
九州の旅 4日目の行程

雲仙 湯元ホテル
今日もいろいろ寄りたいところがあるので、7時からの朝食は一番乗り。いつもの習慣か、6時には目が覚めてしまうので、朝風呂ものんびり味わった。親しくなったフロントマンがお見送りと写真を撮ってくれた。「また、来ますからね〜。」 天気は雨雲がときどき流れてゆくので、いつでもカッパを出せるようにして出発。

雲仙ゴルフ場
7,8年前にここでプレーしたことがある。1913年(大正2年)開場した雲仙ゴルフ場は手作りため、フェアウェイですら凹凸のある自然たっぷりのコースだった。キャディを付けなかったのでラフではもちろん、フェアウエイでさえボールを見失ってばかりだった覚えが。ワイルドな味わいで面白かったな〜、ボール幾つ無くしたんだろう。

天使のはしご
島原へ降りてくると島原湾が見渡せる。ちぎれた雨雲の切れ間から太陽光が柱のようになって、一部分の海面を照らしていた。気象用語では「薄明光線」と言われ、一般的には「天使のはしご」、

旧大野木場小学校
雲仙普賢岳の平成3年(1991)の大噴火によって、近辺の民家153棟もろとも被災した「旧大野木場小学校」の校舎。いまも当時の災害を伝えるためにそのままの痛々しい姿で残されていた。児童などは避難しており人的被害はなかったが、校舎は400度ともいわれる火砕流で焼かれ、運動場の砂が熱で蒸発してしまった。特に6月3日の最大規模の火砕流では43名の命が奪われた。30年経った今は、周囲には畑や住宅がひろがって、ここで大惨事が起きたとは思えない。

口之津港 島鉄フェリー乗り場
雲仙の宿を出てからは、島原経由で左に海を見ながら南下する。この日のメインは「天草」巡りで、とても楽しみなルート。学生時代に来た覚えがあるだけで、今回はじっくり観光しようと考えていた。
島原でゆっくりしすぎた事もあり、時間が押していた。フェリーに乗る時っていつも時間に追われているような気がする。気をもみながら15分前に乗り場にやってくると・・・
フェリーは着岸しているが、待機するクルマの姿が皆無でゲートにはロープまで張られている。おかしいなあ? レインコートを着た係員が「欠航です、午後もどうなるか分かりません」って教えてくれた。「え〜〜っ」てな感じで路頭に迷う。波浪のために欠航のようで、ほかに天草へ迂回するルートもない。
しばし思案。夕方には新門司に着けばいいから、どこかを回って行こう。平戸方面は4年前に巡ったし、佐賀方面は今ひとつ興味がわかない。阿蘇や別府はもういいし。。結局、太宰府・博多・門司あたりを巡っていうことにした。

加津佐 岩戸山

加津佐道路公園

南串木 西浜


雲仙鉄道 緑のトンネル
天草湾を左に見ながら、北上する。途中には「加津佐」「南串山」など荒々しい海岸線や段々畑がひしめく丘陵が続く。やがて華やいだ温泉街の小浜に戻り、これで朝から島原半島を半周回ったことになる。国道沿いに「緑のトンネル、温泉軽便鉄道」って、とても気になる案内があったので寄ってみると・・・海に沿って緩やかにカーブを描きながら1,5車線の舗装路が続いている。ながーい切り通しの直線に差し掛かって、なるほど合点がいった。いかにも鉄道跡の風情に木々や蔦が天井を被うように茂っている。まさに「緑のトンネル」、真夏にもなると下のようなうっそうとした木々に囲まれてますます美しくなる。

小浜温泉観光協会より


鉄道規格の細長いトンネルも幾つか残っていて、廃墟マニアも気になる遺構だろう。道路幅が狭くで待避カ所もとても少ない。対向車が来ないことを期待しつつ、でもついに軽自動車と鉢合わせ。GLサイドカーの車幅は1.7mあって、Zロードスターとほぼ同じ、対向車は軽自動車だけどすれ違いは不可能。身振りで合図して後ろに下がってもらうことに。運転する女性は。ふらふらしながら50mほどをバックしてくれる。

100年前の蒸気機関車(千々石deその日暮らしさんより)

肥後小浜駅(歩鉄の達人さんより)

ふるさとの蒸気機関車さんより
雲仙鉄道は大正末期の温泉軽便鉄道と小浜地方鉄道がつながってできたもので、長崎から小浜温泉へ通じる観光や物資の輸送目的で作られた。しかし、小浜温泉街まで線路が入っていなかったこと、自動車の普及などで20年も経たずに戦前に廃止されている。この線路跡は今は県道201号線となって、住民の生活路となっている。通りすがりの小道ではあるが、なかなか見応えも有り、後学の甲斐のある雲仙鉄道であった。

