古屋「納屋橋」の船着き場から出航となった。日頃から時間厳守を口酸っぱく言っているのでほぼ全員が余裕をもって集まってくれくれたのだが。。。


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 宴会は出航から帰港まで2時間。名古屋の中心部を流れる堀川を下って名古屋港までのクルージング、途中の白鳥庭園やネオンの輝く町並みを抜けて名古屋港水族館や観覧車の遊園地がある港内を巡っての往復。船はそれなりのスピードで走り、船酔いを心配することなく宴会を楽しむことが出来る。
 出港は潮の状況で代わり、干潮では南に位置する「宮の渡し」が出発点。より上流の「納屋橋」からの出発は満潮時しか出来なくって、今回の日程も潮の状況をみて予約した。納屋橋は名古屋でも繁華街の中にあり、大阪でいう「道頓堀」みたいな場所だ。「グリコの看板」に雰囲気の似た「太田胃散」のネオン看板が目印。


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 とりあえず船は無事に定時で出発。さっそく挨拶と乾杯を仰せつかう。慰労の言葉と日頃の感謝を伝え、さっさと乾杯!!。こんなスピーチは短いが良いにきまってる。


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 料理は料理人も乗っているので、揚げ物なども出来たてを頂く事ができる。ビール、日本酒、焼酎、ソフトドリンクは飲み放題。持ち込みもOKなので、酎ハイやソフトドリンクも職場からそれなりに用意して乗り込んだ。小生は振る舞い酒として「蓬莱泉 吟」を一升持参した。吟は愛知設楽のお酒でなかなか手に入らないものだが、昔から醸造元から春、秋と届けてもらっている。いわゆる大吟醸でのど越しのよいお酒、人数分のお銚子を持ってひとりひとりに注いでまわる。


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 新人挨拶も恒例、医療事務でこの春卒業したばかりの新人。昨年秋からすでにバイト扱いで病院には来ていたが、無事にこの春卒業し二十歳になった。まだまだ勉強してもらうことは沢山あるけど、これで晴れて正職員となってがんばってほしい。成人になったので、お酒を勧めることも出来るようになった(^^)。
 遅刻しそうになったのはいずれもこの春からの子たちで、周知した集合場所を知らなくって離れた船着き場に行ってしまったようだ。「なんでもいいから納屋橋までって、運転手さんにお願いしてタクシーに飛び乗りなさい!!」って、直々に携帯電話で連絡し間に合うことが出来た。
 そうそう、折角の宴会なんだから、小生がきつく叱ってはいけないと思い、担当の上長には後ほど指導するようにお願いした。m(__)m。慌ててタクシーに飛び乗った姿が想像できて、かわいそうなことをしたものだと自己嫌悪もチクリ(T_T)。


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 翌日にはプライベートで長距離バイクツーリングが控えていたけど、まずは楽しく飲みたかったんで遠慮無く皆と騒いでお酒と料理を楽しんだ。職場を離れて仲間とお酒を頂くのは楽しい時間。
 子育てのために夜勤が出来なくってパートで頑張ってくれたスタッフも、この春からは夜勤も頑張ってくれ常勤に挙げることが出来た。これもありがたいお話、共働きで子育ては大変だけど旦那さんにも助けてもらってしっかりと稼いでもらいたい。


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 屋形船の舳先は船外に出ることができる。心地よい風を受けて夜景を楽しめる。大勢で押し寄せると船頭さんの視界を奪うことになり、おしかりを受ける(^^)。3名までは外に出て良いらしい。舳先では「タイタニック」の物まねをしてる仲間もいたりして。


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 予定通り、午後9時には元の納屋橋にもどった。船内に忘れ物が無いことを幹事たちと見て回って離船。皆、三々五々、2次会に散っていった。小生はこの界隈をカメラ片手にうろうろと、普段ではこんな写真も撮らないだろうから、シャッターを押してみた。慣れ親しんだところも写真を撮ってみると新鮮な感じがして面白かった。

