
京都 建仁寺 双龍図

京都 太秦(うずまさ)
7月に建仁寺で双龍図を見てから、その迫力と美しさに惹かれてしまう。調べると、禅宗のお寺の仏堂、法堂などの天井に雲龍図が描かれていることが多い事を知る。それじゃあ、京都の雲龍図を制覇してみようと思い立った。公開されているのは、知られたところで10ヶ所ほど。期間限定公開の雲龍図も多いので、まずは一般公開中のお寺をはしごしてみることに。花園の妙心寺をスタートにお寺巡りを一筆書きでルートを計画。名古屋からは京都東ICで降りるのが常だろうが、山科あたりの渋滞を避けるために、ぐるっと反対側の京都縦貫道の大原野ICまで一気に走る。目論見通りスイスイと市内に入り、太秦の交差点にやってきた。

雲龍図はないけれど、目の前の広隆寺に寄らない訳にもいくまい。弥勒菩薩に挨拶してこよう。学生時代、当時の彼女をボロセリカにのっけて、訪ねたのが最初で懐かしい。以来、チャンスがあれば、寄ってるお寺。


太秦 広隆寺
広隆寺は、渡来系部族の秦氏の氏寺であったが、聖徳太子から賜った弥勒菩薩像を本尊として建立したのが起源。古墳時代からこの地域に存在し、京都でもっとも古い発起をもつ。正面の太子殿には、聖徳太子立像が本尊として祀られる。多分に漏れず、この寺も何度か大火にあい、今の太子殿は江戸時代のもの。

新霊宝殿
太子殿の裏には、鉄筋コンクリートの新霊宝殿があり、貴重な仏像などが厳重に管理されている。室内は最小限度の照明で、仏像管理のためか、冷房もなく外気だけの空調。木製の仏像には良いのかもしれないが、じわりと汗が出る。

弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしゆいぞう)(ポストカードより)
部屋の中央に、照明に浮かび上がる弥勒菩薩像。高校の教科書で初めて接したときから、つよく惹かれるものを感じる仏像。実際に目の前に佇めば、その温和な表情、仕草に魅入られてしまう。いまから1500年の昔に、このような均整のとれた美しい仏像が創造され、数え切れない人たちに感銘を与えてきたことはとてつもないこと。訪れるたび面前に対峙して、言葉もなく弥勒菩薩に引き込まれる。また、背面の阿弥陀如来座像、観音立像、千手観音立像など、いずれも穏やかでスッキリしたお顔で間近に見上げる偉容は、自然と手を合わせてしまう。新宝殿の中は、たくさんの国宝が鎮座する圧巻の秘蔵。館内は撮影禁止、私語もひかえてしまう厳かな雰囲気だ。

京都観光 NAVIプラスより
今回、雲龍図検索の資料としたのは、上記のリスト。名の知られた寺院だけを取り上げているので、他にもたくさんの雲龍図があるに違いない。この日は、妙心寺→建仁寺→泉涌寺をめぐる予定。

花園 妙心寺

最初にやってきた妙心寺は禅宗のひとつ、臨済宗のお寺。室町時代の上皇が花園御所を禅宗の寺院にしようとしたのがはじまり。114代の住職さんが綿々と受け継いで、その住職を弔うお寺(塔頭寺院・たっちゅうじいん)が妙心寺の周りを取り囲んでいる。その数、46の寺、すごい。

南総門をくぐると、まっすぐに参道が奥につながる。左右には、塔頭寺院の門と塀がずーっと続く。広い、広い。

三門
朱塗りの三門は江戸時代の再建、重要文化財。結界を示す山門は、多くのお寺で朱に塗られていることが多い。なんでだろう。

仏殿と法堂
仏殿は本尊の釈迦如来を祀る。後ろの法堂はお目当ての雲龍図が描かれた天井を持つ。いずれも江戸時代の建築で重要文化財。どっしりとピンとはねあがった軒が美しい。

大方丈
唐門をくぐれば、お坊さんの生活の場、説教、講演の空間。重厚な檜皮葺き(ひわだぶき)の屋根がキレイだ。大方丈の奥は、おっきな台所(大庫裏)が続き、でっかい釜がならんでいた。寺院の庫裏としては、日本最大な規模だそうな。ちなみに、お寺さんの奥さんのことをお庫裏さまと呼ぶが、この庫裏から来てるのかな。

