小生の備忘録

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丸栄百貨店 全館閉店 東郷青児 スイーツプラザ


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折り込みチラシ

 今月いっぱいで丸栄百貨店が閉店。中日ビルに続き、また名古屋のランドマークが一つ消えてゆく。昭和18年に丸栄として営業をはじめて75年、戦前からずっと営業してきたわけだ。

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名古屋 4M

 JR名古屋高島屋ができるまでは、名古屋の百貨店は4つ、いずれもローマ字の頭文字が「M」なので「4M」と呼ばれた。名古屋のお祭り、英傑行列では秀吉役などはこの4Mの従業員から選ばれていた。その4Mの一つ、丸栄が欠けることは名古屋人にとって寂しい話題だ。


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丸栄

 さて、梅雨の6月に入りバイクのお出かけもめっきり行けなくなった。目的のない日曜はつまらない、ならばと雨降りを利用して家族で丸栄に出かけてみた。開店は10時、混むかもしれないからちょっと早めに自宅を出た。

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マルエイスカイパーキング

 直営の駐車場の入り口はビルの西側にあって、10分前であったがすでに入庫を始めていて、まだ車列も少なく程なく入れそう。閉店前だしもっと混んでいるものと覚悟していたが、あっさり入れて拍子抜け。JR高島屋の駐車場であったら、すでに満杯だろう。

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丸栄 西壁面モザイク

 入庫待ちのクルマから見上げると、ちょうど目の前に巨大壁画が広がる。雨模様の日照で残念だけど、日が差すともっと輝いて見えるはず。図案は抽象的で様々なタイルとガラスで作られていて、中日ビル一階のモザイク天井と同様に、当時の贅沢な装飾であったことがうかがえる。名古屋にモザイク装飾の建物が多いのは、瀬戸焼きなど陶磁器の生産地が近いこともあるだろう。

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クルマ用エレベーター

 2台のエレベーターが屋上の10階までクルマを運ぶ。全幅1770mmのSAIでいっぱいいっぱい、全長も4700mm以上は入らないという狭さ。モータリゼーションの始まった昭和30年代であればこれでも十分にだったろうけど、クルマのサイズが大きくなった現在では、ここに入れないクルマも多いはずだ。
 乗ってから窓開けて、最上階の10階のボタンを押す。同乗者もそのままでクルマごと勢いよく上がってゆく。ついた先の10階は3階立ての駐車場フロアの最も上の階で、ここからせん状に回りながら9階の指定されたところにクルマを停める。帰りは8階まで降りてそこから再びエレベーターで1階までおりるって寸法だ。

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9階駐車場

 ワンフロアーの面積は狭いが、クルマ1台分の幅は十分に確保されていてエレベーターの狭さとは対照的。5ナンバーのクルマなら3台入ると思われるので、仕切り直して2台分のスペースにしたんじゃなかろうか。

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丸栄屋上看板

 レトロな書体の看板が最上階に鎮座している。台座は円形で滑車もついているから以前はくるくる看板が回っていたのかも知れない。丸栄と言えばこの赤いロゴマークと図案にカーネーションの入った包装紙を連想する。
 また丸栄の屋上の思い出は、「戦車バトル大会」みたいなものに参加したことだ。小学高学年だった小生は当時のマストアイテム「プラモデル」に首ったけだった。とりわけタミヤの1/35リモコン戦車シリーズは宝物だった。持ち込んだ戦車で風船割りゲームやコースのラップタイム競争など、タミヤ模型が主催した子供向けの競技会で、賞品のプラモデルを持って帰った思い出がある。回転砲塔のタイプじゃ無くって、駆逐戦車のロンメルを選んだのも勝因だろう。

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東玄関口

 栄の交差点からくるとこの東玄関口が丸栄の入り口となる。たしか。。。幼かった頃、百貨店の入り口には「ぶわーっ」と上から下に風が強くながれている場所があったはずだ。冷暖房の効率を上げるために取り付けられていたこの装置は「エアーカーテン」で、銀行や百貨店でかならず見かけたはずだが、いつしか見かけなくなってしまった。

