F86F ブルーインパルス 仕様
かかりつけ 某クリニック
小生のかかりつけ医は、大学の同級生で循環器医師のF君で、三河のとある街でクリニックを開業している、高血圧と不整脈が持病の小生を3ヶ月ごとに診てくれている。このところ、血圧が不安定で、彼の判断を仰ごうと、クリニックまでやってきた。なのに・・・午前11時前で「診療終了」のお知らせが。。。。現在、インフルエンザが猛威を振るっており、どこの外来診療も発熱の患者であふれている状況。午前中に視れる患者数を超えてしまったので、やむなく札をおろしたのだろう。。。

浜松 エアパーク
名古屋から某クリニックまで60km以上、1時間をかけてやってきたのに、目標を失ってしまった。そこで、思いついたのが、もちょっと東に走った先の、浜松基地のエアパークだった。展示が新しくなったという情報を持っていたので、それを確かめに行こうかね。

エアーパークは浜松基地に隣接した航空自衛隊の広報施設。より航空自衛隊を知ってもらおうと設置されている。3階まである展示資料館、円形施設の「全周性シアター」、そして奥の航空機展示の3つの建物から成り立つ。
F104-J
正面ゲートで待ち構えるのは、F104-J 。1963年に国内で配属が開始され、1986年にF4やF15とバトンを渡すまで、航空自衛隊の主力戦闘機を担っていた。展示は、テールがオレンジに塗られた標的機で、退役した機体が当てられ、無人で飛んで最後のご奉公をした。
カーチス C-46D
第二次世界大戦で活躍した輸送機で、創生期の航空自衛隊を支えた。双発のレシプロ輸送機としては、大型で、積んでいるエンジンも戦闘機の「コルセア」や「サンダーボルト」で使われた強力なダブルワスプなので高性能であった。ユニークなダルマ型胴体と、飛行点検隊のオレンジ塗色は、愛嬌ある機体だねえ。

地対空誘導弾 ナイキ
防衛の高射砲群の要として、1964年にマッハ3.5で飛翔するナイキが投入された。クラシックレベルの模型で、これのキットがあったが、高くて小生には手が届かなかったな〜。1989年に現行のパトリオットに変わるまで、国内各地で防空を担っていた。

展示資料館1階
展示資料館の正面玄関、入れば3階までの吹き抜け。受付嬢が「全周性シアター」の案内と整理券を渡してくれる。シアターでは、パイロット目線からのブルーインパルスの編隊飛行など、大迫力の映像が楽しめるが、小生は以前、目がグルグル気持ち悪くなったので、今回はパス(^^ゞ。

F2
資料館で最初にお目にかかるのは、海上迷彩仕様のF2だ、様々な兵器が搭載可能だけど、とりわけ、空対艦ミサイルを抱えての洋上作戦が当面の仮想戦略だろう。当初は純国産を目指していたが、政治的、コスト的に日米共同製作となった苦い経過があった。現行バリバリの機種なので、展示も精巧に出来たモックアップのみ。フェリー用の増槽タンクのでかさに(°0°)。外洋での作戦時には、航続距離も要求されるだろう。

F1 カットモデル
お次の展示は、純国産支援戦闘機のF1。1975年に就役し、F2の登場するまでの30年間、一線で活躍した。

コクピットの後方には、アビオニクス機材が整然と搭載されていた。古い機体だから機密は切れているんだろうね、現行機ではこのような展示はあり得ないだろう。

零式艦上戦闘機 52型甲
戦後にグアムで発見された機体を、名古屋の三菱大江工場でレストアした「ホンモノ」のゼロ戦。世界で40機ほどのゼロ戦が残っているようだが、機体の程度やオリジナル度は様々で、この機体はオリジナル度が高いらしい。タイヤを探すのに苦労したが、ブリジストン製と分かり、無償でブリジストンが複製タイヤを作製した。

