小生の備忘録

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丸栄百貨店 全館閉店 東郷青児 スイーツプラザ


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折り込みチラシ

 今月いっぱいで丸栄百貨店が閉店。中日ビルに続き、また名古屋のランドマークが一つ消えてゆく。昭和18年に丸栄として営業をはじめて75年、戦前からずっと営業してきたわけだ。

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名古屋 4M

 JR名古屋高島屋ができるまでは、名古屋の百貨店は4つ、いずれもローマ字の頭文字が「M」なので「4M」と呼ばれた。名古屋のお祭り、英傑行列では秀吉役などはこの4Mの従業員から選ばれていた。その4Mの一つ、丸栄が欠けることは名古屋人にとって寂しい話題だ。


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丸栄

 さて、梅雨の6月に入りバイクのお出かけもめっきり行けなくなった。目的のない日曜はつまらない、ならばと雨降りを利用して家族で丸栄に出かけてみた。開店は10時、混むかもしれないからちょっと早めに自宅を出た。

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マルエイスカイパーキング

 直営の駐車場の入り口はビルの西側にあって、10分前であったがすでに入庫を始めていて、まだ車列も少なく程なく入れそう。閉店前だしもっと混んでいるものと覚悟していたが、あっさり入れて拍子抜け。JR高島屋の駐車場であったら、すでに満杯だろう。

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丸栄 西壁面モザイク

 入庫待ちのクルマから見上げると、ちょうど目の前に巨大壁画が広がる。雨模様の日照で残念だけど、日が差すともっと輝いて見えるはず。図案は抽象的で様々なタイルとガラスで作られていて、中日ビル一階のモザイク天井と同様に、当時の贅沢な装飾であったことがうかがえる。名古屋にモザイク装飾の建物が多いのは、瀬戸焼きなど陶磁器の生産地が近いこともあるだろう。

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クルマ用エレベーター

 2台のエレベーターが屋上の10階までクルマを運ぶ。全幅1770mmのSAIでいっぱいいっぱい、全長も4700mm以上は入らないという狭さ。モータリゼーションの始まった昭和30年代であればこれでも十分にだったろうけど、クルマのサイズが大きくなった現在では、ここに入れないクルマも多いはずだ。
 乗ってから窓開けて、最上階の10階のボタンを押す。同乗者もそのままでクルマごと勢いよく上がってゆく。ついた先の10階は3階立ての駐車場フロアの最も上の階で、ここからせん状に回りながら9階の指定されたところにクルマを停める。帰りは8階まで降りてそこから再びエレベーターで1階までおりるって寸法だ。

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9階駐車場

 ワンフロアーの面積は狭いが、クルマ1台分の幅は十分に確保されていてエレベーターの狭さとは対照的。5ナンバーのクルマなら3台入ると思われるので、仕切り直して2台分のスペースにしたんじゃなかろうか。

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丸栄屋上看板

 レトロな書体の看板が最上階に鎮座している。台座は円形で滑車もついているから以前はくるくる看板が回っていたのかも知れない。丸栄と言えばこの赤いロゴマークと図案にカーネーションの入った包装紙を連想する。
 また丸栄の屋上の思い出は、「戦車バトル大会」みたいなものに参加したことだ。小学高学年だった小生は当時のマストアイテム「プラモデル」に首ったけだった。とりわけタミヤの1/35リモコン戦車シリーズは宝物だった。持ち込んだ戦車で風船割りゲームやコースのラップタイム競争など、タミヤ模型が主催した子供向けの競技会で、賞品のプラモデルを持って帰った思い出がある。回転砲塔のタイプじゃ無くって、駆逐戦車のロンメルを選んだのも勝因だろう。

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東玄関口

 栄の交差点からくるとこの東玄関口が丸栄の入り口となる。たしか。。。幼かった頃、百貨店の入り口には「ぶわーっ」と上から下に風が強くながれている場所があったはずだ。冷暖房の効率を上げるために取り付けられていたこの装置は「エアーカーテン」で、銀行や百貨店でかならず見かけたはずだが、いつしか見かけなくなってしまった。

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壁画エレベーター

 フロアの南面にあるエレベーターは4機あるが、左の2機は開設当時からの扉絵が残っている。昭和30年代に活躍し甘美な女性人物画を多く残した東郷青児がこの丸栄のエレベーター画を引き受けたのだった。独特の色調と優雅な人物像はまさに東郷の作風だ。小学生頃の小生でも、幼心にもこの絵には見覚えがある。
 1983年の増築工事までは、ここ以外のすべてのエレベーターにも同様な東郷の絵が描かれていたそうだ。しかし、この工事によって残った2台以外の扉はすべて取り払われ、一握りの幸運な人たちのもとで所有されているらしい。

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大理石、木枠の階段

 低層階は重厚な大理石の階段、高層階はモダーンな鉄柵と木の手すりの軽快な階段。建物の重量バランスを考えてこのようになったのだろうと推測。この丸栄を設計した村野藤吾は戦後を代表する建築家で、1953年にこの丸栄を建築しデパートで日本最初の「日本建築学会賞」を授賞している。廃業にあたり建築学会からはこの丸栄を保存するように働きかけを行ったが、いかんせん所有者の「興和グループ」は耐震性などを鑑みて建て替えを決めた。

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地下1階 ラウンドお菓子

 食料品店やお菓子屋さんが入った地下1階、とっても懐かしお菓子の量り売りを見かけた。百貨店にはかならずこのお菓子陳列台があったと覚えている。調べてみるとこの回るお菓子の展示台は、「スイーツプラザ」や「ラウンドお菓子」などと呼ばれるようだ。小生の記憶では名鉄百貨店の地下にあったものはもう一廻り大きかったように覚えてる。母親にねだってもたいてい断られていたような。。。5回に1度くらいは許可が出て、夢中になってお菓子を選んでカゴにいれたっけ。

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2階売り場

 いまでこそ普通の婦人服売り場になっているが、2000年頃から10年間ほど「10代後半から20代前半の「ギャル」たちの聖地となっていた。他の百貨店との差別化を図るためにヤングゾーンとして2階と3階を電飾と床を揺らすようなBGMであふれた空間に作り替えたのだ。当時ここをお得意さんとしていた長女に聞いてみると、フロアの音楽のボリュームが大きすぎて、店員さんと会話することも大変だったと回想する。

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TVコマーシャル 

 当時の名古屋の中高生は 栄なら「パルコ」か「丸栄」、名駅なら「パッセ」という案配だったようだ。彼女たちは「マルエイ」改め、「ギャルエイ」と呼んでいたらしい。ここのブランドを着たり身につけていないと流行に遅れていると思われて恥ずかしかったそうな。

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カリスマ店員 飯島さゆり

 渋谷109のカリスマ店員、飯島さゆりさんがイベントで丸栄に来店。若い女性が殺到し入場制限がかかるほどの大盛況であった。まさに丸栄2階売り場は「名古屋の流行発信地」となっていた。
 しかしその後は、「GU」、「GAP」に象徴されるようなファストファッション店が台頭して、丸栄2階もその役割を終えてしまった。

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3階売り場

 家庭雑貨や寝具のコーナーはまだマシだったけど、美容、健康フロアーは空きブースばかりでとても寂しい。閉館1ヶ月前を実感する光景だ。隣接する専門書で有名な「丸善」も改築の際にはこの丸栄のフロアを借りて一時的に間借りしていた。

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8階大催事場

 8階フロアの半分近くを閉める大催事場、これまでも「中古カメラ・用品大バーゲン」、とか「鉄道模型展」などなど、小生にも興味を引く催し物が行われてきた。この日は「チャリティーバザール」、「美術品掘り出し市」なんてあったけど、全く食指がのびるようなモノはなし。

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7階 丸栄のあゆみ パネル展

 閉店に合わせて丸栄の歴史をパネルで展示説明したコーナーがあってじっくり見てきた。閉館まで残り2週間となった週末の日曜午前、もうすこし賑わいがあるかと思っていたが、まあ見事に閑散としている。見学する側には空いてる方がいいに決まってるけど、やっぱり寂しいなあ。

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十一屋百貨店 昭和11年

 大坂夏の陣のあった1615年に大阪から移り住んだ呉服屋さんが名古屋でお店を始めたのが最初。大正の初めには今の栄ビルの場所に木造4階の洋風建築に変わって百貨店となった。その後、昭和11年には地上7階地下2階の鉄筋コンクリートの百貨店に生まれ変わった。

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三星百貨店 昭和14年

 京都から進出してきた三星は十一屋の向かい側に鉄筋3階、地下2階の百貨店を開いた。この場所は今の丸栄があるところと一致する。まだ珍しかったエスカレーターやスプリンクラーなどの最新鋭設備を誇っていた。

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丸栄本館 昭和28年

 第二次世界大戦の最中、昭和17年に戦時統制によって「十一屋」と「三星」は合併することとなり「丸栄」が誕生した。社名は「名古屋栄の地で丸く栄える」ことを願って「丸栄」とつけられた。戦後は三星の建物が焼け残り、これを改築して丸栄本館として今の建物に繋がった。

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丸栄本館 北館

 パネル展では精密な模型を見ることができた。広小路をはさんで茶色の建物があるが、これが丸栄北館であったのか? ここには名古屋国際ホテルの前身となった丸栄観光ホテルや劇場が入っていた。丸栄本館の姿は現在に準じているが、茶色の建物は当時の姿である。現在は栄ビルと称して姿を変えている。

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スパゲティ コモ

 店内さよならセールで家族はそれぞれ買い物、アパレルにお金をかけない小生も半袖ポロやシャツが足りなかったんで「大人買い」。百貨店内をくまなく歩いて探求すること2時間、すっかり満足できてお腹が減った。おふくろが昔からある「スパゲッティのコモ」が食べたいというので、隣の栄メルサにあるお店に行ってみた。ショーケースのサンプル見る限りではちょっと物足りないかな、、とおもって2割増しの中盛りをお願いしたが。。。

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ピザ風あんかけスパ

 出てきたボリュームにおったまげた( ・_・;)。山のようにスパゲッティが盛り上がり、崩れんばかりにオニオン炒めがのっかていた。これで750円、フォークとスプーンを使って食べ始めるが、崩さないように、あんかけを混ぜるように食べるのは至難の業、また一息ついたらもう食べられなくなりそうな気がしたので一気に食べたが。。。半分くらい食べてギブアップ。
 他のお客さんが注文する声を聞けば、「小盛りにしてください」と注文時に添える人が多かった。小生もそれを知っていれば、食材を粗末にすることもなかったのに。。後でおふくろに尋ねてみたら「昔はあれくらい普通に食べることができたわ」なんて返答、よほど大食いの女性だったんだ。

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丸栄屋上

 中日ビルの屋上ビアガーデンも今年が最後、そしてこの丸栄屋上のビアガーデンはあと数週間でおしまい。なので、再度ここのビアガーデンに来ようと予約をした。雨が降ってもテント付きだから大丈夫。その時がいよいよ、丸栄とのお別れだ。





# by akane8150 | 2018-06-13 18:55 | Life | Comments(4)

MT-01 OS 32 野麦峠 飛騨農園街道 やまびこロード



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小牧IC

 天気予報「晴れ」「降水確率0%」とあれば、梅雨前線がじりじりと北上してくる前にお出かけ、お出かけ! 梅雨に入ってしまうと当分は思うように週末バイクを楽しめなくなる。

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 今日の主目的は冬期通行止めの外れた「野麦峠」、ついでお山のクネクネ快走路でコースをつないだ。伊那地方、高山地方、奥美濃地方を反時計回りでぐるっと1周。中央高地1周とでも言えようか。
 この中央高地1周コースは小生が好きなルートで年に複数回は走るだろう。北上して郡上あたりから時計回りで走ることが多いため、今回は敢えて反時計回りを選ぶ。向きが変わるだけでも随分とツーリングの印象は変わる。

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R361号 権兵衛峠手前

 伊那ICまで160km、中央高速道ををノンストップで走りきる。気温は20℃以上あるけど早朝の高速走行は体温をどんどん奪う。上下アンダーの上にレザースーツの出で立ちですら寒さを我慢したほど。グローブもメッシュじゃ寒かろうとレイン用の厚めグローブも用意して正解だった。
 トンネルも場所によって、体で感じる気温差があって面白い。8kmを超える長さの恵那山トンネルは、「温かい」。震えた体が癒えてゆくのが分かる。隣接する2kmの網掛トンネルは、「寒い」。ライダーの取り巻く環境の寒暖差はほんとに激しいモノがある。

 伊那から権兵衛トンネルをくぐって伊那地方から木曽地方へ。手前の「交通かかし」は今日も元気にお仕事をしている。わかっちゃいるけど、通るたびに「どっきり」させられるなあ。

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伊那市お花畑(フクロナデシコ)

