ヤマハ XT 250 セロー 2010
霊仙山偵察ツーリング

醒井養鱒場(さめがいようそんじょう) 9:30
ほどなくして、滋賀県霊仙山の登山を予定している。登山道への取り付きと、多賀の廃村たちの現況と道路状況を調べに、セローさんで偵察にやってきた。名古屋から名古屋高速〜名神で米原ICまで直行、サクッと霊仙山の北に到達。日本最初の醒井養鱒場は霊仙山登山の入口。

霊仙山(りょうぜんざん)は概ね4つの登山ルートが知られている。米原からの#1榑ヶ畑ルートと#2柏原ルート。そして南の彦根側からの#3今畑ルート、#4落合ルートだろう。#2柏原ルートはずーっと尾根を歩く長い距離となり、今回はパス。

醒井養鱒場駐車場
養鱒場の駐車場が、登山者用にも開放されている。施設利用はタダ、登山者は400円をお支払い。この先は林道で、榑ヶ畑登山口(くれがはた)に続くが、「駐車場はありませんよ」との看板。

林道終点 榑ヶ畑登山口(くれがはた) 9:40
1kmほど林道を上がると、T字路にさしかかる。右が登山道に向かう方向だけど、あっさりとバリケードが出現。このあたりにクルマは駐められないので、先ほどの養鱒場にクルマを駐めて歩くことになる。駐車場から登山口までは徒歩で1時間の距離、つまり往復の2時間の林道歩行は辛いなあ。。。榑ヶ畑登山口は小生たちには使いにくい事が分かった。

榑ヶ畑登山口(6年前)
ちなみに、6年前は ゲートからさらに先の榑ヶ畑登山口まで車で入ることが出来た。クルマで一杯の姿は、こんなに賑わっていたんだね。多分、クルマが増えすぎて、乗り入れ禁止になったんじゃないかな。

松尾寺林道入口 9:45
醒井まで戻ってきたけど、ついでに以前から気になっていた松尾寺を見てこよう。醒井養鱒場からちょいとお山に入ると、現在の松尾寺があって、その横から旧跡の松尾寺に通じる林道が始まる。



松尾寺跡 9:55
味わいあるグラベルをグングン登ると2kmほどで終点の松尾寺跡に到着。松尾寺はお山の上にある山岳寺院だった。松尾寺は中世の山岳信仰から生まれたお寺。7世紀に役行者が雲に載って飛来した聖観音像と十一面観音像を洞窟内に安置したことに始まるとされる。飛んできた観音様なので、「飛行観音」として「飛行機産業の神様」として、戦時中にはプロペラが奉納されたという。お寺の体裁だけど、見ようによってはまるで山城だ。

松尾寺は松尾山の山頂近くの南斜面、尾根伝いに伽藍が広がっていた。まあ、よくもこんなところに的な場所に、僧坊跡が残る。本堂に続く道もほとんど登山。

最後にであう本堂前の石段。後付けの手すりが無いと転げ落ちそう。

松尾寺本堂跡
倒壊前の本堂(教育委員会資料より)
役行者(えんのぎょうじゃ)は近畿を中心に、山岳宗教の場面でよくでてくる聖人。中世になると松尾寺は延暦寺などと同様な山伏の寺となり、浅井家や石田家など有力な大名の庇護を受けて興隆した。17世紀に作られた本堂が残っていたが、昭和56年の豪雪で倒壊してしまい現在に至る。

松尾寺九重塔
本堂の傍らに残る石塔は、800年前のもので国の重要文化財。均整のとれた姿は近江を代表する石塔と言われる。重要文化財がかようにポツンと、当時のそのままに現地に置かれているのがスゴイ。初めて訪れた松尾寺であったが、なかなか見応えのある遺跡、ここだけを目標にいずれ再訪してみたい。

中仙道 番場宿 10:40
松尾寺の探索が済んで、醒井養鱒場から麓におり、反時計回りに霊仙山のみなみ側へ進む。R21から左に折れて旧中仙道に入り、宿場町の番場を訪ねる。

番場宿資料館
中仙道といえば、木曽や伊那を思い浮かぶので、滋賀で中仙道??って、ちょいと違和感あり。番場は古代からの街道のようで、細長い集落は趣あり。背後の山の鎌刃城跡を観光の目玉としてアピールした資料館あり。

蓮華寺
番場宿の氏寺、蓮華寺は聖徳太子が開いたお寺といわれ、歴史にも登場する。その最たるものが六波羅探題の北条仲時が足利尊氏に追い詰められる場面。行く手を阻まれて、仲時はこの寺の境内で432名の部下と共に自刃した。今も、寺にはその人たちの過去帳とお墓があるよう。


r139 上石津多賀線 11:07
さらに南に回って、醒井養鱒場の反対側にやってきた。上石津多賀線は、島津越えで知られた歴史ある小径。これを超えてゆけば五僧峠に至るが、冬期間通行止め。つまり、途中にある杉や保月の廃村には行けないって事だ。

r17 多賀醒井線
折り返して北上し彦根側の霊仙山登山口に向かう。お山の手前で電光掲示板、落合の先は冬期通行止めのよう。登山口は通行止めの手前だから大丈夫。


今畑登山口 11:20
偵察ツーリングの目的地、今畑に到着。県道を少し山に上がったところに今畑という数軒の廃屋集落がある。そして計画している登山ルート(西南尾根周回登山道)の出口にあたる。県道沿いの路肩には登山者のクルマが駐車している。きっと早朝から登りはじめているにちがいない。

