
小谷山より姉川方面を望む

小谷城(おだに)スマートIC 9:50
天候がスッキリしない日が続いたが、お休みと天気が合致して、里山に登ってみることにした。どのお山にするのか、楽しく悩んで。。。戦国時代のエピソードが一杯つまった「小谷城(おだに)」を登ってみることに。アクセスはすこぶる便利な、その名前のスマートICができている。日本中で「城」の名が入ったICはここだけだそうな。

長浜市 小谷城
関ヶ原から木之本に抜ける下道のわきにある小谷城は、知ってはいたけど、登るまでには至らなかった。思いつきにさくっと登るには、ちょうど良いでしょう。

小谷城戦国歴史資料館
お山のふもとには、駐車場やトイレを活用できる資料館があって、これに車を駐める。靴を履き替えて準備万端、さて出発しましょう。

大手門
正面に小谷山を据えて、それに続く右側の尾根上に、「小谷城」が築かれている。当時大手門があったとされる場所からスタート。

追手道(おってみち) 10:00
みごとなオレンジ色のコスモスの群生の横から、追手道が始まりいよいよ、山城を攻略開始。

小谷城趾
小谷山の山頂に「大嶽城趾(おおづくじょう)」、続く尾根に「小谷城」の曲輪がふもとまで続く。手前の尾根にも砦が築かれ、尾根の谷間には、城主や家来の館が配置された。

追手道
さっそく急な上りが始まって、先が思いやられる。蜘蛛の巣にからまるということは、来訪者が少ないって事だ。

間柄峠
浅井長政の地元ライバルは南方の六角氏。その戦いの際に、越後の朝倉の家来「間柄氏」が、応援に駆けつけてここに布陣した。その縁が峠に名を残している。六角氏に対抗するために、長政には朝倉の支援が必要であった。信長がその朝倉を敵にしたとき、長政は信長との同盟を破って、朝倉側に寝返ったとされる。長政はたしかに仁義の士ではあるが、その後信長によって、浅井は根絶やしにされてしまった史実をみれば、時代の流れを「見誤った」ともいえる。


望笙峠(ぼうしょうとうげ)
追手道は上りの手を緩めず、地味に高度を上げる。すでに、汗だくの体となり、手ぬぐいで汗を拭く。夏の低いお山に登ると、何処でもこうなるのだろう。併走する林道の展望所でひと息。「笙」とは、竹を表すようで、正面に「竹生島」が見えてるから、峠の命名が納得だね。


番所跡 10:36
お手軽な低山と思って歩き始めたが、ダラダラと展望のない上りは、クソ暑さと相まって気がめいってくる。汗を拭う「郡上踊りの手ぬぐい」もベタベタで、清水でザブザブ洗いたいくらい。んっでも、なんだかんだで、1,2kmほど登って、やっと小谷城趾の一角「番所跡」にたどり着いた。


虎御前山展望所
最終決戦時、織田信長が3万の兵をひきいて、小谷城の面前、虎御前山に陣を配して約3週間の「小谷城の戦い」が始まった。展望所からは、虎御前山を正面に見下ろす。


赤尾屋敷跡
本丸、大広間の右手前に、赤尾屋敷跡の案内あり。右に回ってみると、曲輪のように平らな場所に出る。浅井氏の重臣「赤尾清綱」屋敷跡の址とされ、浅井長政が自刃した場所。最後の攻撃に討ってでるも、本丸に戻ることができずこの地が最後となる。自刃の前には、お市の方と三姉妹は、織田側に引き渡されていただろう。長政は、わずか享年29才であった。


大広間跡
本丸の手前には、フットサルのコート二面くらいは作れそうな大広間。ここには、屋敷があって、決戦時にはお市の方などはここに潜んでいたはず。秀吉の側室となる「茶々」もここで震えていたんだろうか。

本丸跡 11:00
大広間の先に、周囲から3,4mの石垣で囲まれた本丸が登場。大広間からみれば、ずいぶんと手狭な印象。当時は展望も良かったであろうが、すっかり木々が生い茂っている。丁度城趾が出てきたあたりから、顔の周りにまとわりつく「虫」がうっとうしい。後で調べると「メマトイ」という1~2mmほどのハエで、涙液を「舐めに来る」らしい(°0°)。


京極丸跡
本丸の背後を詰める京極丸。右の沢から、内通者の手を借りて押し寄せた羽柴秀吉は、この京極丸を占拠して、小谷城陥落の一歩となる。家臣にも逃げられた長政はわずか500の兵、包囲されてから1ヶ月も経たずに滅ぼされた。羽柴秀吉は、この功より、この地を任せられ長浜城を構築する。