 権兵衛トンネルに向かう左手に鮮やかなお花畑が見えたので、国道を外れて尋ねてみることに。濃いピンクの背丈がある派手なお花。名前はさっぱり浮かんでこないが、まずは咲き誇って美しい。
 後に調べてみると「フクロナデシコ」、さらに世話をしている主のブログにもたどり着いた。5月の上旬くらいから咲き始めたようで、1ヶ月くらいで実を付けるそうな。「手入れは大変でしょうが、ぜひまた来年も見させてください。」


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境峠

 4.5kmの権兵衛トンネルをさくっと通り越し(これは寒いトンネル)、伊那から木曽に入る。すこしだけR19号を北上し薮原の街から左に折れて県道26号線に入る。横を流れる川は「木曽川」、やがて現れる「境峠」は木曽川の源流のひとつとなり本州の分水嶺を成している。
 薮原から境峠を経て野麦峠入り口までの約20kmは、信号もなく道路も拡張されてとても気分がよい。MT-01は1500~2000回転でドコドコいいながらのんびりと走る。バイクを狙い撃ちするように、白バイがかくれんぼしていることもあるのでミラーはちゃんと見てなきゃいかん。

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県道39号 奈川野麦高根線

 突き当たる三叉路をひ左に取って野麦峠に向かう。この先が今日の目的地、野麦峠。ここから峠を挟んで高根の木曾街道までは30km、舗装路でよく整備はされているけど、民家もまばらな山奥となる。今日は妙に対向車が多い、旧道の野麦街道の石畳を団体さんが登ってゆく、峠の途中にはシャトルバスまで用意されている。。。なんだろう、

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野麦峠(乗鞍岳を望む)

 野麦峠に到着、天気は快晴で紫外線が強い、峠のむこうにはどっかっと乗鞍岳が鎮座している。峠の駐車場は制限されていて、毎度のようにお助け小屋近くまで入ることができない。今年も峠に来ることができたことに感謝しつつ、しばし休憩。

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野麦峠まつり

お助け小屋まで歩いて行くと、前の広場はテントが張られて特産物のお店が並んでいた。「野麦まつり」と称した年に一度のイベントに居合わせたのだ。女工さんに仮装した子供達が当時の野麦越えを再現するようで、ワイワイ騒ぎながら待機していた。

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野麦峠展望台

 お助け小屋から笹原を上がってゆくと展望台で眼前に乗鞍岳が見えてくる。尾根には映画「ああ野麦峠」のモデルとなった「政井みね」さんを偲ぶ石碑がたっている。みねさんは兄に背負われてこの地で命を落とす。時は1909年の11月20日午後2時、景色は紅葉真っ盛りであったろう。

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 毎度のごとくお昼代わりにお助け小屋でそばをかきこんで、まつりが始まる前に峠を高山側に降りてくる。野麦峠の道は展望があまりよろしくない。峠近くの奈川側、そして高山側のこのあたりにほんの少し遠望があるくらい。それにしても天気のいいこともあって、登ってくるバイクは多い。
 もう少しでR361号木曾街道にでるあたりで、ソロライダーがカーブを曲がりきれずに転倒した現場に遭遇。転けたばかりで起こそうとするけど力が入らない。。。 MT-01を路肩に駐めて、彼のバイクを起こすのを手伝う。バイクはカウルが割れてたりしてるけど、レバー類もペダル類も生きているので大丈夫そう。しかしセルは回れどエンジンがかかろうとはしない。400ccのカワサキで彼曰く、メーター内のランプがいつもは赤なのに、今は白くなっている。なにかエラーでもでているんだろうか。
 電話がつながるところでよかった、かかりつけのショップに助けを呼ぶとのこと。転倒センサーなどの故障であれば、現場ではなんともできない。

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飛騨農園街道 高山市街迂回路

 開田方面から高山へ向かうR361号は美女街道となっって市街地に入ってゆく。市内に向かうのならそれで良いが、荘川方面に抜けるにはとても混雑する高山市街は迂回したいところ。この日も小生は「甲」交差点より北上して美女高原キャンプ場から「飛騨農園街道」をつかってバイパスした。この路は広域農道で綺麗に整備され、なによりクネクネ道が約20km楽しめて交通量もほとんど無い。時折トラクターが落とした畑の土が気になるくらいで、知る人は知る美味しいバイクロード。

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飛騨農園街道終点

 十分に中速コーナー、タイトなコーナーを楽しんで、平湯峠から下りてくるR155号にぶちあたる。これを左折して「板倉ラーメン道場」を過ぎて「丹生川町 町方」の交差点に到着。
 高山市街はここで左折、大半のクルマの流れは左折だがここは直進、交通量の少なくなった路をしばらく走るとR41号にいきあたる。右手にはライダー御用達の「国八食堂」がある「下切町」交差点をを左折、次の「八千代橋」交差点を右折。道なりにいけば高山の渋滞や信号に巻き込まれずに「道の駅 ななもり清美」までパスできる。ただし、八千代橋交差点の先、高山本線の踏切を越える際には、ちゃんと一旦停止が必要。かなりの確率でパトカーや白バイがこちらを観察している。この迂回路を使うことで、夏場のおそろしく暑い高山市街の渋滞と信号トラップを回避できるのでこれもお薦め。

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ひるがの 分水嶺公園

 無料区間の飛騨清見道路を使って荘川までパスしてもいいけど、ななもり清美から下道のR155号を使って「小鳥峠」越えで荘川に向かう方が確実に楽しい。交通量も少なく大きなカーブを描いて走って気分が良い。
「道の駅 ななもり清美」から次の休憩地 ひるがの高原まではR158号で約60km。比較的交通量も少なくクルマの流れも70km前後で進むため、この区間もバイクで走るには爽快だ。途中には「道の駅 荘川」があったりと休憩場所にも困らない。ただし、ここもツーリングのように楽しんでる白バイの隊員がいることも多いので要注意。ぶっ飛ばしていると反対車線でもUターンして追いかけてくるらしい。
 往路は木曽の境峠で日本海側にやってきて、ひるがのでは分水嶺公園で太平洋側に戻ってきた。公園の中には、小川が作られ見事に太平洋側、日本海側と分流して流れてゆく。

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やまびこロード
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大日が岳

 ここまで来て早く帰りたければさっさと高速に、まだクネクネ道を満足していなければ、〆の「やまびこロード」が待っている。ひるがの高原から高速道路を越えて信号のないまま、アップダウンとコーナーで繋いで約35kmのお持てなしを受けることが出来る。そこそこ地元の軽トラなどがいるので追い越しに無理は禁物、見通しがきかないコーナーも多いので注意が必要。
やがてやまびこロードは「道の駅 やまと」を過ぎてR156号に再び合流する。ここからは小生は高速に乗っかって一気に100km先名古屋の自宅に向かうことが多い。

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MT-01 2008

 小生の現在のメインバイク、走り出してしまえば乾燥重量240kgも感じないが、弱点といえば足つき性の悪さで170cmの小生は数回の立ちゴケを経験。しかしそんなことより、今も手に入れたときの感動を乗るたびに味わうことが出来る。50〜70km/hあたりのツーリングペースは、股ぐらの1700cc 空冷Vツインがドコドコと鼓動を発しながらバイクを操る楽しみとツーリング先の素敵な景観を楽しませてくれる。手に入れてもうすぐ4年、オドメーターは55,000kmを示しているがこれまでも重整備は不要で旅先でもノントラブルだ。5万キロを越えたあたりで、リアウインカーのラバーステーが振動で左右両方とも折れてしまったのはご愛敬。大トルクでクラッチスプリングがちょいと垂れてきたからか、高速道路の全開時にはクラッチがズルズルするので、そろそろ手を入れる頃だろう。



# by akane8150 | 2018-06-02 22:21 | Motorcycles | Comments(3)

XT250 セロー 13 東紀州 2 千尋峠 水呑峠 大杉谷登山道



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千尋峠 水呑峠
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住古川

 東紀州、後半戦。紀伊長島も通り過ぎR42号を西に進む。今日の主目標は、千尋峠の探索と未踏の水呑峠リベンジ。最初に目指すは秘境大杉谷の入り口、千尋峠だ。

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大台林道

 分岐部から数キロ走ると集落から外れて舗装からダートに変わる。いいな〜、やっぱり林道は砂利道じゃなくっちゃ。踏みしめられているので走りやすくどんどん川沿いを上がってゆく。路肩はワイヤーガードレールが備わっていてこれも安心、人が行き交いしていることで管理もしっかりされている印象。しかしすれ違うクルマも民家も全然途絶えて山奥感ありあり、さっきまで賑やかな海沿いを走っていたとは思えないほどだ。

ところで側溝に使われているフタ、よーくみるとレールのようだ。なんで??

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小木森滝

 急流の左岸をどんどん高度を上げて登ってゆく。この林道を予習しておいたので、そろそろ滝が見えるんじゃないかと。。。お〜ありました、ありました。川むこうの尾根からぷっつんと滝が流れてるのが見える。これは落差がある滝だと素人目にもわかる。奥にひかえる山の端はすぐそこに見えるのに、水流があれほど豊かなのはなんでだろう?? 

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小木森(おごもり)滝 (花鳥風月さんより)

 対岸の滝に近づくには林道を外れてルートを示すテープを頼りに30分ほどでたどり着くそうだ。晴れた日に訪れた「花鳥風月さん」の写真はみごとにスケールのでかさを示している。落差100m以上の上段、さらに50mほどの下段、那智の滝を思わせるような豪快さだ。滝巡りをしている同好の中でもこの小木森滝はトップクラスの滝とされるのも頷ける。

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千尋峠 千尋隧道

 国道から約10kmで終点の千尋峠に到着。走りごたえのダートは路面のえぐれや脆弱な路肩などは少なかったけど、断崖絶壁のカーブが続き十分にクネクネ道を満腹した。似たような景色もあったりで、「多賀の大杉林道」を思い起こした。路面のガレ石は大杉林道の方がひどかったような。それにしても、林道はやっぱり未舗装であって欲しいなあ、全然おもしろい。
 千尋峠のトンネルは昭和34年に竣工、なんとほぼ小生と同じ生誕。妙に親近感がわいた。隧道の手前にはクルマを遮断するゲート、数年前のWeb上の記事ではこのゲートを見かけないので、最近追加されたようだ。トンネルくぐった先で閉め出されても困るわねえ、、、。


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千尋トンネル(大台町側)

 トンネルの向こう側に出てみると展望はきかないけど、大杉谷に至る林道が続いている。この先に秘境が広がってるんだと感慨深く眺めていたら、その秘境側から軽トラがやってきた。作業を終えたご夫婦のお帰りのようで、「よくも上がってきたな」と声をかけられる。手慣れた手つきでゲートのカギを外してポッポっと通り過ぎていった。ゲートの上げ下げはご主人、その間は奥さんが運転、毎度の事ではあろうが、極めて手慣れたお二人だった。
 降りてゆく軽トラを見送った後、小生も下山開始。セローだと2速に入れたまま エンジンブレーキでトコトコおりてゆく。軽トラもいいペースで降りていったようで、なかなか追いつけない。あっという間の下山で海が見えるところまで戻ってきた。


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県道603号

 大杉谷周囲は山が深いためか、山の稜線を貫いて、南北に通過できる幹線は県道603号が唯一だ。3年前の春に訪れていたが、災害復旧の工事で撤退した苦い思い出。バイク仲間のRipさんが最近、北からこの峠を抜けたとの情報を得て、前回のリベンジを果たそうと今日の〆のルート。まずはR42号の船津にある分岐部の電光掲示板、お〜〜、今日は通行止めとは書いていない!!

