
九州の旅 3日目の行程

千々石海岸
雲仙を出発した8時頃はまさに土砂降り、強風で台風の中を走るようだった。シールドの水滴は流れるように滴り、吹き返す雨は顔をぬらす。長崎までの60kmは、途中1回の休憩だけでひたすら辛抱の走行。前回の東北も雨にたたられたが、今回はカッパを新しくしたので「おしり」が濡れることもなく長靴も雨も寒さも防いでくれた。
長崎港
R34号でトンネルと抜けると長崎の町、斜面に張り付くように民家がならぶ景観に長崎を感じる。路面電車のレールや走行に気を遣いながら、長崎駅、出島とメインストリートを抜けて大浦天主堂にやってきた。

長崎市松が枝駐車場
前もって屋根のある駐車場を探しておいたので、立体駐車場の市営松が枝駐車場にバイクをいれる。クルマ扱いの料金でバス駐車場に駐車するように指示される。雨のツーリングでは屋根があるとホントに助かる。カッパを脱ぐのも着るのも、荷物を広げるのも、濡れたカッパを干しておくことも気軽に行える。
大浦天主堂
長崎の町に入ったあたりから雨が小止みになって、散策の頃には傘要らずになる。グラバー通りの坂を登ってゆくと正面に大浦天主堂が見えてくる。築150年、日本で最も古い洋風建築で国宝とされる。教会のベンチに座ってしばし案内放送に耳を傾ける。ステンドグラスはこじんまりとしているけど絵柄の細かさ、重厚さは歴史の重みを感じる。
グラバー園
天主堂の裏口を出るとすぐにグラバー園とつながる。大学生の頃から何度も訪れたはずであるが、港を見下ろす景色くらいしか印象に残っていない。前回、家族できたときには皆既日食をこの庭で遭遇したはずだ。動く歩道などなどもあって園内はそれなりに広い、そしてどこからも港が見下ろせてきれいなところだ。しかし、歴史的建築物はペンキが剥がれ、柱の木は虫食ってかなり傷みが目立つ。全国的に名の通った観光地なのだから、もうすこし維持管理をしっかりしてもいいんじゃないかなあ。

浜町 吉宗
長崎に来たら寄ってしまう「吉宗」でお昼ご飯。長崎といえばちゃんぽんだろうけど、知人に勧められて通うようになった。このお店は1866年(慶応2年)、茶碗蒸しと蒸し寿司専門で開店したのが始まりとされる。現在の味わいある建物も昭和2年に建てられた由緒あるもの。暖簾をくぐると下足番が迎えてくれ、下足札を2枚「パチン」と拍子木のようにならすと、階上の女中さんが「いらっしゃーい」と席に案内してくれる。これも昔からの作法なんだろう。
角煮
長崎のグルメのひとつ「角煮」。日本で唯一海外へ開かれた貿易港の長崎に中国から伝えられたとされる「東坡煮」を日本風にアレンジされたのが長崎角煮の発祥らしい。皮付三枚肉と呼ばれる豚肉を使用し、醤油 砂糖 清酒 味醂 生姜で甘辛く煮込んだ純和風の料理。パン生地でくるんだ「角煮まん」は食べ歩きのアイテム。

御一人前
普通のどんぶりより一廻り小さな「吉宗」オリジナルの器にたっぷりと注がれた茶碗蒸しと蒸し寿司(三色丼)がセットになった看板メニュー。品書きの「御一人前」っていうネーミングも面白い。茶碗蒸しが大好きな小生には、たっぷりの器で頂く事に幸せを感じる。硬すぎず柔らかすぎず、お出しのしっかり効いた茶碗蒸しの玉子、優しい酢飯の上に鮮やかな三色の具が彩りあざやかだ。玉子、でんぷ、そぼろにした穴子が味わいを出している。贅沢な料理では無いけど、小生は長崎に来たら外せない料理だ。

石橋行き 長崎路面電車(長崎電気軌道)
名古屋もかっては路面電車がくまなく走っていて、「市電」と呼ばれ親しまれてきた。対して長崎市内は路面電車が今も現役で、黒字を出すほどの活躍をしているとか。大正3年の開業から「長崎電気軌道」として企業が運営してきて、地元では単に「電車」と呼んでいるらしい。100年以上も同じ企業が運営しているのもすごい。