また来春も何かの企画ができたらいい。そうなるように、皆でお仕事がんばらなきゃ。





# by akane8150 | 2017-04-17 22:58 | Life | Comments(4)

MT-01 OS 24 金鯱ビッグマシン会ツーリング




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名古屋城正門前


 金鯱ビッグマシン会の定例ツーリングに参加した。集合場所はいつもの名古屋城正門前、今年は寒いのか「お堀の桜」はつぼみのまま。集まったのは代わり映えのしない「いつもの」メンバーで8台。互いにペースも個性も周知しているのでこの台数なら走りやすい。10台越えると連んで走るのもやっかいになる。


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金鯱ビッグマシン会ステッカー

 30年前はナンバープレート幅一杯のサイズだったが現行はちょいと小さめに。まだ在庫はあるようだが新規のメンバーが付けたがらない(^^ゞ。金鯱って漢字で書いてるのが「ダサい」って思われるのか?? まあ、格好良くはないけどインパクトはあるわな。


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金鯱ビッグマシン会バッジ

 いつの時代に作られたのか、聞いていないので分からないが・・・現存するクラブのバッジ。「Golden Grampus」って書いてある。そっか、鯱はグランパスか。しゃちほこを題材にしたのなら、名古屋グランパスも「名古屋ゴールデングランパス」にすりゃ良かったのに、もっと強いチームになったかも。。。


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クラブ創設者「渡辺一元」氏


 クラブの設立は設立はなんと、昭和42年(1967年)名古屋を本拠地に遠乗り主体のツーリングクラブ「金鯱オートバイクラブ」が誕生した。翌年には上流団体の「自動二輪遠乗り会」から「金鯱ビッグマシン会」として独立分離した。当時の会員は5名でクラブ名は創設者の「渡辺一元」氏が考えた。「金鯱」は名古屋のシンボル「名古屋城」の天守閣にある金のしゃちほこから取り、「ビッグマシン」とは、これからは”ビッグマシン”の時代であろうと先取りして名付けたということである。
 当時の名古屋には「自動二輪遠乗り会」という大きなクラブがあってツーリングをはじめラリーなども主催。名古屋の二輪ライダーの質的向上におおいに貢献した。その後、4輪のラリーに主体が移転したようだが「金鯱」はそこから派生したクラブである。MFJトライアルを主催する名古屋トライアルクラブもここから独立した。


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「オートバイ誌」昭和48年11月号


 その後メンバーは増えて名古屋では最大のバイククラブとなる。会長、副会長に加えて、代表という役もあったらしい。当時は岡田氏(36歳)がその役で、会長、副会長が自分の仕事で忙しい時、他クラブとの連絡やクラブ運営上の雑務を行っていた。他にバイク屋の主人がメンバーにいたらしく、ツーリング途中の故障にも対応していた。さらに指導員、衛生係がいた。指導員とは、新入会員が入部した際マスツーリングに適応させるための指導をする役目をもっていた。衛生係はメンバーの医師が担当し、ツーリング途中の事故や急病になった時、手当てをした。当時の入会資格のことが記載してある。18歳以上、250CC以上のバイクに乗ってる人。「入っても2ヵ月、3ヵ月で辞めてしまうような人、団体行動が守れない人は入って欲しくない。我々が求めている人は、本当にオートバイが好きな人です」このことも今でも変わらない「金鯱ビックマシン会」の伝統。



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クラブの主催行事の「カワサキ650の集い」


 BMWやハーレー、BSAなどの輸入車が居並ぶ中で、昭和30年代の国産大型バイクと言えば、スタミナメグロやライラックなど一握りであった。しかし高速道路の整備が始まったり、戦後の景気回復の中でバイクが趣味として認知されるようになり、昭和42年にカワサキW1がビッグバイクの先駆けとして発表された。それ以降のホンダ750などに代表される国産のビッグバイク時代となることは周知であろう。カワサキ650の定例ミーティングもクラブが幹事となって主催されており、いまでいう「オーナーズミーティング」の先駆けとなった。


