
乙木集落 山辺の道

現在位置
山辺の道 前半はこちら


三気大神神社 11:30 桜井から4.5km
桧原神社でちょっと早い昼食をお腹に納めて、天理に向けて散策再開。歩き出してすぐ、ぴったりと塀に閉ざされたお宮発見。参拝所が裏手とあり、従って進むと垣根の外に出てしまった。それでも信じて、あぜ道を行くと。。。


参拝所
裏手に参拝所を見つける。格子越しにのぞくが、どこに本殿があるんだろう? ひとの気配もなし、札には、「清気精気正気 気ノ源ノ神様」とあった。とりあえず、参拝させて頂いた。ちょっとかわった神社と雰囲気。

県道50号
路は県道50号の舗装道路に合流、これを右手に上がってゆけば、笠山坐神社(かさやまにますじんじゃ)を通って、針に抜ける。笠山坐神社までの上り路は、狭くてすれ違いに注意が必要。

穴師
変わった名前の集落、衆らk十内の分岐を右手にとって、坂を上がる。ミカンの季節なのか、方々で無人販売(100円)を見かける。

坂を上がると、ヤマト三山が遠くに見える。歩き出した頃は、晴れていたのに薄曇りは残念。


相撲神社 12:00
穴師の集落を山の方にたどれば、右手にお相撲さんの土用入り石像が見えてきた。この奥にある穴師坐兵主神社の摂社であって、ヤマトの頃、はじめて天覧相撲が行われたとされる。

山辺の道 プレート
道標のないところも、舗装路に山辺の道と分かるプレートが埋め込まれている。

大兵主神社(穴師坐兵主神社)12:05 6.7km
扇状地の上り詰めた先に、靜かな気配の大兵主神社。古代ヤマト王朝の国土繁栄(農耕乞雨信仰)平和安全(鎮武信仰)の神として、この地に祀られたとされる。「大兵主」なんて、勇猛だね。


纒向日代宮(マキムクヒシロノミヤ)伝承地 12:15 7.6km
纒向遺跡
大兵主神社からおりてくれば、纒向遺跡の案内。目の前に広がる扇状地は、古代ヤマト発祥地と言われる纒向の宮があったとされる場所。第12代景行天皇が営んだ宮で、邪馬台国の候補地とも知られる。景行天皇の息子、「日本武尊」は全国各地をヤマト朝廷に従わせた。卑弥呼が眠るかもしれない「箸墓古墳」もすぐ近くにあり、日本国の誕生に関わった場所だ。


神籬(ひもろぎ)遺跡
神籬とは、古代人が神に祈りを捧げる場所で、日本書紀にもこの地の神籬の記載が残る。いまはミカン畑の真ん中で、ポツンと。

穴師 山辺の道
里山を取り巻くように道は続く。陽射しが足りないが、風も無く散策するには、ありがたい。あの角をまがったら、何が見えるんだろう。

左手に大きな古墳が出てきた。山辺の道から外れて、古墳をぐるりと一周してみる。
周濠
前方後円墳のまわりの堀は、階段様に高低差がある。周囲は柵で厳重に閉鎖されていて、容易には中に入れないようになっている。
景行天皇陵 12:35 9.1km
西の祭壇までぐるっとめぐってきたが、全長300mは伊達じゃないね、歩いて見ればその大きさが分かる。全高でも8番目にでかいようだ。現代になっても調査はされているようだが、江戸時代に出土した石棺の一部が重要文化財になっている。ということは、すでに盗掘された後か(T_T)。
渋谷集落 山辺の道
大小の古墳群の中を、山辺の道は続く。夫婦、家族など、多くの人たちが、小生と同じようにハイキングに来ている。皆さん、思い思いにスマホのシャッターをおしている。ユキヤナギに、菜の花、レンゲソウ、路傍の花たちに飽きることが無い。

ボケ 12:52
ミカン畑の垣根代わりに、まっかな花木が豪快に咲いている。梅の様にもみえるし、ハナモモとも違うし。。。帰宅してから91才のばあさんに聞いたら、「ボケ」という返事。この手の花で、名前に悩んだら、それは「ボケ」なんだって、、、、妙に納得したわ。

見通しの良い堤には、ちょいとベンチなどあって、いいねえ。あそこでおにぎり食べたら美味いだろうね。

お次の立派な古墳が出てきた。こやつもルートを外れてぐるっと見てこよう。

崇神天皇陵 13:04 10.5km
全長250mは先の景行天皇陵よりもやや小さいが、それでも全国16位の規模で、4世紀前半(古墳時代前期)に作られた。初代大王墓とされる箸墓古墳の数代後の天皇陵と言われる。拝殿は、景行天皇陵のそれよりも規模が大きく整備されている。これまで見た古墳の中で、最も威厳のある雰囲気が合った。

濠内の小島
前方部の濠内に、岩で盛られた島が1つ。排水口かと思い、後に調べてみると、、、同じようなことを疑問に持つ人も居るようで、、、
これによると、江戸時代の挿し絵には、池の上に木札が立っていたようで、著者は小さな円墳の可能性有り、としている。宮内庁の情報にも、この小島のことは一切触れられていない。なんだろうねえ。


崇神天皇陵の大きさと威厳におったまげて、山辺の道に戻ってきた。このあたりは、柳本という集落で、桜井と天理のちょうど中間点。JRの駅もあるので、山辺の道を柳本で終わりにして、電車で引き返すことも出来る。

