猿の群れしかいないような山奥の林道で足首を捻挫した。セローの下敷きになった右足だが、幸いにMXブーツのおかげで腓骨骨折だけは免れた。単独行の山奥の怖さを思うと乗って帰れただけでも不幸中の幸いだった。以来、重いMT-01は避けていたのだが、晴天の予報と休みが合致してしまっては出かけるしか無い。ブーツを履いたら、シーネみたいに楽になったんで、いざ出発。
山間はもう冬支度が始まっているから、今期最後の酷道152号「中央構造線」を走りにいった。まずは距離と時間を稼ぐために、豊田に向かう通勤ラッシュの東名高速を東に走った。浜北インターでおりて天竜二股が縦走路の出発点。
秋葉神社への入り口を見つつ、天竜川を北上する。名古屋からだと佐久間ダム経由でショートカットも出来るのだが、佐久間町内の「原田橋」が崩落のため2輪は通行止めなのだ。でもなぜ2輪だけ仮設道路を走らせないのだろう。現地を見たわけじゃないが、よほどの滑りやすい砂利道か鉄板か、カブで通う近隣のおじいさんたちもきっと困ってるに違いない。
兵越峠(1160m)
最初の峠「青崩峠」は酷道152号が分断しており、迂回する県道が「兵越峠」として県境を作っている。武田信玄が徳川家康をこっぴどくやっつけたときに武田の軍勢が駆け抜けたことが名の由来となっている。面白いことに非公式な国境を毎年一回、浜松市と飯田市の人たちが綱引き行事で決めている。道路標識の県境よりずいぶんと南に国境表示が立っていたが、なぜなのかは浜松市の名誉のために伏せておこう。標高1160m あり、浜松市内とは思えない肌寒さ。
信州方より青崩方面
熊伏山1654m
青崩峠 通行止め地点(信州方)
青崩の地名通り、非常に崩落のはげしい地形のため、152号開通にはこれまでにも様々な労力が払われてきた。現地では長期間にわたるであろう「青崩トンネル」の難工事が始まっていた。通過してきた「草木トンネル」は、すでに完成した高規格トンネルであったが、新しいルートでは外れてしまった。道の駅 遠山郷
やっと人里に出るとそこは遠山の里。トイレ休憩には必ず利用させてもらってる。近くには日本のチロル「下栗の里」や南アルプスが間近に望める「しらびそ峠」など寄り道したいところが一杯。これらは今回は割愛、来年の春までとっておこう。
小川路峠道路分岐部
152号から飯田へは県道251号もあるが、ずっと災害で通行止め。なのでこのながーいトンネルを使って山越えするのが唯一のルート。もちろん今回は縦走なので、このまま北上する。紅葉はこのあたりがベストシーズンか。葉っぱを落とすまいと落葉樹もがんばってる。
蛇洞林道
蛇洞林道 カラマツの林
カラマツの落葉で道路は1車線分しか路面が見えていない。それでも気分の良い道。小さなカーブを織り交ぜて標高がどんどん上がる。2サイクルのRZで来ると俄然パワーが落ちる場面だ。インジェクションのおかげなのか、MT-01ではまったくそれを感じない。
地蔵峠(1314m)
地蔵堂
第2の峠、地蔵峠。これも南側は蛇洞林道でつながれていて、酷道152号は寸断されている。南から走ってくると下りの中途に地蔵峠が現れる。全然、峠らしくないがより高地を走る林道がその原因。地蔵峠ってとても「べた」な名前だが、全国数ある地蔵峠でも最も標高のある峠ではないだろうか。いつ来てもお供えが絶えず、きれいにされている。転けないようにと自分も手を合わす。
中央構造線 安康露頭
中央構造線は、関東から九州までを貫く国内で最も大きな断層だ。その姿を確認できるのは限られた場所だけで、この「安康断層」は有名だそうだ。バイクを止めてちょいと川に降りると対岸の岸壁に断層が現れる。素人の自分が見てもわかりやすい断層で、1億年前には活断層だったと思うと・・・ 今はずれないでくださいと願うばかり。