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「かくれた美談」


 昭和45年、飛騨高山鍾乳洞ツーリング時に岐阜乗合バス転落事故に遭遇。メンバー10名が率先して負傷者の救出と警察への連絡に尽くした。メンバーが名を名乗らずに立ち去るのを、居合わせた観光客が目撃して「オートバイ誌」に出した投稿である。
 他には、ツーリング途中の飲酒に関して、ビールを飲んでしまった会員を即除名したことがあった。当時なら「まぁしゃーないな」くらいで多少の批判くらいで済んでしまうところなのだろうが、「金鯱」は違った!。さらに県内の各クラブにそのことをしたためた手紙を出したらしい。(愛知県ではもうツーリングクラブに入れないということか??)。当時は飲酒運転がまかり通っていた時代ではあったが、クラブの存続のためにも交通安全にに厳しい姿勢を貫く必要があったんだろう。



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道の駅「鳳来三河三石」
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居合わせた「ウラル」を背景に集合写真


 いろいろと今回は金鯱について書いてみたけど、コアメンバーは30年以上も継続しており。。。いわゆる高齢化が著しい。重いバイクを扱えなくなった人がポツポツと退会していくのはとても寂しい限り、しかし小生もいずれは通る路。
 昨今、250クラスのスポーツバイクが各社より発表され、市内や郊外にも20代と思わしき若者の乗る姿が見られるようになった気がする。バイク仲間が増えることは楽しいこと、似たような価値観で同じ空気を吸う爽快感、乗り始めの初心者はぜひ金鯱のようなバイク仲間に入ってもらいたい。バイクの面白さ、怖さなどなどを伝えてもらえるだろう。

 小生はソロツーリングの勝手気ままさが好きであるが、時にはいつものメンバーとわいわい言いながら走るのも悪くない。所属して35年、金鯱ビックマシン会にも愛着があり、少しずつ風化してゆくのを感じて今回はクラブホームページ記事を要約してみた。



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MRA シールド MT-OS

 MT-01のオプションカウル、MT-OSキットのシールドをeBayで探して交換した。取り付けてみると微妙に湾曲が強くって先端部分がカウル本体と隙間を生じていた。ラバーを間にはさんで対応したが、ドイツのMRA製で品質は悪くなくって透明感ばっちり。2年前に探して手に入れたがもうWebにも上がっていない。MT-01の初期型がすでに10年選手、だんだんと社外パーツも出てこなくて在庫も尽きてくるのだろう。


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夏のマスツーリング 飛騨金山


 大河ドラマ「直虎」の松平家、このふるさとは豊田の松平郷である。愛知のお山を走るときはたいていこの松平郷は通り道となる。今回のツーリングルートも直虎のふるさとを抜けて、新城から三ヶ日、奥浜名湖オレンジロードと快走した。日が当たっている背中はよいが、4月とはいえ、まだまだ手足が凍える。お山がむせかえるような一面の緑に被われる季節が待ち遠しい。





# by akane8150 | 2017-04-02 22:00 | Motorcycles | Comments(2)

長女の卒業



 長女が無事に卒業とあいなった。端から見て、自分の大学時代を思い出しても「よく勉強していたな」というのが感想だ。薬学部の授業はサボることも難しいようで、小生が部活やビリヤード、バイトやバイクに明け暮れたのとは大違い。各期の試験もハードルが高くって、再試も簡単には済まないようだった。そんな中で6年間に留年もなく、すんなり卒業試験もこなしたようだ。よくやった。


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 振り返れば・・・
 この子が生まれて数年は両親に頼らずに妻とふたりで育児にがんばった。小生は大学病院で臨床と研究をしていた頃。妻は市立病院の産婦人科で周産期診療に多忙を極めていた頃だった。産後3ヶ月から始まった家内の当直日には小生が託児所から連れ帰って翌朝まで育児をしたものだ。幸いにも手間のかからない子であったが、ミルクを飲ませ、お風呂に入れて、夜中もミルクを与え、翌朝は託児所に送り込んだ。病院にある院内託児所であったので、多少熱が出ても小児科に受診させてもらったりと随分とたすけてもらった。

 ただ、小生も入院患者の急変などで緊急呼び出しがあったときはとてもこまったものだ。夜中であろうとクーハンに長女を入れてクルマの助手席に固定。職場で小生が診療している間は、病棟の詰め所などで看護婦さんたちにあやしてもらった。

