AMG GT 2016 イリジウムシルバー

名古屋高速 四谷ランプ 8:40
昔の人は上手く言ったものだ。めっきり底冷えのする日が続いていたが、「大寒」の頃だった。こうさむくっちゃ、さすがにバイクに乗る気がしてこない。そうそう、水仙がキレイな時期であるに思いつき、水仙の里、越前海岸までドライブに出かけた。

伊吹山
名古屋高速、名神高速と進んで、木曽川の長い橋を渡る。前方には白く雪を被る伊吹山が雄姿を見せてくれる。あ〜、山はかっこいいな〜。

養老山脈
木曽三線をこえると今度は、左手に養老山脈がせまってくる。丁度見ているあたりが養老の滝か、お山に向かって走るこの区間は美しい景観で癒やされる。

米原からは北陸自動車道を経て、名古屋から1時間とすこしで、敦賀ICまでやってきた。名古屋は晴れていたけど、冬の日本海側らしい曇天にかわる。今日の目的地は越前岬、その手前の旧北陸線のトンネルたちを見てこようと思いつく。年末のこのあたりの大雪による積雪が心配したが、もうずいぶんと溶けていそうなので、山の中に入っていっても、GTさん大丈夫でしょう。


北陸トンネル(北陸隧道)
はじめに、現行の北陸トンネル、敦賀側にやってきた。このトンネルは5年の歳月を経て、1962年に長大なトンネルが完成した。トンネルの扁額(銘板)には「北陸隧道」と右から記されている。戦前でもないのに、なんでだろうね。開口部の左手には、この工事で殉職された27名の慰霊碑がみえる。反対側にはゲートがあって、慰霊碑の近くまで行けるよう。さて、それでは敦賀市外から北陸自動車道にそって、R476を今庄方面に北上し、旧北陸線の廃線、トンネルたちに向かう。
旧北陸線トンネル群
旧北陸本線は、1893〜1896年(明治26年 - 29年)の工期を経て、敦賀〜福井間が開業した。その区間には、古代からの交通の難所である木ノ芽峠があり、13ものトンネルを建設することで、鉄道を敷設した。現在も11の隧道が残っている。隧道以外にも、険しい山地を通るため、築堤、橋梁、暗渠などの土木構造物、急勾配を通過させるためのスイッチバック施設も残る。また昭和期の建設であるが、国内で最初期のロックシェッドも見られる。(ウィキペディアより)
追記をすると、旧北陸本線は、木之本と敦賀間を柳ヶ瀬トンネルでつなぎ現在とは異なったルートであった。今も旧線路には、「柳ヶ瀬」「小刀根」という2つのトンネルが残っている。また、大陸との往来の玄関であった敦賀港には、支線があって「敦賀港駅」が賑わっていたが、2019年に廃線、廃止された。



#1 樫曲隧道(かしまがり)80m 10:00
敦賀、福井間の最初のトンネルが樫曲隧道。赤茶けたポータルはれんが造り、煙ですすけた色合いが美しい。ところで、名を期した扁額が見当たらないね。トンネルは国道沿いにあって、センサーが感知してぼんやりと街灯に明かりを点してくれる。ここまで整備されているのに、クルマを駐める場所がないのがまずいね。

れんがや石を使ってトンネルの壁が組まれているが、イギリスだのフランスだのいろいろな組み方があるよう。130年近く経った今でも、供用に耐えれるというのがすばらしい。有形文化遺産や推薦土木遺産に指定されるのも頷ける。

県道209号分岐
樫曲隧道を過ぎてしばらくすると左に分岐あり。地図上では、山越えして2,3km先の海沿いの集落(五幡)に抜けるようになっているけど、クルマじゃいけない酷道。同好者には知られたアイテムで、セロ尾さんのツーレポがみつかる。もちろん、GTさんは通り過ぎるのみ。
樫曲トンネルから4,5kmで国道から離れて、いよいよ旧北陸線の線路上を走る事になる。全面通行止めなんて、表示にドッキリしたが、工事は鮒ヶ谷トンネルの先で平日通行止めの可能性ありとのこと。平日に突入する際には、要注意。


基本、単線であったから、センターラインが引かれるような幅員はない。列車の走る道だから、定規で線を引いたような直線や、緩やかなRを描く道が続く。やがて、2番目のトンネルが出てきた。