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  川沿いに登ってゆくといつしか民家は途切れ、県道はうっそうと茂る雑草に挟まれながら、奥に進んでいる。十分に走った頃にT字路に出会しこれを右「大杉」方面へ。大っきなゲートで本線も遮断できるようになっているけど 今日はちゃんと開いている。後述の「インクライン跡」はこの分岐を左にとって突きあたりまで行くとあるようだ。

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 大がかりな高架まで用意された最後の左ヘアピンを登ると、上がってきた下の道が斜面をえぐるようにくっきりと見える。このヘアピン部分は高度差もかなりのもので大がかりな構築が難儀だったろう。深い山奥にこれだけの立体構造物を作らなくてはいけない理由は何だったんだろう、木材の搬出路の確保のためだけだろうか。

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森林鉄道 索道 インクライン (三重森林管理署より)

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大杉谷森林鉄道(6月なんよ)さんより

 帰宅後、大杉谷を調べていると大杉谷森林鉄道なる廃線があったことがわかった。ブログ「6月なんよ」さんの大河内川遡行はこの森林鉄道を探求している。昭和16年から41年までの間、下流の船津からこの県道に沿って森林鉄道が北に延び、中途では「インクライン」や「索道」を介して大杉谷の深い谷まで搬出路が確保されていたのだ。
 開拓された昭和の初めの世界恐慌は日本の山村にも多大な貧困をもたらした。対する国策として森林資源の開発を建前に、山奥に向けて林道や森林鉄道などのインフラ整備が推し進められ雇用を作り出した。そのひとつとして大杉谷の国有林に多大な労力をかけて大杉谷森林鉄道が開発されたのであろう。やがて戦後になり大台林道の開通に伴って材木搬出の役が終焉を迎え、大杉谷森林鉄道は廃止となった。
 大台林道で遭遇した側溝蓋に流用されたレールは、不要となった森林鉄道のものが流用されたに違いなかった。船津から水呑峠までの県道上にはそれらしき遺構や線路跡などを見かけなかったが、線路は下流の「インクライン」まで続いた。そして峰から「索道」で谷越えをして大杉谷の深い谷間まで搬出路は延びていた。

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管ノ峠

 3年前に引き返したあたりをスルーしてここから先は未踏の地。やがて深い切り通しの峠に出会う。後に地図で確認すると管ノ峠とある。路面には落石や枝葉が散乱している箇所もあったが、崩落や路肩の落ちたところもなく舗装路が続いている。

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水呑トンネル(紀北町側)
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水呑トンネル(大台町側)

 尾根伝いを走るとついに水呑峠、トンネルに到達。峠はやっぱり抜けることが出来ると達成感もあるってもので、越えてみたかった満足感でいっぱい。急峻な山間だから崩落や落石は日常だろう、道路を管理している方々の労力と努力に感謝だ。

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宮川貯水池 大杉谷登山道

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宮川貯水池への峠からの下り

 トンネルを抜けて大台町に入るとつづら折れであっという間に高度を下げてゆく。雨の多い地域、路面には多量の流水があったことをうかがわせる枝葉やガレの流れ止まりが方々に見られる。それでも道はしっかりしていて、MT-01でも大丈夫そうだ。

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新大杉橋

 貯水池周囲のクネクネ道を下流に向けて進む。果てしなく続くカーブに不安になったころ、大杉谷への分岐、「新大杉橋」に到着。最後の探索はこの奥に控える登山道入り口まで、バイクで行けるだけいってみようというもの。鉄橋は路面がネット状になっていてなかなかスリル有り。

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「六十尋滝」

 貯水池にそって対岸を上流に向かうとほどなく沢が右に拓ける。計ったら60尋あったので名前がついた六十尋滝、伊勢神宮遷宮の際の御用材はこのあたりから切り出されることが多かったようだ。この滝がある沢は「美濃ヶ谷」と呼ばれ、尾張美濃のきこり達が大昔にこの沢から御用材を伐採したことに由来する。

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宮川第3発電所

 新大杉橋から6kmほど上流に進むとついに行き止まり、発電所が現れた。手前には登山者用の駐車場、トイレなどが整備されていた。バイクで行ける最も奥まったところで、この先は大台ヶ原に続く大杉谷登山道(約18km)が延びている。登山道は7つの滝、11本の吊り橋をみながら山小屋を使ってだいたい2泊3日かけて原生林の森を抜けてゆく。小生もいつか日本三大峡谷の1つといわれるこの大杉谷を自分の足で歩いてみたい。


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大杉谷方面

 車道終点から望む大杉谷方面。水は青く透き通って緑はあおあおと繁り、晴れていればもっと見替えがいいだろう。1000mほどの峰の山々だからそれほど高いわけじゃ無いけど、山奥感・秘境感は半端ない。


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大杉谷登山センター

 再び折り返して貯水池を下ってゆくと登山センターに出てきた。紀北町側から峠を越えて30km先のこのあたりまで、ほぼ民家はもちろん人の気配がないところばかりだったから、なんとなく安堵する。人里に出てきたんだ~。

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宮川ダム

 宮川ダムは50年以上前に完成した三重県最大の貯水量をもつダムだ。ここまで来ればもう大丈夫、あとは大宮大台ICまで山道降りれば、名古屋までの帰路につける。高速に乗ってしまえば、2時間後には帰り着くはずだが、、、そろそろ坐骨が痛くなってきて座りポジションが辛くなってきた。時々、姿勢を変えたりお尻をずらしたりと工夫が必要。

 高速道路をスタンディングしたままで走っていくKTMオフロード車を見かけたが。。。。きっと彼はお尻が痛かったからに相違ない。




# by akane8150 | 2018-05-28 20:02 | Motorcycles | Comments(4)

XT250 セロー 13 東紀州 1 旧能見坂 藤坂峠 大紀南島線 棚橋トンネル 錦峠



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 今年の初めに訪れた伊勢の山々、とりわけ剣峠の秘境感が気に入った。その時に廻りきれなかった西の領域を探検する事を思い立つ。このあたりは紀州の東にあたるので東紀州と地域区分されている。

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玉城町

 名古屋から高速乗り継いで130km、2時間でスタート地点の玉城ICをおりる。排気系をいじってあって100~120kmあたりの巡航は余力であるが、250単気筒のセローの高速道路はぜんぜん面白くない。時間短縮の移動手段としてやむを得ず高速道路を使ってるわけで、走行車線の車の流れに乗って淡々と走った。
 クルマも空きはじめた勢和多気あたりで、白い現行クラウンを110kmほどで追い抜いた。。。覆面さんかもしれないと疑っていたが、「ビンゴ!!」ドライバーがヘルメット被ってる(^^ゞ。。。そーっと減速しつつ、走行車線に戻ったけど。。。おとがめ無し。 その区域は80km制限だから、かなり大目に見てもらえたみたいだった。

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旧能見坂峠

 一般道におりるとセローのご機嫌は一変、スラッジが飛んだためなのか、アクセルのツキがよくっていつも以上に元気な印象。県道66号を南進し、県道22号を快走する。このあたりは信号も少なく適当なカーブとアップダウンが続く。そして能見峠トンネルの手前に左から旧道が現れる。本日最初の目標地、野見坂トンネルを目指す。つづれ織りの部分が非常に狭くって、普通車でも対向できない個所ばかり。2001年に新道ができるまではこの狭い峠道がメインルートであったとは思いがたいほどの鎰路だった。

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野見坂トンネル
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野見坂トンネル内部(とりつきいver.2さんより)2017年6月


 やがて開けた峠にさしかかると、レンガ作りの野見坂トンネルが現れた。この峠道は明治中頃から開発され、昭和3年にこの野見坂トンネルが完成しバスも通れるようになったとされる。いかんせん100年前のトンネルはいつ崩落しても可笑しくない。数年前まではここも通ることができたが、新トンネルが開通してからは、リスクを残す必要ないのだろう、がっちりとフェンスで閉鎖されてしまっていた。
 とりつきいVer2さんのブログによると、1年前は通行できたことが分かる。昭和初期の主流だったコンクリート杭門ではなく明治大正の味わいをもつレンガ積み、長さは400mほどあって、素掘りやレンガ積みの天井を持っていたようだ。きっとこのフェンスが外されることは無いのだろう。もう少し前に訪れるべきだったと悔やまれる。

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南島町
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県道46号 南島大宮大台線

 南島の庁舎がある村落から大台町のある北に抜ける唯一の山越えが県道46号。地図で見てもクネクネ山道の険道であることが想像できる。峠近くには採石場もあるようで、その搬出するためのベルトコンベアが港まで続いている。県道46号の始点よりも西にあるベルトコンベアに沿って県道を上がってみることに。

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国見山鉱山ベルトコンベア

 国見山石灰鉱業株式会社が正式名称で、昭和9年より石灰石を採掘してきた。港までベルトコンベアが作られる前には国見山石灰鉱業専用線といって、2001年まで鉄道も引かれていた。今も鉄道跡は道路となっていたり、線路が残ったりして名残りを知ることができる。このベルトコンベアを横切るように林道が山の奥に続いている。


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南島大宮大台線


 尾根伝いに高度を上げて簡易舗装の1.5車線が続く。三重県の鎰路はガードレールを見かけないことが多いような気がするし、カーブミラーも少ない印象だ。ガードレールの無い谷側の走行は気が抜けない。フロントタイヤで大きな礫石でも撥ねた際には、ハンドル取られて谷に真っ逆さまなんて起こりえる話。谷にバイクごと転落したら、現場には転落した痕跡すら残らないだろうし、探しにきた人も転落場所を見つけることは絶対にできないだろう。

 転落した場所で助けを呼ぶには。。。携帯がつながればひとまず何とかなるだろう、人気があれば大声で叫ぶか、バイクのクラクションでも鳴らすか。映画「タイタニック」のワンシーンみたいに「ホイッスル」を携帯するのもいいかも。

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藤坂峠

 落石や折れた枝葉などを避けながら8km先の藤坂峠に到着。南島側は海が遠望できて深い切り通しになっていた。峠の先には峰を走る林道との交差点、これを右に回ると山頂の通信アンテナへ、これを左に取ると採石場に続くゲートが現れた。補強のされない林道の壁面は、すっかり崩れてしまい1車線しか残っていない。路肩の道路標示も半分以上埋まっている。

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県道46号 南島大宮大台線


 峠からの下り、切り返しのヘアピンが幾つも続き、どんどんと高度を下げてゆく。道幅も1〜1.5車線ばかりですれ違う場所も用意されていない。ヘアピンもこれだけ見晴らしがよくって、対向車が見えれば離合もなんとかなりそうな気がする。身軽なセローだから狭い山奥でも気にしなくてもいい。

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阿曽温泉

 里山の木屋までくると道はすっかりとよくなって、快調快走。前回の伊勢山奥ツーリングでは、「藤越」という峠を下ってこの木屋まで来ていたはず。大紀町への近道となる七保峠方面へ左折、さらに道はよくなって勾配も緩いために、七保峠は分からずに通り過ぎてしまうくらい。
 その先の阿曽には温泉があってそこで一服休憩。もちろんお湯に浸かることはないけど、今度家族で近くに寄ったら入ってみよう。来訪客も地元の人だけのようだから、静かにゆっくりとお風呂を楽しめそうだ。

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大紀南島林道

 この阿曽の部落から山に向かうと大紀南島林道とそのトンネルが待ち構えている。案内図が立っている林道始点がそれで、前回は時間切れで来れなかった所なのでワクワクして出発。しかし雲が多くって展望は全然期待できず、かつ陽が無いので肌寒い。

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 網掛山への登山ルートが記されており、ハイカー達も多いようだ。地図によると川伝いに西に進めばやがて先ほど超えてきた藤阪峠の県道46号線に抜けることが分かる。

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 林道とはいっても完全な舗装道路、ただし交通量が少ないためか、落石や枝葉の堆積が多くって走りにくい。特に落葉の堆積した中に礫石が潜んでいるとは知らずにハンドルを取られるのが最も怖い。反対に落石が多くっても、それがどでかくても、見えてる限りは避ければ大丈夫なわけで路上の石については怖くは無い。


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大宮紀勢トンネル

 やがて拓けた丘陵にトンネルがぽっかりと口を開いている。碑文を見て2000年に完成したトンネルだと分かる。この広大な山奥にかようなトンネルまで掘って、林道を新たに作った理由はなんであったろう? 東の藤阪峠、西の古和峠、錦峠、いずれも険しい山道であったから迂回するのも困難であったから? ウエブ上で調べてもこの大紀南島林道の生い立ちなどの記事は見当たらない。

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県道33号 古和峠

 古和峠も今回訪れる予定にしていたが、県のHPでは崩落による通行止めが続いているようだった。国道260号の分岐部には大型車通行不能などのお決まりの看板が立っていて、横には復旧工事のお知らせ。しかしどこに通行止めとは書かれていない。指定時間だけの通行止めなのか、日曜は休工しているのか、情報が不十分、、、峠まで距離があるので引き返すことになるのは辛い。今回はこの峠はパスすることに。

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国道260号の今昔

 さらに西に進んで次の目標地、錦峠に近づく。地図を見ているとこの錦峠の前後には峡路の山道が続いていることが分かる。旧道と新道、どんな風になっているのか興味が湧く。

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 整備されたR260号を東から進んでくると、紀州南島トンネルの手前に旧道の入り口がある。高架の国道をくぐってゆくと集落を外れて山道の旧道が始まる。分岐部にはこの先の棚橋トンネルは通れないとある。行かなきゃ分からないと先に進むが、国道とは思えないような峡路が続いている。

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棚橋トンネル

 新道を遙か左下に見下ろしながらどんどんと高度を上げて路は続いている。ずいぶんと走った感のある4km先にトンネルが現れた。隙間があるがクルマやバイクはお断りと意思表示されたフェンスに閉ざされて旧トンネルだ。噂には聞いていたが、ひどく細いトンネルで、国道の峠とは思えない規格だ。一度は通過してみたかった歴史ある棚橋トンネルであるが、2017年4月に閉鎖されてしまったようだ。