柳本 ルート案内図
東京から大阪まで東海自然歩道が整備されたのが1974年、長谷寺から桜井を経て、石上神社〜奈良に伸びている。時に歴史の遺跡が多い桜井から天理までの区間を、「山辺の道」として奈良県が整備した。石上神社より南、小生が歩いているのは、南ルート。石上神社から奈良までは北ルートと言われる。


長岳寺(ちょうがくじ) 13:15 11.1km
大神神社の神宮寺として、弘法大師が平安時代に創建した古刹。池を配した境内は、あやめ?カキツバタ?の青々とした葉、満開のサクラたちと、春の気配がたっぷりと。中尊の阿弥陀如来及び両脇侍の観世音菩薩、勢至菩薩の三尊は長岳寺の本尊、平安時代から鎌倉時代の重要文化財。

極楽地獄図
本堂に掲げられているのは、極楽地獄図。9つの絵が全体で1つの世界を示している。間近で見ることができるので、こまかな部分ももよく分かる。なかなか「エグい」描写ばかり、これを見た信者たちは、ますます仏様にすがったんだろう。住職による絵解き説法も聞けるらしい、一見の価値あり。

鐘楼門
弘法大師の創建時の平安時代から残る鐘楼門は、国内最古で重要文化財。ホント凄いよね、1000年以上前から、ずっとここに立ってんだよ(°0°)。ところで、朝から寺社巡りしているから、小銭がそこをついて100円玉しかなくなってきた。。。どこかで10円玉に代えてくれないかなあ(^_^;。
血天井
戦国時代、大和の豪族十市氏が攻め立てられ、この長岳寺の中でも斬り合いとなり、十市氏片の武将が血だらけとなって、本堂の縁側で息絶えたとされる。その縁側の板を本堂の天井にはりかえたので、血の足跡が今も残っている。


長岳寺から再び北の天理をめざす。山辺の道は集落の中だったり、あぜ道だったりと様々。
燈籠山古墳 (とうろうやまこふん)
お寺さんの玄関を右に折れて、山辺の道は路地となって続く。その先は、お寺の墓地となっているが、古山のように盛り上がっている。そう、古墳の方墳部が墓地となっているのだ。古代の王様のお墓の上に、子孫たちのお墓が一杯。
萱生環濠集落 13:54
このあたりの集落は、家屋が散在せず密集していることが多い。特にまわりを濠で囲まれているところを環濠集落というらしい。古代の都市が城壁で囲まれていたように、濠が集落を守っていたのかも。
舟渡地蔵 公衆トイレ
どうだろう、1kmくらいの間隔で、公衆トイレが完備されている。しかも新しくてキレイ。これは、ハイカーにとってはありがたいね。
ヤマト古墳群
南の纒向からこのあたりまで、山のすそ野に50基もの大小の古墳が存在する。ヤマト王朝の繁栄した証。


このあたりは竹ノ内の集落。道は名産の柿の木畑のなかを北に進む。右に里山、左に奈良盆地をながめて、ゆったりとした気持ちになる。菜の花と花の木、うしろの春霞、いいねえ。
古事記や日本書紀にも「石上神宮」として、登場する神代からのお宮で、物部氏の氏神であった。

拝殿
国譲りの故事や神武東征などの場面で活躍した「布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)」や素戔嗚が八俣の大蛇を退治した「布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)」などが埋葬されて祀られたのが、石上神宮の創建とされる。埋設された地は「禁足地」として、古代より伝わってきたが、明治7年大宮司により禁足地が発掘され、その御神体の剣が出土した。明治の廃仏毀釈で禁足地を壊してしまったことが、よかったのか、悪かったのか、現在は御神体として、その剣たちは本殿に祀られている。
さてっと、起点の桜井市の海石榴市から、天理市の石上神社まで、山辺の道を制覇することが出来た。「足が棒になる」とは、まさにこのこと、膝を曲げるのが億劫になって、ずいぶんと疲れたけど、達成感もあり。あとは、JR天理駅までがんばろう。

天理教 教会本部 15:24 16.3km
石上神宮をおりてこれば、もうそこは一大宗教都市、天理の中心部。通りすがりで教会本部を見上げるが、その大きさに驚くね。周囲には、教団の消防隊や交番、大きな食堂などなど、その規模にただただびっくり。

天理本通
教会本部とJR天理駅をつなぐアーケードでつないでいるのが、天理本通り商店街で、約1km商店が並ぶ。


天理ラーメン 天理本通り店
神具を扱う店、天理教関連の書籍を扱う店など、特徴ある商いのお店が多い。カレーライスやオムライスの美味しそうな古くからの食堂の誘惑にも打ち勝ってきたが、好物の天理ラーメンのお店に出会ってしまっては、致し方ない。中途半端な時間ではあるが、暖簾をくぐってしまった。チェーン店の天理ラーメンは、当たり外れが大きい気がするが、このお店は「美味かった」です、ごちそうさま。

19km 7時間30分


JR天理駅 16:00 19.1km
天理駅に着きました。桜井の駅を出発して、7時間と30分、たらたらと19kmを走破して、引き返し地点に到着。JR、1時間に2本、上下に電車あり、ほどなく桜井方面の電車がホームに滑り込んだ。車内は通学帰りの学生を中心にそれなりに混んでいる。手すりにつかまって、今日歩いてきた景色を車窓から再確認した。約8時間掛けて歩いてきた距離を、電車に乗れば、わずか15分だ。

長谷寺 16:50
桜井駅の駐車場で車をピックアップ、名古屋への帰路につく。夕方に混みそうな榛原経由を避けて、長谷寺から山の中の県道38号を使って針をめざす。長谷寺門前のしだれ桜も満開、パチッと写真に収めて、狭くてくねくねの県道を眠気覚ましにかっ飛ばした。
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