そんなこんなんでも、子供は育つ。腕の中で泣いていたこの子がこんな娘に育つとは感慨深い。



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 職業として小生たちと同業の世界を勧めたのだが、「パパたちを見てるから選ばなかった」とのこと。とても微妙な発言でそれ以上突っ込むことはできなかった。薬剤師として病院勤務が良かろうとこれも勧めたのだが、「病院は忙しいから調剤薬局」という選択肢を選んだ。なかなか教育は難しいモノでこちらの思うようにはならないもの。

 卒業旅行も友人と楽しく過ごしてきたようだ。海外旅行なんて大丈夫かしらと思っていた小生だったが、すでに学生時代から何度か経験済みと家内から聞いた。知らぬは親父のみか。。。(>o<)。

 あとは国家試験の結果を聞きさえすれば、これで彼女も社会人。責任感をもってしっかりと働いてくれることを願っている。





# by akane8150 | 2017-03-18 16:21 | Life | Comments(4)

MT-01 OS 23 弘法カキ 紀伊半島プチ縦走



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天気予報によると週末は各地15℃近くに上昇するらしい。今シーズン最初のロングツーリングにどこに行こうか、前夜はたのしく地図を眺めていた。冬の間は海沿いしか行けなくって、浜名湖など東方面ばかりだった。凍結も無さそうな気温なので、走りがいのある紀伊半島を選んだ。オイル、タイヤも替えたばかり、グローブとブーツの中にはホカロンを装着して朝7時に自宅を出発。



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針 T・R・S


 自宅から名古屋高速、西名阪自動車道、名阪国道と淡々と走って130km先の針テラスに到着。ちょっと前まではバイクもまばらだったのに、気温が上がってくると賑やかになっていた。ウエアを見る限りみんな着こんだモコモコ状態、同じように寒いだわなあ。気温は10℃近くあっても、走行体感気温は限りなくゼロ℃ちかい。


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海外サイドカークラブHPより


 ご高齢の夫婦が乗った綺麗なダビットソンのトライクをお見かけした。いわゆる「ハーレー軍団」は苦手だけど、この時期に装備をしてのっているお二人は格好良かった。いつか小生はサイドカーに乗ってみたくって、これまでもたびたび食指が動いた。側車はバイクのきびきびさをスポイルしちゃうけど、荷物は載るだろうしパッセンジャーを乗せてのツーリングも楽しかろう。そうそう、MT-01が重たくて扱えないようになったら、こやつをサイドカーにしてみるのも一考。フロントをアールズフォークに改造してコンパクトで格好いいカゴを付けたらいいだろうな〜〜。小生だったらパッセンジャーの事やMT-01のきれいなエキパイを考えて、側車は左に付けるだろう。


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大宇陀 道の駅


 針テラスから走ってくるとひとまず休憩したくなるのが、大宇陀の道の駅。榛原方面、松阪方面、吉野方面の交差点となっており、バイクシーズンだと駐めきれないバイクで溢れるくらい賑わう道の駅だ。



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大宇陀 古い町並み


  道の駅の観光案内を見ていたら、大宇陀の古い町並みが紹介されていた。ちょいと旧街道へ立ち寄ってみると江戸時代からの家屋や明治のモダンな洋館などが立ち並んだところだった。時間があればひとつひとつゆっくりと見て回るのもよいだろう。妻籠、馬篭の宿場町はより風情があるが生活感に欠けている。それに比べるとこの町は今も生きている町のように思えた、そうだなあ、亀山の関宿を思いだしよく似た印象をもった。



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川上村 道の駅


 国道370号、国道169号と南下を続けて吉野川源流の村、川上村に入る。この村の大滝ダムは紀ノ川の氾濫を防ぐ多目的ダムとして建設されたが、住民の反対のため、着工から34年の月日がかかって出来上がった長期化ダム事業の代表例となった。いまではそのダム事業の一環として、この道の駅周囲には立派な村役場や村営ホテルなどが建設されている。この道の駅もその一角にあって、小さめの駐車場が山間の限られた平地確保の難しさを表している。
 周辺にはトイレを含めた休憩施設が乏しいこともあって、ここに立ち寄る人は多いだろう。かく言う小生も寒さからの生理現象のために、行く先々で道の駅を利用させてもらった。バイクツーリングで走っているのか、トイレを求めて走っているのか、よくわからんくらいだ(^_^;。




