TOYOTA SAI G 2009

長野善光寺表参道 5:45
前述の「戸隠五社・戸隠古道」に挑んだその日の朝に、時間を巻き戻し。有効に一日を使うために、名古屋から前夜のうちに長野入り、駅前のビジホで1泊していた。せめて善光寺くらいは参拝しておこうと、早朝から動き出し、靜かな善光寺表参道にやってきた。

善光寺 仁王門
パーキングにクルマを入れて、歩き出す。午前6時前だけど、すでにジモティなみなさんが、朝の参拝にやってきている。

大本願 本誓殿
仁王門の左手には、善光寺創建を共にする尼僧寺院。大勧進の貫主と善光寺住職を兼ねていて、日の出に合わせて、善光寺本堂での「お朝事」に、こちらから善光寺本堂へ、出仕されている。

表参道の坂をふり返る。遥か遠くまで、クルマも見当たらない早朝の参道。

仁王像 阿形(あぎょう)
仁王門には、本堂に仏敵が入らないように、仏を守る金剛力士が安置される。口を大きく開けた「阿形」は、近代の高村光雲の作と知る。


善光寺 山門
本堂の前にそびえるは、大きな「山門」、俗世界と佛の世界の境界となる。現在の山門は江戸時代中期の建築で、5年間をかけて平成大修理を受けている。現在は、山門回廊の一般公開がなされていて、高いところから本堂を眺めることが出来る。

善光寺 本堂 5:55
表参道をまっすぐに、でっかい本堂に到着。建築は江戸時代中期、東日本で最大の木造建築で「国宝」。参拝をおえて本堂の階段を降りようとしたら、先ほどのお導師が、本堂に上がる姿を拝謁した。本殿での法要の後、参道右側にお待ちすれば、「お数珠頂戴」といって、お導師から数珠を頭にいただけるそうな。

佛足跡
本堂手前、左側にお釈迦様の足跡を残す石が祀られている。古代インドの時代から、釈迦の足跡も崇敬の対象とされていた。いまは、足を大切にしたい人たちに信仰が広がっているとか。小生も今日の行脚を念じた。

大門町パーキング
早朝のためか、参拝に便利な大門町パーキングも、SAI君だけポツンと。いつもは混んでいてなかなか駐められない場所なのにね。

駐車場精算機
清算機の表示をみて、そっか、と納得。2日前に、新札が発行されていた。新旧の区別は分かりやすい、漢字」か「算用数字」か。新札発行に合わせて、機械改修の費用はだれが負担しているんだろう。
地附山(じづきやま)からの展望 6:45
善光寺詣も済んで、戸隠に向かいましょう。善光寺の北にあるお山、地附山にあがってみた。ここからは、長野市街を俯瞰できる。この道、昭和60年7月の地滑り災害が起きるまで、戸隠バードラインとして、幹線道路の役割を担っていた。地滑りはこの位置の前後で家屋や老人ホームを巻き込む惨事となる。以降、この区間は廃道となって行き止まりの公園に変わった。戸隠への観光ルートは、北側の新設された「浅川ループライン」に引き継がれて、バスなどの大型車両が戸隠に上がれるようになった。

戸隠バードライン 七曲
乗用車などの小型車両は、地附山の西側から、旧戸隠道と一致する戸隠バードラインで山越えする。8つのヘアピンを急登する道が面白い。雪や凍結対策として、七曲がり区間はシェルターに守られている。バードラインの名称は、この「鳥かご」に由来するんじゃないかなあ。

飯縄山(いいづなやま)登山者駐車場 7:30
長野市内から40分ほどのドライブで、戸隠五社めぐり、戸隠古道の出発地に到着。天気予報では、終日晴れとのこと、やったね。この顛末は、ブログ「散策 4」で記述済み。

戸隠 戸隠神社宿坊 築山 8:20
終日、戸隠神社、古道を堪能して、翌日の朝となる。上越周辺のロングツーリングで行けなかった糸魚川の「雨飾温泉」に立ち寄り湯に行こうと計画していたが、この日の天気は雨が必須らしい。雨では、折角のお山も美味しくないと思い、朝食を頂きながら、作戦変更とした。

