吉野神宮駅
紀伊半島方面は今シーズンまだ走りに行けていない。そろそろいかなきゃと思い立ち、目的地を「玉置神社」にして朝7時過ぎに名古屋を出発。紀伊半島を時計回りに巡ることが多いので、今回は時計と反対回りで「針テラス」に名古屋からノンストップで移動。その後は、榛原から大宇陀、吉野町といつものコースで南下した。十津川へは吉野山の参道を登って、吉野路大塔へ抜けるルートを選択。名古屋から2時間30分かかって、吉野山のふもとに10時に到着、吉野神宮駅でひと息休憩。
路はすぐに上りのくねくねとなる。3年前、ちょうどこのあたりで居眠り?よそ見?で路肩にフロントを取られて転倒した場所だ。転倒の際に右側頭部、右胸部を強打して右肋骨を2本折って、一時的な健忘になり直前のことが思い出せなかった苦い思い出。幸いにもバイクは動いたし、鎖骨なども折れなかったのでそのまま小生の病院まで自走した。痛かったはずだが、とにかく家に帰らなきゃと思う気力で乗り越えたなあ(^^ゞ。
吉野神社
転倒のときはこの吉野神宮を尋ねるはずだったので、今日はその無念を晴らすことができた。転倒したのはつい最近のように思っていたのに、もう3年も経つんだ、はやいなあ。
金峯寺 仁王門
桜の頃には、この界隈は大勢の観光客で埋め尽くされる。閑散期の平日だから静かなものだ。お店によって腹ごしらえもしたくなるが、まだまだお昼には早い。看板の吉野名物「葛うどん」ってのに心引かれるなあ。まだ食べたこと無いので次回はお昼時にあわせて来よう。
玉置神社
紀伊半島は山深い、そのまた不便な山頂にある玉置神社は容易に参拝者を受け付けない秘境にある。北の五条の町からは優に80km、最も近い市街地の新宮からでも50kmほども離れた山奥だ。瀞八丁方面から山を登ってくる「南ルート」と十津川の集落方面からくる「北ルート」があるが、いずれも狭い範囲舗装の林道を15kmほども上がってこなければならない。運転の苦手な人には、山頂までやってくることすら大変だろう。
十津川方面の北ルートからアプローチする。川沿いに玉置山の大きな看板があり、気をつけていれば見落とすことはないだろう。この集落を抜けるとあとは玉置神社まで民家は見当たらない。この日はこの先の橋の工事で通行止めとなっていて、数キロ南にある別の入り口へ誘導される。
玉置山への北ルート
標示にはこの先17kmで玉置神社とある。さらに瀞峡まで行けると表示があるけど、広い川沿いの道を選ばずにわざわざ山道を選ぶドライバーもいまい。
ぐんぐんと高度を上げて、標高1000mを越える玉置山山頂をめざす。そのうち、西の方角がぱっと開けて、先ほど上がってきた十津川沿いの集落が真下に見える。山がホントに深い。
玉置神社駐車場
30分ほどひたすら登ってゆくと玉置神社の駐車場に到着。平日ではあるけど、観光客が多いのに驚く。さて、この玉置神社を参拝するのはこれで2度目、はじめて訪れた時は半端ない秘境感と巨木の森、お社の荘厳なオーラなど心に刻まれる体験をした。今回はじっくりと歩いてしっかり見て回ろう。相当に歩くことになるので、ジャケットは脱いで半袖Tシャツの軽装。最初の鳥居をくぐってゆく。
玉置神社は標高1077mの玉置山山頂の南側に鎮座し、手付かずの森の中だ。駐車場から本殿までは、とにかく歩く。その距離約1000m、近道も抜け道もない、足が悪い人も抜け駆けの方法が無い、歩くしか無い。
二の鳥居
500mは優に歩いた頃、2つ目の鳥居が現れる。左が安直コース(距離は変わらずアップダウンが少ないだけ)で、右の鳥居をくぐるのが参道か。もうここまででも、十分に森林浴が済んでいる。
神代杉
森林が深いので昼でも薄暗く感じる。息を呑むような巨木の脇を参道が続く。神域として伐採を免れてきた杉の巨木たちの樹齢は1000年以上、想像もつかないくらいこの山奥で生きながらえてきた。うっそうとした森林、巨木のオーラ、初めて玉置神社を訪れたときの強烈なインパクトが蘇ってきた。こんなに不便な山奥に鎮座する玉置神社が、多くの人たちの信仰を集めてきたのは、これらの木々たちの神秘さも大きな理由だったんだろう。
倒木
