太平洋フェリー 名古屋港
昨年の春に家族で東北を巡ってから、今度はバイクで来たいとずーっと魂胆していた。天気が安定して寒くなる前の10月上旬の連休を挟んだあたりがベストとなった。調べるとこの頃の東北は秋雨前線が南下して雨も少ないことがわかり、5月頃から虎視眈々と計画を立てていた。仕事明けの土曜の夕方に名古屋港からフェリー、そして翌週の日曜日に再び名古屋港に戻るという8泊9日の作戦だ。旅のお供を誰にしようか、メインのMT-01は荷物が積めない・・・RZ250では見知らぬ土地でのいたずらが怖い・・・セロー250がもっとも気軽に行けそうということで、サドルバッグステーやシート対策などなどのツーリング仕様の準備をしてきた。が、降ってわいたようにGLサイドカーが増車となり、荷物がイッパイ積めるってことでGLサイドカーで行くことに決定。キャブレターのトラブルを抱えていたが、オーバーホールも間に合ってひとまず完調の状態で出発できることになった。

名古屋港からの長距離フェリーは太平洋フェリー1社のみ、隔日に仙台、苫小牧にむけて1万6000トンの大型船が出港している。週末でもあるのか、北へ向かうバイク達もちらほら、このブースは仙台で下りる人たち。。。反対側には苫小牧下船のツーリストもバイクを休めていた。北海道はもう降雪があったようだけど、バイクは大丈夫なんだろうか??
特等洋室
ビジネスホテルのツインと機能的には同じ「特等客室」、24時間近くの船旅であったのでプライベートを保つことのできる個室をお願いしてあった。夕方7時に名古屋を出港して翌日の午後5時に仙台に到着、ほぼ1日間の船旅にかかる費用はインターネット予約割引などを使って、サイドカーと部屋代で19800円。名古屋から仙台までバイクで高速料金とガソリン使って700km走り、どこかのビジネスホテルに泊まることを考えれば、十分に割に合う価格だと思う。

「きそ」号は沖合10kmほどを海岸線に沿って20ノット(約40km)で航行する。見慣れた伊勢湾の景色が遠ざかり、神島・伊良湖岬を抜けるといよいよ外洋だ。船は伊良湖岬をすぎると上下にピッチングをおこし始めた。緩やかな周期ではあるがだんだんと気分不快に。。。夕食はバイキング会場に行く食欲もなく、飲み物だけで終了。。。
ナイトショー
ビジネスライクなフェリーには珍しく、夜間のショーなども行われていた。この日は関西弁のミュージシャン2名が1時間くらいの演奏をお昼と夜にやっていた。名古屋を出て仙台、苫小牧、そして再び名古屋までの4日間、彼らもずっと乗船したままでの営業活動、大変だ。

