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湖東三山 百済寺

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湖東三山 百済寺
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ロケーション
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東近江市百済寺本町
 湖東三山のひとつ、百済寺を訪れた(11月中旬)。参道は県道の交差点から始まる。百済寺と刻まれた大きな石碑が目印。
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 細い集落の中を進めば、山門がみえてくる。
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百済寺 赤門
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 うっそうとした林の中に、朱塗りの山門が登場。手前の石畳、石段と靜かで厳かな雰囲気。
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 門をくぐれば、その先に緩やかな登りと新緑のもみじたち
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天文法華の乱 戦死者供養碑
 参道の石碑は、百済寺僧兵の戦死者の供養碑。戦国時代の「天文法華」の際には、延暦寺側としてに法華宗との争いに巻き込まれる。当時の寺は、武装した僧兵を抱えた武装集団であり軍閥であった。現在のお坊さんとは似ても似つかぬ存在だったのだ。
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矢杉
 朱塗りの橋を渡れば、左手に矢杉と呼ばれる杉の巨木。織田信長による焼き討ちの際は、この杉の「葉」までもが、「矢」として信長に抵抗したとか。
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六枚橋
 沢を渡る6枚の短冊状の石板。いつからここにあるんだろう。
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 彫りも失われた地蔵たちが、ひとまとめで祀られている。賑やかで楽しそう。
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 参道の左右には、延々と石垣が続く、その当時は、この左右には、多くの塔頭寺院や僧坊が並んでいたのだ。ここを訪れたルイス・フロイスは、「地上の天国 一千坊」と讃えたよう。
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表参道
 寺の表門に通じる参道。ゆるやかにカーブを描く苔むした石段。通行を止めているのもあり、苔の育ちがすばらしい。
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表門
 表門は参道から本坊へ導く入口。参拝者は、手前の通用門より本坊、南庭に進む。
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 表門より、さらに石段は本堂に続く。
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仁王門
 金剛力士像が本堂をお守りしている。力士が足にするわらじを奉納していたが、いつしかどんどんとその大きさを増し、今では3mほどの大わらじとなった。10年ごとに地元の信者たちが新調するという。
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 その先に本堂を控え、石段はまだ続く。
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 本堂の周囲は、神木で囲まれた厳かな空間。
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百済寺 本堂(重要文化財)
 寺伝によれば、606年、山の中に光るスギの木を見つけた聖徳太子が、立木の姿で「十一面観音像」を彫り、取り囲むように胴を立てたのが発起と伝える。寺は大火に見舞われるも、都度再建してきたが、戦国時代に六角氏を庇護したために、織田信長に全山焼かれてしまう。現在の本堂、仁王門、山門とも、江戸時代中期に再興された建物である。元は今よりも奥の広大な敷地により大きな金堂と五重塔があったとされる。
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十一面観音像(県文化財保護課提供)
 百済寺の本尊である十一面観音像は、秘仏として普段は厨子の中。住職が引き継ぐ際に、1度だけ拝観が行われてきた。2020年に文化庁が初めて調査を行い、奈良時代の一本の木から造る「一木(いちぼく)造り」と判明し、滋賀県でも最古で大きな(約2.5m)木造仏として国の重要文化財となった。ただし、全体に比べ顔が小さく、彫りも浅くやや平面的、衣のヒダなどものっぺりとして、他の観音像とは、趣が違うようだ。このため、仏師の作ではなく、僧侶などの手によるものではないかと考えられている。
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千年菩提樹
 本堂の脇には、樹齢は推定約千年の菩提樹が残る。信長の焼き討ちの際、幹まで燃えてしまったが、根が生き残り幹の周囲から再び蘇って今に至る。80cmほどの中央の空洞部が、焼き討ち当時の幹の大きさを表している。
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本堂の参拝を終えて、僧坊に戻る。
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本坊喜見院
 本坊の北側には、回遊式の庭園。恣意的に配置された石橋が印象的。バクバク口を開けた鯉たちが餌をせがんできる。場違いなトラの張り子は、池の鯉を狙ってくる小動物対策だと思うけど、、、。
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 右手、東は山腹をそのまま、築山のように背景として、大きな石で菩薩を表現しているとか。どれが、菩薩なんだ〜??
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 池を巡ったあとは、山腹の小径を上り、お寺を見下ろす高台へ。琵琶湖とその先の比叡山、さらには遙か彼方の恋しい百済を望む。確かに、正面は朝鮮半島の方角だ。
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庫裏のネコ
 お寺の名前からして、百済とは深い縁のお寺。飛鳥、奈良時代に戦火を逃れ、日本に移住してきた渡来人たちの菩提寺であったというのが定説のよう。飛鳥、奈良時代からの1500年近い歴史は、度重なる大火で資料を失い、出自の分からない「十二面観音像」をはじめとして、謎に満ちたお寺だね。初夏の新緑、苔もキレイだろうし、積雪の参道もキーンとしてクールだろう。折に触れ、立ち寄ってみたいお寺。

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by akane8150 | 2024-12-19 23:00 | ツーレポ 近畿 | Comments(0)

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