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隧道道さんより

 大正時代にこのルートが作られてこのトンネルは大正6年に完成。素掘りのトンネルであったのを、コンクリートで補強したり大型車が通れるように下部を補強したりとして、このような馬蹄形の細長い形になったようだ。幅員3mは5ナンバーのクルマですらストレスを感じながらの通過となり、10tトラックだと左右に30cmあるかないかの余裕しかない。昭和40年代に国道に格上げされて、この地域の大動脈であったはずだから、当時の離合の大変さは容易に想像される。

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紀勢南島トンネル

 通り向けられなかった棚橋トンネルを引き返し、2年雨に開通した新道のトンネルを通過する。急カーブも無くなって高規格な道路とトンネルで山を貫いている。向こうの錦町まで、旧道だと30分以上かかっていたものが、現在ではわずか8分。しかも離合の心配も無い快適な路。これで人や車の流れもずいぶんと改善されたのだろう。

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錦峠 旧R260号

 山を抜けた先には、錦町までの残りの旧道部分が存在する。これもトンネルこそ無いものの、わずかにセンターラインがあるだけの狭いクネクネ道だった。訪ねてみたが、ここもやはり旧道はフェンスで覆われて通過を拒んでいた。

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旧260号を望む

新道からは向こうの山肌を縫うように旧道が続いているのが見られる。棚橋トンネルもこの錦峠の旧道もこれまでの歴史を伝える文化遺産であるはずなのに、あっさりと閉鎖して廃道化してゆく。たまたまこの峠で地図を見ていたら、隣接する民宿の主が声をかけてくれた。小生が通過できない棚橋トンネルに向かうのではないかと心配してくれたようだ。しばし立ち話を頂き、なぜこれらの旧道が閉鎖されてしまうのか、答えを1つ聞くことが出来た。それは「不法投棄」だった。主曰く、漁師が多いこの地域では使えなくなった漁具や資材を山奥に捨てに来るのだという。なるほど、さもあり得ると納得した。

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棚橋南島大橋(建通新聞より)

 とにかく、この新道のおかげで地元の人たちの利便はかなりよくなったはずだ。しかしこれだけの道路整備には莫大な資金が投入されたのだろう。そして便利になった裏腹には、容易に地元を離れて便利な街に移り住んでしまう人たちを増やしているに違いない。不便で狭いながらも故郷で自己完結的に生活していたはずが、この路の完成で過疎に拍車をかけるという矛盾をかかえているのではないか。

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大紀町 錦湾

 できたばかりの新道を降りてくると「錦」の町並み、海が見えてくる。湾内に見える丸いものは「ハマチ」や「マグロ」のいけすだ。回遊するマグロなどのいけすは丸い形状が多い小さく見えるけどあれでも半径50mはあるそうだ。生憎の曇天、青い海を見ることができない。

さてお次は大杉谷に通じる秘境の千尋峠、そして万年工事で抜けることの出来なかった水呑峠に向かった。  続く。





# by akane8150 | 2018-05-22 22:48 | Motorcycles | Comments(4)

CoCo壱番屋 栄広小路の花壇 



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さくら工房さんより

 自宅から職場まで、毎日の通勤路、名古屋栄の繁華街メインストリートともいえる「広小路」を走っていると、毎朝中央分離帯の植え込みの管理している人たちを見かける。午前7時前の早い時間から植え込みの手入れをしているのにビックリするともに、車道に出て作業する姿に「クルマに撥ねられはしないか」心配したものだ。花壇の整備だけでなく、歩道や路肩のゴミ拾いにもくもくと取り組んでいる。後述する「初老の男性」も毎度見かける人物だった。

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 東新町から100m道路の久屋大通の栄までの約400m、中央分離帯の花壇が黄色の花で飾られるようになったのはいつからだろうか?もう、5,6年になるのかもしれない。市内でもこれほどに車道の花壇が管理されているところは無くって、たいていの分離帯は手入れのされていないつつじだったり、雑草がぼうぼうだったりが多い。

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 ちょっと前までは水仙も植えられていたが,今はビオラで統一されている。昨年の夏から秋は、ハイビスカスが植えられていてなかなか豪華であった。それにしても、いつも黄色の花たちばかり。しかも前述のように早朝からせっせと花の管理をしていて、市の職員には思えないし、、、。

こんな疑問を持っていた小生であったが、地方紙に取り上げられているのをたまたま読んで事の次第が分かった。

「私は毎日3時55分に起きています。「さあゴー、ゴー」です。おそらく早起きでは日本一でしょう。もっと早くに起きているという人があれば、私は負けるのが嫌ですから3時45分にします。努力すれば日本一になれる。日本一は気持ちいいものです。オンリーワンではなくナンバーワンです。毎日90分、町の掃除を続けているのも日本一でしょう。名古屋のメインストリートである広小路通の413mのグリーンベルトと南側の歩道の掃除をし、樹木の下の小さな花壇の手入れをしています。6時半から8時まで毎日やります。いろいろな人が入れ替わり立ち替わり手伝ってくださいます。昨年、1人だけ365日続けた方がいました。今年の12月で2000回を迎えます。なんでもいいからコツコツとやり続ける。経営でも大事なことは地道に積み上げることです。」 宗次徳二 カレーハウスCoCo壱番屋 創業者

まさにこの人物が早朝に掃除や花壇の世話をしている「初老の男性」であったのだ。


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喫茶 バッカス

夫婦で始めた喫茶店がココイチの始まり。奥さん手料理のカレーライスが好評で、カレーライス専門店フランチャイズのきっかけとなる。お客さんを大事にすることを心がけていたという。

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カレーハウスCoCo壱番屋 一号店旧店舗  名古屋 西枇杷島

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壱号店 西枇杷島店

俄然、興味が湧いた小生はココイチの始まりとなった一号店を訪れてみた。旧店舗は周囲の店舗と合わせて綺麗に整理され、広い駐車場を備えた真新しい西枇杷島店として店を構えていた。壁には「1号店」と銘打ったパネルが貼られていて誇らしげだ。

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壱番屋記念館

興味が湧いたのは隣接する「壱番屋記念館」だった。店舗の2階がホールになっていてココイチの歴史やこれまでの商品展開、グッズなどが展示されているらしい。しかし案内には「予約制、午後2時から4時半まで」とあり、生憎見学することは敵わなかった。予約制ってのが妙に敷居が高いが、いずれ人数を揃えて見に行ってみたい。

1978年に創業したココイチは2004年には国内1000店舗を数えるまでに成長し、2013年には世界で最も大きなカレーライスチェーン店としてギネス認定までされている。その中で、創業者の宗次氏は2015年に持ち株を含めココイチをハウス食品に220億円ともいわれる価格で売却した。

「私は壱番屋の経営に一切の未練や後悔はありません。株もハウス食品グループ本社に売ってしまいました。創業者なのに、なぜこれほど会社への執着がないのかといえば、現役時代にやり切ったからです。」宗次氏談


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宗次ホール

 中区の繁華街にある宗次ホール。2007年、私財27億円を投じてクラシック音楽専門のコンサートホール「宗次ホール」を建設した。ヴァイオリニストの五嶋龍や葉加瀬太郎にストラディバリウスを、宮本笑里にはドメニコ・モンタニャーナを貸与し、ヴァイオリニストのパトロンでもある。株式売却で手にした資産を基金として財団を作った。小生はクラシックには造詣がないので、このホールを訪れた事はないが、客席300を越えた本格的なモノであるらしい。

 さらに氏はNPO法人イエロー・エンジェルを設立し、「夢と目標を持って一つの事に打ち込んでいるいろいろな方々への支援。特に経営塾による創業支援、芸術家やスポーツ選手及び福祉、早起き、掃除の実践運動、福祉慈善活動の啓蒙等々。」と目標を掲げている。初めに取り上げた広小路の清掃や花壇の管理は、このNPOの活動であった。

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 1号店に入って遅めの昼食を取る。ビーフカレーにカツをトッピング、辛さは一辛、いつものオーダーだ。壱号店だからといって、接客は他店と変わりなかったしスペシャルな店員さんがいたわけでもなし。。。お味もこれまたいつも通りの美味しいものだった。でも、これがココイチの強みというか、教育された接客ということだろう。

 創業から一貫してカレーライス販売に取り組み、見事に成果をのこした創業者の生き様は感銘を受ける。生業を積んでいる小生も見習うべき部分が大ありだ。早起きは三文の徳と昔からいわれるが、確かに早起きした分だけ「何か」をすることが出来る。

かといって、小生がほうきとちりとりをもって、職場の回りを毎日掃除をして廻るってことは、かなりの難題だ。やれたとしても三日坊主は目に見えている。それよりも夜勤の病棟看護師たちにすれば、早く病棟にきて患者さんの報告を聞いてください!!っていうのが現実だろう。。。






# by akane8150 | 2018-05-17 22:32 | Life | Comments(4)

Jeep グランドチェロキー Limited 5 家族旅行 その2 那智大社 那智の滝 速玉大社


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あずまや


 せっかくの休みだからゆっくり寝てればいいものを、いつもの習慣で6時前には目が覚めてしまう。そのまま布団に入っていることは出来ず、皆を起こして朝食前の朝風呂に。寝起きの体で湯船に入ると、極楽、極楽、熱めのお湯でもうたた寝してしまいそう。朝食には毎度、温泉がゆと温泉湯豆腐が出てくるのも楽しみ。今日もスケジュールがいっぱいだから、化粧に忙しい家族を急かして、いざ出発。


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湯の峰温泉バス停


 不思議なことに、観光地の多くが大陸からの人たちであふれているが、この湯の峰には欧米人が多い。これは熊野古道が知られる前から、アメリカや欧米のバックパッカー達に愛されてきたからと聞く。新宮の駅まで行くバスが出てはいるが、朝8時台に一便あるだけ。なので、バス停にはすでにバス待ちの列が出来ていた。欧米人の目には、この古風な日本の温泉街がどんな風に映っているんだろう。


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那智大社 那智の滝


 GWではあるが、さすがにこのあたりでは渋滞とは無縁。広くて走りやすいR168を熊野川に沿って南下、新宮の街にでる。信号の多い街を抜けて、昔なら紀伊勝浦の町並みを抜けるところを、区間完成している無料の自動車道路をすいすい走って那智大社に到着。


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那智大社石段


 参道は遙か下から続いているが、おふくろのことを考えて拝殿近くまで上がることの出来る駐車場を利用した。参道を上がっているのが本来だろうけど、以外とこの駐車場の存在は一般に知られていないので、とっても便利。おまけに社務所の人が、置く炉を気遣ってくれて社務所のエレベーター(なんと5階建て)に導いてくれ、おふくろはまったく石段を上がらずに拝殿まで来てしまった。


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那智大社 拝殿


 社殿は鮮やかな朱の社殿は、屋根の葺き替え工事中のためすっかり見えなくなってしまっている。昨年から始まりあと1年かかるそうだ。この拝殿のむこうにご本殿が、熊野大社のように4つ並んでいるのだが、そこは立ち入れない領域。拝殿で一度参拝すれば、4つの神様すべてのお参りを済ませることができる。


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青岸渡寺



 那智大社のおとなりに仲良く並ぶ青岸渡寺、もともと那智の滝を中心にした神仏習合の一大修験道場だったが、明治初期に青岸渡寺と那智大社に分離した。古代の日本人はとても器用な人種で、古来の新教と渡来した仏教をうまくミックスさせてきた。青岸渡寺の本殿も台風で破損して雨漏りがするようになったために、今年いっぱいをかけて修復される。なかなか来られない観光客にとっては、修繕中の姿はきっと残念だったろうな。



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大クス 胎内くぐり



 那智大社の境内には大きな洞のある大クス(樹齢800年)があり、そこをくぐることができる。無病息災と兆長寿を願うことが出来るそうな。お札に祈願を書いて、ここをくぐり奉納する。狭いところが苦手な小生は辞退させて頂き、子供達が総代でくぐってきた。



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那智の滝


 那智大社のお参りを済ませ、次は那智の滝。鳥居から滝までは長い石段を下りなくてはいけないので、おふくろはクルマで待たせようかと思ったけど、ハッパかけたらがんばると言い出して。そんじゃ、のんびり行くべ。

 今日の滝は水量も多い気がして、かなりの迫力。霊験あらたかなこの滝の回りから、熊野三山が始まったとされ、奇岩、奇景を古代の人たちは神が住むところと崇めたのだろう。これは三輪大社や玉置神社、石倉神社などの社殿がない原始信仰、自然信仰と同じ。

