丸山ダム、岐阜八百津にあるこのダムは戦後に造られた大規模ダムで、洪水を防ぎ、発電で潤し名古屋の水瓶である木曽川水系を支えてきた。名古屋からは1時間くらいの距離にあり、ちょいツーリングなどでバイクやクルマが訪れるところだ。現在「新丸山ダム」の建設途中でこれが完成するとこの上流の景観も大きく変わるそうな。なので水没してしまう前に全国的に名の通った「酷道418号」を見てこようとトコトコとセローで向かった。

丸山ダム
竣工が1955年ということは60年以上もこの地でそびえ立っているわけ。コンクリの苔むした外観も周囲のうっそうとした木々も年月を感じさせる。当時は観光地としても賑わっていたようで、ダム湖には観光船が浮かび散策路も整備されていた。
新丸山ダム(黄線輪郭)
新しいダムは現行の丸山ダムにおんぶするように重ねて作られるようだ。上記の写真でセローがいるあたりまでダムの躯体がせり出し、丸山ダムより20m以上湖面が上昇する。合わせて周囲の道路もさらに高い場所へ移転を始めていた。
小和沢橋
ダム直下に昭和27年に作られた吊り橋でレトロな味わいがいい。現在は歩行者のみが通行可能だけど、以前はここをダンプカーが走ってダム建設をささえていたわけだ。幸いにも新ダムができてもこの遺構は保存される。

酷道418号

旅足橋
丸山ダムができるまえは木曽川の渓流に沿って村落もあり道路もあったはず。ダム建設に合わせ村は移転してダム湖右岸に新たに幹線道路「国道418号」が建設された。しかし、切り立った山肌を削ったこの路は落石や崩落で維持をするのが大変であった。周囲の村落も無く生活道路としての存在理由が薄れる中で、この国道も不通となる期間が増え現在では「酷道418号」という不名誉な名称で有名となってしまった。新ダム建設の道路からダム右岸沿いに下ると418号になり、地図の上では恵那市武並橋までの20数キロまで通行できように見えるが。。。
クルマも走行できる1.5車線の舗装路をダムに沿って上流へ向かう。まず目に付くのが「旅足橋」、たびそこばしだ。土木建築として有名らしい。補剛桁をメインケーブルで直接吊り上げている非常に珍しい形式だそうで、世界で5つ、日本では唯一残っているとのこと。赤い塗料とさびが何とも言えない味を出している。歴とした生活路線で現役ではあるが、新ダムができると水没となるようで保存運動が始まっている。 
湯谷橋
さらに進むとしっかりとしたトラス橋、湯谷橋が現れる。ここの分岐の県道を上に上がれば整備された高規格な418号バイパスに出ることができる。小生はダム湖沿いにさらに上流へ向かう。
二股隧道
やがて路は砂利道となり、ついに現れる二股隧道。中をのぞくと途中でカーブしているためか、真っ暗闇・・・照明はもちろん無いし、ろうそくのようなセローのヘッドライトでは心許ない。。。この二股隧道には都市伝説が伝わっている。全国に広まっている「口裂けおんな」の発祥地がこの八百津とされ、またこの隧道の壁には工事に関わった労務者の遺体が塗り込められているとか、名称「二股」は隧道の途中で二股になっているから名付けられたが、今の隧道には分岐が見当たらないとか、様々な噂が残っている。
小生は怖いモノは嫌いだ。遊園地のお化け屋敷など入ったためしがない。今日は当然ひとり、誰かと走っている訳じゃ無し、近隣に人家もないし・・・・どう見てもひとりでこの隧道を抜けきる勇気が出なくって。。。引き返すことに(^^)!!

だけど、せっかくここまで来たのに先を見ないでは物足りない。。。隧道の反対側がどうなってるのかを知りたくって、先ほどの湯谷橋まで戻って上流の418号へ山越えをすることにした。

県道353号篠原八百津線分岐部
苔むして路肩もあやふやな15kmを迂回して二股隧道の上流の418号に出た。ここには堅固なゲートがあって、これから上流の通行不能区間をがっちり閉ざしていた。