地蔵峠から大鹿村までの下りは、紅葉真っ盛り。人手の入った山では無いので、モミジなどの鮮やかさは無いが、植林も少ない自然な山の姿が美しい。「紅葉」って書くが、自然の野山では「黄葉」って表現するのが妥当じゃないかなあ。モミジの紅葉はもちろんきれいだが、ほとんどが植えられた姿であろう。このあたりはあと1ヶ月もすれば、凍結路とみぞれ雨の安易にはいけない場所になる。
旧小渋橋
大西山大崩落地
ディア・イーター
映画 大鹿村騒動記 スナップ
大鹿村騒動記ポスター
地蔵峠を下りてくると大鹿村。「ディア・イーター」、恐ろしげな看板のお店が気になっていたが、ついに立ち寄ることは無かった。以前は大鹿村といえば鹿塩温泉くらいしか印象に無かったが、何度か訪ねる中で大鹿村の事を知るようになった。
いろいろと謎が解けたのは、村の食堂で見かけた映画のポスターだった。「大鹿村騒動記」・・・こんな映画を知らなかったし、後日DVDを手に入れたり、ネットで検索をかけて初めて知るところとなった。主演の原田芳雄と監督の坂本順治がこの山奥の村を取り上げた映画があったのだ。原田は大腸がんの末期の状態でクランクインし、そのプレミア試写会での姿が最後の公の場となった。うんちくを知ってしまうとこれまで素通りしていた大鹿村もまた違った目線で見ることが出来る。上記のディア・イーターは映画の際に作られて、その後もしばらくは営業していたようだが、今どうなっているのかはわからない。
市場神社舞台
大鹿歌舞伎
年に一回、10月の第3日曜日にこの舞台で大鹿歌舞伎が上演される。たまたま出くわしたことがあったが、多くの人で小さな村があふれていた。お弁当を携えてじっくりと観劇するのがならいという。山間の部落にはこのような歌舞伎が伝えられているところがいくつかある。いずれも100年以上の歴史をもった文化で、立派な舞台を保存している。娯楽の少ない昔の人々にとって、旅芸人や伝承する歌舞伎や狂言を大事にしてきたのであろう。
岐阜などの山村の部落に地方歌舞伎の歴史が残っているのを知ってはいるが、これまで訪れた漁村では同様の歌舞伎や浄瑠璃など、見かけたことがついぞない。山には残って、海には残らなかったのか、もしくは海には歌舞伎など生まれなかったのか? なんでだろう。
分杭峠(1424m)
分杭峠から高遠方面
第3の峠は分杭峠。その昔、高遠藩の境界を示すために杭を打ったのが由来だそうだ。標高は1424m、大鹿村からの北進は、カラマツやシラカバの林を抜ける快走路、3つの峠の中の最高峰とは思いがたい楽ちんさ。大きな断層の真上に有り、「地場ゼロ」との触れ込みで有名な「パワースポット」になっている。シャトルバスでの送迎まで準備され、多くの人たちがご利益を期待してやってくる。
権兵衛トンネルへ
分杭峠から高遠を抜けて伊那の街に入った。理科で習ったいかにも「扇状地」を実感できる上りをゆけば、権兵衛峠に至る。旧道の峠道は閉鎖されているようで、自分は未体験。立派な権兵衛トンネルで伊那から木曽へショートカット。乗鞍岳
御嶽山
乗鞍は先月家族で登ってきたところ。すでに冠雪していて、頂上の寒さを思い出す。御岳も同様に雪をかぶり、南面からは1年経った今でも蒸気を噴き上げているのが分かる。晴天のおかげで、くっきりとお山の全貌がみれた。至福の一服をたのしんだ。地図で見ると酷道152号はまっすぐにみえる。しかし走ってみると林道でつないだクネクネ山道。それでも今は高規格なトンネルでつないで利便を図ろうとしている。青崩峠、地蔵峠、分杭峠、この3峠がいつか人知の元に楽ちんな道で結ばれる日がくるのか、見てみたい。
右足首のトラブルを抱えてのツーリングであったが、乗ってしまえば問題なく。しかし立ちゴケには、火事場の馬鹿ちからで踏みとどまれただろうか・・。無事でよかったよかった。
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