
古代東山道 神坂(みさか)峠

古代東山道
「東海道」じゃなくて、「東山道」、普段耳にすることは少ないだろう。ちょっと、調べてみれば、、、。大化の改新に続く、701年の大宝律令は、朝廷の中央集権を確立すると共に、地方の支配も推し進めることとなる。地方を服従させるための「支配・軍事の道」、九州近辺の守りに徴用された「防人の道」、都へ税物を届ける「納税の道」として、大和朝廷が、近江国から東北仙台までの街道「東山道」を整備した。その延長1000kmを超える街道で、もっとも険しい区間が、恵那山をの乗り越える「神坂峠」だった。

中央道 神坂PA 6:51
古代からの街道、しかも難路となれば、どんな道だろうと、興味が湧いてくる。数年前にセローに乗って、神坂峠の前後を探検したことがあったが、自分の足で東山道を歩きたくなり、登山の準備で神坂峠に挑戦してみた。お盆の最終日8/15、名古屋を6時に出発し、園原ICの手前の神坂PAでトイレ休憩。PAからは、恵那山とその左に続く尾根が見える。その尾根を古代東山道が乗り越えるピークが、神坂峠。これから、あそこへ挑戦だ。

信濃側は、飯田から網掛峠で園原に出た東山道は、神坂神社を抜けて尾根に上がり、神坂峠に至る。美濃側は、峠の先を谷に向かって下降し、現在の神坂PA周囲を経て、中津川の落合につながっていた。古道は神坂峠のように残っているところもあれば、すっかり廃道となって藪に埋もれた箇所もある。今回は、神坂峠の信濃側を園原から「赤線」のルートで、歩いて登る。

東山道・園原ビジターセンター
はゝき木館 7:11 「はゝき木」とは、この近くの古道沿いに、箒(ほうき)のような枝振りの「桧の銘木」があり、遠くからはよく見えるのに、近づくとどの木なのか分からない「不思議な木」と言い伝えられてきた。その木を、三十六歌仙のひとり、坂上是則が歌に読み上げたのが、歴史上でもっとも古い「帚木」の登場だった。 古道東山道を紹介する施設の名称に、その「はゝき木」の名を付けたよう。 1週間前に立ち寄って、真空管ラジオを見つけたのも、このビジターセンターだった。下山したら、ラジオを物色するって、お楽しみも残しての出立だ。

古代東山道の道案内は、まだ真新しく、分かりやすく準備されている。クルマを駐めてビジターセンターから、峠に続く村道を歩き始める。神坂峠は、標高1569m、さらに最終目的地の富士見台は1739mあり、標高差1000mほど、歩行距離も長いので、決して安易な山行とはなるまい。心して、歩き出す。

丁度、前日は、羅臼岳での熊襲撃のニュースを聞いたばかり。単独行だから止めようかとも思ったが、最近のこのあたりの熊情報を確認して危険なしと判断。獣除けのスズと、まさかの時の武器として大型のカッターナイフを携帯した。もちろん、「ココヘリ」で登山届を済ませ、発信器もバッグの中に。登山者が多ければなにかと安心だけど、今日はどうだろうね。

往路 前半

廣拯院護摩堂 7:14
ほどなく、右手にお寺さん。自ら神坂峠の険しさを知り、倒れる旅人も多いと知った「最澄」は、峠をはさんで、ふたつの救護施設を建立した。その信濃側にあった廣拯院(こうじょういん)の跡地に今も信濃比叡の護摩堂が残る。手を合わせて、登山の無事を願う。

路傍にちゃっちゃなユリに似たムラサキの花が群生。グーグルさんに聞くと、ギボウシと答えてくれた。

ビジターセンターから神坂神社までの古道を「万葉ロマンコース」と銘打っているよう。ここから、村道を離れ、川沿いの小径にかわる。

駒つなぎの桜 7:25
その分岐には、銘板あり、読んでみると。。。川の堤防に、青々と葉を茂らせる大木が見える。義経が馬をとめたとされるエドヒガン桜は、元の老木は朽ちて、その根元から伸びた枝が、今の姿とされる。直径4m、樹高20mの巨木で、桜の時期は多くの人が訪れるよう。