妙心寺は臨済宗の大本山。軒下には、その末院(まつじ)の札が並び、その数3000以上。すごい。

法堂
さて、いよいよお楽しみの雲龍が待つ法堂(はっとう)にやってきた。法堂は住職の説法や重要な儀式が執り行われる場所。堂内は撮影禁止、心して目に焼き付けよう。


雲龍の図(パンフより)
炎天下の屋外から、薄暗い法堂に入れば、堂内はひんやりしてきもちいい。天井を見上げると、三本のツメをカッとひらいた力強い龍が横たえている。黒の濃淡だけではなくって、朱や群青が塗り込まれた鮮やかな龍だ。雲龍図は、天空を守り、仏を守る力があるとされ、仏堂や法堂の天井に描かれる。妙心寺の係の人が待機していて、案内を始めてくれる。
はじめに天井の雲龍の説明で、龍から目を離さずに堂内を反時計回りに回るように言われる。なるほど、「八方にらみの龍」で、どこから見ても眼がこっちを向いているみたいに感じる。また見る向きによって、龍が登ったり、下ったりしてるように感じたり。。謎解きは、いろいろ出回っているが、ん?と思ったり、なるほどと思ったり。描いたのは、狩野探幽(かのうたんゆう)で江戸時代の作品。

妙心寺鐘(パンフより)
法堂の片隅に、鐘が飾られていて、別名、黄鐘調鐘(おうしきちょうしょう)といわれる。起源は古く、飛鳥時代698年に作られた現存する日本最古の鐘。割れているので、現在鳴らすことはできないが、第1回目の「NHK行く年来る年」でこの鐘の音が放送され、昭和49年まで毎年日本中にこの音が届けられた。つかれる部分を撞座(つきざ)というが、後世になるにしたがい、下方に位置するようになったとのこと。妙心寺の唯一の国宝ではあるが、その安置場所はとてもいい加減で、周りには車椅子やスピーカーが無造作に置かれてあった。案内人曰く、「日本でもっともぞんざいに扱われている国宝」って、自嘲していたが、小生もマジでそう思った(^^)。

開化堂
妙心寺のお次は、祇園の建仁寺。途中で、気になっていた逸品をみたくって、下京区の開化堂に寄り道してみる。

明治から伝わる開化堂の茶筒は、その美しさと精巧さで知られている。材質は真鍮、銅、ブリキから選べて、サイズもいろいろ。湿気を嫌うコーヒー豆やお菓子、ナッツなどを入れてもふさわしい。緻密な作りは、フタをのせると、その重力でゆっくりとしまり、最後はカチンと音をたてる。機密性が高く、湿気をきらうお茶っ葉には最適な入れ物。

真鍮の茶筒は、ブラスト色の鮮やかな輝きも、人の手の油脂でゆっくりと錆びて、まだらとなり、やがて全体が均等に錆びて、味わいある姿に仕上がる。お話では、最初の1〜2ヶ月間は毎日触れて全体を均等に錆びさせることが大事と伺った。水洗いは厳禁とのこと。道具として素晴らしく、お茶を入れることが多い人には、一生モノのお宝になるだろう。しかし、小生には、使い道が思い浮かばず、ひやかしだけでおしまい。

2016 メルセデス AMG GT
名古屋市内に比べると、京都の市街地はやばいほど狭い路地があり、GTさんの車幅を持て余す。妙心寺の駐車場に入ろうとして、誤って境内の路地に突っ込んで進退窮まったが、延々のバック走行で窮地を凌いだ。

祇園 建仁寺
2ヶ月前に訪れていた建仁寺だけど、双龍図のために再訪。平日なので、参拝者もそれほど多くなく、ゆっくりと参拝できる。建仁寺は妙心寺と同じ臨済宗のお寺で、開祖は臨済宗をひらいたとされる栄西。京都でもっとも古い禅宗のお寺。

方丈中庭 ○△□乃庭
砂紋のひかれた中庭には、変わった名前がついている。単純な三つの図形は宇宙の根源的形態を示し、禅宗の四大思想(地水火風)を、地(□)水(○)火(△)で象徴したと説明書き。井戸が□、中央の芝が○、それじゃあ△は。。。そっか、屋根の形!!

と決め込んだが、どうやらまちがい。正解には、このアングルから庭を見る必要があって、□、○が並ぶその先、奥の建物の軒下の廊下、この板間の見え具合を△とするらしい。これは、むずいな〜〜。

雲龍図襖 海北友松
方丈の「礼」の間を飾る八面のふすま絵、16世紀の作品で重要文化財。雲から抜け出した双龍が、大迫力で迫ってくる。

西面の龍は口を閉じ、北面の龍は大きく咆哮している。これは、狛犬の「阿吽」といっしょ、「阿・あ」口を開けた言葉の始まり、「吽・ん」は口を閉じたおしまいを表し、仏の世界では、物事の始まりから終わり、人の一生を表しているとされる。


