平等院と10円玉

県神社鳥居
お腹も満たされて、足取り軽く平等院参道にやってきた。平日にもかかわらず、インバウンドな若者たちで賑わっている。鳥居の先には、平等院の守護社とされる県神社。

平等院 鳳凰堂
幾度か訪れてきた平等院、毎度天気には恵まれるようで、なぜか雨の平等院を知らない。正面は鳳凰堂、南北に優雅に腕を伸ばしたような楼は「翼楼」といわれる。翼廊の2階部分にどうやって上がるのか気になっていたが、どうやら中には人が入れないらしい。

平等院のスタートは、光源氏のモデルとなった1000年前の「源融」の別荘であった。数人の天皇が所有した後に、藤原道長の別荘となる。その子頼道は、末法の世を憂い、別荘を寺院として阿弥陀入来をまつり平等院と称するようになった。庭園は、極楽浄土を表しているとされ、拳大の小石で州浜がひかれ、とてもシンプル。

鳳凰堂を正面から見ると、格子の丸くうがかれた部位は、阿弥陀入来造のお顔を伺うことができる。

阿弥陀如来坐像
阿弥陀如来坐像は、平安時代を代表する仏師・定朝(じょうちょう)の作。定朝の仏の表情は、平安時代の貴族には非常に好まれ、人気の仏師であったよう。彼の作品と認定できる仏像は多くが失われ、この阿弥陀如来は非常に貴重である。拝観を願い出れば、この堂内も見学することが出来る。デイパックなどの背中に背負うものは、腹側でかつぐよう、またいっさいの柱ら壁は触らぬように厳重に注意されての拝観は、妙に緊張する。極楽浄土を再現した堂内は、薄暗く、金色に輝く阿弥陀如来がいっそう、荘厳さを増す。

境内は、平等院とその池をぐるっと周回する形で進む。塔頭寺院の庭には、目を引く朱の花木があった。

花梅??
ぼんぼりのように、丸く可愛い八重の花。Googleカメラで調べると、花梅とでてきたが、どうだろう? ハナモモは見たことあるけど。

ボケ??
紅梅かなとおもったが、これも「ボケ」と答えが出てきた。紅梅よりも中央部分のおしべ?がちょいと違う気も。花の名前は難しい、、、名札をつけてくれるとありがたいね。

鳳凰
鳳凰堂の屋根には、南北に対の鳳凰が輝く。金色に輝く鳳凰は2代目で、建立時から900年たった初代は、境内のミュージアムで出会える。

同じ福沢諭吉でも、旧デザインの1万円札の裏は、「キジ」であった。現行は、鳳凰が描かれていて、平等院の鳳凰をモチーフにしているだろう。

鳳凰
小生が平等院を再訪したいとおもう大きな理由は、鳳凰に会えるからだろう。ぐるっと四方から間近に鑑賞できる展示は、見るものを魅了させる。おおむかしに、洗練されたデザインで緻密に彫金された技法はまさに国宝。力強く、かつ、繊細な鳳凰には、毎回魅入られてしまう。1968年に2代目に変わるまで、900年の風雪に耐えてきたとは思えないほど美しい。
雲中供養菩薩像 鳳凰堂の壁面に飾られた52体の雲に乗る菩薩たち。亡くなった人を浄土に導いてくれるとされ、ひとつひとつ表情の異なった「穏やかな」お顔に魅了される。すべてが国宝で、日本中で最も国宝が密集した空間だろう。

九品来迎図(くほんらいこうず)
同じく鳳凰堂の壁扉には、国宝の絵が残されている。「人の性質や行いに応じ、死に際に9通りの方法で仏が迎えに来てくれる」とあり、人柄が良いほど大勢の仏が現れるらしい。上の上中下、中の上中下、下の上中下・・・。上図は最上級の迎えの様子を描いている。小生のお迎えは、どれに当てはまるのだろう、たくさんお迎えがあるといいね。


平等院の参道をぶらぶら。毒々しい緑色のディスプレーに誘われて??、ご当地抹茶ソフトに手を出してしまった。仕上げにお抹茶を振りかけてくれるのはいいけど、ついつい吸い込んでしまって、「むせる、むせる」(^^)。これ絶対、他の人もそうなると思うなあ。

宇治橋 紫式部像
賑やかな参道から、宇治橋を渡るたもとには、紫式部の石像。とてもベタなモニュメントだけど、宇治橋とこの石像は、観光スポットとしては必要だろう。宇治橋は7世紀頃に掛けられた、国内で最初に架設された橋とされる。