この滝は「一の滝」とも言われ、この先の那智山中には修行の行場として扱われた那智48滝が続いているらしい。修業の場所で、かつ非常に険しい奥地なので、その所在も写真もなかなか出てこない。


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めはりずし 総本家めはりや


 新宮まで戻って丁度お昼時、家内がめはりずしを食べたいというので、総本家めはりやへ。幸いにも席が空いていてラッキー、我が家の後はすぐに行列になってしまった。よく味のしみこんだ高菜の葉っぱがご飯とマッチして美味しい。おでんや串揚げ、豚汁などもお勧めのようで、「お試しセット」がちょうどいい。お土産用に葉っぱとだし汁を買って自宅で再現したことがあったけど、大失敗。二重に葉っぱを巻いちゃったものだから、硬くて噛めなかった(^^ゞ。やっぱり、お店で食べる味には叶わないなあ。


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浮島の森


 沼地の池に浮かんだ泥炭の島が新宮の市街にある。約70m四方の大きさで島には天然杉を含めた森のようになっていて、遊歩道で見学ができる。浮島の規模としては日本一で天然記念物に指定されている。管理人の方が丁寧に島のことを解説してくれて耳を傾ける。飛び跳ねたら足下が揺れそうでなかなか面白い。


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徐福公園


 伝承によると、徐福は秦の始皇帝に当方にある蓬莱・方丈・瀛州に不老不死の霊薬があると具申し、命を受けて財宝と共に数千人を従えて秦から東方に船出したというが、その内蓬莱に当たるのがここ新宮とされていて、徐福はその後新宮に住み着いたという。ここに住み着いた徐福とその従者たちは大陸からの文化や農耕、捕鯨、漁業に関する技術を新宮の人々に伝え、ここ新宮の地で歿したと伝わっている(ウイキペディアより)。

 出雲や伊豆など全国に徐福伝説は残っていて、紀元前のお話だからどれも確証は残っていない。それにしても徐福という人はよほど日本のために尽くし、かつ親しまれたのであろう。さもなければ、こんなに日本中に伝説がたくさん残っているはずがない。



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神倉神社


 神倉神社は、熊野大神が熊野三山として祀られる以前に一番最初に降臨された聖地。天ノ磐盾という峻崖の上にあり、熊野古道中の古道といわれる五百数十段の仰ぎ見るような自然石の石段(源頼朝創建)を登りつめた所に御神体のゴトビキ岩がある。熊野速玉大社は、まだ社殿がない原始信仰、自然信仰時代の神倉山から、初めて真新しい社殿を麓に建てて神々を祀ったことから、熊野速玉大社は「新宮」と呼ばれ地名になった(観光協会HPより)

 前回、バイクで来た時にバイク用のブーツ姿で最上部まで登ってみたが。。。辛かった。今回は、おふくろも居るし下の鳥居から眺めるだけするはずであったが、体力自慢の次女が突然やる気モードになって。。。 ひとりで往復してくると言い出した。「時間計ってて」と言い残し駆け上がっていった。15分後に這いつくばるように降りてきた。頂上の巨石がすごかったこと、町並みが真下に見えてキレイであったこと、石段が急すぎて降りてくると転けそうになることなどなど、一杯話ながら帰ってきた。約千段の階段を(しかもここの石段は大きさも高さも不揃いで歩きにくい)上り下りしたことを考えれば素晴らしいタイムだ。






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熊野速玉神社


 熊野三山詣の最後、熊野速玉神社に着いた。ここは神倉神社からも近いしんぐうの市街地にある。石段もないのでおふくろも気が楽だ。イザナギ・イザナミを主祭神とし、合わせてアマテラス、スサノオが祭られている。この本殿内は撮影禁止の表示が見当たらない。そんなこともあって、三山の中では最も気さくな敷居の低い神社のように感じた(対して最も厳格なのは熊野本宮大社で、様々な注意書きはもちろん撮影禁止の場所が多かった。)。


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鬼ヶ城


 荒波に削られた大小無数の海食洞が、地核の隆起で階段上に並び、熊野灘に面して約1km続いている。災害で遊歩道も一部通行止めであったが、今回は40分ほどかかる遊歩道すべてが開通していた。おふくろをレストランに置き去りにして子供達と歩いてきた。土曜サスペンス劇場のエンディングで出てきそうな景観、きっと以前にもここでロケが行われたこともあろう。いかにも「マネキン」みたいなものが断崖を落ちてゆくシーンが想像できる。
 

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県立熊野古道センター


 尾鷲の町はずれ、海が見渡せる高台に立派な木造建築の熊野古道センターがある。パネル展示など内容はそれなりにあるので、立ち寄っても善いだろう。ここにも解説をしてくれる地元のボランティアの方々がいた。惜しむらくは、熊野古道を広報する目的で作ったのであれば、ロケーションがよくないと思う。もっと集客しやすい観光地、たとえば熊野三山の参道周囲とかにあれば、もっと周知されるだろう。今の現地はクルマしか手段が無くって、海外からの旅行者には不便だろう。

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鬼瓦 尾鷲


 開店早々の夕方5時過ぎに尾鷲の鬼瓦に到着、ここの煮付けが大好きだ。15年ほど前に主治医として治療を担当した患者さんからこのお店を教えてもらったのがきっかけだ。その患者さんは尾鷲の名士で、尾鷲に来たら是非寄るように言われていた。尾鷲は遠洋漁業の町、駅前の裏通りには小さなスナックや居酒屋が並び、昭和の港町の風情がたっぷりだ。


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煮魚定食
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まんぼうのフライ
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オニエビ


 煮魚、焼き魚、刺身、いずれも外れが無い美味しいモノばかり。お手軽な煮魚定食だと1000円、お刺身定食もそんなものだ。今日の煮魚は「クロムツ」、しっかりと身のつまった美味しいものだった。名古屋近郊で煮魚と言えば、せいぜいカサゴやメバル、クロムツなんて高級食材はでてこない。「ガスエビ」「オニエビ」などもお刺身で追加、頭ででっかちなオニエビは特徴的な形をしてるけど、味は甘エビよりも甘くて濃厚らしい

 マンボウもこのあたり独特の食材、水族館では時々観るけど、魚屋さんではあまりお目にかからない。ムニエル風にしたり、串焼きにしたり、マンボウのレシピがあるようだけど、今晩はフライで頂いた。食感はイカと白身の中間のような不思議なモノであった。

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 亀山〜鈴鹿渋滞迂回路 広域農道フラワーロード


 いよいよ帰宅に向けて尾鷲をまだ日が落ちる前の6時過ぎに出発。紀勢自動車道路に乗って一路名古屋を目指す。クルマは多いけど、流れは問題なし。しかし、毎度の上り、亀山〜四日市間の渋滞がすでに始まっていて思いやられる。
 渋滞の理由はシンプルで、伊勢自動車道、東名阪、新名神の3つの幹線が1つ東名阪になるわけだから、混むに決まってる。10kmから時に20kmほどの渋滞になることもしばしばで、道路標示では通過するのに1時間以上とでることも多い。まあ覚悟して渋滞の列に飛び込むこともあれば、迂回ルートに入ってあくせくすることもある。

 迂回ルートの1つに広域農道を利用したモノがあって、これは亀山SAのETC専用出口からスタート。工業団地内の広い道を抜けるとセンターライン付きのアスファルトも新しい広域農道に変わる。信号もまばらですいすい走ってゆくと、渋滞している新名神、東名阪を乗り越えてR306と交差する。鈴鹿ICに乗るにはこの交差点を左折して程なく走ればIC入り口になる。約20kmの距離ではあるが、最も渋滞する区間をピンポイントで抜け道ができて、あまり他人には教えたくないルートだ。フラワーロードと名称がついているらしい。もしも渋滞がさらに長い時には、このまま直進でフラワーロード、広域農道を使って四日市ICまで抜け道をすることができる。


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Geep グランドチェロキー limited


 家に帰り着くと21時過ぎ、休憩も渋滞を含め、3時間で尾鷲から帰ってきた。GWであることを考えれば、上手に走ってこられたはずだ。2日間でいろいろ立ち寄って観光してきたが、なにより85才のおふくろががんばって歩いてくれたこと、これには感謝だ。10年前は腰部の脊柱管狭窄症でしびれて歩けなかったが、積極的に手術をしてこれが奏していまの元気につながっている。みんな、おつかれさんでした。

 オイル漏れ騒ぎのグランドチェロキーは、すっかり完調となってオイルの臭いも煙もなくなっている。最終的な原因は左側のタペットカバーのシールから漏れであって、これを交換している。故障原因の正解に至るまでの道のりが、ディーラーの「お粗末」な対応だったことに悔やまれる。ちゃんと修理に取り組んでいれば、とっくの昔に治っていてもよかったはずだ。

 なにはともあれ、家族フルメンバーで旅行に行けたことに感謝、次女も学生生活をエンジョイしてもらいたい。しかしいつまで、こうやって家族全員で旅行に来られるのだろう。今も一緒についてきてくれる子供達にも感謝だ。




# by akane8150 | 2018-05-09 13:49 | Cars | Comments(2)

Jeep グランドチェロキー Limited 5 家族旅行 1 曽爾村 三輪大社 本宮大社 湯の峰温泉


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 次女の大学生活も始まったようで、勧誘攻撃に遭いながらどの部活を始めようかと悩んでいるようだ。世俗の人手不足の縮小版のように売り手市場になっていることは容易に想像できる。久しく家族旅行に行けていなかったから、家族には用事を入れないようにと釘を刺し、、、家族フルメンバーで一泊旅行にくりだした。宿泊先は皆が好きな「湯の峰温泉 あずまや」、この道中で行かなきゃ行けないところ、寄ってみたいところを拾い出してルートを設定。

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安濃SA


 自宅から宿まで280km。高速道路も使いながら、その2/3が下道であるから十分に時間もかかるだろう。皆をたたき起こしながら朝6時に名古屋の自宅を出発。もうすでに東名阪の四日市、鈴鹿あたりでは5kmほどの渋滞が発生していた。この勝手知ったる渋滞は上手に3車線を使い分けて最小時間で通過、渋滞情報ではあと1時間出発が遅れていたら、20km渋滞に飛び込むはめになっていた。その後の伊勢自動車道に入ってしまえば、クルマは流れ出すので「安濃SA」で名古屋から120km、1時間半、初めての休憩。朝ご飯としておにぎりやパンを手に入れて再び走り出す。


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曽爾村 屏風岩公苑


 久居ICで下道に降りて曽爾村を目指す。最初の立ち寄り場所はヤマザクラの植樹をおこなった曽爾村、小生ひとりだけの植樹であったので家族にも見せてやりたかった。空いた山道を快走し通年よりも早く桜が散ってしまった屏風岩公苑に到着。芽を吹き出したばかりの木々の緑が鮮やかで美しい。


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 植樹してから1ヶ月半が経過し、枝ばかりであったヤマザクラもあおあおと葉を茂らせていた。ちゃんと根も生きているようで凜として立っていてまずは安心した。鹿に食べられないように柵で囲われてはいるけど、この夏には柵も外されて枝葉が広がる予定だ。周囲の古木達は100〜130年を経たもので、いずれはこの木も負けないように育ってくれると期待したい。この娘達の孫、ひ孫の頃が100年後、つまりはこの子達がお婆さんになっているはずで、このヤマザクラの事をしっかりと次世代に語り伝えてほしい。


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屏風岩
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兜岳 鎧岳


 曽爾の町から見上げる屏風岩。のこぎりの歯のような山の端が印象的でその山腹に公苑が広がっている。屏風岩の北側にはそり立った岩壁と尖った頂きの2つの山がでーんとたっている。2ヶ月前は岩肌が露出していたけど、黄緑色の衣を着たように新緑で覆われていた。とっても記憶に残る姿なので訪れるたびにしばらく見入ってしまう。曽爾村からR369で西に向かい渋滞する榛原を避けてR166で三輪大社のある桜井へ向かった。


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三輪大社


 なにかお願い事があれば、なにはともあれ三輪大社。次女の大学合格のお礼に参上した。午前10時前にもかかわらず、参拝者で賑わっている。社が用意している駐車場は満車で車列が出来ているので、いつもの三輪駅近くの駐車場にとめる。最近は名古屋ナンバーのクルマも多くなったと駐車場の方からお話を聞いた。


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二の鳥居 参道


 鳥居をくぐって参道を進む。いずこの神社も砂利を踏みながら歩くとそれとなく厳かな気持ちになってよろずの神様のパワーを感じる気がする。長い石段も努めて上がることに意義を感じる。いわゆる三輪家の守り神、たしか厄年の時もここにきたっけ。

