XT250 セロー 25th 2010
前半戦はこちら

R157 大河原 11:05
根尾、大野探検の後半戦。上大須周辺の探索を終えて、R157にでてきた。下流の能郷から黒津の5km程がクルマの離合も困難で、災害による通行止めが多い区間。通行止めになることも多く、そんな際には、上大須からココまでのルートがR157のバイパスとなる。

蠅帽子峠(はえぼうし)へ
美濃と越前をつないだ大昔のルートは、この大河原から分水嶺の山越えをして、北の笹生川へ抜ける人道であった。その峠が蠅帽子峠、なんとも興味がそそられる名前の峠。古道への取り付きが看板で案内されている。

渡河地点
根尾西谷川の左岸から登山道がはじまるので、川を渡る必要がある。この向こうに登山道入り口の目安になるお地蔵さんがいて、その尾根をずんずんと登ってゆけば、蠅帽子峠に至る。登山記録をWebで検索すると、以外と多くの人たちがここから登山している。

キレイな緑の切り通しを超えると、いよいよ温見峠らしい景観の区間に入ってくることを知る。

根尾西谷川の右岸をR157は峠にむかって少しずつ高度を上げる。谷も徐々に深くなってきた。


洗い越し
印象深い「洗い越し」を体験できるもこの当たり。よほどの渇水期でなければ、複数箇所で流れを横切る場面に遭遇する。沢渡にも、洪水期に沈降橋のようになる沢もあったりと、厳しい自然への対応が感じられる。

能郷白山
峠に近づくと、左手の稜線の先に山の頂が見えてくる。1617mの能郷白山で、冠雪時の冬の姿は名古屋からも見ることができる。

似たようなヘアピンカーブをいくつか過ぎれば、もうすぐ峠。

温見峠 11:32
標高1020mの峠に到着。奥美濃と越前の国境、分水嶺。晩秋からGW頃までの半年間は冬季閉鎖となる。見通しのよい峠で、風が通り抜けてゆく。


能郷白山登山道
西の尾根づたいに登ってゆくと、先ほどの能郷白山の山頂に至る。古来の登山道は遙か下流の能郷から上るルート。この温見峠から上るルートは、昭和49年に道ができてから開拓されたものだ。いいかえれば、R157の温見峠は、できてまだ50年も経っていない新しい道なのだ。丁度、山から下りてきた軽装な登山者に聞くと、ここから山頂まで往復4時間だそうで、それなら小生でも行けるかも。山歩きの練習と装備を調えた上で、かならずや挑戦だ。

峠から大野側の温見集落まで、温見川の右岸を隘路は、絶壁に張り付くようにクネクネ進む。沢をわたるコンクリ橋もきっちりクルマ1台分、ガードレールも気休め程度の「ワイルド」な区間、R157の険しさを堪能できる。


集落 温見(ぬくみ)
峠の名前にもなった温見の集落。既に離村してしまっているが、夏の間は住人が戻ってきて営みをしている。この日も畑で人を見かけた。

温見ストレート 11:51
温見橋で左岸に渡ると、「温見ストレート」。900mほどの直進路で、昔は左右に集落があったはず。クネクネばかり走ってきたから、ここは気分よい。

路傍にはピンクのキレイな花を見る。匂いこそないが、なかなか豪勢だ。グーグルレンズで何の花か検索しようとしたけど、「圏外」なのでつながらない(T_T)。

雲川ダムが現れるあたりから、R157は国道らしい体裁を整えて快走路となる。この先もほぼ、この姿で大野の町につながってゆく。

林道巣原線
チェックポイントの巣原林道。2017年に通り抜けて以来、災害などで通り抜けできないと聞いていたので、現状の偵察に上がってみる。

わずかに平坦な土地があるところ、ここに巣原の集落があった。昭和30年頃には、55戸、366人が住んでいたが、昭和40年の災害で周辺の集落共々離村してしまった。この先を見てみたいが、元住人の人たちであろう、物々しい進入禁止の看板が立っている。


お花栃
集落跡を過ぎて、巣原峠に進む。路傍に「お花栃」と石碑があり、樹齢400年とある。崖の下を覗けば、多分それであろう古木が見える。トチノキのことだろうが、Web上では由来など情報が出てこない。巣原の集落があった頃は、住民から大切にされた大木であったはず。資料が残されていないのが残念だ。