翌朝になれば船酔いもよくなってるかなと期待したが、嘔吐はしないけどずーっとベッドに横になっていたかった。下船は夕方なのでまだまだ船中の時間はたっぷりある(>_<)。帰りもこの状況になるんであれば、長距離を自走して帰っても良いんじゃないかとの考えに至り、復路のキャンセルを行った。あと2時間で到着となった頃、福島沖10kmの航路上で仙台から出港してきた姉妹船の「いしかり」とすれ違う。「いしかり」から、ついで「きそ」が汽笛を鳴らして互いの安全を願うシーンはなかなか格好いい。
仙台港 船から出てきたらもうすでに夕日となっていた。体にはまだ船の揺れが残っていて、歩いていてもふらふらする。気を取り直して、そそくさとガソリンを満タンにしてーリングの始まりだ。今回は定評あるユピテルのナビゲーションをハンドルに設置しており、もっぱら地図代わりで自車のおよその位置を理解する。そして具体的なルート案内はスマホのナビソフトでブルートゥースヘッドホーンを使った音声案内を頼りにする。クルマのようにナビ画面を見ながらの運転は、バイクではとても危険で他人にはお勧めできない。仙台市郊外の秋保温泉へナビを頼りに走り出した。
秋保温泉 共同浴場
まずは宿に着く前に秋保温泉で唯一の共同浴場に向かった。想像通りのカチカチに熱いお風呂、常連さんが横たわる浴室内、温泉地のひなびた共同浴場そのものだった。秋保温泉は兵庫の有馬温泉、愛媛の道後温泉と並び、日本3名湯と呼ばれるほど有名な温泉地である。泉質は「ナトリウム・カルシウムー塩化物泉」で源泉は50度でわずかに塩味のするお湯だった。
秋保温泉
お宿は温泉街の入り口にどーんと立ってる温泉ホテル。ひとり旅だとなかなか予約を取らせてくれないのが現状で、宿の側からみれば収益の面でひとり旅はできれば敬遠したいのであろう。その点この宿にはシングルプランがあって、ビジネスホテル風のお部屋が用意されていた。食事は大会場でのバイキング料理、温泉地にはよくみかけるような大型ホテルだ。2つの大浴場があったのだが、いずれもお湯がオーバーフローしていないので、湯船には毛髪や湯垢が浮いている。これには興ざめで、お風呂の管理の改善を期待したい。プライスとお部屋、アメニティ、お食事、まずまず満足できたけど、温泉街の雰囲気を含め、日本三名湯とはちょっと思いがたい温泉地であった。他にも高級そうなお宿が散見したが、いずれも離れていて温泉客が下駄でぶらぶらするような古くからの温泉地の風情は残っていない。




松島海岸 五大堂
これまで素通りばかりで見たことのなかった五大堂、近くのゲート付駐車場にGLをクルマの扱いで停めることが出来てホッとした。バイクのように路肩にちょいと言うわけには行かないし、サイドカーは停めるときは難渋する。バイクの扱いを受けたり、自動車として扱われたり、駐車場ごとに扱いが違う。伊達政宗が奉納したというこの五大堂、津波の被害は最小限で済んだよう。真っ赤な「すかし橋」でわたるお堂は風雪に耐えた迫力を感じる「やれ具合」、ここから見渡す松島海岸も小島が入り組んで美しい。
石巻
石巻あたりから牡鹿半島へ向かう。石巻の市街地は広がる更地が痛々しい。建物は震災以降に建てられたモノばかりだから、真新しい住宅地や店舗が目についた。宅地に並ぶ家屋はまばらで歯が抜けたよう。


牡鹿半島
同じような入り江をやり過ごして牡鹿半島を岬に向かう。津波で消し去られた漁村を守るように入り江には一面に高い防波堤が建設されている。でもなにを守るのか?、防波堤の内側はすっかりと消えてしまった更地が広がるだけだ。今にも動き出しそうなくらいきれいな漁船が陸地に乗っかっている。調べると第16利丸という高速捕鯨船で鮎川の「おしかホエールランド」に展示されていたものだ。しかし津波がホエールランドを跡形もなく流してしまって、置いてあったこの船だけがその場に残ってしまったらしい。

御番所公園からの金華山
牡鹿半島の目標、御番所公園にやっと到着。目の前には金華山が見えている。時間があれば船で渡って参拝もしたいが、そんな余裕もないので対岸からお参りしておいた。牡鹿半島の稜線を走る「牡鹿コバルトライン」は交通量も少なく小さなワインディング満載のバイク乗りには美味しいクネクネだった。この日も多くのバイクにすれ違ったが、工事のダンプカーも走り回っているので無理な走りは危ないだろう。





志津川 南三陸さんさん商店街
いずれは高速道路になるんであろう無料の自動車専用道路をのりついで南三陸町にはいる。よく耳にしている「さんさん商店街」を覗いてみた。真っ平らになった市街地に仮設商店街があって、大っきな道の駅のようになっていた。海鮮物、野菜などなど地元の食材を扱うお店では、みずタコ、ホタテが時期のようで店頭を賑わせていた。特にみずタコはでっかい頭や足にびっくり、あたま一匹分1500円は細くカットしたら20-30人分の焼きイカにできそう。みずタコはその名の通り湯がいた後もみずがでてくるので、数時間は干しておかないと商品にならないようだ。