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大迫ダム


 大滝ダムの上流に有り、それよりも先に完成されたダムだ。これを含めて3つの大きなダムが川上村に計画され、それまでの川沿いにあった村の形が大きく変わることとなった。幸いにも3つ目のダムは計画倒れに終わったようだが、それにしても下流の洪水被害を抑える、電力発電のため、灌漑用水のために村が犠牲になるのも、大きな反対をもたらした結果であったろう。ダム工事の延長で行われた国道の移転もより高規格な物になったとは言え、昔の景観は全く失われたに違いない。



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東熊野街道(国道169号) 伯母谷ループ橋(一ヶ山、栗の木トンネル)


 紀ノ川源流近くの国道169号伯母谷地内は道路幅員が狭く、急勾配、急カーブの連続で気候条件も厳しく交通の難所だ。これを避けるために4kmの区間でトンネルとループ橋で繋ぐバイパスが作られた。円形の半分はトンネル区間、残りが谷に張り出した高〜〜い陸橋部分、山を越えるためにこれだけの労力と投資を行うんだと驚嘆する。人の力ってすごいモノだ。旧道は今も通過できるが、その狭さ、落石の多さなどなど、これが国道だったとは思えないほど厳しい道だった。
 ループ橋と言って小生が思い出すのは、「岐阜白鳥」「伊豆河津」「名古屋高速黒川出口」などなど、ググってみたけど国内でもそんなに多いわけじゃない。


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新伯母峰トンネル手前 分水嶺



 このあたりが南北の分水嶺。北に流れれば、紀ノ川に 南に行けば熊野川、いまでこそ雪が消えているが、厳冬期は積雪と凍結でバイクなど来れない厳しいところ。


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大台ヶ原ドライブウェイ分岐


 昨年、夏の盛りに立ち寄った大台ヶ原への道は電光掲示板によれば4月20日まで通行止めとのこと。それまでは大台ヶ原も冬登山をする一部の人たちだけの世界になってるんだろう。また今シーズンもここのワインディングを楽しみたい。。。。でも昨年はこのツーリングの帰りに吉野で小生が転倒事故を起こしたことを忘れちゃいけない(>o<)。


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上北山 道の駅


 山肌にへばりついているような狭い町にある上北山の道の駅。ここはいつも寄っているところ、南から来ても北から来てももっとも山奥にあって、トイレ休憩やガソリン補給で重宝する。この日は春の?バザールみたいな地域の催しがあって、家族連れで賑わっていた。こんな光景も春を感じさせてくれる嬉しい出来事だ。



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大泊(鬼ヶ城を望む)


 はるばる針テラスからここまで南下してやっと太平洋にぶつかる。その距離120km、高速道路でもない山の道であるから走り応えはたっぷりとある。学生時代の30年前はまだまだ旧道ばかりで、くねくね、ひょろひょろの川沿い道路だったと覚えている。いまはまっすぐなトンネルと高規格な道路が大半だ。その分、当時感じていた「秘境感」はずいぶんと薄れて、紀伊半島山岳地域の孤高な印象も和らいでしまった。

 たどり着いた大泊は小さな入り江を挟んで、景勝地の「鬼ヶ城」を臨んでいる。以前にも鬼ヶ城には何度も立ち寄っているし、敢えて今回は足を伸ばさずに遠景写真でチャンチャンとした。


