
YAMAHA XS1100S 1983

RZのオイルポンプを交換したのは4年前。以来、300kmも走れば、2stオイルの警告灯がつくようになってしまった。手に入れた40年前はどうだったか、もう忘れてしまったが、それでも500~600kmは走れたはず。マニュアルには無かった、シム交換によるオイル量の調節方法を知り、純正3種類のシムを試すことに。整備をいつものKモータースに朝イチで預けた。

東海北陸自動車道 ぎふ大和IC
さくっと、イレブンに乗り換えて、奥美濃の探検に出向く。名古屋高速、東海北陸道を走り、ぎふ大和ICでおりる。降りた先は、岐阜県道52号(白鳥板取線)で、ここからお山にむかう。

さっそく登場する、「通行止のおしらせ」。県道52号は、奥美濃の最深部を射貫く山岳路。これで、山向こうの板取へ山越えに挑戦。通行止めの図を見て、ふむふむ、これなら通り抜けられる。


郡上市大和町
大和町の集落を左に折れて、いよいよお山に取りかかる。ガソリンは満タンに、気合いを入れて走りましょう。

県道52号(あじさいロード)

岐阜県道52号は、内ヶ谷トンネルを経て、福井県との境界をたどる山深い酷道。建設中のダムに通じる道でもあり、現在は交通量がそれなりに。通行止めは、県道から外れて、南に延びる谷への道で、これがダム工事現場への搬入路。通行止めはその部分なので、県道を通り抜けるには支障ない。

白鳥側ゲート
岐阜県道52号白鳥板取線は、工事中やら災害などで通行止めになること度々で、ますます秘境の態を示していた。しかし、その中途にある内ヶ谷ダム建設が本格化すると、おのずと道路の整備や災害の復旧が進んだ。道路整備が進んだのか、ゲートも開けたままで雑草に囲まれている。

つづら折れが続き、高度を上げてゆく。背後には和良や馬瀬あたりの里山と、その奥に御嶽山がひかえている。

内ヶ谷トンネル
坂を乗りきれば、峠越えのトンネル。これをはじめて通り抜けたのが、4年前。その時は、GTで雨と霧の中の冒険だった。
以下はその時の記事

トンネルは平成2年3月に完成。それ以前は林道がこの上にある黒田峠を越えていた。内ヶ谷ダムの建設事業が採択されたのが昭和58年。ダム建設のためのこのトンネルや大和からの道路整備が完了するのに、さらに8年を要した。

旧林道 白鳥側
左手には、旧林道が分岐する。昭和43年に林道(黒田亀尾島林道)が出来るまでは、峠の先の集落にクルマが入る道がなかったという秘境。

地蔵橋
トンネルを抜けろと、一帯の水を集める内ヶ谷川の流域になる。内ヶ谷ダムが出来れば、この谷全体がダム湖になる。

旧林道 内ヶ谷側
右の斜面から降りてくる舗装路は、旧林道。これを上がれば、黒田峠に通じるが、ほどなく路肩崩壊で通行止めになっていた。きっとこのまま野に帰るのだろう。

宮ヶ洞橋
トンネルからの下りは、ゆるくカーブしながら、幾つかの橋を渡る。平成6年竣工ということは、トンネル完成から、この宮ヶ洞橋ができるのに、さらに4年が必要であったということだ。


内ヶ谷1号橋
白鳥板取線、県道52号線の最深部に到着。人の気配を感じない県道でも、ここばかりは、工事関係のクルマの往来が多い。橋の上であやうくトレーラータイプのでっかいセメント運搬車と鉢合わせるところだった。小生が恋い焦がれた「白鳥板取線」の、この地に立つのは数えるほど。それほど、通行止めや閉鎖が多かった。

ふり返ると、ポツンと小生のバイク。こんな山奥で、高速道路ICへの案内あり。親切なのか、まだ13kmもあると伝えたいのか、よくわからん(^^)。

内ヶ谷
内ヶ谷第1号橋から、下流の内ヶ谷を望む。この数キロ先に鋭意「内ヶ谷ダム」を建設中。内ヶ谷川はやがて郡上八幡で長良川に合流する。郡上からの道も探検したことがあるが、道路工事中で跳ね返された。現状がどうなっているのか、いずれ「セロー」で探ってみたい。


内ヶ谷2号橋
一般人は渡ることの出来ない2号橋。いいねえ、第2橋と言わず、2号とはねえ。そう、サンダーバードのマシンみたい。ここから、セメント運搬車が出てきたので、走ってきたルートが主な搬入に使われているのだろう。


工事説明
興味を持って工事の概要を知る。内ヶ谷川は、ほどなく下流で「亀尾島川」と名を代える。ダム計画当初は、「亀尾島(きびしま)ダム」と命名されたが、「地元住民」の要望で「内ヶ谷ダム」となった。クルマが入れないような集落がこの内ヶ谷には残っていた。その集落もすべてダム湖に沈む。人の営みがダムの名に残るのであれば、それもよいだろう。