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巳の神杉


 拝殿前には「大幣」が置いてあったので、にわか神主になって家族をお祓い。祝詞など知るよしもないので、適当に?頭を下げてもらって大幣を振る。まじめに頭を下げている家族の姿が面白い。無病息災で家族がいること、次女の願いを叶えて頂いたお礼をしっかり祈祷した。境内には「巳の神杉」というご神木があって、大物主大神の化身の白蛇が木の根っこには洞に棲むといわれている。以前、次女の筆記用具を携えて祈願していたので、成就したことをお礼した。


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ほうじ茶アイス


 参道の酒屋で地酒を手に入れつつ、アイスタイム。小生は「ほうじアイス」なるものを初めて食べたが、さっぱりしていて味はまさに「ほうじ茶」、なかなか美味しかった。抹茶アイスがあるくらいだから、ほうじ茶アイスがあってもおかしくはないな。


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来来飯店 吉野神宮


 三輪大社から次の目標、谷瀬の吊橋にむけて出発。榛原市内は混むのがみえみえなので、県道37号で鹿路トンネルをぬけて南進。この路は混むことが少ないのでとてもいい。吉野川に出て混雑するR169を避けて、対岸の県道39号を西進して時間を稼ぐ。ほどなく吉野口、吉野神宮駅にやってきた。ここから吉野山にあがってゆくところで、2年前に転倒して肋骨を折った苦い思い出の場所。それにしてもここから自走して名古屋まで帰ったものだ。。。振り返っても右胸痛かったなあ。
 ちょうどお昼前になったので、前に来たときに美味しかった覚えのある中華料理屋さんで昼食。メニューも豊富で何食べようか迷ってしまうが、ボリュームも味もいい難じ。家族は初めてであったが評判良かった。夕飯は和食になるのでお昼くらいは違う系統の食事を選びたい。

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下市町商工会議所


 バイクで走るように裏道ばかり、さらにこの先もコンビニすらなくなる山に入ってゆくので、急遽下市の街道でトイレ探し。日曜にも関わらず、商工会議所がミニ道の駅みないなことをしてくれていて安堵。中では冷えたお茶まで出してくださり、気分良くした小生は杉のまな板まで購入してしまった。ここからは県道20号を快走し、あとは湯の峰までみちなりのR168にのった。


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谷瀬の吊橋


 十津川沿いの路はホントによくなった。蛇行する十津川を無視するように高規格なトンネルで山を貫いてゆく。やがて立ち寄りスポットの谷瀬の吊橋にやってきた。GWもあって、観光客でいっぱいで駐車場も待ちの状態。ならばとまずはクルマで吊り橋の対岸で家族を下ろす。皆が渡りきった頃にクルマで再び家族を拾うという作戦をとってみた。家内がとりわけ高所に弱いので、遠くから見ていてもかなりびびって歩いているのが分かった。話では相当に揺れたようだ。20名までと制限されているのに係のおじさんは制限関係なく通行させていたと家内は文句を言っていた。引き返そうと思ったようだが、そこにはクルマがあるはずもなく、決心して渡りきったそうな。

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道の駅 十津川郷


 本宮大社まであと30kmほど、十津川の道の駅で最後の休憩を取る。三輪大社からここまで約90kmの道のりを2時間半でやってきた。ここも駐車場がクルマが満車、平生は静かな所なのに流石にGWの人出はすごい。谷間の山々の緑がさわやかだ。葉を落とさない針葉樹の濃い緑と若葉の黄緑色のコントラストが美しい。これから6月頃までは、緑がうっそうとしてお山の最も力強い季節。


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熊野本宮大社


 熊野三山、最初のお参りは本宮大社で予定通り午後3時、自宅を出てから270km、9時間の道のりでたどり着いた。参道近くの社の駐車場は既にいっぱい、参道近くで家族を下ろし河川敷の臨時駐車場にクルマを止める。拝殿までまっすぐ156段の石段が続いていて、健常な小生も途中でひと息つきたくなる。膝の悪いおふくろには、本日最後の試練。毎度、長女が付き添ってくれるため、小生はその後尾を「落ちてきてもいいように」続く。

このお宮の縁記は。。

天火明命あめのほあかりのみことは、古代、熊野の地を治めた熊野国造家の祖神です。天火明命の息子である高倉下たかくらじは神武東征に際し、熊野で初代神武天皇に天剣「布都御魂ふつのみたま」 を献じてお迎えしました。時を併せて高御産巣日神たかみむすひのかみは天より八咫烏やたがらすを遣わし、神武天皇を大和の橿原まで導かれました。第十代崇神天皇の御代、旧社地大斎原のいちいの巨木に、三体の月が降臨しました。天火明命の孫に当たる熊野連くまののむらじは、これを不思議に思い「天高くにあるはずの月が、どうしてこのような低いところに降りてこられたのですか」と尋ねました。すると真ん中にある月が「我は證誠大権現(家都美御子大神=素戔嗚尊)であり、両側の月は両所権現(熊野夫須美大神・速玉之男大神)である。社殿を創って齋き祀れ」とお答えになりました。この神勅により、熊野本宮大社の社殿が大斎原に創建されたと云われています。(熊野本宮大社HPより)
 撮影禁止の拝殿内には4つの社殿があり、第一殿 熊野牟須美大神、事解之男神 第二殿 速玉之男神 第三殿 スサノオ 第四殿 天照大神が祭られている。スサノオ(素戔嗚尊)の子、大国主神は三輪大社の主祭神であり、熊野大社と三輪大社の繋がりもおもしろい。三本足のカラス、八咫烏がこの大社のシンボル、日本サッカー連盟のエンブレムにもなっている。


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湯の峰温泉


 温泉が大好きな小生、数多の温泉の中でも、この湯の峰温泉は別格。なんだかんだと家族を連れてやってきている。硫黄泉のよさ、静かな佇まい、お宿の雰囲気、リピートしたくなる要素がつまっている。
 「湯の峰温泉は四世紀ごろに熊野の国造、大阿刀足尼(おおあとのすくね)によって発見され、後に歴代上皇の熊野御幸によってその名が広く知られる様になりました。開湯1800年。日本最古の湯として愛される湯の峰温泉は、今も昔ながらの温泉情緒を残し、湯の町の風情を感じる事が出来ます。古の人々は熊野詣の旅の途中、湯の峰で湯垢離を行い、聖地での禊ぎと旅の疲れを癒しました。日によって七回も湯の色が変化するといわれている天然温泉の岩風呂「つぼ湯」は参詣道の一部として世界遺産に登録されています。」(観光協会HPより)


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湯の峰温泉 あずまや


 宿泊する「あずまや」は江戸中期から(約300年前)から、面々と続いてきた老舗旅館。夕方には玄関に草履番が立ち、純和風の伝統を守っている。白木のモダン和風な旅館も流行であろうが、小生は「寂び」の風情たっぷりのこの宿が大好きだ。


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 何が良いって、この風呂場の味わいが小生には堪らない。物心ついたころから家族に連れられて、この宿を使ってきた。玄関回りも、この風呂場もその頃からまったく変わっていない。主に聞けば、60年ほど前に手を入れたまま、いまもそのままだと言う。浴槽の檜も朽ち始めて薄く削がれてきた、湯くちからの石灰成分の堆積も時間を感じさせる。幼い頃の記憶、そのままに今も小生が同じ湯船に浸かることができる有り難さを思って、時間を忘れてお湯を楽しむ。



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湯の峰 湯筒


 お宿のお湯にどぼんと浸かってから、夕飯前に共同風呂前の90度のお湯が沸き立つ「湯筒」に出向く。売店で卵を買って、これにつけておけば12~13分で美味しいゆで卵の完成。回りには、海外からの人たちも多く見かける。熊野古道の世界遺産に登録される以前から、この湯の峰は海外のハイカー達から注目を集めていたようで、アジアよりもアメリカ、欧州の人たちが多いことに気づく。それにしても、この湯の峰温泉の良さを遠く彼方の海外の人たちが理解して、交通不便なこの地まで訪れていることに感嘆する。J-Hoppers という海外人向けのゲストハウスもできてますます賑わって欲しい。


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 二間続きのお部屋が用意されていて、気の良い仲居さんに準備してもらい揃って乾杯。小生はいつものお父さん席に陣取って、家族が楽しく食事をする姿で満足、満足。今日もいつものようにハードスケジュールであったが、おふくろを始め無事に参拝を終えたことに感謝。また明日も、みんなで走るよ〜〜




# by akane8150 | 2018-05-04 20:41 | Cars | Comments(4)

GL1200サイドカー 10 九州の旅 その5最終回 道成寺 和歌山ラーメン


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九州の旅 最終日の行程
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明石大橋


 上り神戸行き阪九フェリーは、8時30分に神戸に着岸の予定。うって変わって最終日の今日は快晴、朝食後にデッキに上がってみると、やがて明石大橋の下をくぐる場面がやってくる。アナウンスされた乗客もカメラをもって上がってきた。でっかい構造物がぐんぐんと迫って、真上を通り越し今度はどんどん遠ざかってゆくシーン、スピード感があってすっごく迫力、カメラでは表現できない。

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神戸港

 12時間の船旅も神戸に到着でおしまい、本州に帰り着いた。昭和の頃はこの近くの魚崎にフェリー乗り場があったのを覚えている。出発地についても、当時は小倉だったから関門海峡を船は毎回通過していたことになる。


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トラックデッキ


 さんふらわあ「あいぼり」が 9200t 、阪九フェリー「つくし」は 13300t と2廻り以上もでかく、トラックデッキもレーンが多い。車両同士の隙間も最低限、前後もぴったりで隙間なくトラックが詰め込まれている。最上フロアから車両甲板までメット、荷物を担ぎバイクの装備でながーい階段を降りるのは一苦労。実質5.6階立てのビルを上り下りするするくらい。


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六甲アイランド
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泉大津PA


 六甲アイランドに降り立ち、今日の第一目的地の京奈和自動車道路「紀ノ川PA」に向かう。同じMT-01乗りの仲間、Ripさんと合流して、和歌山近辺を走りに行く予定なのだ。阪神高速湾岸線で神戸から一気に和歌山目指すけど、どこかで休憩がしたいがなかなかパーキングが現れない。50kmほど走ってやっと泉大津のPAに滑り込んだ。


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道成寺駐車場


 紀ノ川PAには予定通りの時間に到着。すでにRipさんは待っていてくれた。ここからは2台で走行開始、これまでソロだったからなんだか心強い。Ripさんは岸和田にお住まいで小生よりもちょっとだけ先輩の、とても面倒見のいい御仁だ。関西に潜むMT-01の定例?ツーリングを毎度開催してくれているのもRipさんだ。Rip号は小生と同じ後期型、シルバーのフレームにオレンジの塗色が軽快な感じがしていいな〜。今日は不案内な小生のために同行してくれたのだ。頼りになります。



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道成寺石段


 道成寺の正面には、62段の石段があって昔から「のぼりやすく、おりやすい」と言われるそうだ。石段の高さや幅などに秘策があるのか、旧国鉄の技術者が測量に来たこともあったが、何も得ることが無かった。この石段には「錯覚を利用した視覚上の秘密があって、左右の土手の幅は平行でなく、奥が広くなっていている。これによって石段を上がる人からは、実際よりも石段の奥行きが短く感じられ、階段を上がるストレスが小さくなるという寸法だ。(道成寺ホームページより)



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道成寺本堂


 和歌山県最古の寺、天音山道成寺は大宝元年(701年)に創建された。講堂のご本尊として千手観音像(奈良時代・重文)が祭られているが、この観音様は、日本で最初か二番目の千手観音様で、1300年が経過している。。


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安珍・清姫伝説


道成寺は安珍・清姫伝説でもよく知られている。その次第が以下の伝承だ。
 時は後醍醐天皇(926年)、東北より熊野に参詣に来た大変な美形の僧侶がいた。中辺路の娘(清姫)は宿を借りた安珍を見て一目惚れ、女だてらに夜這いをかけて迫る。安珍は参拝中の身としてはそのように迫られても困る、帰りにはきっと立ち寄るからと騙して、参拝後は立ち寄ることなくさっさと行ってしまった。騙されたことを知った清姫は怒り、裸足で追跡、道成寺までの道の途中で追い付く。安珍は再会を喜ぶどころか別人だと嘘に嘘を重ねて逃げ出そうとする始末である。ここに至り清姫の怒りは天を衝き、遂に蛇身に化け安珍を追跡する。

 日高川を渡り道成寺に逃げ込んだ安珍を追うものは、火を吹きつつ川を自力で渡る蛇の姿である。仕方なく梵鐘を下ろしてもらいその中に逃げ込む安珍。しかし清姫は許さず鐘に巻き付く。因果応報、哀れ安珍は鐘の中で焼き殺されてしまうのであった。安珍を滅ぼした後、清姫は蛇の姿のまま入水する。