石山寺
クルマに戻ったのが、午後2時すぎ。まだ日が残っているので、源氏物語にからんで、石山寺にも足を延ばした。最初に出会うのが、鎌倉時代建立の東大門。

標高230mほどの伽藍山を境内とする石山寺。骨折リハビリにもちょうどよい標高差だ。正面石段を上がってゆくのが常であろうが、時計回りに外周を登って最高地点に向かうルートをとってみた。

境内をすすむと、大河ドラマのテーマ館を見つける。折角だから、入ってみましょう。


光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館
明王院のホールを利用して、観光客めあての企画展だ。「どうする家康」でも、岡崎や浜松に同様のイベントがあったよね。ヒロインのまひろが使用した衣装やストーリーの解説やら、まあ、よくありそうなコンテンツ。


源氏物語 恋するもののあはれ展
主催は大津市の観光協会だろうか、源氏物語の世界を中心に、平安時代の世界を伝えていた。イベントに合わせて、イラストレーターの作品、地元インディーズによるオリジナル曲まで披露されていた。興味が湧いたのは、装束に用いられる「色合い」の展示。古の染料から得られる色合いとその名前。重ね着が基本であった装束の重ね色にも、名がついていて「いと おかし」。これらは、現在にも通じる感性であろうし、自身のコーディネートにも役立つ知識だね。

本殿と神木
企画展を見終わって、境内を歩き出す。清水寺を連想するような背の高い懸造り(かけづくり)が特徴的な本堂を見上げながら、緩やかな斜面をあがってゆく。正面には、1000年杉とよばれる神木がそびえたつ。

紫式部像
奥まった光堂のそばに、紫式部の像あり。平安時代以降の石山寺は、安産・縁結び、福徳、厄除けなどさまざまなご利益を授けてくれる仏様として信仰を集め、京都の清水寺、奈良の長谷寺とともに三観音として人気があった。京の人々も多く訪れ、紫式部をはじめ清少納言などの女流作家も来訪していた。

カンザクラ

カンヒザクラ
石山寺の境内には、たくさんの花木が植えられていて、これも見どころのひとつ。広大な梅園はすでに散り治めに近かったが、様々な早咲きのサクラが満開をむかえていた。

月見亭からの景観
石山寺の最上部、瀬田川を見下ろす月見亭からは、瀬田の唐橋方面、その向こうにびわ湖を望む。。紫式部が、石山寺参拝中に中秋の名月(八月十五夜)が琵琶湖に美しく映るのを見て、『源氏物語』の構想を得たとされる。1000年前にこの場所から、源氏物語が始まったのかもと、想像すると楽しいね。

多宝塔と紫式部供養塔
石山寺の最上部、多宝塔からは、石段で本堂に向かう。中途に芭蕉の句碑にならんで、紫式部の供養塔がある。鎌倉時代のものと伝わるが、それ以上の解説は見つからない。紫式部の没年は不明であるが、墓所は晩年に住んでいた京都、堀川北大路に残されている。

本堂
石山寺の中心、本堂に到達。ここまでずいぶん歩いたが、病んだ左足首は大丈夫。さて、本堂の中へ行きましょう。

本堂は1000年の歴史を刻む木造建築で国宝。いったい、今日はいくつ国宝に接してきたんだろう。中は撮影禁止、本堂の内陣も拝観料を納めて見学してきた。本尊の如意輪観世音菩薩は秘仏とされ、大きな厨子に匿われている。33年に一度だけ開扉されて拝観できる。前回は2016年だから、小生も90才以上生きながらえたら、チャンスがあるかな。いやいや、あの石段を上がって来られないよね(T_T)。

紫式部源氏の間
本堂の傍らには、小部屋があり、源氏の間と呼ばれる。紫式部は、ここで源氏物語の「須磨」の帖から書き始めたと言い伝えがあるそう。この中には、紫式部の人形像があるはずだが、この日は絵巻物だけであった。じつは、70年ぶりの修繕中で、3/18から元の場所に戻ってくるそうだ。

養老温泉
石山寺参拝を〆に、溫泉に立ち寄りながら、名古屋への帰路についた。宇治と石山寺散策で、10km、1万3000歩ほどのリハビリ歩行が出来た。全然、大丈夫、ちょっと自信がついたね。源氏物語と紫式部にこだわったおでかけだったけど、1000年経った今でも人とその作品が語り継がれるってのは、凄いことだね。改めて歴史の面白さにはまった。
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