HONDA GL1200 アスペンケード サイドカー 1986
新穂高でのアールズフォーク亀裂、志賀高原のフレーム折れという生死をさまようトラブルに、廃車かもというピンチを乗り越えて、不死鳥GLばあさんは修理から戻ってきた。フレーム、足回りをほとんど作り直したことになって、延命治療になったはず。久しぶりの走りも軽快でスムーズに動く足回り、塗装もまばゆいフレーム、いい気分だ。
関谷醸造 冬の「吟」「空」販売案内
ちょうど、愛知県設楽の関谷醸造から、冬の「吟」「空」の販売案内が届いた。年二回の蔵出しは、自宅への郵送も頼めるけど、自分の足で受取に行くといっそうお酒の味が上がるってモノ。年に二回、いそいそと小生はお酒を頂きに設楽田口の関谷醸造に向かう。
豊川御油 クリニック待合
蔵元へ向かう途中、かかりつけ医の受診に立ち寄る。血圧と不整脈の定期内服をしているが、豊川市のクリニックが当方の主治医。自分の病院で処方すれば「事足りる」が、主治医は大学の同級生っていうのもあり、3ヶ月ごとに顔を見に行くのもたのしみ。彼は、待合が混んでいてもまったく「忖度」してくれないから、こちらもおばあちゃんに混じって呼び出しを待つ。この方が気楽でいい。
新城 長生うどん
クリニックに1時間ほど費やしたら、すでにお昼タイム。思いついたのが、新城のカレーうどん。新城高校の校門まえの店内は席が埋まっていて、待ち時間覚悟で着席。それなりに時間を要したが、出てきたカレーうどん(PART2)は毎度のおいしさ。こだわりのカレールウを使っているそうだが、名古屋の「ホンモノ」の若乃屋を連想するコクを感じる。ふたむかし、名古屋カレーうどん争議があって、本家の若鯱屋がもと弟子に商標奪われて「鯱乃屋」になってしまった。ショッピングセンターでよく見かける「若鯱家」は、カレールウや麺で本家には敵わない。
JR東海 本長篠駅
新城からはR151で北に向かい長篠までやってきた。JR飯田線の本長篠駅に立ち寄ると、駅前のいちょうがキレイに色づいている。この駅から豊橋鉄道 田口線という廃線跡が蔵元のある設楽田口まで続いている。所々に廃線の遺構も残っているので、ここから廃線伝いに遺構を見ながら設楽まで走りだす。
河津桜並木
内金トンネル
本長篠駅周辺の地図を見ると、緩やかにカーブを描く市道がみつかる。まさに電車が走っていた証。飯田線から分岐した線路跡は、河津桜の並木をぬけると内金トンネルになる。桜さく春は、並木道に多くの人が集まってくる。馬蹄形の入り口は内金トンネルが、列車用のトンネルであったことを示している。
大井川橋梁
県道32号はほぼ、廃線跡と絡みながら鳳来海老の街まで続く。その途中にはがっしりとした橋脚が残っている。
三河大石のあたりから廃線跡は県道から左にそれて対岸に渡る。現状はクルマ道なんだけど、よくみると直線が多かったり、カーブが揺るやかに一定のRでつながっていたりと、線路だったことがうかがえる。切り通しのがけにはモルタルが塗られているが、「柱状節理」の岩肌がそうさせたギザギザが面白い。線路らしく、まっすぐに伸びる道の先には、ぽっかりとトンネルが口を開けている。
稲目トンネル
海老川沿いの路線は、この稲目トンネルで山を貫き、おとなりの豊川沿岸に変わる。延長1500mはそれなりに長い。廃線後に県がトンネルを買い取り、2車線の自動車道路に改良した。田口線の開業が昭和5年なので、初代の稲目トンネルから約90年が経過した歴史あるトンネル。
設楽町清崎
開設したばかりの「道の駅したら」を通り越すと、いかにも電車が通っていました風に、清崎の集落から左に分岐する橋梁あり。この先通行止めと書いてあっても進入して見に行ってみよう。
平野橋
豊川の流れに沿って、廃線路も先に続く。幾つかトンネルが現れ、平野橋という名の橋梁が豊川を渡る。道路は直線、トンネルを出るとすぐに橋が現れ、対岸のトンネルまで見渡せる。まるで自分が列車の運転手になった気分でサイドカーを進める。
廃線通行止め
分岐してから約3kmほどでバリケードがあってここで終点。この先、1〜2kmむこうに田口線の終点に、三河田口駅の古びた駅舎があった。もうダム工事のために行けなくなってしまった。
設楽ダム完成予定図
この設楽ダム、2026年に完成予定で、出来上がると設楽田口の集落の西側はほとんどダム湖になってしまう。設楽田口駅に先にあった森林鉄道の遺構も足助に抜ける県道33号も消えてしまう。ダムに伴って設楽町は莫大な補助を得るだろうけど、一部の歴史や自然を失うことになる。
設楽町田口 関谷醸造
ノンビリ立ち寄りしてきたので、日が傾きはじめた頃に田口に到着。吟と空の予約分と、当日の量り売り純米酒500cc、梅酒3本を仕入れる。梅酒は焼酎のモノ、日本酒のモノ、完熟梅のモノなど複数種類があって、ばあさんや娘たちから好評。GLばあさんのリアケースはでっかく、5合瓶の日本酒を立てたまま収納できるので、こんな時も便利。
道の駅したら 豊橋鉄道 モハ14
本年5月に新設された「道の駅したら」、そこの目玉展示に豊橋鉄道で使われた電車が置かれている。この車両、以前にあった奥三河郷土館に静態保存してあったのが、お化粧直しされてお立ち台に上がったように出世した。大正14年生まれ、もうすぐ100才、平成20年に経済産業省の近代化産業遺産に指定されている。
車内にも自由に出入りできて、興味津々。モハ14君、たくさんの人に見てもらえる居場所ができて良かったね。
駅舎にあった切符収納箱も、幼い頃に見かけた覚えがあり。長いベンチ状のイスのふかふかスプリング、昔の電車や市電はこんなシートだった。小生は、母親に怒られながら、靴を脱いで膝座りで車窓にかぶりつきだったことを思い出す。
昭和の初めに、愛知の山奥にある御料林から木を切り出すために開発された田口線。田口駅の先は、軽便の森林鉄道がさらに奥にまで伸びていた。宮内省がかなりの出資をしていたこともあり、開発での旅客への利便は二の次。だから、終点田口駅が集落から離れた川沿いに接地された理由もそんなところだ。大正から昭和初期にかけて、日本のいたるところに森林鉄道が引かれ、山奥まで人の手が入ったが、木を取り尽くした昭和60年代からは急速に廃れていった。この田口線もしかり、車社会の広がりもあって、昭和43年に田口線40年の歴史に終止符が打たれた。
帰宅して、さくっと一風呂。さっそく仕入れてきた絞りたて純米酒を、淡路は大江のりで一杯いただく。バイクで走り回った後の渇いた喉に、冷えたお酒が染みこんでゆく。今日の一日に、乾杯。
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