修復された堰堤と林道 12:18
2017年前後にこの部分の土石流で道路が流されてしまった事があり、しばらく通行できなかった。現在は、すっかり整備され、美しい堰堤が築かれている。


しかし、堰堤を超えたすぐ先、あと1kmで巣原峠という切り通し部分で崩落があって、ガレ石でコンクリ路面がすっかり覆われている。堆く堆積していて、しかもフカフカのため後輪がスタックして埋もれてしまう。下りであったら、降りてこれるだろうが、登るのは危険と判断、ここで潔く撤退とした。2020.5に自転車で巣原峠を通過した人のブログを拝見すると、この先の崩れ落ちたヘアピンカーブが登り、下りともバイクで上がれそうまでに整地されているのを知る。したがって、この切り通しのガレ石さえ撤去されれば、巣原峠も以前より安易に通り抜けれるようになるかもしれない。ただし、草ボウボウの時期は避けないと無理だ。

大野市 中島 12:50
巣原林道から、R157に戻り、大野方面に降りてきて、中島で右折。r230で伊勢峠方面に侵入。1週間ほど前まで、温見峠は通行止めであったので、すれ違うクルマにも何度か声を掛けられた。「温見峠、通れるんですね〜〜」


細ヶ谷林道 13:00
r230を東進し、もう少しで笹生川ダムというあたりで、右に分岐する林道あり。以前はトラガードがあったが、今日はなし。延長5000mの林道に初挑戦、さてどこまで行けるでしょうか?

すぐに立派なトラス鉄橋、名前は、そのままの細ヶ谷橋。


細ヶ谷川堰堤工事
昭和40年の台風災害で、この下流にあった中島の集落は、洪水と土砂くずれに襲われて壊滅的な被害にあった。現在でも、地道にトンデモナイ山奥に堰堤などが作られて、下流の洪水などを防いでいる。これらの人々の努力によって、流域に住む人たちが守られていることを知るのも大切なこと。

細ヶ谷林道 5000m付近 13:15
未舗装の走りやすい林道は、クネクネ尾根を乗り越えながら、先に続いてゆく。林道延長5085mはすっかり過ぎても、まだまだ先が見えない。地図によれば、まだ4,5kmは道が続いていそう。終点を見てみたいが、だんだん怖くなってくる。どのみち、ピストン林道なので、このあたりで引き返した。いずれ時間があるときに、最深部まで挑戦したいね。

笹生川(さそうがわ)ダム 13:35
昭和32年に完成した、治水、利水の多目的ダムとして完成。もう、随分と歴史を持つダムだ。昭和40年の台風災害では、貯水量が完全の超越し、ダム自身も崩落の危険に迫られた。

ダム事務所の貼り紙
クルマは駐めてあるが、ダム事務所はひっそりとしていて無人のよう。入り口には、「お願い!!」と貼り紙を見つけたので、これは見ないわけにはいかない。何か、大変な事でも。。と読んでみると、流れ着いた流木の処理に困っているから、「薪に使いませんか?」って、お願いだった。薪ストーブに活用したり、流木アートの素材にはいいのかも。

笹生川貯水池
ダム湖は雪解け水でほぼ満水の状態。見えてる先は、蠅帽子川に続く入り江。3年前に、この先を探検しに行ったが雨で撤退した場所。今日はもう一度、挑戦してみよう。

仮称 蠅帽子川林道 13:46
蠅帽子川に向かう橋を右に、大野側から蠅帽子峠へ向かってみる。 ダムができてからの道と思われるが、地図などで名称が出てこない。蠅帽子川に沿ってその上流に向かうのだから、「蠅帽子川林道」で無理はないだろう。



石碑
橋を渡れば、蠅帽子峠への案内あり。「関所跡」まで16km、さて先に進みましょう。

前回は雨の中、ここあたりまで入ってみたが、時間切れ、心細さで撤退した。この先、どうなってるんでしょ。

越山(おやま)
貯留池も途切れ、蠅帽子川にそって道が続く。正面に高い山が見えてきた。岐阜県側との県境、越山だろうか?