植林された林の中を、古道が続く。苔むしたコンクリート橋も、妙に風情あり。植林が深く、薄暗い。


姿見の池 7:32
「炭焼き小五郎系」の伝承は、全国に残るとされる。阿智村の場合は、神のお告げで京都の公家の娘「客女姫」が、この地の「炭焼き吉次」に嫁いできて、晴れて二人が長者になるという昔話が残っている。この池は、その客女姫が映る姿で、身だしなみをしたとされる。近くにあった「朝日松」の木の根元には、その炭焼き吉次が「黄金の鶏」を埋蔵したという言い伝えも残る。全国に似たような昔話が残っているってのは、人から人への「伝言ゲーム」のようで面白い。

水路の畔には、青くてかわいい「つゆくさ」が咲いている。幼い頃の記憶では、ごく普通に見かけたが、身近なところでは、見かけなくなった。

滝見台 7:42
古道は再び舗装路に出てきて、滝見台の前を通過、、、じつは、その基礎のところに罠がしかけてあって。。。

通りすがる小生に驚いて、雌しかがジタバタ大騒ぎ。前足がしっかりとワイヤーに捉えられていて、万事休す。周囲の畑ががっちりと食害予防の策でおおわれているので、きっと駆除目的の罠なんだろう。

滝見台は、対岸にある「暮白の滝」を正面に見ることができる観光ポイント。通り過ぎれば、村道に石碑と説明板あり。

源氏物語の第二帖「帚木(ははきぎ)」で、光源氏が心寄せる空蝉と交わす歌は、この古道東山道の「帚木」を題材にしている。紫式部の知識の中に、100年前に坂上是則が歌に読み上げた「帚木の歌」があって、それを自身の源氏物語の「ネタ」にしたってのも、すごいこと。園原の靜かな田舎の世界が、世界が認める源氏物語とつながっていると思うと、めちゃくちゃ、興味深い。それだけ、東山道の神坂峠は、京の人たちにも知られていたんだよね。

杉ノ木平遺跡 7:53
神坂神社の手前に、ちょっとした体育館が作れそうな広場あり、恵那山トンネルの開通記念の石碑とトンネルの換気施設がそびえ立つ。その工事に伴って、古墳時代から平安時代に至る多くの土器や金属が出土し、考古学の対象となった。1000年以上前から、交通の要所であったことが物的に証明したわけだ。
富士見台高原 登山道入口駐車場
ビジターセンターから約2kmで、神坂神社の正面にある駐車場がでてきた。東山道にこだわらず、富士見台に上る人たちは、この駐車場が便利だろう。お盆の休みの日、午前8時でまだ余裕があるってのは、今日は登山者が少ないのか。
登山天気
登山に特化したスマホの天気予報アプリ「登山天気」を活用しているが、この日の山頂の予報では、登山推薦度「D」の厳しい予報であったが、、、、こんな予報のせいで登る人も少ないのかな。それとも、昨日の羅臼岳のニュースが原因?? さて、どうなる事でしょ。
神坂神社 8:01
神坂神社は、富士見台に上がる登山人のスタート地点。東山道にあって、古代から綿々と行き交う人をみてきた「神坂神社」を見上げる。回りは巨木ばかりの、粛々たる空気が漂う。パンパンと鳥居の前で参拝。帰ってきたら、もう一度伺います。

神社の脇を進めば、いよいよ古道の登山路がスタート。「古代東山道」の標識が、冒険心をくすぐるねえ。

登坂路のチョイス 8:09
神坂神社の少し先で、登坂路は2つに分かれる。事前に勉強した中で、川沿いにすすむルートが東山道との表示があったので、迷わずそちらに進む。

ビジターセンターから神坂神社までが、「そのはら万葉ロマンコース」。神坂神社から、川沿いになだらかな「ブナコース」を進む。復路で「カラマツコース」を使う予定。

林道ゲート 8:35
1.5kmほど、川沿いの林道を歩むと、ゲートが出現。前回のセローでの探索で、この地点まで登ってきたことを思い出す。さて、いよいよ、お山に取りつくのかな。ワクワク感で楽しい。

登山道口 8:37
ひとつヘアピンを上がると、登山路が始まる。峠の終点、神坂峠まで山道の4.7km。。。頑張りましょう。

往路 前半

ゆっくりと折り返しながら、登山路は斜面を登る。よくある登山路と大きく違うのは、その道幅だ。ひとの踏み跡よりも広く道幅が確保されている事に気づく。人の往来が激しかった当時は、2mほどの幅員が確保されていたんじゃないだろうか。ひとのみならず、牛馬も通ったはず、これなら往来できる道幅だ。