山王丸跡
小谷城の最も上部の山王丸は後詰めの曲輪で石垣で堅固に守られていた。山頂に通じる虎口もがっちりと石垣で築かれていた。

尾根から、小谷山頂上を望む。「大嶽城趾」という砦が頂上に残っており、これを見に行こう。のこり、1000mほどだ。

六坊跡
山頂に至る尾根には、鞍部があって、やや開けた場所。領内の主要なお寺をこちらに勧進して、出張所を設けていたとか。いやいや、職務とはいえ、こんな山の上にお勤め先を作られちゃあ、お坊さんも大変だ。

山頂の「大嶽城趾」までは、尾根を登るが、蒸し暑さが尋常でなく、噴き出る汗で目がいたい。これまでの登山では、暑さでやらてるなんて経験していなかった。。。「夏の低山」恐るべし。いつものようなペースが維持できない。


岩尾
頂上の展望が良くないお山は、あまり気が進まないが・・・まさに小谷山がそうだ。唯一、山頂近くで南側に開けた展望所が有り。登ってきた小谷城がある尾根を見下ろし、右手奥には琵琶湖、正面は長浜の街、左は姉川の古戦場と大展望だ。ここまでがんばってきたご褒美と、汗ビタのからだに抜ける風が気持ちいい。



大嶽城跡(おおづくじょう) 11:50
2時間で小谷山の山頂にある砦「大嶽城趾」についに到着。初期の小谷城はここに「本丸」があったとされる。織田との戦いになったことで、援軍の朝倉軍がこの城趾にはいり小谷城の援軍となる。しかし、織田軍は小谷城を包囲しつつ、この大嶽砦を先に制圧し、逃げる朝倉氏は続く「一乗谷の戦い」で殲滅される。

小谷山頂上 494.5m
山頂には銘板以外になーんにもない。周囲は樹木で覆われているので展望ないし、風も吹いていない。持参した500ccのお茶はすっかり飲み干した。夏の山登りは、汗対策もしっかりとしていないといけない事を実感。

帰りは谷沿いの清水谷ルートを下る。鞍部の六坊から沢沿いにどんどん下がる。この谷には、家臣たちの住居が続いていたようで、城を守る役割もあったよう。

御屋敷跡
広くなって林道がでてきた谷には、長政やお市の方たちが住んでいた御屋敷跡が残る。きっと当時は陽射しのとどく靜かな谷であったはず、今は樹木に覆われてうっそうとしている。長政と政略結婚をした信長の妹、「お市の方」はこの地で6年間をすごし、戦略結婚とはいえ、浅井三姉妹を残した夫婦は仲睦まじかったとされる。お市の方は、非情な別れの後に、長政の死を見届けて信長の元に戻った。心中はいかがなものであったか。その後もお市の方は歴史に翻弄される。信長亡き後、清洲会議の結果で柴田勝家に嫁ぎ、最後は秀吉の手にかかり勝家共々自害した。まさに戦国時代のど真ん中を駆け抜けた女性であった。

小谷城戦国歴史資料館 12:50
全身ぐしょぐしょになって、出発地点に戻ってきた。資料館で見学しつつ、ジャバジャバ顔を洗って、エアコンの効いた館内でひと息つく。いやいや、夏の里山登山は、覚悟してこれから望もう。

林の中を歩く登山路には、多くの「キノコ」たちを見ることができた。さっぱり名前など分からないが、食べてみたいという衝動には駆られないので、見るだけで満足。暑い暑いといっているが、少しずつ秋が近づいているね。

あねがわ温泉
小谷城のすぐ近くには、天然温泉のスーパー銭湯があるので、入らないわけには行くまい。着替えを一式持って来たので、ザブンと浴びれば気分はスッキリ。大昔にバイク事故で受けた右踵が変形しているので、どうしても登山靴で痛めてしまう。予防に絆創膏を貼るのを忘れて、今日もマメを作ってしまった。


長浜 佐藤酒造
なにかお土産にと、近くの酒蔵を探して、立ち寄った。長浜の集落で見つけた佐藤酒造は、今の主が10年前に再興させた蔵元。オススメの冷酒ということで、「湖濱」を分けて頂いた。まだ冷蔵庫に眠っているので、お味は分からず、この先のお楽しみ。


帰路の名神高速道で、東の空に「ムクムク」と入道雲が湧き上がっていた。きっとあの下は大雨、何処だろう??あとで雨雲レーダーを調べてみたら、100kmほど先の大井川の千頭あたりだろうか、ピンポイントで大雨の状態だった。
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