終点堰堤 14:02
橋を渡って7kmほどきたところで、道は堰堤で行き止まり。
「山だもんね」さんが、このルートで、蠅帽子峠に到達。この先まだ7,8kmは歩きが必要のよう。その先の峠を越えれば、前半に見てきた岐阜側の登山入り口に出てくるはずだ。関所跡16kmとあったが、丁度峠の取り付き当たりになるのだろうか。美濃と越前を結ぶ古道であったから、関所があってもおかしくない。ひとまず、前回のリベンジができて、蠅帽子林道の終点まで来ることができた。あ〜、スッキリ。

再びr230に戻り、伊勢峠にむかって高度を上げてゆく。植生が強く周囲の展望は期待できない。

秋生 和佐谷秋生林道
峠手前で左に分岐あり、2019年にこのあたりの探索をした際に、大野側から貫通を試みた林道だ。バリケードが置かれていないので、通過できる?? 前回は草ボウボウで敢えなく撤退したが、雪解け後の初夏であれば行けそうな気がしてきた。来期は貫通に挑戦か(^^)


伊勢峠 14:30
樹木のせいで、いつも暗がりな伊勢峠。人の気配のする集落から遠く離れており、寂しい峠だ。お決まりのお地蔵さんは、ビール、日本酒と豪勢なお供え物、献花で賑やか。

下ってくると、峠の名前にもなった「伊勢」の集落跡がでてくる。住宅跡や畑などの石垣が以前は人が住んでいたことを示してくれる。現在の伊勢神宮があの地に鎮座する前に、倭比売命たちが候補地を見つけるために各地を転々とした場所に「伊勢」、「元伊勢」と名が残っている。ここも、元伊勢であったという言い伝えが残る。

面谷橋(めんだに)
伊勢峠を下りてくると、九頭竜湖湖畔を走るようになる。赤い面谷橋の手前を支流の上流の面谷鉱山跡へ向かう。

拓けた谷は明るくて気分良い。アクセル開けて、フラットダートを楽しむ。

鉱山だった証、ズリ山も残っている。


鉱山跡 15:08
川向こうには、石垣が段々に残り、わずかに鉱山であったことがうかがい知れる。建物や施設などの構造物は見当たらない。面谷鉱山は江戸時代に発見され、重要な「銅」を産出し、明治時代を中心に賑わった。

住居跡
川のこちら側は、同じく段々畑のように石垣が続き、最盛期には600戸、3000人が住んでいたとされる。上に続く道を上がろうとすると、以前にはなかった「私有地につき、立ち入り禁止」の看板。観光用の写真入りの説明板も撤去されているし、なにやら雰囲気が変わっていた。


墓標と石碑
村はずれの路傍にひっそりとお墓が残っている。なんで、こんな場所に?? 1918年、世界中を席巻したスペイン風邪は日本でも猛威を振るい、この山奥の集落にもパンデミック災害をもたらした。鉱山の劇場でおこなった送別会がきっかけとなり、村民すべてが罹患し、わずか1ヶ月で90名以上の死者を出すに至った。このため、採掘に関わる熟練工も多く失い、戦争終結による需要低下も重なり、その数年後に鉱山は閉山、離村となってしまう。その際に亡くなった村民のお墓が、ここなんだ。石碑は以下のように説明している。「昔のことで迷信に惑わされ、仏を村のお墓に埋葬したら伝染病が流行るからと、遠く離れたこの場所に埋葬した。」当時は、何の感染かも分からない、「はやり病」として、恐れ慄くしかなかったのだ。

箱ヶ瀬橋 15:34
もう一つの支流、荷暮にも行きたかったが時間切れ。秘境ともいえる奥美濃の不思議な世界から、箱ヶ瀬橋を渡ってR158に出てくると、この世に戻ってきたかのような錯覚を覚える。濃厚な山奥の冒険もこれにて終了。

中部縦貫自動車道(大野油坂道路)
令和8年の全線開通を目指して、多くの場所で工事が進んでいる。これにより東海北陸自動車道の白鳥と北陸自動車道の福井がつながる。その昔、美濃太田から福井までの150kmをつなぐ鉄道(越美線)が計画されたが、開通できなかった悲願のルートだ。越前地方の人たちにとって、東海地方とのつながりが深くなり様々なメリットをもたらすだろう。

油坂峠 15:45
自動車道の油坂トンネルは、大きなループを2つ描いてグングン高度を下げて白鳥の町に降りてくる。便利で早いことは間違いないけど、あえて小生は旧道の峠を走る。峠を味わうには、やっpり旧道に限る。白鳥の町を見下ろす高台で最後の休憩、あとは白鳥ICから一気にお家に帰りましょう。以前の探索で消化不良だった未開の地も見て来れたし、熊にも会えたし、天気にも恵まれ満足満足。
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