ここから恵那の笠置ダムまで10kmほどの深沢峡沿いは、40年近くにわたる通行不能な区間で、国道ではあるが事実上の廃道である。落石や倒木でクルマはもちろん、バイクも通過できない状況なのに現役の国道っていうのが酷道マニアに受ける所以だろう。小生は険しい路こそ好きだけど、このゲートをすり抜けて挑戦する勇気は無い。
ゲートの反対方向を振り返ると先ほどの二股隧道につながる酷道418号が口を開いている。。。さて、どんな景色が待ってるのか!!
このゲートから下流の丸山ダムまでは険しい路ではあるけど、未舗装路、泥道はクルマでも走破は可能。味のあるコンクリ橋、苔がびっしりと張り付いた岩の壁など、朽ちた景色がなかなか素敵。路上には折れた枝なども散乱しているが、日向ぼっこしているヘビと区別が付きにくい。。。今日は2度もへびを轢いてしまった。気づいても直前で避けるのは危ないし、「おりゃ!!」ってな感じで踏みきるしか無い。。。怖いから両足をステップから浮かして情けない格好。。。へびさん、悪いなあ〜〜。
山奥に入ると野生の動物に出会すことが多いが、この日は先の路上にニホンカモシカがいるのを発見。その手前でバイクを止めたが、逃げる気配まったく無し。やがてそのまま近づいたら、やっと崖の上へ逃げてくれた。2,3分の間、振り向くカモシカと対面していた、というか、どっちが路を譲るかの「根比べ」だったような。
小一時間かけて、二股隧道の反対側出口にやってきた。これで通過可能区間は制覇したことになる。まずまず満足して酷道巡りは終了なんだが、さてここからどうやって帰ろうということに。。。へびやカモシカに遭遇した迂回路を戻るのは、気が引ける。なんたって、距離もそれなりにある険しい路だったし。。。 悩んだ結果、遠回りをするよりもこの恐ろしい二股隧道を「一瞬」で通り抜けることを選んだ。口裂け女が出てきたらどうしよう、途中で二股になっていて行く方向間違えたらどうしよう、隧道の壁面になにか映ったらどうしよう、などなど刹那に思い浮かんだが、、、、ヘッドライトをハイビームにして、ハンドル抱えるよう身を縮めて隧道に飛び込んだ。
頼りないセローのヘッドライトは空しく真っ黒の闇に吸い込まれ路面を浮かび上がらせるだけ、隧道の壁面や天井、行く先はまったくの闇だった。隧道はとことどころ広さを変えてカーブを描いて延長400mほどあった。先に出口の明かりが見えたときはホントに安堵した。「わたし、きれい??」って、口裂けおんなに肩を叩かれなくってよかった・・・。


旧八百津発電所資料館。
無事に?! 丸山ダムまで戻り、レトロな発電所を尋ねてきた。竣工はなんと明治44年(1911)!! そして1974年まで稼動を続けていた働き者、1998年からは重要文化財として博物館として開館した。天井の高ーい建物の中には、タービンと発電機が鎮座し、むき出しになった碍子や変圧器が迫力いっぱいであった。まだ当時は国内でもこれだけの発電所は無く、試行錯誤を重ねて苦労していた歴史の遺産だ。

三勝屋 八百津

カツ丼(並) 味噌汁(大)
ダムをさらに下ってくると八百津の町が現れる。随分と前に単線の電車も廃止されてしまったような山裾の町。秋の栗きんとんが有名で、戦時に掘りすぎた亜炭鉱が町内で突然の陥没事故を起こしているのも知られている。小さな町のメインストリート交差点のいわゆる大衆食堂「三勝屋」さんで遅めのお昼ご飯をとった。創業80年になる昭和レトロなお店は、壁に掲げられた黒塗り木札のお品書きが雰囲気いっぱい、小さなテーブルとスチールとビニール張りの丸椅子もこのお店にぴったりだった。「パーコー定食」「中華そば」「玉子丼」が定番のようで、いずれもお安くボリュームたっぷり。特に中華そばは懐かしいルックスと味を出していると食べログに。小生が訪れた日も平日ではあったが、とても繁盛していた。とろとろ玉子のかかったカツ丼は昭和の香り、たっぷりのお味噌汁で八百津の味を頂いた。
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
htmx.process($el));"
hx-trigger="click"
hx-target="#hx-like-count-post-23884369"
hx-vals='{"url":"https:\/\/akane928.exblog.jp\/23884369\/","__csrf_value":"451850de8658fd3ae1f4f4fd1d9b5c971c77fc3760e70084e9508d8ee0b13628bf005c212251e5b2936c752e6163e54340fb3072cafa12944db5185c9fed0c5f"}'
role="button"
class="xbg-like-btn-icon">