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壁画エレベーター

 フロアの南面にあるエレベーターは4機あるが、左の2機は開設当時からの扉絵が残っている。昭和30年代に活躍し甘美な女性人物画を多く残した東郷青児がこの丸栄のエレベーター画を引き受けたのだった。独特の色調と優雅な人物像はまさに東郷の作風だ。小学生頃の小生でも、幼心にもこの絵には見覚えがある。
 1983年の増築工事までは、ここ以外のすべてのエレベーターにも同様な東郷の絵が描かれていたそうだ。しかし、この工事によって残った2台以外の扉はすべて取り払われ、一握りの幸運な人たちのもとで所有されているらしい。

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大理石、木枠の階段

 低層階は重厚な大理石の階段、高層階はモダーンな鉄柵と木の手すりの軽快な階段。建物の重量バランスを考えてこのようになったのだろうと推測。この丸栄を設計した村野藤吾は戦後を代表する建築家で、1953年にこの丸栄を建築しデパートで日本最初の「日本建築学会賞」を授賞している。廃業にあたり建築学会からはこの丸栄を保存するように働きかけを行ったが、いかんせん所有者の「興和グループ」は耐震性などを鑑みて建て替えを決めた。

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地下1階 ラウンドお菓子

 食料品店やお菓子屋さんが入った地下1階、とっても懐かしお菓子の量り売りを見かけた。百貨店にはかならずこのお菓子陳列台があったと覚えている。調べてみるとこの回るお菓子の展示台は、「スイーツプラザ」や「ラウンドお菓子」などと呼ばれるようだ。小生の記憶では名鉄百貨店の地下にあったものはもう一廻り大きかったように覚えてる。母親にねだってもたいてい断られていたような。。。5回に1度くらいは許可が出て、夢中になってお菓子を選んでカゴにいれたっけ。

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2階売り場

 いまでこそ普通の婦人服売り場になっているが、2000年頃から10年間ほど「10代後半から20代前半の「ギャル」たちの聖地となっていた。他の百貨店との差別化を図るためにヤングゾーンとして2階と3階を電飾と床を揺らすようなBGMであふれた空間に作り替えたのだ。当時ここをお得意さんとしていた長女に聞いてみると、フロアの音楽のボリュームが大きすぎて、店員さんと会話することも大変だったと回想する。

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TVコマーシャル 

 当時の名古屋の中高生は 栄なら「パルコ」か「丸栄」、名駅なら「パッセ」という案配だったようだ。彼女たちは「マルエイ」改め、「ギャルエイ」と呼んでいたらしい。ここのブランドを着たり身につけていないと流行に遅れていると思われて恥ずかしかったそうな。

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カリスマ店員 飯島さゆり

 渋谷109のカリスマ店員、飯島さゆりさんがイベントで丸栄に来店。若い女性が殺到し入場制限がかかるほどの大盛況であった。まさに丸栄2階売り場は「名古屋の流行発信地」となっていた。
 しかしその後は、「GU」、「GAP」に象徴されるようなファストファッション店が台頭して、丸栄2階もその役割を終えてしまった。

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3階売り場

 家庭雑貨や寝具のコーナーはまだマシだったけど、美容、健康フロアーは空きブースばかりでとても寂しい。閉館1ヶ月前を実感する光景だ。隣接する専門書で有名な「丸善」も改築の際にはこの丸栄のフロアを借りて一時的に間借りしていた。

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8階大催事場

 8階フロアの半分近くを閉める大催事場、これまでも「中古カメラ・用品大バーゲン」、とか「鉄道模型展」などなど、小生にも興味を引く催し物が行われてきた。この日は「チャリティーバザール」、「美術品掘り出し市」なんてあったけど、全く食指がのびるようなモノはなし。

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7階 丸栄のあゆみ パネル展

 閉店に合わせて丸栄の歴史をパネルで展示説明したコーナーがあってじっくり見てきた。閉館まで残り2週間となった週末の日曜午前、もうすこし賑わいがあるかと思っていたが、まあ見事に閑散としている。見学する側には空いてる方がいいに決まってるけど、やっぱり寂しいなあ。

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十一屋百貨店 昭和11年

 大坂夏の陣のあった1615年に大阪から移り住んだ呉服屋さんが名古屋でお店を始めたのが最初。大正の初めには今の栄ビルの場所に木造4階の洋風建築に変わって百貨店となった。その後、昭和11年には地上7階地下2階の鉄筋コンクリートの百貨店に生まれ変わった。