後期の52型は、武装、防備などを充実させたが、最新鋭のアメリカ機と戦えるような性能を持ち得ず、劣勢となった。最も重要なエンジン開発が遅れていたのが、大きな理由であった。エンジン開発が飛行機の開発の要であることは、現在も変わりなく、次期FSXの課題となっている。

航空機展示館
回覧の最後は、おとなりの大きな格納庫へ。数年前とは展示の仕方や機種の変更をしたようだ。自衛隊創設期当時の古い機体の展示が減って、練習機、戦闘機を中心とした展示に変わっている。そういえば、先ほどの零戦も、以前はここの天井につるされていたね。それを思えば、今の展示の方が、零戦にはいいだろうね。

歴代の主力戦闘機が並ぶ姿は迫力あり。ちなみに、航空自衛隊が管理する博物館形式の唯一の施設で、飛行機マニアにとっては、見て、触れることのできる楽しい展示だろう。

F86D(月光)
朝鮮戦争でMig15と戦ったF86Fセイバーにレーダーを取り付けて、全天候型になったのがF86D。敵の航空機に対して、24連装の空対空ミサイルを発射するという大胆な兵装で、一般的な機関砲は積んでいなかった。

F104J(栄光)
ロッキードのキレキレ、スカンクワークスが設計した「最後の有人戦闘機」と言われた迎撃戦闘機。ミサイル万能論が主流であった1950年代に設計されたために、そのようなキャッチフレーズが生まれた。Mig15などの軽量戦闘機に即発され、軽量な機体と強力なエンジンで、進入してくる敵を迎撃することに特化した。アメリカ映画の「ライトスタッフ」では、その上昇力などが表現されていたね。

とても小さな主翼で、さらに新聞紙が切れるほどと言われた薄さ。ミサイルにフィンをつけただけのような特異なフォルム。小牧三菱がライセンス生産をしたこともあって、「三菱鉛筆」とあだ名されたこともあったとか。

じっくりと、機種周りも見ることができるので、興味シンシン。コーションマークもよく分かる。整備の手順、操作の手順など、読んでるだけでも楽しい。
迎え角センサー
風見鶏のような小さなフラップパーツを発見。T字尾翼を採用した当機は、強くノーズアップすると主翼の乱流で尾翼の機能を喪失し、危険な失速を起こす重大な欠点を抱えていた。その対策品、これで異常な迎え角を感知して、パイロットに知らせていた。

ゼネラル・エレクトリック J79ターボジェット
F104に搭載されたターボエンジンは、当時のエンジンの中でも抜群に高性能なもので、マッハ2.2の瞬発力をもたらした。横に並んでいた「T-4」のターボファンエンジンに比べると、その大きさが分かった。

F-4EJ改(ファントム)
F-4EJは、1972年に配置されてから、2009年の退役まで、航空自衛隊の主力として活躍した。展示されている機体は、1984年から生産された最終バージョン。

機首には細かくかき込まれたマークがいっぱい。反射板のような3枚の白い部分、どんな機能があるんだろう。胴体中央部にも同様に設置されている。F-4のデカいエアインテーク、その境界層分離板は、よーく見ると小さな穴が一面に抉られている。実機を近くでみて初めて分かることだね。

F104に積まれたパワフルなJ79エンジンを双発で抱えたファントムは、とてもグラマラスで力強い。最新の戦闘機よりも、このファントムが大好きというマニアの気持ちが分かるなあ。部隊マークは、F4を使い続けた沖縄百里基地の第301飛行隊のトレードマーク。スカーフを巻いたカエルは、基地近くの筑波山にすむガマガエルにちなんだモノで、「必ず帰ってくる」の意味が込められている。

後ろに延びたテール、特徴的な下反角の尾翼など、F-4を印象づけるフォルム。アレスティングフックも、ごっつく、艦上戦闘機でもあったことが頷ける。もしもこの位置で、アフタバーナーのフルブーストを受けたら、すんごいだろうねえ、どれだけ後ろに飛ばされるだろう(^^ゞ。