落合登山口
今畑の登山口を数百m奥に進めば、廃村落合の集落。ここから出発し、霊仙山を時計周りに巡る予定。登山ポストがあって中を見てみるが、用紙が皆無で届出がなされている様子なし。

落合登山道
落合からのルートは、川沿いに登って「汗拭き峠」から尾根づたいに山頂をめざす。森林限界の先は、石灰石がゴロゴロしたカルスト状の平らな頂が現れる。天気が良ければ、伊吹、琵琶湖など360度の展望が期待できる。落合登山口から今畑登山口まで、約10km、標高差700m、予定所要時間は約6時間の予定。このぐるっと頂を巡るコースが、西南尾根周回登山道といわれる。
廃村 落合
落合の集落から県道は左に折れて、男鬼(おうり)の集落にいたる。電光掲示板にあった通行止めはこの先のことを示している。地図の上では、この奥は点線県道となって、先ほどの醒井養鱒場に抜けるように描かれるが、そんな道などありゃしない。滋賀県r17も不通区間有りの県道だ。この先すぐに、住居跡地に10台ほどの駐車スペースがあるが、下山したあとなのか空いていた。
落合 駐車場
登山口の手前、以前は崩れかけた廃墟が3棟ほどあった場所が平地にされて駐車場となっていた。ここは満車の状態であったが、20台くらいは収容できそう。さて、訪れた時間帯でこれだけの駐車車両を確認。やはり確実に駐めるには、日の出の出発をめざすくらいの早起きがよさそうだ。この落合に車を停めよう。
廃村 入谷 11:20
さて、登山の下調べも済んで、あとは多賀の廃村を愛でて帰りましょう。途中の入谷の激坂をかけあがる。基礎が崩れて倒壊の恐れがある「了眼寺」が心配だったが、まだまだがんばっている。基礎石と基礎柱が追加され、土を削らないように雨樋も追加して、人の手が入っている。

了眼寺
お寺の近くまで登ってみる。斜面にあった石垣がすべて崩れ、赤土が露出している。残った基礎の土もずいぶんと削れてしまっている。この状況では、建物に入るのも危険だろう。それでも倒壊を防ごうと対策がされているのが心強い。

屋根が崩れはじめると、瓦の重さで自壊してしまう。この廃屋は、1,2年の間に潰れてしまうだろう。


入谷は狭くて急峻な谷合いに「へばりつくように」集落が形成されている。なにを選んでこの地に移り住んだのだろう。米なども自作できず、粟や炭作りで生計を立てていたはずだ。江戸、明治の頃は人口も多かったが、50年程前に離村して、人々は彦根や長浜の平地に移ってしまった。人の姿の無い廃村で、ひっそりと白梅がさいている。

河内
𡚴原(あけんばら) 11:40
川が合流する𡚴原は比較的平地で家屋も多く残っている。いずれも人が出てきそうな生活感が残っており、実際、週末などには住民が戻ってきているようだ。集落のお地蔵さんもちゃんと手入れされている。


権現谷 11:50
r17から権現谷林道に入り深い谷をすすむ。やがて権現谷で最も切り立った渓谷に到着。来るたびにバイクを駐めてダイナミックな景観に見入ってしまう。さっきまで水が流れた芹川もすっかり涸れ谷となって険しい。はじめてここに立ち寄ったときの驚きは、ぜんぜん褪せなくて好きな場所。


五僧峠 12:03
権現谷林道は落石は多いけど、ちゃんと排除されていてクルマでの走行も問題無いだろう。アサハギ林道への分岐にはバリケードなどを見かけず進入可能。上石津多賀線の向こう側は通行止めであったが、こちら側は通過可能。五僧峠を越えて名古屋方面に抜けようと目論んだが。。峠の向こうは冬期通行止めが続いていた。

五僧の残された廃屋たちも倒壊が進み、手前の大きなお家もかろうじて立っている感じ。やはり、雪が深いこの地は、生活するには人の手が入っていないと無理なんだね。
鈴ヶ岳
五僧峠が通行できなかったんで、ぐるっと南に迂回となる。権現谷林道を南下、谷の向こうの鈴ヶ谷、御池岳を見上げてひと息つく。権現谷林道の後半部分は見どころも少なく、淡々と続く舗装林道をこなすって感じ。

R306 12:23
権現谷林道終点、R306の交差点まで降りてきた。。。が、名古屋に抜ける鞍掛峠も今だ冬期通行止めと知る。あ〜〜、だめだ〜、ということで、さらに南に位置するR421の石榑トンネルを抜けて三重県に戻ってきた。
そして、最後に試練が待っていた。トンネル抜けたら三重県側は「まじ雨」の世界。カッパをもたない小生は、小さくかがみ込んだ姿勢で高速道路をひた走って名古屋まで。最近の「よく当たる」天気予報を信じていただけに裏切られた感じだ(>_<)。スマホは大丈夫だったけど、全身ずぶ濡れ、お財布もベタベタ。この時期の雨は寒いに決まっている、帰るなり熱いシャワーで蘇った。

霊仙山偵察ツーリング