千々石展望台
天気予報では雨は上がると言っていたのに、時折どばーっと降ってくれる。今日もカッパと長靴のお世話になっている。こんな姿でも、トイレはもちろんドライブインや観光地にも普通に入っていけてしまう。だんだんと恥ずかしさも薄れ、利便性だけを追求している。


太宰府天満宮
予定変更を決めた口之津のフェリー乗り場から小浜を経て諫早ICから九州自動車道にのり、120km先の太宰府に到着。ここに寄るのは3回目。人が多いので好きなところじゃないけど、天草に行けずほかに思い浮かぶ所が無かった。。娘の受験合格のお礼と旅の安全をお祈りした。いやはや、ここも大陸からの人たちが多すぎる、参拝者の半数以上が外国人のよう。


元祖長浜屋
麺類が大好きな小生は、遅めの昼ご飯のためだけに博多市内に向かった。「一蘭」「一風堂」などのメジャーなお店は名古屋でも食べることができるが、長浜ラーメンといえばこのお店が思い浮かぶ。長浜にはいくつもお店があって、どこに入るか迷ってしまうだろう。
今の新店舗よりも、交差点の角地にあった頃のぼろい店舗のほうがそれっぽくて良かった。その頃は24時間営業していたはず、今は朝6時からで客層も変わってきたからだろう。食券かって店に入ると座る前に、「固さは?」と聞かれる。「はりがね」とお願いしたが、ほとんどの客が「カタ」「ナマ」のいずれかのオーダーだった。名古屋なら「粉おとし」が「ナマ」といっしょだろう。んっじゃ「はりがね」というのは地元では使われないのだろうか??
替肉を追加したけど失敗、もともと長浜ラーメンはしょっぱい味わいだと思っているのだけど、替肉自身の塩分が増してしまってかなり塩辛くなってしまった。それでも、本場の長浜ラーメンを食して、博多に寄った実感をする。

門司港

門司港レトロ 旧門司税関
お腹がふくれたところで、時間の余裕も有り 関門海峡ミュージアムを観たくって門司港あたりをうろつくことに。門司港は、明治から昭和初期にかけて建築された趣のある建物が今でも残っていて、門司港レトロとして人気の観光地となっている。 到着したのが4時過ぎで閉館間近、、、急いで駐車場にとめたら警備員がやってきて、「関門海峡ミュージアムは閉館中ですよ」とのお言葉。。。この4月から1年以上にわたって耐震工事をするそうだ。何かとこの日は予定通りにいかない。。。
関門橋
長大な橋梁として当時日本最長であった関門橋、真下から見上げるとその大きさに感動。高速道路だけがここを走り、山陽本線、国道2号線、山陽新幹線は海底トンネルをくぐってゆく。海底トンネルには歩行用のものもあって、人や自転車、手押しの原付は歩いて海峡を越えることも出来る。

和布刈(めかり)神社
関門橋の下、海峡の岸にあるお宮。めかりとはわかめを収穫すると言う意味で、旧正月の未明に宮司が神社前の海に入ってわかめを刈り神前に奉納するという神技が行われる。神功皇后、足利尊氏、壇ノ浦の平家など歴史の深いところ、それにしても海峡を流れる海流の勢いはすごい、まるで川だ。

新門司海浜公園
フェリー乗り場には19時頃には着けばいい、まだ時間をもてあましていたので堤防にバイクを停めて景色を眺める。明かりをともした貨物船など周防灘を行き交う船が遠望に、九州の旅もほぼ終焉で無事に走ってこれたことに感謝だ。

阪九フェリー 新門司港
いよいよ阪九フェリーの新門司港に到着。往路はさんふらわあ 復路は阪九フェリーと使い分けだ。この新門司のフェリー乗り場はなんか場違いのような豪華な外観、奈良時代の平城京の大極殿を模した造りで、バブルの頃に作られたそうだ。

阪九フェリー つくし
学生の頃から九州へ行くときはいつも阪九フェリーだった。長距離トラックを運ぶためのフェリーっていうのが「阪九フェリー」のイメージで、「名門カーフェリー」や「さんふらわあ」は旅行者向けの印象だ。レストランについても、阪九フェリーはカフェテリア式で、さんふらわあなどはバイキング形式であることも興味深い。トラックドライバー達が毎回バイキング形式で食事を取るとは思えないからだ。

食べたかった皿うどん、ビールのおつまみなどで、船上での食事はそれなりなお値段になってしまう。運賃競争で大変な船会社はこういったところで儲けないといかんのだろう。ともあれ、生ビールもいつものようにおかわりして九州とさようならだ。
その5に続く
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