F-1
戦後初めての純国産戦闘機。もとは高等練習機として開発されたT-2をアップグレードして支援戦闘機にまで改良した経過もあり、T-2とF-1は兄弟機といえる。ただし、搭載エンジンも練習機と同じアドーアMk102のため、最後までパワー不足に悩まされたという。

F-4と棲み分けで、F-1は支援戦闘機としての役割を担うこととなり、20mmバルカン砲、対艦ミサイルや爆装などを担った。エアーインテークや尾部の処理など、F-4の影響を強く受けている、

F1 コクピット
各展示機は、それぞれタラップが用意され、コクピットも近くで眺めることが出来る。この日は、F1に担当官がいて、コクピットに座ることが出来た。なんたって、ホンモノだからねえ、緊張。まずはシートに立って、それから前方の風防をつかみ、しゃがみ込んで両足を収める。風防の枠を握ったときの「冷たさ」がピリピリするね(^^)。

お〜〜、ナイスですね〜。キャノピーに「一射入魂」のステッカー、カッコええ。前方視界は、思いのほか広い。背中のパラシュートがないので、手を伸ばさせないと操縦桿に届かない。

正面に照準器(HUD)が鎮座、その下に水平儀、方位指示、レーダースコープと並ぶ。右手は、上段にレーダー警戒スコープ、エンジン回転計、燃料流量計など、さらに電波高度計、各種警告灯。左手は、速度計、気圧高度計、ランディングギアなどのスイッチ。液晶タッチパネルでの表示となった現代より、アナログメーターの並ぶこの頃のコクピットの方が、「メカ」していて雰囲気あるね。

左コンソール
白いレバーは2基のエンジンスロットル、押し出せば出力が上がり、さらに黒いレバーを押し込めばアフターバーナーに点火。いちばん外側には、フラップの上げ下げレバー。

右コンソール
酸素系統、兵装管制入力装置、慣性航法などの入力パネルがごちゃごちゃ。こんなにたくさんのスイッチを短時間に判断して操作するってのも、すごいねえ。手前のレバーは、脱出シートの起動レバー。見学者が入れ替わり握るから、黒、黄色の注意塗装がすっかりはげちゃっている。左右のレバーを引けば、キャノピーが飛んで機外に打ち出される。

ゆっくり見てまわったので、優に1時間以上、展示を楽しんだ。屋外に出れば、お隣は浜松基地の広い滑走路だ。滑走路周囲の管理道路を、隊員さんたちがジョギングしている。

東の方角からジェット音が聞こえたと思ったら、すーっと、T4が東から進入してきた。急いで、iphoneのカメラ倍率を上げて撮影してみる。

タッチダウン
動く被写体を撮ることは慣れていないので、難しいねえ。何枚か撮影して、フォトショップでトリミング。なんとか、T4と分かる写真になった。

第1航空団は浜松基地をベースとしており、T-4中型練習機でパイロットの育成に当たっている。T-4で鍛えられると、航空自衛隊パイロットとして認められ、ウイングマークが授与される。言わば、運転免許試験場だね。このあと、各航空団に所属して、戦闘機乗りや輸送機乗りに分かれてゆく。

浜松基地の近くでは、ジェット機の音を聞く事が多い。それだけ、頻回で厳しい訓練が行われているのだろう。T-4はエンジンを含め、純国産練習機で、ブルーインパルスでもお馴染みの機体。1988年に就役して、現在も第一線でパイロット育成に用いられている。1988年といえば、小生が社会に出た年だ。なんだか、急に親しみを覚えたね(^^)。
かかりつけ医の受診のハズが、なぜか、飛行機三昧の一日になってしまった。定期にのむクスリが無くなるので、やむなく自分の病院でDo処方して、チャンチャン。次回は、ちゃんと診察してもらおう。
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