#2 葉原隧道(はばら) 979m 10:15
国道から入って来て最初のトンネルだから、高さ制限のゲートが物々しい。のぞいてもお先は真っ暗で、約1000mの長さだから、交通整理の信号がないと恐ろしくて侵入できないだろうな。最長の山中トンネルに次いで、トンネル群の中では2番目に長い。ポータルは一転して重厚な石組。トンネル内は照明が全くないから、漆黒の闇、ヘッドライトの明かりも吸収されて心許ない。

トンネルの左手には、まだ竣工前のトンネルが開口している。北陸自動車道の上下線の間にはさまれた位置にあり、開口している向きも斜めになっているので、北陸自動車道トンネルの付帯施設かもしれない。

トンネルを抜けると左手にパッと視界が広がって、敦賀湾と敦賀半島を見下ろす。岬の先っちょ当たりには、南太平洋を思わせるブルーと白砂が美しい水島や原子力敦賀発電所が見えている。

#3 鮒ヶ谷隧道(ふながや) 64m
短いトンネルだけど、左右のピラスターも堂々と、ポータルのデザインは、トンネル群において概ね統一されている。観光協会の案内では、令和4年3月末まで、鮒が谷隧道とお次の 曽路地谷隧道の間で、平日の8時半から17時まで通行止めとなっている。


#4 曽路地谷隧道(そろじだに) 401m
信号無し、照明無し、行く先まっくら、しかも長いときている。ヘッドライトの明かりだけでは心許ないので、入るなりクラクションで、まさかの対向車に備える。よかった、来なかった。

いずれの隧道も入坑部の側壁に杭でもさしていたかのような孔が残っている。その高さと位置からは、信号機がついていたんじゃないかと想像する。

北陸自動車道 杉津パーキング 10:30
曽路地谷隧道をでると拓けた土地に出てきて、左手に北陸道上りの杉津パーキングが現れた。下道からもパーキングの施設が使えるようになっているから、このドライブコースで貴重なトイレ施設になるかな。旧北陸線ではここに杉津駅があって、御幸の際に大正天皇が海の景色が素晴らしすぎて、発車を遅らせたという話が残っている。

本来の廃線跡は一部、自動車道路で消えてしまっており、一端、自動車道路をくぐった先で、旧線路跡に復帰。この杉津から山を下る脇道があって、海沿いの国道8号線に抜けることが出来る。だからか、再び高さ制限のガッチリゲートがトンネルを守っている。

#5 第1観音寺隧道 82m


#6 第2観音寺隧道 310m
第1、第2と続くので、ひとまとめに紹介。トンネル内壁は側面が石積みで天井はレンガの長手積みで仕上がっている。120年経っていても、整備をしていれば供用できるとはすごいことだ。


#7 曲谷隧道(まがりだに)260m
トンネルの顔つきはどれも一緒だけど、この曲谷は蔦や苔の雰囲気が重々しくていい感じ。石組みに塗られた赤はペイントだろうが、何の目的?? いたずら?? 曲谷というからには、トンネル内でぐいっと左にカーブしている。ここは、照明がしっかりしていて明るい洞内。

曲谷隧道をを出てくると、その先のトンネルが串刺しになって、トンネルの先にまたトンネル、このあたり、5つのトンネルが連続していて、トンネル好きにはたまらない。

#8 芦谷隧道(あしたに) 223m
扁額は新たに整備されたのだろう、ピカピカだ。この芦谷隧道の前後3つのトンネルの開口部が一直線上にあるから、トンネルの串刺しが完成している。

ナビをみれば、県道207号線となっていて、「万葉の道」を名がついている。万葉の時代(奈良時代)に京都から北陸に抜ける街道がこの207号と重なっていたよう。敦賀をでた古道は海沿いを通り、先ほど紹介した「五幡」から山越えして、杉津を通り、山中峠を経て今庄に抜けていた。なるほど、古来より、この山中越は都と北陸をつなぐ重要な路だったんだ。
さて、連続するトンネル群の最後の「ボスキャラ」、山中隧道。伊良谷隧道に続き、この顔つきも赤いれんが作り。落石でもあったのか、扁額の部分が崩れ落ちている。全長1170mは最長ではあるが、なんと信号が無い。そう、無くても大丈夫な理由は、まっすぐなトンネルで1km先でも対向車が分かるから。