そう、黒部ダムの観光船が今季で運行中止になるというニュースを見たっけ。名古屋への復路は、黒部ダムの「ガルベ」に乗船することを目標においた。

長野県道36号
戸隠の集落から、右折してr36号で山道に入る。ミニチュアジオラマのようなコンパクトさの「上楠川」の集落を抜けて、峠にむかう。鬼無里(きなさ)方面と戸隠神社をつなぐ、古くからの参拝路。


大望峠 8:30
峠近くで旧道にあがれば、白馬と信濃の境、標高1055mの「大望峠」。ウイキペディアによれば、鬼無里村の住人ががあまりの景色の美しさに「大望峠」と名前を付けて看板を置いたところ、知らぬ間に正式な名称として「大望峠」となったそうな。

鬼無里に通じる谷間の向こうに、白馬連峰が見えるはず。低い雨雲で隠れてはいるが、なるほど雄大な景色だね。


鬼無里 岡 道祖神
オレンジ色にひかれてクルマを駐める。路傍の道祖神が可憐な花に囲まれていた。Googleさんで調べると、ルドベキア(松笠菊)とある。かわいい花だねえ、我が家でも咲かせてみたいな。

鬼無里 松巌寺 9:00
鬼無里まで降りてきた。集落のもっとも賑わったあたり、鐘楼と立派な山門の松厳寺を訪ねる。変わった地名、「鬼無里きなさ」の謎が解けるかも。

境内には、「紅葉伝説」の説明があり、ふむふむと読む。。。平安時代、源経基の寵姫であった才色兼備の紅葉。邪魔になった経基の正妻を呪殺しようとして発覚、戸隠へ流されてしまった。罪人として妖術をあやつる「鬼女」としての言い伝えや、宮人の知性と美貌を村人が慕ったという伝えも残る。やがて、上京を決意した紅葉は民兵を集めるが、京から攻めてきた平維茂に討たれてしまう。紅葉が大事にしていた仏様を本尊として、地蔵堂が建ち、やがて江戸時代に松巌寺が建立され、紅葉の墓とされる石塔が残っている。それまでこの地は「水無里」と呼ばれていたが、この伝承から「鬼無里」と名を変えた。


バス停 東京口(ひがしきょう)
鬼無里の中心街?からR406号で白馬方面に西進する。とある橋のたもとに、右への分岐と「東京口」と書いたバス停に目がとまる。通り過ぎてのUターンで、案内看板を読むと先の紅葉伝説にかかわる場所とわかり、その先をプチ探検。


鬼無里 東京(ひがしきょう) 9:28
坂を上がると、河岸段丘の平坦地に蕎麦畑がひろがる集落にいたる。よくありそうな田舎の景色。

東京 二条 加茂神社
バス停の先には、こんもりと鎮守が控えていた。加茂神社の所在は、古来「二条」と呼ばれ、周囲には、三条、四条などと、京都の区割りのような地名があった。平安時代に創建された加茂神社の主祭神は、京都の上賀茂神社の分霊を勧請し祀ったと伝わる。信州の山奥に、京都をまねた集落があったというのは、とても興味深い。伝承では、「紅葉伝説の紅葉が住んだ館がこの地にあって、京都を偲んで地名を残したという。加えて、戸隠で訪れた「足軽さん」に祀られた盗賊、強賊の女傑「おまん」は、紅葉の部下だったってのも、面白い。

白沢峠展望台 9:55
R406号を登って、峠のトンネルをぬけると、白馬の世界。トンネルの左手に、わずかに駐車できるスペース有り。白馬飯盛あたりの先に、低い雲を抱いた白馬連峰が見える。先ほどまで雨が降っていたが、雲が切れてきたようで、幸運だね。

扇沢駅 10:40
白馬を通り過ぎ、立山黒部アルペンルートの東端、関電トンネル電気バスの扇沢駅に到着。黒部へGo〜〜。

おまけ
お寺の境内に見慣れぬ植物を見る。70~80cmはあろうかという背丈に、月下美人の膨らみを思わせるつぼみをつけている。後学で調べると、「オオウバユリ」で、多年草で一生のうちに1度だけ花弁をつけるようだ。

葉っぱのみどりに同化した可愛らしいものを見つけたよ。
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