気仙沼ホルモン
南三陸町の次にあらわれる気仙沼。水揚げ量を誇る大きな漁港で、カツオやマグロ以外にも「気仙沼ホルモン」も知られている。ニンニクの効いたタレに地元の豚ホルモンを炭火で焼き、キャベツの千切りが添えられるB級グルメだ。食べログで調べてお昼からやっている「お福」さんに行ってみた。ホルモン定食700円、食べ応えのある量のホルモンはきれいに処理されていて新鮮そのもの、食べると味わったことのない「みずみずしさ」で嫌みのない美味しさだった。ホルモンは好きなのでこれまでも色々食べてきたが、このお店のホルモンは来た甲斐があった思えるくらいの美味だった。漁港が発達して、遠洋漁業の船乗り達がタンパク質と野菜(キャベツ)を補充するためのホルモン料理を愛したことが気仙沼にホルモンが流行った理由のようだ。もちろんホルモンのみならずカルビなどの他の部位のメニューも並んでいる。




気仙沼シャークミュージアム
気仙沼は全国的にも有名な遠洋漁業の基地だ。カツオ1本釣り、マグロの延縄漁、サンマの棒受網漁、いずれも日本の誇る遠洋漁業だ。気仙沼では珍しいサメの博物館にも立ち寄った。震災以前からあったミュージアムは、津波ですっかり破壊されたが、元気に再興して今に至っている。サメは食材としても重要であたまからしっぽまで利用され、気仙沼はサメの日本漁獲量の9割を占める産地でも知られるようだ。ショッピングモールでは「活毛ガニ」を発見、市価の半額近いプライスで納得のお土産ができた。カニが大好物の家族は、翌日には生きたまま届いた毛ガニで舌鼓を打ったようだ。また全国的に品薄の「サンマ」も厚身でお刺身用の立派なサンマが並んでいた。

陸前高田 奇跡の一本松
陸前高田の海岸は立派な松並木で知られていたが、津波が根こそぎ削ってしまった。残っていた松の木一本もやがて塩害で枯れてしまう。モニュメントとしてこの木を残すこととなり愛知の業者が保存作業をおこなった木を分割して切断し、芯部に金属棒をいれて補強し松葉や枝は人工模造を施したそうだ。素人目には人工の木とは思えないできあがり、しかしトップには避雷針が備わっていた。指定の駐車場から800m以上の道のりがあって、足腰の弱い人には辛い距離だと思う。奥にはユースホステルの残骸も災害遺構としてそのままにされている。
高田松原 タピック45
震災遺構として残されている道の駅、以前は立派な松並木を背景に多くの人が訪れたはず。殻だけが残った建物は津波の恐ろしさを伝えている。隣接する復興まちづくり情報館では震災と復興を取り上げて見る人を引きつけていた。この周囲は松林も建物もなくなってがらーんとしている。いつかは国道沿いの賑やかな町並みに戻ってくれるだろう。
新日鉄 釜石製鉄所 本日の宿泊地、釜石にはいる。町の入り口からして、工場や煙突がならびこれまでの町とは全然違う。釜石は日本最初の製鉄所ができたところ、新日鉄釜石ラグビー部でも名の知れたところだ。

釜石
釜石市内には温泉宿はないので、ビジネスホテルに宿泊。お客さんは現場で働く力自慢の人たちばかり、ここに連泊しながら現場に通ってる風だった。三陸の海沿いは、役所や住宅は高台に移転してしまい海沿いの旧市街地はどこも荒涼とした更地になっている。そこをダンプカーやショベルカーがひっきりなしに移動し、河川や海岸の堤防や橋を整備している。三陸はそんな光景がずっと続いていた。ホテルのコインランドリーでこれまでの洗濯物を洗って、明日から雨の天気予報にそなえた。今回の走行距離 354km
その2-5に続く
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