法堂 双龍図
2002年に小泉淳作により、法堂の天井に双龍図が描かれた。海北友松による雲龍図ふすまの双龍を引用し、ここにも阿吽の姿をした双龍を残したのではないかと、小生は推測する。雲龍図は多くあれど、双龍はここだけだからだ。玉を握りしめるツメは5本、彩色は墨の濃淡のみ、大きな天井いっぱいに跳ね回る。ごく新しい雲龍図は、色彩、輪郭ともクッキリ明瞭で、アニメタッチな表現もあり、いかにも現代の雲龍図と感じる。300年以上前に描かれた妙心寺の雲龍図とは、趣を異にするが、多くの人に強い印象を残すだろう。建仁寺は館内の撮影が許されているので、思いのままの龍を残すことができるのもいいところ。


東山 泉涌寺
本日3つ目の雲龍図は、泉涌寺(せんにゅうじ)にあり。東大路通からせまい登り一本道のつきあたりに大門が待ち受ける。泉涌寺は皇室の菩提寺、この大門は江戸時代の御所、南門を移設したもの。大門をぬけると、坂道くだりの参道のさきに、仏堂が見えている。降りた先に寺院があるのは、希で「降り参道」ともよばれる。同様な作りだと、比叡山延暦寺の根本中堂を思いつく。

仏堂
泉涌寺は平安時代に創設された寺院が荒廃し、鎌倉時代に月輪大師(がちりんだいし)が復興した。その後、後鳥羽上皇や北条ともつながりを深め、やがて天皇家の葬儀や陵墓が裏山に置かれるようになり、御寺として皇室の菩提寺になる。至る所に、菊の紋がおかれるあたり、さもありなん。

本尊の釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来が仏堂に祀られる。これらは平安時代の高名な仏師、運慶の作。釈迦は過去・阿弥陀は現在・弥勒は未来の仏とされ、これら三仏ですべての時空の教えをとく。
涅槃図(HPより)
仏堂には、江戸時代に描かれた国内最大の涅槃図があり、年に一度公開される。涅槃図には様々な絵解きがあり、その説明を拝聴するのもおもしろそう。仏堂の裏手に、涅槃図を収納する木箱が置かれてあるが、なるほどでっかいサイズに驚く。大人10人ぐらい集まらないと持ち上がらないだろう。

仏堂 蟠龍図
さて、お目当ての蟠龍図を、薄暗い天井に発見。仏殿の作りから、他の雲龍図よりサイズが小さく八畳ほどの大きさ。金網で保護され、高い天井で照明がないから目をこらさないと詳細がわからない。頭を中央に右から左に体をくねらせている。口は閉じているが、ツメやは3本で玉もつかんでいそう。描いたのは妙心寺と同じ、狩野探幽(かのうたんゆう)で江戸時代。狩野探幽という人、当時の京都で人気があったんだろうね。仏堂内は撮影禁止、寺や地域のHPにも、この蟠龍図を画像が見つからない。かろうじて、不鮮明ではあるが画像を拾わせていただいた(ブログ事事感心さん)。

舎利殿
仏堂のお隣には、釈迦の歯をまつる舎利殿が座している。大門と同じく、御所から移築した建物。白い壁と歴史を刻んだ黒い柱の対比が凜としている。
舎利殿 蟠龍図(HPより) 舎利殿の天井には、江戸時代の狩野山雪が蟠龍図を残している。山雪は、江戸と京に分かれた狩野派の中で、京狩野のひとり。対して、探幽は、江戸狩野の流派だ。この 蟠龍図は、「啼龍」として知られ、この下で手を叩くと「びい〜ん」と反響音が聞こえる。舎利殿は非公開ではあるが、期間特別公開のチャンスに訪れて、その音を自分の耳で聞いてみたい。


御座所
明治天皇の時代、御所の建物をここに移転し、天皇参拝時の休憩所とした。部屋も机などの調度も簡素ではあるが、華奢な美しさを感じ取る。以来、王座の間は、昭和、平成、令和の時代で、それぞれの天皇が墓前報告で利用している。庭園は撮影OKだが、建物の撮影は禁止。現地で心に刻んでくる事が肝要だ。

泉涌寺の拝観を終えて、今日の計画は完遂。京都市街ICから、1時間半でびゅーんと名古屋に戻った。渋滞がなければ、京都も近い。きょうは、3つの雲龍図をゲット。次回は、今出川の相国寺、嵯峨野天龍寺、東山東福寺など、日頃未公開の雲龍たちを、この秋の特別公開で参拝できそう。ちょうど紅葉に重なるから、また違った京都を見ることができよう。さてさて、楽しみ、楽しみ。
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