 蛇道に転生した二人はその後、道成寺の住職に現れて供養を頼む。住持の唱える法華経の功徳により二人は成仏し、天人の姿で住持の夢に現れた。実はこの二人はそれぞれ熊野権現と観世音菩薩の化身であったのである、と法華経の有り難さを讃えて終わる。(道成寺ホームページより)



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娘道成寺


 安珍・清姫伝説は形を変えて、歌舞伎舞踊の人気の演目「娘道成寺」となっている。伝説の後日談?、清姫の化身となった白拍子が新しく奉納された鐘の上に再び大蛇となって現れるという筋書き。日本舞踊を習う人たちの「娘道成寺」を舞う自身の写真が本堂にたくさん奉納してあった。


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道成寺 二代目の鐘


 道成寺の初代の鐘は、平安時代に安珍と清姫の事件で焼かれて消失。二代目の鐘は、天正13年(1585)の雑賀攻めの時に持ち去られ、その2年後に京都の妙満寺に奉納された。以来、道成寺には釣鐘は残されていない。絵巻物や能楽で有名になったために紀州から持ち去られてしまったわけだ。(道成寺ホームページより)


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入相桜


 本堂の脇の桜は、江戸時代の「紀伊国名所図絵」にも出てくる桜で、三十三本の支柱で支えられ、六間(約10メートル)離れた本堂の縁側まで枝が届くといわれた大木であった。道成寺では、釣鐘がなくなった後、鐘楼の跡を踏み荒らさないように桜が一本植えられたと言われている。夕方になり、「ああ、本当なら入相の鐘を打たねばならないのに」と思いながら僧侶達が見上げるうちに、その桜はいつしか入相桜とよばれるようになった。(道成寺ホームページより)


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日の岬 RipさんとRip号
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日の岬


 日の岬は、紀伊半島の西端に位置し、紀州灘と太平洋を望む高台にある。紀伊水道を見下ろす眺望はすばらしく、その夕陽は和歌山県の朝日・夕陽100選に選ばれている。Ripさんに連れられてこの岬のことを知った。Ripさんのお話だと地元ライダー達の冬期ツーリング先に使われるそうだ。同じように愛知も冬の間は比較的温暖な三河湾周囲しか走りに行けない。


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さんふらわあぱーる


 日の岬からくねくね海沿いを走ると由良の入り江にさしかかる。見慣れたさんふらわあマークのフェリーが係留されているのを見つける。さんふらわあの神戸 - 大分航路に就航していた「ぱーる」が昨年末のエンジン故障でずーっと欠航中だ。そっか、こんなところで修理しているんだ。


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白崎海洋公園


 太平洋にのびる群青の海と、太陽に照らされて白く輝く海岸線。”日本のエーゲ海”とも称される海岸は、地球の変動が生み出した太古の石灰岩の異様に白い岩肌が珍しい。セメント原料になる石灰岩、こんなに純粋なのによくも採掘の対象にならなかったものだ。伊吹山や藤原岳は石灰採取のために無残な姿になっちゃった。
 南からのアプローチはまだしも、北に抜ける海岸線の道路はかなり狭い。クルマの離合が困難なクネクネが続いていて、初心者のライダーを連れたマスツーリングだったら気を遣うだろうなあ。


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和歌山ラーメン 泉南 泉善 


 Ripさんとの最終目的地は和歌山ラーメンのお店。和歌山ラーメンを食したいとお願いしてあって、ここに連れてきてもらった。看板には「和歌山ラーメン」なんて一言も書いていない。「中華そば」、良いじゃないですか(^^)。

 メニューも基本、中華そばだけのシンプルさ。@@系とか、和歌山ラーメンにはあるそうだが、名古屋人には区別が付かない。それよりもテーブルに置かれた「早寿司」「巻き寿司」「ゆで卵」が和歌山ラーメンらしさを感じる。ラーメンにお寿司とは、この地方の当たり前らしいが小生には新鮮。早寿司を2つも食べて和歌山を実感する。中華そばは豚骨醤油の細麺でお味がしっかりしていて旨い。Ripさん、ありがとう。これで和歌山の〆ができました。

 道に迷わないようにと近くのIC入り口までエスコートしてもらい解散。バイク同士の流れ解散って、手を振り合ったり、クラクションならしたり、一瞬でおわってしまうけど毎度素敵な場面だと思う。



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岸和田SA


 再びソロとなって、あとは一気に名古屋まで。まだ200kmはあるので岸和田SAに立ち寄ってガソリンを✓。GLのガソリンタンクらしく見えてるところは、物入れとエアクリーナーになっている。タンクはシート下にあって満タンで22L,、リザーブがなんと5L 。このようなツーリングだと13〜15km/Lの燃費、満タンで200kmをそろそろ越えるとリザーブになることを考えないといけない。
 バイクのリザーブ容量はおよそ50kmは走れる設定で作られている気がする。たとえば、MT-01がリザーブ3L で燃費20km/L、セロー250がリザーブ2L で燃費30km/L 。対してGLのようなツアラーはもう少し足が長く考えられているのか。アメリカ大陸のようなところだと、100kmさきまでガソリンにありつけないなんてあり得るだろうから。


 この旅では7回の給与を行ってきたが、各地のガソリン単価にも違いがあって面白い。ハイオクを用いたが、最高値が167円の長崎小浜、最安値は150円の熊本市内。やはり地方に行くほど高くなり、都市部では競争のためか安くなる。ただし、高速道路のSAは例外で概ね価格設定が高くって、敢えてSAのスタンドを使う必要はないだろう。

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御在所SA


 岸和田から鈴鹿周囲の自然渋滞を乗り越えて、ノンストップで三重県御在所SAまで走った。もうここまで来れば家に帰ってきたようなもの。いつものバイク用駐車場にとめてしばし休憩。1年後?には新名神が四日市から亀山まで開通して長年続いてきたこの場所の渋滞も解消されるだろう。そうすれば、名古屋から関西方面に向かうときに潜在的なストレスが減って、三重のゴルフ場に向かうクルマが増えたりするかもしれない。


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はぎ取れたくまもん


熊本で貼り付けた「くまもん」、屋内用であったのか、くまもんはどっかに行ってしまった。

 今回の走行距離1250km、往復ともフェリーを利用したので思いの外、少なかった。見切り発車で旅立った東北では、メジャーなトラブルも出て苦労したけど、少しずつ手をかけてきた甲斐もあって今回の九州で元気にGLは走ってくれた。走行の楽ちんさ、荷物を気にせず搭載できるところなど、GLサイドカーはロングツーリングにとてもいい。日帰りツーリングでクネクネを堪能するにはMT-01、泊まりの旅にはGLといった使い分けが定着しそうだ。

 さて、次はどこへGLを連れて行こう? 久しく訪れていない壱岐対馬か、佐渡島、それとも能登半島1周などなど、考えるのが楽しみだ。



# by akane8150 | 2018-04-18 08:27 | Motorcycles | Comments(8)

GL1200サイドカー 10 九州の旅 その4 緑のトンネル雲仙鉄道 元祖長浜屋 関門橋


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九州の旅 4日目の行程
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雲仙 湯元ホテル


 今日もいろいろ寄りたいところがあるので、7時からの朝食は一番乗り。いつもの習慣か、6時には目が覚めてしまうので、朝風呂ものんびり味わった。親しくなったフロントマンがお見送りと写真を撮ってくれた。「また、来ますからね〜。」 天気は雨雲がときどき流れてゆくので、いつでもカッパを出せるようにして出発。


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 雲仙ゴルフ場


 7,8年前にここでプレーしたことがある。1913年(大正2年)開場した雲仙ゴルフ場は手作りため、フェアウェイですら凹凸のある自然たっぷりのコースだった。キャディを付けなかったのでラフではもちろん、フェアウエイでさえボールを見失ってばかりだった覚えが。ワイルドな味わいで面白かったな〜、ボール幾つ無くしたんだろう。


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天使のはしご


 島原へ降りてくると島原湾が見渡せる。ちぎれた雨雲の切れ間から太陽光が柱のようになって、一部分の海面を照らしていた。気象用語では「薄明光線」と言われ、一般的には「天使のはしご」光芒」と呼ばれる。神秘的な景色だけど、雨雲が厚くって天気が不安定なことを示している。


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旧大野木場小学校


 雲仙普賢岳の平成3年(1991)の大噴火によって、近辺の民家153棟もろとも被災した「旧大野木場小学校」の校舎。いまも当時の災害を伝えるためにそのままの痛々しい姿で残されていた。児童などは避難しており人的被害はなかったが、校舎は400度ともいわれる火砕流で焼かれ、運動場の砂が熱で蒸発してしまった。特に6月3日の最大規模の火砕流では43名の命が奪われた。30年経った今は、周囲には畑や住宅がひろがって、ここで大惨事が起きたとは思えない。


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口之津港 島鉄フェリー乗り場


 雲仙の宿を出てからは、島原経由で左に海を見ながら南下する。この日のメインは「天草」巡りで、とても楽しみなルート。学生時代に来た覚えがあるだけで、今回はじっくり観光しようと考えていた。

 島原でゆっくりしすぎた事もあり、時間が押していた。フェリーに乗る時っていつも時間に追われているような気がする。気をもみながら15分前に乗り場にやってくると・・・
 フェリーは着岸しているが、待機するクルマの姿が皆無でゲートにはロープまで張られている。おかしいなあ? レインコートを着た係員が「欠航です、午後もどうなるか分かりません」って教えてくれた。「え〜〜っ」てな感じで路頭に迷う。波浪のために欠航のようで、ほかに天草へ迂回するルートもない。

 しばし思案。夕方には新門司に着けばいいから、どこかを回って行こう。平戸方面は4年前に巡ったし、佐賀方面は今ひとつ興味がわかない。阿蘇や別府はもういいし。。結局、太宰府・博多・門司あたりを巡っていうことにした。



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加津佐 岩戸山
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加津佐道路公園
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南串木 西浜
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雲仙鉄道 緑のトンネル


 天草湾を左に見ながら、北上する。途中には「加津佐」「南串山」など荒々しい海岸線や段々畑がひしめく丘陵が続く。やがて華やいだ温泉街の小浜に戻り、これで朝から島原半島を半周回ったことになる。

 国道沿いに「緑のトンネル、温泉軽便鉄道」って、とても気になる案内があったので寄ってみると・・・海に沿って緩やかにカーブを描きながら1,5車線の舗装路が続いている。ながーい切り通しの直線に差し掛かって、なるほど合点がいった。いかにも鉄道跡の風情に木々や蔦が天井を被うように茂っている。まさに「緑のトンネル」、真夏にもなると下のようなうっそうとした木々に囲まれてますます美しくなる。


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小浜温泉観光協会より
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 鉄道規格の細長いトンネルも幾つか残っていて、廃墟マニアも気になる遺構だろう。道路幅が狭くで待避カ所もとても少ない。対向車が来ないことを期待しつつ、でもついに軽自動車と鉢合わせ。GLサイドカーの車幅は1.7mあって、Zロードスターとほぼ同じ、対向車は軽自動車だけどすれ違いは不可能。身振りで合図して後ろに下がってもらうことに。運転する女性は。ふらふらしながら50mほどをバックしてくれる。

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100年前の蒸気機関車 (千々石(ちぢわ)deその日暮らしさんより)


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肥後小浜駅(歩鉄の達人さんより)

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ふるさとの蒸気機関車さんより


 雲仙鉄道は大正末期の温泉軽便鉄道と小浜地方鉄道がつながってできたもので、長崎から小浜温泉へ通じる観光や物資の輸送目的で作られた。しかし、小浜温泉街まで線路が入っていなかったこと、自動車の普及などで20年も経たずに戦前に廃止されている。この線路跡は今は県道201号線となって、住民の生活路となっている。通りすがりの小道ではあるが、なかなか見応えも有り、後学の甲斐のある雲仙鉄道であった。


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千々石展望台



 天気予報では雨は上がると言っていたのに、時折どばーっと降ってくれる。今日もカッパと長靴のお世話になっている。こんな姿でも、トイレはもちろんドライブインや観光地にも普通に入っていけてしまう。だんだんと恥ずかしさも薄れ、利便性だけを追求している。



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太宰府天満宮


 予定変更を決めた口之津のフェリー乗り場から小浜を経て諫早ICから九州自動車道にのり、120km先の太宰府に到着。ここに寄るのは3回目。人が多いので好きなところじゃないけど、天草に行けずほかに思い浮かぶ所が無かった。。娘の受験合格のお礼と旅の安全をお祈りした。いやはや、ここも大陸からの人たちが多すぎる、参拝者の半数以上が外国人のよう。