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熊野市大泊 ラーメン「ほくしょう」


 フェアレディZのツーリングで鬼ヶ城に来たときに「たまたま」見つけた地元のラーメン屋さん。漁村の外れにあって通りすがりの人には分からないお店だけど、この日も待ちが並ぶほどの繁盛だった。小生はいつも「カレーラーメン」を注文するが、、多くのお客さんは「熊野古道定食」を選ぶ。これはお刺身ランチみたいなモノで3種類のお刺身がメインで850円は超お値打ち。ラーメン屋さんだけど、メニュー見てると海鮮系のおつまみなども豊富で、夜などはお酒が美味しそうなお店に変貌するんだろう。肝心のラーメン類はすべて650円ってのも良心的、ここのカレーラーメンは名古屋のカレーうどん名店「鯱乃家」系ではない、カップヌードルカレー味系の味わいだった(決してディスってるわけでなく)。人知れず美味しいお店があるのって楽しいし、これを目標に走ってこようかなんて思ったりする。



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新鹿(あたしか)海水浴場


 熊野の大泊から尾鷲までの海岸を走る国道311号はバイクで走ると楽しいワインディングロードで、ところどころ狭くって離合も大変だけど「海」を感じられる好きな道。「九鬼」なんていう恐ろしい漁港の名前があったりするが、この新鹿(あたしか)もかわった名前。その海岸は白い砂浜で入り江のようになっていて、海は青く澄んでとても綺麗な海辺だ。この日は午後から雲が出てしまって、真っ青な海の背景を撮ることができなかったけど、小生のお気に入りの入り江。下段は2年前の同じ冬の写真だけど、天候でこんなに違ったできあがりになる(T_T)。





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弘法カキ

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MT-01 トロ箱仕様

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 ツーリングの〆は、尾鷲で牡蠣を購入すること、なぜってそろそろ牡蠣のシーズンも終っちゃうから。だから帰りに買ってこれるようツーリングの道順を選んだ。先に牡蠣を買ってしまったら、ずーっと後ろに積んだまま走んなきゃならなくなるからねえ。「弘法カキ」はこの近くの白石湖という汽水湖でとれる幻のカキと言われるが、お店の人によると今年は生育が遅くって出荷も遅れたらしい。「生臭さがない」、「小粒だが甘みがある」などなど、家族からは評価が高い。

 尾鷲から名古屋まで高速を乗り継いで、180km。トイレ休憩や恒例の東名阪の渋滞すり抜けを経て、凍結防止剤の影響も夏の虫汚れもなくきれいな車体で無事に3時間後に帰宅した。今年初のロングも終了、あとは夕食に間に合うよう「弘法カキ」の殻むき作業が待っている。家族が美味しく食べるのを満足し、小生はビールで乾杯だ(小生は牡蠣が苦手だ。。。)。






# by akane8150 | 2017-03-07 01:17 | Motorcycles | Comments(6)

Jeep グランドチェロキー Limited 2  白川郷 平湯温泉



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 休みが作れたので、さくっとお出かけ先を考えた。雪を避けてバイクの伊豆半島などいいな〜と思ったんだが、折からの寒波で愛知も雪が降るらしい、、、バイクは断念(>o<)。クルマで行くなら雪があってもへっちゃら、お山の温泉に行くことにした。おやじひとり旅、バックに着替えを詰めて出発〜〜。



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白川郷(荻町城跡展望台から)

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天生カツラ街道

 名古屋から東海北陸自動車道をひたすら北上。郡上から北はチェーン規制がかかり白鳥あたりからは周囲も雪景色、名古屋から2時間半で白川郷に到着。市街地から天生峠にむかう山道に入り、白川郷を見下ろせる定番のスポット(荻町城跡展望台)に向かった。前夜は吹雪いたようで樹木には雪が積もり、雲の切れ間からの日差しにキラキラと輝いていた。雪に埋もれた合掌造りの家々がジオラマのような冬景色をみせていた。


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白川郷  忠兵衛

 白川郷集落の通りは観光バスでやってきた観光客で溢れている。驚くことにそのほとんどが海外からのお客さんで、とりわけアジアの人たちが占めている。雪が珍しいようで、触れたり写真を撮ったりととても楽しそうだった。お昼は合掌造りの食事処でおそばを頂いた。このお店はちょっと離れた場所にあるため、「自撮り軍団」の影響は無くて静かに過ごせた。いろりがしつらえた合掌造りのお店はどっしりとしてなかなか居心地が良い。