本殿までももうすこしってところの峰が妙に明るく開けている。幾つもの大木が無残にも切り倒されている光景に出くわす。なんでこんな伐採をしてしまったんだろう、って駐車場の売店で聞いてみたら、その訳が分かった。昨年の超大型台風が倒木をおこした災害の後というわけだ。ひとまずチェーンソーで処理はされたが、のこる木材をふもとに搬送する手立てで難渋しているとのこと。一部ではヘリコプターによる運び出しも始まったとか。幸いにも名の付いた杉の巨樹群には被害はなかったようで、さすが太古より生き抜いてきた貫禄か。巨木たちは昨年のような大きな台風や干ばつなど、数え切れないほどくぐり抜けてきたんだろう。
大峯奥駈道
大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)は、吉野と熊野を綱抜く大峯山を縦走する修行の路。1000-1900m級の険しい峰々を踏破する「奥駈」というコースは約80kmに渡る古道で今も整備されて通行できる。この奥駈の宿泊地の一つに玉置神社があって修験者の重要な修行地であった。山の峰をつないだ人道が境内の中に続いていた。
玉置神社 本社
玉置山の頂上近く、標高1000m付近に鎮座する玉置神社は、紀元前37年、第十代崇神天皇の時代に王城火防鎮護と悪神退散のため、 創建されたと伝えられる。御祭神は「国常立尊」(クニトコタチノミコト)を筆頭に、「伊弉諾尊」(イザナギノミコト)、「伊弉冊尊」(イザナミノミコト)、「天照大御神」(アマテラスオオミカミ)、「神日本磐余彦尊」(カムヤマトイワレヒコノミコト)。さて、国常立尊は、日本神話の根源神として、一番最初に現れた神とされる。具体的な説話が見られず、謎多き神様でお祭りするお社もそれほど多くない。その中で、熊野速玉神社とこの玉置神社が国常立尊を祭神としているあたり、いずれも日本の最古クラスの神社であると思われる。
社務所
江戸時代末期(1804年)、高牟婁院の主殿及び庫裏として建立されたもので、社務所・台所および参籠所として現在も使用されている。社務所および台所とも、わずかな改造を受けたのみで古い様式を今に伝えていて、国の有形文化財に指定されている。200年まえの建物が普通に使われているのだからすごいことだ。ちなみにこの玉置神社の家紋は「州浜」、そして代々ここの神主として勤めてきた湯の峰温泉の旅館「あずまや」の家紋も「州浜」、あずまやで宿泊した際にいろいろ謂われを聞いたことがあった。小生の先祖は伝承で代々「神主」や「商人」で、松阪から名古屋に移り住んできたと聞く。そして我が家も「州浜」が家紋だ。「州浜」を用いる家系は決して多くなく、どちらかというと珍しい。なので、玉置神社、湯の峰温泉とはるか大昔、小生の祖先がつながっていたかもと想像するだけでもわくわくするものだ。
玉石社
玉置神社のはじまりはこの玉石社と伝えられ、玉石に宝珠や神宝を 鎮めて祈願したとされる。大峯修験道では、玉石社を聖地と崇め、本殿に先んじて礼拝するのが習わしだそうな。三本の杉の木の中心に丸い石は、「大巳貴命」 (オオナムヂノミコト)を御祭神として祀る玉石で、地中にどのくらい埋もれているかわからないほどの巨石が潜んでいるとされる。この石が「玉置神社」の始まりの石で、古代信仰の姿を今に伝えている。古事記では神武天皇が東征の際、八咫烏に導かれ玉置山へ入り兵を休め、「玉石」の上に神宝を置き勝利を祈ったといわれる。
玉置山への南ルート
参拝後のルートは南の林道を使って下りてきた。駐車場から幹線のR169までの14kmは、北ルートよりも遠い長い印象。玉置神社のこの辺境感が、よりいっそう参拝のありがたみを増しているようにも思える。今回も参拝した後も、とても達成感が湧いてきて、他のお宮さん参りではあまり感じないことだ。
湯ノ口温泉(ホームページより)
瀞峡まで下りてきたら、あとは尾鷲経由で名古屋に帰るだけ。せっかくなので、瀞峡ちかくの温泉に立ち寄る。湯ノ口温泉、名前は聞いていたが不便なところもあって、これまで来たことがなかった。源泉掛け流しのお湯は、わずかに硫黄の香りがするナトリウム・カルシウム塩化物泉で、日が差すと湯船には独特の透明感がある。Ph7.2なのでヌルヌル感はないけど、源泉45度の豊富なお湯は完全な掛け流しでとても贅沢。手前の瀞流荘という温泉宿から、鉱山跡のトロッコ列車で10分かけてこの湯に来ることもできるそうだ。紀伊半島はホウボウにいい温泉があるので、やっぱりお気に入りの地域だなあ。
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