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元祖長浜屋


 麺類が大好きな小生は、遅めの昼ご飯のためだけに博多市内に向かった。「一蘭」「一風堂」などのメジャーなお店は名古屋でも食べることができるが、長浜ラーメンといえばこのお店が思い浮かぶ。長浜にはいくつもお店があって、どこに入るか迷ってしまうだろう。
 今の新店舗よりも、交差点の角地にあった頃のぼろい店舗のほうがそれっぽくて良かった。その頃は24時間営業していたはず、今は朝6時からで客層も変わってきたからだろう。食券かって店に入ると座る前に、「固さは?」と聞かれる。「はりがね」とお願いしたが、ほとんどの客が「カタ」「ナマ」のいずれかのオーダーだった。名古屋なら「粉おとし」が「ナマ」といっしょだろう。んっじゃ「はりがね」というのは地元では使われないのだろうか??
 替肉を追加したけど失敗、もともと長浜ラーメンはしょっぱい味わいだと思っているのだけど、替肉自身の塩分が増してしまってかなり塩辛くなってしまった。それでも、本場の長浜ラーメンを食して、博多に寄った実感をする。


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門司港
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門司港レトロ 旧門司税関


 お腹がふくれたところで、時間の余裕も有り 関門海峡ミュージアムを観たくって門司港あたりをうろつくことに。門司港は、明治から昭和初期にかけて建築された趣のある建物が今でも残っていて、門司港レトロとして人気の観光地となっている。 到着したのが4時過ぎで閉館間近、、、急いで駐車場にとめたら警備員がやってきて、「関門海峡ミュージアムは閉館中ですよ」とのお言葉。。。この4月から1年以上にわたって耐震工事をするそうだ。何かとこの日は予定通りにいかない。。。


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関門橋

 長大な橋梁として当時日本最長であった関門橋、真下から見上げるとその大きさに感動。高速道路だけがここを走り、山陽本線、国道2号線、山陽新幹線は海底トンネルをくぐってゆく。海底トンネルには歩行用のものもあって、人や自転車、手押しの原付は歩いて海峡を越えることも出来る。


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和布刈(めかり)神社



 関門橋の下、海峡の岸にあるお宮。めかりとはわかめを収穫すると言う意味で、旧正月の未明に宮司が神社前の海に入ってわかめを刈り神前に奉納するという神技が行われる。神功皇后、足利尊氏、壇ノ浦の平家など歴史の深いところ、それにしても海峡を流れる海流の勢いはすごい、まるで川だ。



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新門司海浜公園


 フェリー乗り場には19時頃には着けばいい、まだ時間をもてあましていたので堤防にバイクを停めて景色を眺める。明かりをともした貨物船など周防灘を行き交う船が遠望に、九州の旅もほぼ終焉で無事に走ってこれたことに感謝だ。


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阪九フェリー 新門司港


 いよいよ阪九フェリーの新門司港に到着。往路はさんふらわあ 復路は阪九フェリーと使い分けだ。この新門司のフェリー乗り場はなんか場違いのような豪華な外観、奈良時代の平城京の大極殿を模した造りで、バブルの頃に作られたそうだ。


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阪九フェリー つくし


 学生の頃から九州へ行くときはいつも阪九フェリーだった。長距離トラックを運ぶためのフェリーっていうのが「阪九フェリー」のイメージで、「名門カーフェリー」や「さんふらわあ」は旅行者向けの印象だ。レストランについても、阪九フェリーはカフェテリア式で、さんふらわあなどはバイキング形式であることも興味深い。トラックドライバー達が毎回バイキング形式で食事を取るとは思えないからだ。

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 食べたかった皿うどん、ビールのおつまみなどで、船上での食事はそれなりなお値段になってしまう。運賃競争で大変な船会社はこういったところで儲けないといかんのだろう。ともあれ、生ビールもいつものようにおかわりして九州とさようならだ。


その5に続く





# by akane8150 | 2018-04-16 21:09 | Motorcycles | Comments(2)

GL1200サイドカー 10 九州の旅 その3 長崎吉宗 軍艦島 小浜温泉


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九州の旅 3日目の行程

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千々石海岸


 雲仙を出発した8時頃はまさに土砂降り、強風で台風の中を走るようだった。シールドの水滴は流れるように滴り、吹き返す雨は顔をぬらす。長崎までの60kmは、途中1回の休憩だけでひたすら辛抱の走行。前回の東北も雨にたたられたが、今回はカッパを新しくしたので「おしり」が濡れることもなく長靴も雨も寒さも防いでくれた。


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長崎港


 R34号でトンネルと抜けると長崎の町、斜面に張り付くように民家がならぶ景観に長崎を感じる。路面電車のレールや走行に気を遣いながら、長崎駅、出島とメインストリートを抜けて大浦天主堂にやってきた。


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長崎市松が枝駐車場


 前もって屋根のある駐車場を探しておいたので、立体駐車場の市営松が枝駐車場にバイクをいれる。クルマ扱いの料金でバス駐車場に駐車するように指示される。雨のツーリングでは屋根があるとホントに助かる。カッパを脱ぐのも着るのも、荷物を広げるのも、濡れたカッパを干しておくことも気軽に行える。


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大浦天主堂


 長崎の町に入ったあたりから雨が小止みになって、散策の頃には傘要らずになる。グラバー通りの坂を登ってゆくと正面に大浦天主堂が見えてくる。築150年、日本で最も古い洋風建築で国宝とされる。教会のベンチに座ってしばし案内放送に耳を傾ける。ステンドグラスはこじんまりとしているけど絵柄の細かさ、重厚さは歴史の重みを感じる。


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グラバー園


 天主堂の裏口を出るとすぐにグラバー園とつながる。大学生の頃から何度も訪れたはずであるが、港を見下ろす景色くらいしか印象に残っていない。前回、家族できたときには皆既日食をこの庭で遭遇したはずだ。動く歩道などなどもあって園内はそれなりに広い、そしてどこからも港が見下ろせてきれいなところだ。しかし、歴史的建築物はペンキが剥がれ、柱の木は虫食ってかなり傷みが目立つ。全国的に名の通った観光地なのだから、もうすこし維持管理をしっかりしてもいいんじゃないかなあ。


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浜町 吉宗


 長崎に来たら寄ってしまう「吉宗」でお昼ご飯。長崎といえばちゃんぽんだろうけど、知人に勧められて通うようになった。このお店は1866年(慶応2年)、茶碗蒸しと蒸し寿司専門で開店したのが始まりとされる。現在の味わいある建物も昭和2年に建てられた由緒あるもの。暖簾をくぐると下足番が迎えてくれ、下足札を2枚「パチン」と拍子木のようにならすと、階上の女中さんが「いらっしゃーい」と席に案内してくれる。これも昔からの作法なんだろう。


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角煮


 長崎のグルメのひとつ「角煮」。日本で唯一海外へ開かれた貿易港の長崎に中国から伝えられたとされる「東坡煮」を日本風にアレンジされたのが長崎角煮の発祥らしい。皮付三枚肉と呼ばれる豚肉を使用し、醤油 砂糖 清酒 味醂 生姜で甘辛く煮込んだ純和風の料理。パン生地でくるんだ「角煮まん」は食べ歩きのアイテム。


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御一人前


 普通のどんぶりより一廻り小さな「吉宗」オリジナルの器にたっぷりと注がれた茶碗蒸しと蒸し寿司(三色丼)がセットになった看板メニュー。品書きの「御一人前」っていうネーミングも面白い。茶碗蒸しが大好きな小生には、たっぷりの器で頂く事に幸せを感じる。硬すぎず柔らかすぎず、お出しのしっかり効いた茶碗蒸しの玉子、優しい酢飯の上に鮮やかな三色の具が彩りあざやかだ。玉子、でんぷ、そぼろにした穴子が味わいを出している。贅沢な料理では無いけど、小生は長崎に来たら外せない料理だ。


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石橋行き 長崎路面電車(長崎電気軌道)


 名古屋もかっては路面電車がくまなく走っていて、「市電」と呼ばれ親しまれてきた。対して長崎市内は路面電車が今も現役で、黒字を出すほどの活躍をしているとか。大正3年の開業から「長崎電気軌道」として企業が運営してきて、地元では単に「電車」と呼んでいるらしい。100年以上も同じ企業が運営しているのもすごい。


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降車ボタン



 帰りは、タクシーの運転手さんに教えてもらって路面電車に乗ってみた。どこから乗ったらいいのか、お金は最初か、後か、などなど分からないことだらけだったが、ホームに並んだ親切なおばあちゃんが教えてくれた。

 どこまで行っても120円、降りる際にワンマンカー運転手さんの横の投入口にぶち込むわけだ。電車の加速はなかなか、減速はかなり急だ。交差点での路面電車用の「黄色い矢印信号」が珍しい。降りるときのブザーはむかーし見たままの形、押す時にドキドキした。



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長崎 四海楼

 長崎ちゃんぽん発祥の地?駐車場の横は中国料理の四海楼さん、お店ができたのが1899年、明治32年! 中国からの留学生に栄養つけようと具だくさんな麺を開発したモノが「長崎ちゃんぽん」となったらしい。2階にちゃんぽんミュージアムがあるそうだけど、カッパと長靴スタイルの小生は入る勇気が無かった。


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軍艦島

 興味のあった軍艦島を自分の目でみてみたかったから、長崎の町を海沿いに南に走って野母崎に向かう。町から40分ほどでついに軍艦島を遠望することが出来た。風が強くって白波が立ってる沖に、なるほど軍艦を横から見ているようなシルエットで島が見えている。お〜、見えてよかった〜〜。見えなかった哀しいな〜と思っていたので。


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軍艦島資料館

 野母崎には公民館の様な施設に「軍艦島資料館」があって、じっくりと鑑賞してきた。パネル展示とビデオ上映というシンプルなモノであったが、見応えがあった。小生が生まれた頃が最も賑わっていたようで、5,000人を超える人口があって、なんと10m四方に8.4名が住んでいた計算になるとんでもない人口過密状態だった。それがわずか15年後には石炭を掘り尽くして廃坑となり無人島になってしまった。
 長崎市内の大浦天主堂近くには、「軍艦島デジタルミュージアム」という画像を駆使した新しい施設もあるけど、入場料1800円はちょいと高すぎないか、、、存続してくれるといいけど。


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諫早 眼鏡橋


 軍艦島の奇異なシルエットに満足して、連泊となる雲仙にむけて走り出した。行きと同じルートじゃあ面白くないので、このあたりの中心都市、諫早の眼鏡橋に立ち寄った。長崎の眼鏡橋を参考に、水害でも流されない丈夫な橋として1839年(天保10年)にかけられたもの。諫早の名所となっている。


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 傾き始めた陽を浴びながら千々石海岸あたりから小浜に向かって走る。大学1年生の頃に天草を訪ねた際、海沿いのガソリンスタンドで給油をした覚えがある。真夏の夕日がぎらぎらしてクソ暑かった。それが懐かしくて注意しながら走っていると、それらしきスタンドを見つけて給油。今もお店があったというだけの事だが、なんだか妙に嬉しかった。


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雲仙小浜 市営 浜の湯


 雲仙温泉に劣らずこのあたりで名の通った小浜温泉。海沿いの温泉街は伊豆を思い出させる風情がある。ここにも共同浴場があって立ち寄ってみた。住民以外は150円、お湯は塩分を含んでいて、湯あたりのやさしい感じがした。「ぬるめ」から浸かり、「あつめ」でしめたが、小生にはまだまだ大丈夫な熱さだった。地元の人しか来ない鄙びた味わいがまたよろし。


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阿蘇 湯元ホテル


 小浜からのつづら折れを再び上がって雲仙に戻った。今日のお宿は「湯元ホテル」、1695年に雲仙で最初に出来た宿で、お殿様の命令で雲仙のお湯を守ってきたのが始まりだそうな。開国して長崎に外国人が来るようになると、雲仙は避暑地として知られるようになり、特に日清戦争前後の雲仙は現在の「海外観光客ブーム」以上であったようだ。そして雲仙にパブリックゴルフ場が作られたのも日本初であった。

 フロントマンと話してみると・・・雲仙の宿の中には業績が芳しくなくって売りに出される老舗もあるようだ。各地の温泉地で潰れかかった宿を買収して、格安料金の宿に変身させているグループも、この雲仙に進出した。
 別府、湯布院などいずこも中国人、台湾人であふれていた。この雲仙も例に漏れず、団体旅行のみならず、小グループや個人旅行のレベルで外国人が訪れている。お客さんが来てくれることはいいことだ。
 不思議に思うことは。。。大陸の人たちはコートやウインドブレイカーなどの防寒着をきて夕食会場に現れる。翌朝の朝食会場でも同じ、小生はパンツと浴衣1枚というのに。。。なぜなんだろうと非常に気になった。フロントマンに聞いても答えが返ってこなかった。


                               その4に続く



# by akane8150 | 2018-04-14 21:16 | Motorcycles | Comments(3)
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Golf Bike Cars and Beer


by akane8150
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