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小鳥峠

 清見ICで高速を下り、国道158号線で高山に向かう。バイクなら快走できる小鳥峠を越えてゆくが、峠は雪に覆われて夏の景色が思い出せないほどだ。主要道路なんだけど、雪の静けさと相まって人気を感じさせない寂しさ。便利で無料開放されている「高山清見道路」よりも小生は旧道の小鳥峠が好きだ。


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飛騨国府町 安国寺


 安国寺は飛騨国府から上宝村へ抜ける県道76号線にある臨済宗のお寺。経蔵内にある経本(木版一切経)を納めた八角形の輪蔵は回転式のものとしては日本最古のもので、日本の数少ない国宝経蔵(法隆寺経蔵、唐招提寺経蔵、安国寺経蔵)のひとつだそうな。輪蔵をくるくると回すとお経を読んだと同じ御利益があるとされ、この日も拝観しようと思ったけどひとり旅に案内して頂くのは控えさせてもらった。今度バイクで来たときにぜひ立ち寄って拝観しよう。


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新穂高ロープウエイ


 新穂高のどん詰まりにあるロープーウエイ乗り場。この手前には水明館 佳留萱山荘や山のホテルなど良いお宿が連なっている。新しくトンネルもできて土砂崩れなどによる陸の孤島なる危険性も減った。ロープーウエイを上がった先には新穂高ロープウェイスキー場があった。10年ほど前に閉鎖しちゃったけど、アルプスの穂高岳から続く稜線にあって、恐ろしいくらい豪快な山岳ゲレンデだった。膝まであるような新雪の中を細い稜線から外れないように滑ってゆく(落ちてゆくとした方が正解)わけで、もしも沢に向かって落ちてしまったら、板はもちろん失って命も危ないくらいのスリルがあった。スキーにはまっていた時期でも、ここに来るのには気合いが必要だった覚えがある。ゲレンデが無くなって近隣の中尾高原などの温泉宿もめっきり寂れてしまった。


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新穂高温泉 中崎山荘 奥飛騨の湯

 ロープーウエイ乗り場の近くにある立ち寄り湯、中崎山荘。お湯は青みのかかった硫黄泉でとうとうと湯船から溢れて、とても贅沢なお湯だ。源泉が熱すぎるために、露天では源泉を竹の枝に流して自然冷却していた。地下水や川の水を混ぜてしまっては源泉掛け流しじゃなくなって熱すぎるのも困ったモノなのだ。


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平湯温泉 岡田旅館

 名古屋からいろいろ見て回って、6時間とちょっとで今晩のお宿、平湯温泉の岡田旅館に到着。ここはリピートしていて、直前予約のひとり旅であったが、幸いにもOKだった。平湯温泉は標高1300mちかい高所にあって、信州に抜ける旧平湯峠の入り口にある歴史のある温泉だ。お湯はナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉で土類系の湯の華が舞う無臭のお湯、近隣の新穂高や白骨の硫黄泉とは異にしている。

 平日であったので個人客が10組ほど、観光バスが1台の静かな客入りだったのだが・・・。
チャイナから来ている家族連れの数組、コリアからきた団体さんにはとにかく閉口してしまった。脱衣場、湯船などの散らかしっぱなし・・・タオルはもちろんバスタオルまで湯船に入れてしまう・・・湯上がり場所で、飲食持ち寄っての大宴会・・・脱衣場でスマホ写真を撮る親子・・・
 この日のお客は日本人よりも海外旅行客のほうが多かったので余計に目が付いたのかもしれないが、海外旅行客を誘致に必死な観光地では同じような光景になっているんだろう。女中さんに聞くと団体客はもちろん、最近は宿のHPから直接予約を取ってやってくるプライベートが多いそうな。なので宿の側も研修生と名を付けて、中国人や韓国人を職員として常駐させている。国内の観光地が海外旅行客のおかげで潤うことは悪くないと思うのだが、お互いに共存できるようなマナーの指導には力をさいてほしいと思うばかりだ。このような状況が続くと、宿は大事な日本人リピーターを失うことになるだろう。