工期14年とある。それが長いか、短いか、素人の小生には判断できないが、ちっぽけな人間が寄り集まって、それだけの期間をかけて大事業をするってのは、すごいこと。完成をめざす人たちにとっては、ライフワークであるに違いない。県のHPでは、ダムの完成は令和9年と記されていて、あと3年後だ。

出会橋と黒田〜亀尾島林道
峠から下りてきて、はじめて内ヶ谷川を渡る橋にやってきた。ここにトラバリケードが置かれて、随分と長い期間、先に進むことが出来なかった場所。川に沿って、上流に進む林道あり。小生がこの秘境に興味を持ったきっかけは、国土地理院の地図でこの先に、「開拓地」と書かれた地名を見つけたことからだ。そのような名を残したとは、よほど厳しいところであったはず。

林道分岐
林道の入口には、地蔵さんが今も大事に祀られる。グラベルの林道を3kmほど進めば、廃屋すら姿を消した「開拓地」に至る。その先は、鉄製のゲートで奥に進むことを拒まれる。開拓地は戦後に人が入植し、「6戸」の集落が「開拓」され、小学校の分校まで作られた。しかし、昭和46年に、内ヶ谷の集落ともども、離村して廃村となった。

県道52号(あじさいロード)
以下は、2017年にセローと共に、探検した記録

出会橋
内ヶ谷川を越える唯一の橋。なので、「出会い」と名がついたのか。トンネルよりも先に竣工された橋と思われるが、銘板がいずれも剥がされている。心ない輩に盗まれてしまったのだろう。こんな山奥にまで、悪事を働くとは。

県道52号白鳥板取線
内ヶ谷1号橋から板取側は、終始このようなクネクネが続く。当然のように、カーブミラーの設置も「ぼちぼち」で、絶えず対向車が来ることを考えて走らないといけない。ガードレールも皆無なので、半年前の転倒事故を思い起こすと恐ろしい。

崖下を見下ろせば、ダンプカーが行き交うダム上流の内ヶ谷川の様子がわずかに見える。

緊急時連絡可能箇所
県道は緩やかなのぼりとなって、お次の峠をめざす。カーブをこなすのも「いい加減」にして欲しい頃に、こんな看板。携帯電話が使えますよって、益々「秘境」感を伝えてくれる。きっと、ダム建設のための中継地が近くにあるんだろうね。スマホの画面では、「1本」だけ、棒が立っていた。


広い内ヶ谷をウネウネ巡り、ダム湖になるであろう領域の南端になってきた。徐々に谷が小さくなって、峠が近いことを知る。それにしても、かような山奥でも、植林された山が続くことに畏れ入る。


西ヶ峠
登り切った先には、「峠」あり。内ヶ谷流域と板取流域の生活圏の境ではあるが、県道は近代になって作られたルート。県道が出来る前は、ほかに杣道が巡らされていただろう。「峠」に魅入られる小生は、クルマやバイクを走らせる面白さはもちろんだけど、その峠に染みこんだ人々の営みを感じることも好いているようだ。そんな、嗜好の大先輩の記録が「峠と旅」。

西ヶ峠を過ぎると、板取の明るい谷がお持ちかね。大きくヘアピンを4つほどこなして高度を下げる。

三洞 板取側ゲート
人の気配が感じられるくらい人里に下りてくると、道路情報板を通過。このあたりは板取でも最深部の集落。

門原 神明神社の大杉
門原の集落の鎮守には、そうそう立派なスギの木がある。太くて真っ直ぐな本幹の先は、雷にでもやられたのか、ぷつんと切れている。バイクを駐めてじっくり愛でていると、白い軽トラが近寄ってきて窓越しに声をかけられる。聞けば、「山師」をしてきたとか、このあたりの森林で暮らしてきたそうだ。祖先が植えた木を二代目、三代目で切り出せば、100年以上経過した材木になる。切り出す長さは4mがほとんどだが、自分は6mで切り出していた。より太い巨木は「8m」で山から降ろしてきたそうな。神社仏閣などを作るには、それくらいの長い材料が必要だからとのこと。1本、百万円の値がつくようなこともあったと聞いた。最後に、この巨木に名前がついていないのかと尋ねたら、神明神社にあるんだから、その大杉だよ」ともっともな回答だった(^^)。

内ヶ谷トンネルから門原の集落まで、走行ログを残してみた。最高地点は西ヶ峠のハズだから、出合橋から西ヶ峠までの数キロが、隘路区間だった。

板取スイス村バス停
ここまで来れば、すっかり人里におりてきたと安堵できる。スイス村ってあるからには、どこかにそんな施設があるのかなと思いきや、そんなものは見つからず。昭和のころの村長が「スイス」に視察に行ってその風景に憧れ、板取村をスイスのような観光地にしようとしたのが始まりで、バス停にその名が残ったというわけ。周囲には、養魚場と旅館すぎ嶋があるだけだ。