歩き出して2時間経過、段差も少なく歩きやすい古道は左右に切り返しをしながら高度を上げるが、まだブナコースの途中。もう少しで、尾根だから、もうちょっとの辛抱。

熊が出ては来ないかと、キョロキョロ、チロリンチロリンと賑やかに振る舞う。陽の差さない林の中を淡々と進めば、やっと左手の木々の隙間からお隣の尾根が見えてきた。遠望がないと、気も晴れないね。

分岐 9:20
やった〜、カラマツコースとの交差点、尾根の上に出てきたよ。ビジターセンターから、距離にして約5km、神坂神社からは1時間と20分で、ブナコースを上ってきたことになる。道中、たったひと組の下山者とすれ違った。なんと、小学生低学年をはじめに、子供3人連れのファミリーだった。山荘で泊まっての復路と思われるが、それにしても、パワフルな家族だ。

往路 後半

尾根道になれば、空も見えてきて、気分爽快。古道は、2mほどの幅員を保ったまま続く。この勾配なら、牛馬ものぼることができただろう。

小径に樹木が育ち、その足下はビロードのような美しい苔が広がっている。朝の木洩れ日に照らされて目にも鮮やか。

萬岳荘 10:08
この真下は、恵那山トンネルが走ってるだろうなと想像しながら、尾根を進めば、ついに人の気配、山荘が出てきた。約8km、3時間の単独行の心細さに耐えながら、ここまで来れたよ。この先は、もう大丈夫、安心だ。

山荘から古道は林道と重なって、山腹を進む。ロープーウエイで上がってきた観光客や富士見台をめざす登山者は、山荘から直登するルートを選ぶ。小生も復路はそのルートで下山だ。

無味な林道歩きを我慢すれば、右手に鞍部が出てきた。いよいよ、峠も近い。

「古道東山道」、神坂峠の最後の案内板を見て、鞍部を登る。
神坂峠遺跡 10:19
ついに到着、神坂峠まで東山道を登ってきました。やった〜。1000年以上の歴史を持つ山道を、当時の人たちを想像しながら、味わって登ることが出来たよ。晴天の下で峠に到着、登山天気予報の登山推薦度(D)ってのは、一体何だったんだろう。

前回、訪れたのは秋だったので、草ボウボウの峠に驚く。住宅1軒分くらいの開けた鞍部は、昭和の頃の発掘調査で、勾玉や土器、鉄器など様々な出土品が見つかり、この地で「峠の神祭」が行われていたことが分かっている。万葉集に残る歌「ちはやふる神の神坂に幣まつり 斎ふ命は母父がため」は、むかし学校で習った覚えがある。755年、信濃国の青年が、朝廷の命を受け、九州の防人に徴用され、神坂峠を越える際に、愛しい信濃と両親に別れを告げる歌。1200年の昔の人たちも、現代人と大差ない心の機微をもって、生きていたんだとこの地で、体感する。

神坂峠美濃側
鞍部の先は、美濃側に下る古道が続く。ちょいと進めば、足下に美濃側の雄大な谷と中津川の町並みが見える。この写真は、かみさんと秋に訪れた時のもの。信濃側の「廣拯院」と同じように、美濃側にもこの先に「廣齊院」という救済所があった。神坂峠の前後40kmほど、大きな宿場が無かったので、峠越えの旅人には、大きな試練だったろう。

まずは、神坂峠という目標を達成、まだ余力はあるので、富士見台まで足を延ばそう。往路の反対側の山腹の登山路を進む。東山道ではないので、狭くて、笹藪の攻撃にあう。足下をちゃん見て歩かないと、谷側に足を滑らせてしまうので、怖々前進あるのみ。

笹の背丈が低くなれば、ずっと快適、落合宿あたりのふもとの景色が見えてきた。

笹原の山腹に登山道が一筋、刻まれている。もう少しで、山荘からの登山路と出合う。日の差さない暗い登山道だった「前半」を思えば、気分爽快。

出合 10:54
萬岳荘からの登山路と合流し、左手の尾根道をすすむ。真っ青な空と、涼しい風が爽快で、下界の灼熱が嘘のよう。ただし、陽射しは強く、対策しないとあっという間に、真っ黒け。

富士見台を臨む尾根 11:03
足の疲れから、引き返したい気持ちも出てくるが、頂まで残り300mほど、ここまで来たら。。と、踏ん張ります。

東山道(赤ルート)
山行記 24 富士見台 古代東山道 神坂峠 下り に続く

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