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平湯温泉 バスターミナル

 翌朝は夜間に積もった雪をはらって出発、気温計が-10度を示していた。山合いの窪地にある平湯はこのあたりでも積雪の多いところで、国道沿いでも車高を越えるくらいの雪の壁となっている。バイクで来る時期は涼しくって爽快な平湯だけども、冬になると過酷な環境であって住む人も大変だろう。

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奈川渡ダム

 国道158号線を松本に向かって下りてくると奈川渡ダム、ここを右に折れて木曽薮原に向かった。土曜なのでゲレンデに向かうクルマたちとすれ違う。町から来るクルマたちはどれもピカピカ、山から下りてくるこちらは泥だらけ、雪だるまとなってつららまで垂れ下がっている。


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伊那 青い塔 ロースカツ丼


 薮原から国道19線で名古屋に向かわず、権兵衛トンネルを抜けて伊那に出た。旅館に泊まった翌日はなぜだか洋食や麺類が食べたくなるものだ。カツ丼が食いたくなってわざわざ遠回りして伊那の「ソースカツ丼」の発祥と言われる「青い塔」に寄った。土曜のお昼であったので開店11時前にはお店の前で行列、自分も列に加わってどうにか席に着くことができた。
基本の「ロースカツ丼」を注文、ほどなくどーんと運ばれてきた。

 結論を先に言えば、まずまず美味しかった。美味しい伊那ソースがかかったカリカリの衣にジューシーな分厚いお肉、ってなフレーズなんだろう。ただしカリカリの衣は行き過ぎると奥歯に悪い「カチカチ」となるわけで。。。歯医者通い中の小生にとってはちょっと辛いモノがあった。地元の高齢者も家族連れでたくさん来ており、なるほど地元で愛されているメニューなんだと実感した。




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天龍村 天龍温泉 おきよめの湯


 伊那から南に進み飯田から天竜峡を抜け、国道151号で天龍村に入る。このあたりは信州と遠州、三河の境となっている山深いところ、バイクツーリングで気になっていた天龍温泉を初体験してきた。バイクだと立ち寄ってお風呂に入ることができない、なぜってブーツを脱いだりツナギを脱いだりと面倒すぎるから。なので今回はゆっくりとアルカリ単純泉のヌルヌルお湯を堪能させて頂いた。お湯はたっぷりと掛け流しで期待以上のよいお湯だった。
 

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長野県 平谷峠


 天龍村から名古屋までは、売木、平谷、稲武といつものお山ルートを選んだ。夏のシーズンにはバイクで溢れているこのルートも雪に閉ざされて地元の軽トラが走り回るばかりだ。この日は愛知の平野部も雪が降るとの情報だったが、売木村や平谷村あたりも積雪が多かった。ここの雪が溶けるようになるには、3月以降の春を待たないといけないだろう。

 グランドチェロキーも我が家に来て2年が過ぎようとしている。3.6Lのエンジンに8速ATの組み合わせはかったるさを感じさせないし、エアサスと相まって静かで乗り心地のいいクルマだ。下りの山道もパドルシフトで適切なエンジンブレーキも期待できる。この旅では600km以上走行したが、トータルの燃費が9.8km/L であった。2tを越える車重とレギュラーガソリンでOKなところを加味するとまずまずの燃費だろう。
 しかし、使う気を起こさせない出来の悪いナビゲーションシステム、スイッチがいっぱいで使い勝手の悪いサンルーフやエアコンコントロールパネルなどなど、以前乗っていたキャデラックと似た "アメ車らしい" 不出来具合も残っている。雪道での安定性もエスティマGの方が優れていたような気がする。グランドチェロキーの幅広いタイヤも影響してるのだが、轍にハンドルを取られやすく、フロントタイヤのグリップ感も少ない印象だ。

 さてさて2月も中旬、あと1ヶ月もすればバイクに乗れる時期が来るだろう。タイヤ交換やバッテリーチェックなど、そろそろ身支度を調えないと。




# by akane8150 | 2017-02-13 17:55 | Cars | Comments(6)
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