川浦渓谷(かおれ)
峠から下りてきた川は門原川、その先の板取集落から西にのびる板取川本流を上流に進む。寄り道した川浦渓谷はクルマで来ることの出来る奥美濃地域の最深部。背後の山稜の向こうは、九頭竜や大野が控える「越前」の領域。


40〜50mの切り立った断崖、岩壁の谷が数キロ続く「板取のグランドキャニオン」だ。新緑の緑と、清流のエメラルド色に目を見張る。紅葉の時期には、これに黄色や朱色が加わる頃は、たいそうな人出になる。はるかな山奥だけど、紅葉の板取に来たのなら、ぜひ足を延ばして欲しい。


板取川温泉(浴場はHPより借用)
板取の集落に戻ってきて、温泉に浸かる。内湯と露天の泉質が違う。露天のどうどうと流れる潤沢なお湯が好きだ。関市の運営であったが、いまは民営にかわったよう。板取村がスイスのイメージで観光を進めたのもあって、レストランや温泉の建物がロッジ風で、なるほどスイスだね。


きたじま金メダルのメンチカツ定食
温泉に隣接する食堂でお昼ご飯を済ます。メニューで目立ったメンチカツを試してみた、ジャガイモ多めのお肉がゴロゴロしたメンチカツ、おいしかったけど、なんで北島康介?? これも後学で知るが、北島康介の実家が精肉店で、そこのメンチカツが一時、大人気だったようだ。東京の日暮里にあるお店メニューなのに、なんで奥美濃の食堂で食べられるのか? 秘境の板取とどうやって、北島康介が結びついたのかは、皆目分からない。


ムシトリナデシコ
板取の路傍に、鮮やかな花壇を見つけてバイクを寄せる。いまが見頃のお花をスマホの「ポートレートモード」で撮影してみるが、出来上がりは、あるべき茎が消えたり、ボケたりと、旨く使えなかった。花の名は、Googleカメラで「ムシトリナデシコ」と分かる。虫取りなんて、気の毒な名がついているが、葉のうらに粘液が分泌されて、そこに虫が付着して動けなくなるよう。食虫植物ではないので、密だけ盗んで受粉に働かない「アリ」などを寄せ付け無いためだそうな。「スゴ」。

20世紀の森公園
変わった形の杉の林(株杉の森)がある公園によってみた。県道52号は、「あじさいロード」と名がつけられ、道沿いには数えきれぬほどのあじさいが植えられている。この公園にもあじさいで埋め尽くされる法面があるが、まだ咲き始めの状況。6月後半にもなれば、「日本の道100選」に選ばれた「あじさいロード」は、多くの観光客を迎えるだろう。
板取川
奥美濃最深部の山から集まった水の流れは、板取川本流となって長良川へ合流する。いずれの川も、「あゆ友釣り」で全国的に知られている。小生も父親に教えられて、長い竿を振っていたので、その面白さは分かっている。おとり鮎を上手に操って、天然あゆの縄張りに進めれば、「どーん」と竿がしなって、二匹のあゆが手元にやってくる。釣れたばかりの天然あゆは、ウグイス色の背中、頬のくっきり黄斑、ひれの端の橙、などなど、とても美しい。そう、鮎って「スイカ」の香りがするんだよ。


名もなき池(モネの池)
板取の集落を抜け、タラがトンネルへの分岐も過ぎるれば、県道52号の終点を通過することになる。R256となった道を南にすすめば、モネの池があるので、ちょいとご挨拶に。清水のため池が、モネの絵画に似ていると人が押し寄せるようになったのが、8年前。池に陽が差せば、なるほどモネの絵だね。

フラワーパーク板取
小生にとっては、池よりもその隣にある園芸店の方に興味あり。この時期は、鉢植えのあじさいであふれている。キレイだねえ、バイクじゃなかったら、持ち帰っていただろう。

県道52号(あじさいロード)

お山をしっかり走ったから、コイン洗車場で高圧洗浄して帰宅。イレブンさんは、エキパイ、マフラーとも、非常にキレイなものが手に入ったので、交換したばかり。クルマもバイクも、塗色としての黒は好みじゃないが、夕陽の映り込む美しさをみれば、嗜好もかわりそう。3年前に手元にきて、少しずつキレイになってゆくのが嬉しいねえ。

Kモータース
イレブンを車庫の定位置に収納し、預けてあったRZを受け取りに。厚みが3種類あるシムのうち、厚いシムをはめ込んでみたとのこと。これでオイル消費を試してみよう。焼き付くのは困るが、せめて500~600kmは走れる様になって欲しい。この秋は、四国の徳島から松山へ四国山脈横断をRZで挑戦してみたいのだ。
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