ドイツの戦闘機、Bf 109 を生み出したメッサーシュミット社は、戦後は航空機の生産が禁止され、他の領域で経営を繋ぐこととなる。国内で3輪バブルカーを生産していた企業と提携し、小型エンジンを提供した。このバブルカーは、日本国内でも1969年まで販売された。しかしその次が続かず、自動車部門は廃止となり、名門メス−シュミットの名は、合併した航空会社の社名としてしばらく残った。定員2名 排気量200cc単気筒2stエンジン、最高速100km。

キャデラック エルドラド ビアリッツ アメリカ 1959
1950年代の力強いアメリカの象徴、キャデラック。その中でも、エルドラドは、でっかくて「富」の象徴。キラキラのクロームメッキ、ジェット機のようなテールデザイン、エアサスやパワステなどの基本装備もほぼ現在のクルマといっしょ。全長5.7m 全幅2.04m、車重2.4t、V8 6396cc、345HP。


メルセデス ベンツ 300SL 1955
ベンツのプロトタイプレーシングカーのW194は、世界でもっとも過酷なレースとされた、1952年のメキシコ縦断レース「カレラ・パナメリカーナ・メヒコ」で優勝をとげる。隣国での快挙は、アメリカのディーラーをもってして、この市販型を製造するように強くベンツに促した。こうした背景で生み出されたのが、300SLで1954年から1963年まで生産され、大人気となった。全長4.5m、全幅1.79m、車重1.2t 直列6気筒 2996cc 215HP


低く構えたシルエットは、レーシングカー譲り。ボディも鋼管スペースフレーム(鳥かご)のため、サイド部分の張り出しが出来てしまい、やむをえずのガルウイングドアとなった。サイドウインドウは、開閉が出来ず、エアコンのない時代の車内はエンジン音と相まって、男の仕事場的ななコクピットだったらしい。権威あるアメリカのスポーツカー雑誌が選ぶ「トップスポーツカー」10選の中で300SLは5位に輝いている。ちなみに、1位はフェラーリ250GT、2位はマクラーレンF1、3位はジャガーEタイプだそうな。10位にマツダミアータが選ばれている。
タイガー戦車の砲塔を手がけたポルシェ社は戦後、フォルクスワーゲンのスタッフなどと共に、VW社の技術提供と販売網を受けて、ポルシェ356の生産を開始。高性能と居住性、実用性を兼ね備えたスポーツカーとしての地位を獲得。その後継車として、現代まで続く911シリーズが1964年に発表された。RRスタイルと水平対向6気筒エンジンはずっと継承された伝統ではあるが、1977年に911の後継車として、FR、V8エンジンの928が発表されて、世代交代するはずであった。しかし、ポルシェの911ユーザーからは受け入れられず、ポルシェ社の思惑は外れた。全長4.16m、全幅1.61m、車重1.08t、空冷水平6気筒、1991cc、130HP。

ルノー 5 フランス 1979
RRだったルノー4CVのエンジンをひっくり返してフロントに持ってきて、コンパクトカーに仕上げたルノーの大ヒット車。その生い立ちから、エンジンルームの配置が、ミッション、デフ、エンジンとよくあるクルマの反対になっている。5ドアなどの派生型や、ターボで武装された「5ターボ」のベースとなったのも知られているだろう。全長3.5m、全幅1.53m、水冷直列4気筒、1289cc、64HP。

フォルクスワーゲン ゴルフ ドイツ 1979
スクエアな車体に、丸形二灯のヘッドライト、ジウジアーロのデザインは今見ても新線で、当時はずいぶんと人気だったゴルフ。FFで横置きエンジンは、室内を広くすることが出来て、その後のコンパクトカーの基本となった(ルノー5は縦置きFF)。インジェクションでパワーアップした「GTi」は、「ホットハッチ」の草分け的存在で、現代もつづくゴルフの大切なグレードだよね。全長3.8m、全幅1.61m、車重805kg、水冷横置き4気筒、1471cc、70HP。


デロリアン DMC12. イギリス 1982
怪しく光るステンレスのボディ、バックトゥーザフューチャーでお馴染みのデロリアン。元GMの副社長が、ジウジアーロのデザインのボディを、イギリスのロータスに製作させたスポーツカー。1981年と翌年の2年間のみ9000台ほどが製造され、商業的には上手くいかなかった。加工のしにくいステンレスのボディは、ロータスをもってしても、品質維持が困難だったらしい。塗装をしないで、ステンレスをヘアラインで仕上げたままの輝きが、このクルマの特長を際立たしている。全長4.26m、全幅1.86m、車重1.23t、V型6気筒 2849cc、130HP。