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三星百貨店 昭和14年

 京都から進出してきた三星は十一屋の向かい側に鉄筋3階、地下2階の百貨店を開いた。この場所は今の丸栄があるところと一致する。まだ珍しかったエスカレーターやスプリンクラーなどの最新鋭設備を誇っていた。

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丸栄本館 昭和28年

 第二次世界大戦の最中、昭和17年に戦時統制によって「十一屋」と「三星」は合併することとなり「丸栄」が誕生した。社名は「名古屋栄の地で丸く栄える」ことを願って「丸栄」とつけられた。戦後は三星の建物が焼け残り、これを改築して丸栄本館として今の建物に繋がった。

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丸栄本館 北館

 パネル展では精密な模型を見ることができた。広小路をはさんで茶色の建物があるが、これが丸栄北館であったのか? ここには名古屋国際ホテルの前身となった丸栄観光ホテルや劇場が入っていた。丸栄本館の姿は現在に準じているが、茶色の建物は当時の姿である。現在は栄ビルと称して姿を変えている。

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スパゲティ コモ

 店内さよならセールで家族はそれぞれ買い物、アパレルにお金をかけない小生も半袖ポロやシャツが足りなかったんで「大人買い」。百貨店内をくまなく歩いて探求すること2時間、すっかり満足できてお腹が減った。おふくろが昔からある「スパゲッティのコモ」が食べたいというので、隣の栄メルサにあるお店に行ってみた。ショーケースのサンプル見る限りではちょっと物足りないかな、、とおもって2割増しの中盛りをお願いしたが。。。

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ピザ風あんかけスパ

 出てきたボリュームにおったまげた( ・_・;)。山のようにスパゲッティが盛り上がり、崩れんばかりにオニオン炒めがのっかていた。これで750円、フォークとスプーンを使って食べ始めるが、崩さないように、あんかけを混ぜるように食べるのは至難の業、また一息ついたらもう食べられなくなりそうな気がしたので一気に食べたが。。。半分くらい食べてギブアップ。
 他のお客さんが注文する声を聞けば、「小盛りにしてください」と注文時に添える人が多かった。小生もそれを知っていれば、食材を粗末にすることもなかったのに。。後でおふくろに尋ねてみたら「昔はあれくらい普通に食べることができたわ」なんて返答、よほど大食いの女性だったんだ。

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丸栄屋上

 中日ビルの屋上ビアガーデンも今年が最後、そしてこの丸栄屋上のビアガーデンはあと数週間でおしまい。なので、再度ここのビアガーデンに来ようと予約をした。雨が降ってもテント付きだから大丈夫。その時がいよいよ、丸栄とのお別れだ。





by akane8150 | 2018-06-13 18:55 | Life | Comments(4)
Commented by yukifukaa at 2018-06-14 07:31
栄とはあまり縁がない僕ですが、先日、名古屋証券取引所に行った時に、はじめて丸栄百貨店を少しぶらぶらしました。閉店してしまうのですね。お昼は隣にあるスカイルで鰻を食べました。
Commented by Rip at 2018-06-14 13:11 x
大理石や抽象画など、ぜいたくな造りですね。
大阪市内の百貨店にもこういう雰囲気の階段のところがあったような気がします。
懐かしいですね。
地域拠点の百貨店は、どんどん少なくなっていますね。
今までがんばって残ってきたことの方が立派かも知れませんね。
Commented by akane8150 at 2018-06-14 22:48
>ゆきふかさん
名古屋にもお仕事で来るんですね。繁華街といえば 栄、錦が主役でしたが、名古屋駅前にJR高島屋を始め高層ビル群のテナントなどで駅前の集客が勝っています。中日ビルをはじめとして再開発が楽しみです。
Commented by akane8150 at 2018-06-14 22:53
>Ripさん
百貨店はどんどん減っていますよね、特に地方都市の駅前にあるような百貨店。商品の情報が簡単に手に入るようになって、「百貨店でも行って品定めをする」ってことが不要になってます。百貨店の大食堂で、お子様ランチの旗を持って帰る楽しみなんて、これからの子供達には味わえないんでしょう。
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by akane8150
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