石碑
山中隧道の敦賀側に南無阿弥陀仏とかかれた墓標がある。背面を見ていないが、表には、明治29年7月 第12号隧道工事中為死亡者 と刻まれていた。同年は、このトンネルが竣工した年であり、何人の死亡があったかは定かでは無いが、機械化が進んでいない時代のトンネル掘削は大変であったろう。


さて、いよいよ、最後のトンネルを通過する。1km先の出口が小さな明かりの点となって見えている。ここも照明があるので、真っ暗闇では無いが、徒歩や自転車では怖くて小生には無理だな。列車のトンネルであった証は、所々の待避所だ。時に大きな待避所を見つけるが、これは工事機材も持ち込めるようにしたためだろう。

山中隧道 今庄側
さて出てきましたが、こちらも扁額部分が壊れていて失われている。峠に近いためか、雪も残っている。


明治時代の近代化歴史遺産として、近年になり評価され、文化庁からは「登録有形文化財」に、土木学会からは「選奨土木遺産」として登録された。今も現役の生活道路として生活に役立っており、長く後世に残されるものとなる。50年以上前、父の運転するカローラで、このトンネル群に迷い込んでしまったことがある。当時はトンネル内の照明はもちろん、交互通行の信号機すらなかったので、祈るような気持ちで家族みんなで必死に出口をめざした懐かしい記憶。


山中隧道今庄側出口とスイッチバック用のトンネル
山中隧道の今庄側は、鉄道のスイッチバックの遺構が残っている。積雪で開口部に近寄れないが、トンネルは50mほどで行き止まり。



山中信号所跡
今庄から敦賀に向かうこの上り坂は当時の機関車には登坂が困難で、スイッチバックという作業を経てこの難関な峠越えをしていた。追加のトンネルを掘って、長大な列車を待避させたり、後方まで後退したりと大変な手間と時間を要したので、山中峠越え流通のボトルネックになっていた。これが後に新しい北陸隧道を作るきっかけとなった。

右手の車道が鉄道本線で左の雪道がスイッチバック部分。奥には、落石から路線を守るロックシェッドが見えているが、これも文化遺産。


山中信号所〜大桐駅の区間は1000分の25という急勾配(10m進んで25cm登る)で、山中峠にむかう下り列車には過酷な上り坂だった。名阪国道の上り坂などで、重量運搬トラックが排気ガスもくもく出して、20-~30km/hほどのスピードで喘ぎながら走る姿を連想する。


大桐駅跡 11:15
峠から今庄側に降りてきた最初の集落には、ちゃんと駅が作られていた。古には、難所の山中峠を超える旅人たちの大切な宿場であったであろう。

大桐集落
大桐集落を貫く細い街道は、北陸街道(万葉の道)で鉄道が走る前からの北陸と京都をつなぐ幹線であった。今はひっそりと集落の生活路に。

北陸トンネル 今庄側出口
大桐の集落の先で、右手の山裾から現行の北陸本線が合流してくる。敦賀市内で見てきた北陸トンネルの今庄側だ。北陸トンネルは13870mのほぼ直線、複線の完成により、これまでよりも1時間以上時間を短縮し、通行量は飛躍的に改善された。

南今庄駅
廃止された旧線路は、現在のような車道に整備され、電車の代わりに国鉄バスが路線バスとして地元の人たちの足となった。また、大桐と今庄の間に、南今庄駅が新設されたが、これは周辺の集落からの要望であった。しかし、2019年の実績では、平均一日乗車人員は13名と、北陸本線の駅では最も少ない。

今庄 11:25
旧北陸線の路はR476に合流するあたりで、緩やかに左にカーブ、その先は現在の今庄駅舎だ。一番目の「樫曲隧道」から、ここまで22km、その間に10個の美しいトンネルをくぐってやってきた。毎度ながら、このトンネル群たち、廃線、トンネルマニアにとっては、たまらない聖地だ。さて、時刻は丁度お昼時、お腹も空いたので、今庄といえば越前蕎麦で有名な所なので、お気に入りのお店に突入としよう。
色々調べているうちに、「旧北陸線トンネルカード」なるアイテム配布があることを知る。こりゃ、全部集めたら自慢してもいいかなあ(^^)。
メルセデス-AMG GT 14 2/2 越前岬 越前ガニ 水仙ランドに続く
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