降車ボタン
帰りは、タクシーの運転手さんに教えてもらって路面電車に乗ってみた。どこから乗ったらいいのか、お金は最初か、後か、などなど分からないことだらけだったが、ホームに並んだ親切なおばあちゃんが教えてくれた。どこまで行っても120円、降りる際にワンマンカー運転手さんの横の投入口にぶち込むわけだ。電車の加速はなかなか、減速はかなり急だ。交差点での路面電車用の「黄色い矢印信号」が珍しい。降りるときのブザーはむかーし見たままの形、押す時にドキドキした。

長崎 四海楼
長崎ちゃんぽん発祥の地?駐車場の横は中国料理の四海楼さん、お店ができたのが1899年、明治32年! 中国からの留学生に栄養つけようと具だくさんな麺を開発したモノが「長崎ちゃんぽん」となったらしい。2階にちゃんぽんミュージアムがあるそうだけど、カッパと長靴スタイルの小生は入る勇気が無かった。


軍艦島
興味のあった軍艦島を自分の目でみてみたかったから、長崎の町を海沿いに南に走って野母崎に向かう。町から40分ほどでついに軍艦島を遠望することが出来た。風が強くって白波が立ってる沖に、なるほど軍艦を横から見ているようなシルエットで島が見えている。お〜、見えてよかった〜〜。見えなかった哀しいな〜と思っていたので。

軍艦島資料館
野母崎には公民館の様な施設に「軍艦島資料館」があって、じっくりと鑑賞してきた。パネル展示とビデオ上映というシンプルなモノであったが、見応えがあった。小生が生まれた頃が最も賑わっていたようで、5,000人を超える人口があって、なんと10m四方に8.4名が住んでいた計算になるとんでもない人口過密状態だった。それがわずか15年後には石炭を掘り尽くして廃坑となり無人島になってしまった。長崎市内の大浦天主堂近くには、「軍艦島デジタルミュージアム」という画像を駆使した新しい施設もあるけど、入場料1800円はちょいと高すぎないか、、、存続してくれるといいけど。

諫早 眼鏡橋
軍艦島の奇異なシルエットに満足して、連泊となる雲仙にむけて走り出した。行きと同じルートじゃあ面白くないので、このあたりの中心都市、諫早の眼鏡橋に立ち寄った。長崎の眼鏡橋を参考に、水害でも流されない丈夫な橋として1839年(天保10年)にかけられたもの。諫早の名所となっている。
傾き始めた陽を浴びながら千々石海岸あたりから小浜に向かって走る。大学1年生の頃に天草を訪ねた際、海沿いのガソリンスタンドで給油をした覚えがある。真夏の夕日がぎらぎらしてクソ暑かった。それが懐かしくて注意しながら走っていると、それらしきスタンドを見つけて給油。今もお店があったというだけの事だが、なんだか妙に嬉しかった。


雲仙小浜 市営 浜の湯
雲仙温泉に劣らずこのあたりで名の通った小浜温泉。海沿いの温泉街は伊豆を思い出させる風情がある。ここにも共同浴場があって立ち寄ってみた。住民以外は150円、お湯は塩分を含んでいて、湯あたりのやさしい感じがした。「ぬるめ」から浸かり、「あつめ」でしめたが、小生にはまだまだ大丈夫な熱さだった。地元の人しか来ない鄙びた味わいがまたよろし。



阿蘇 湯元ホテル
小浜からのつづら折れを再び上がって雲仙に戻った。今日のお宿は「湯元ホテル」、1695年に雲仙で最初に出来た宿で、お殿様の命令で雲仙のお湯を守ってきたのが始まりだそうな。開国して長崎に外国人が来るようになると、雲仙は避暑地として知られるようになり、特に日清戦争前後の雲仙は現在の「海外観光客ブーム」以上であったようだ。そして雲仙にパブリックゴルフ場が作られたのも日本初であった。
フロントマンと話してみると・・・雲仙の宿の中には業績が芳しくなくって売りに出される老舗もあるようだ。各地の温泉地で潰れかかった宿を買収して、格安料金の宿に変身させているグループも、この雲仙に進出した。別府、湯布院などいずこも中国人、台湾人であふれていた。この雲仙も例に漏れず、団体旅行のみならず、小グループや個人旅行のレベルで外国人が訪れている。お客さんが来てくれることはいいことだ。
不思議に思うことは。。。大陸の人たちはコートやウインドブレイカーなどの防寒着をきて夕食会場に現れる。翌朝の朝食会場でも同じ、小生はパンツと浴衣1枚というのに。。。なぜなんだろうと非常に気になった。フロントマンに聞いても答えが返ってこなかった。
その4に続く
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