トヨタボンネットバス 1963
これから先は、戦後の国産車に着目。大きいので、建物内に入れてもらえないボンネットバス。トトロに出てくるバスはこれだよね。ガソリン直列6気筒エンジン、3878cc、130HP


戦後の復興の中で、国内各地のローカル線で活躍したボンネットバス。丸っこいシルエットに、リアの素敵な「R」を描いたウインドウ。この頃は、車掌さんも昇降ドアの横に立っていたね。

小生が名古屋市バスに乗る頃には、リアエンジンのバスに変わっていたから、ボンネットバスに乗った思い出はないけど。乗り物好きな小生は、バスに乗ったら乗客席の最前列に陣取ったね。運転席をのぞき込んで、メーターの針の動き、いっぱいあるスイッチなど見ていて全然飽きなかった。バスのスピードメーターって、ぶるんぶるん震えて、全然何キロなのか分かんなかった。なんであんなに針が揺れていたんだろう、なぞだ。

モータリゼーションの始まりに活躍したクルマたち。現在でも通用するようなコンセプトやデザインが、当時の先進性をみせている。ただし、安全性能や環境対策では、まったく通用しない。バイクよりは安全って、ほどの、ブリキの箱。だから、当時のくるまって、軽いよね。

トヨタ カローラ KE10型 1966
小生が生まれた頃、父親はスーパーラビットにのって通勤していた。たまに家族で4人乗りをして出かけたのを覚えている。小生はは父親の前でステップの上で立っていたはず。その後、三菱重工の「コルト800」が初めてのマイカーだった。程なく、レベルアップ?して、この初代カローラのこの色、2ドアが我が家にやってきた。

ホンダ シティ AA型 1983
TVコマーシャルを思い出す、シティ。トールボーイと呼ばれル背の高いスタイルが今見ても違和感ないね。リアのトランクに「モトコンポ」搭載して、旅先で乗り換える?、なんて、使い方を想定したんだろうか。モトコンポ、今も中古で見つかるけど、びっくりするような高値で取引されている。全長3.3m、全高1.47m、1231cc 、63HP。

トヨタ ソアラ 2800GT-EXTRA 1981
バブル崩壊を控えた、経済絶好調の80年代にキラキラ輝いていた「ソアラ」。パーソナルカーに高級、贅沢を詰め込んだ性能やデザインに、学生ながら憧れたねえ。この塗装、このグレードのソアラを一日だけ乗り回す事ができたが、自分が偉くなったような気がしたね(^^ゞ。当時は堂々としたサイズに押し出しを感じたけど、現在の目で見ると、「こんなちっちゃかったっけ」てな感想。全長4.65m、全幅1695m、直列6気筒DOHC、2759cc、170HP。

ホンダ NSX NA1型 1991
フェラーリ328を比較対象として ホンダのF1参戦を機に、世界に通用するホンダの車を作ろうとして誕生した和製スーパーカー。ニュルブルクリンクで鍛えられた総アルミボディとノンアスピレーションのVTECエンジンの組み合わせは、軽量戦闘機のイメージだ。オーバーハングの長いリアのデザインが、「ゴルフバックを入れる為」なんて理由だと思っていたが、調べたら、エンジンの熱対策とリアのダウンフォースの為と知る。マニュアルでバイクのように峠を走ってみたいクルマ。全長4.43m、全幅1.81mm、車重1350kg、V6DOHC2977cc、280HP。

レクサス LFA プロトタイプ 2009
スポーツカーを作りたいという現場の力を、「トヨタには夢や憧れを喚起する商品が欠けている」と副社長や豊田章男社長が後押しして実現したトヨタのスーパーカー。2010年からの2年間で、1日1台のペースで純手作りで生産されたLFAは、3750万円という国産車最高額で、限定500台が限定生産された。V10エンジンは、ヤマハF1エンジンの技術が生かされ、その排気音まで「調律」された美しい高音で「天使の咆哮」と呼ばれた。トヨタの誇る愁眉の1台だろう。小生のAMG GTとは、本質的に音の性質が違う。スーパーGTのレースなどでも、各車それぞれに排気音が違うのが分かるよね。このプロトタイプは、ライセンスが取得されていない展示専用車両で、初期の試作段階の個体をアップグレードしたもの。全長4.5m、全幅18.9m 車重1.48t、V型10気筒DOHC 4805cc、560HP。


トヨタ 2000GT MF10L型 1967 & トヨタ スポーツ800UP15型
日本最初のグランツーリスモであるトヨタ2000GT。全生産台数337台の中の1台で海外向けの左ハンドル仕様。海外にコンパクトカーを輸出するようになり、トヨタのイメージリーダーとして、国際的に通用するスポーツカーを目指して、エンジンのヤマハと協力して制作した。このクルマは、補助灯の大きな前期型で、後期型より好みかな。現代版の2000GTレプリカを、ロッキーオートが制作している。これは、現行直6トヨタ3Lを積んで、2400万円(°0°)。全長4.17m、全幅1.6m 車両重量 1.1t 1988cc 150HP
対して、真っ赤なヨタハチこと、トヨタスポーツ800。ファミリーカーのパブリカのコンポーネンツでコストダウンした大衆のためのスポーツカー。空冷水平対向2気筒エンジンはわずか790ccで、空力を生かして、155kmの最高速度を誇った、、、、だけど、こんな軽くて安全対策のないクルマで、155kmは出したくないなあ(^^ゞ。

マツダ コスモ スポーツ L10B 1969
東洋工業(現マツダ)が世界で最初に実用化したロータリーエンジン車。軽量コンパクトなエンジンを生かして、社内デザイン部は、思い切った低いプロポーション(全高1.16m)で未来的なスタイルを実現させた。1971年から放送された「帰ってきたウルトラマン」にマットビークルとして登場したのは、覚えているよね。全長4.12m、総重量0.96t、ツインロータリーエンジン、128HP。

クルマ、クルマでお腹いっぱいになって、お隣の文化館にすすむ。

記念館では、「クラウン70周年記念展」を特別開催中。歴代のクラウンが一挙、展示されていた。

白いクラウン 3代目 1968
小さな頃からクルマが好きだったが、思い起こせるもっとも古いクラウンは、この3代目かな。親類の叔父がのっていて、クーペタイプがかっこ良かった。ボディと別の「フレーム」構造が、クラウンの乗り味を支えていたとされる。ペリフレーム構造は、10代目のモノコックボディに変わるまで、クラウンの特徴だった。

ぐっと近代になったクラウンたち。とりわけ、手前の12代目 2003年「ZERO CROWN」は、軽快なデザシンで「走りのクラウン」というイメージを生み出したよね。市内を走るパトカーや、高僧道路の「覆面」を連想させるなあ(^^ゞ。

もっとも最近のクラウンたち。14代目、2013年ピンクのクラウンには驚かされた。生まれ変わりをテーマに、豊田章男社長の肝いりで、限定生産された。内装はテリー伊藤氏が監修したホワイトと黒の内装にピンクのステッチ。塗色のピンクは、「モモタロウ」という新規開発色。。。これまでのクラウンのイメージを見事に粉砕している(^^)。

FFベースのRV車となったクラウンにはびっくりしたが、FRのクラウンセダンが登場して、小生的にはちょっと安堵。試乗したことがないが、とてもフラットな乗り心地で、操安性も優れていると聞く。ここ数世代のクラウンは独立したトランク形状から、ピラーが消えて「6ライト」に代わり、ついには、まるでハッチバックのシルエットになった。空力を考えると、このスタイルになるのかな。

クラウンファミリーの系譜
トヨタの屋台骨を支えてきたクラウンだから、ボディもいろいろなバリエーションを保っていたんだよね。セダン、ワゴン、バンの3ボディはずっと定番だった。

クルマ文化資料室
クラウンの特別展示の先は、常設展示の資料館。ミニカー、マスコット、エンブレム、ポスター、雑誌などなど、トヨタが集めたコレクションが展示される。

クラシックカーのボンネットエンブレムの展示は、国別に美しく展示。これだけの規模でマスコットが展示されるのも、世界に誇れるそうな。

「ポンティアック」、「デューセンバーグ」のマスコット。ちなみに、ebayでデューセンバーグの標準的なマスコットが売られていたが、2000ドルだった(^^ゞ。

800台の「1/43ミニチュアカー」の展示で、クルマの歴史を時系列で展示。これすごいねえ、収集するだけでも、大変な労力とお金。

ブリキのおもちゃたち。コレクションに通じたマニアが見れば、お宝が散在してんじゃないんだろうか。50年以上も経た古いおもちゃだけど、どれも状態がよい。

海外のクルマのプラモデル
海外のプラモを展示したケース。絶版模型ばかりで、いつから収集したのだろう?ちなみに、右上の黄色いケースのアウディは、小生もストックしているメタルキット。いずれ、形にしようとおもってる(^^)。ところで、トヨタの社内に、こんなコレクション収集を受けもつ社員がいるんだろうか?仕事でプラモや模型を愛でることが出来るのなら、小生も入社したいなあ(^^)。

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