ヤマハ MT-01 OS 2008年
寝しなは、何か本を読みながら過ごすことが多い。このところ手にしていたのは、伊勢神宮の「斎宮」についての新書。再読なんだけど、読んでるうちに現地の三重県の斎宮博物館を三度目?だけど、展示を見たくなった。

雨も無さそうなんで、バイクの調子をみるためにも、MT-01を引っ張り出してみた。オフィス街に出勤してきた人たちがあふれる都心を抜ける。

伊勢神宮の往復だけは、物足りない。食べたいものを「目的地」に、名阪国道沿いの焼肉食堂にやってきた。入口に断り書きがあったんで、お店の名前は伏せてみたけど、、、ジモティは皆知ってるよお店だよね。

大勢で来たら、好きなお肉を数種類楽しめるけど、お一人様なので、「牛バラ定食」880円を注文。この店で注意しないといけないのは、オーダーは入店時の1回限りってこと。たとえご飯一杯でも、お替わりはOKだけど、新規はダメ。多分、客がダラダラ注文して長居をしないようにするためかなあ。

すぐに料理が届けられる。鉄板皿の上には、牛バラ肉とタマネギ、特製みそをドーンとのっけてくれる。ご飯とお味噌汁から、白い湯気がもうもうと。

白玉うどんを追加する人がほとんどで、ごはんにうどんと炭水化物攻撃。

5分も炒めていれば、出来上がり。ガスの火を止めて、いただきます〜。と、ここで、大失態をおかしてしまった。大盛のお茶碗を持ち替えようとしたら、バランス崩して、味噌汁の上に落としてしまい、テーブルは大変な事に、、、、、。お店の奥さん、嫌な顔もせずに、後片付けに、新たにご飯と味噌汁出してくれました。ホント、申し訳ないことをしました。迷惑掛けちゃったけど、いつものように「まいう〜」でした。名阪国道の伊賀あたりを11時から12時頃に通過する際には、お昼ご飯にオススメ。
伊賀コリドールロード
食堂が面してる道路をそのまま南下すれば、広域農道を活用した「伊賀コリドールロード」に乗ったことになる。昨年、これをぐるっと走ったときの記録がこちら。ルートガイドになるように分岐部を丁寧に記録した。

信号も、交通量もすくない広域農道は走りやすいよね。これなら、ビギナーの混じった複数台のバイクツーリングにも、最適じゃないかなあ。

新長野トンネルの R163も通り過ぎ、グングン南下。コリドールルートであれば、ここを右折。今回はそのまま直進し、青山峠に至るR165を使って、久居へ。伊勢自動車道に乗って、「玉城IC」をおりて三重県明野町の斎宮をめざす。コリドールロードは適当にコーナーもあって、1500から2000回転の美味しいところを使って、ドコドコとMT-01のパワーを楽しむ。


斎宮歴史博物館 三重県明和町
さて、今日の目的地、もうちょっとで伊勢神宮ってあたりの、明和町にある斎宮歴史博物館に到着。すぐ近くには、「斎宮」という名の近鉄の駅もあるよ。

常設展示
斎王(さいおう)とは、天皇に代わって伊勢神宮の天照大神に仕えるために選ばれた、未婚の皇族女性のことである。歴史に見られる斎王制度は、天武二年(674)、壬申(じんしん)の乱に勝利した天武天皇が、勝利を祈願した天照大神に感謝し、大来皇女(おおくのひめみこ)を神に仕える御杖代(みつえしろ)として伊勢に遣わしたことに始まる。以来、斎王制度は飛鳥時代から鎌倉時代の終焉まで、660年以上にわたって続き、60人以上の斎王が存在した。

群行
制度が確立して以降は、卜定(ぼくじょう)という占いで天皇の子や親族の「未婚の娘」が選ばれて、斎王に任命された。その年は、10代から20代後半までと広い年代に及ぶ。帝(多くは斎王の父親)が崩御したり、身内に不幸があった際に、都に戻ることが許された。1,2年で帰る事ができた斎王もいれば、30年以上も伊勢の地で過ごした斎王もいた。病で亡くなった年少の気の毒な斎王も存在した。

群行のルート
都と斎宮を往復するのを「群行」と呼んだ。時代によって、そのルートは変遷したようだが、平安時代中期の群行がきっかけとなって、現在のR1号の鈴鹿峠が今に至る。5泊6日の旅程は、その地の国司が準備した頓宮(宿場)を繋いで、松阪と伊勢の中間にある「斎宮」にたどり着いた。

斎宮
斎王の業務は、年に三度、天皇に代わり、伊勢神宮を詣でること。それ以外は、一年のほとんどを斎宮で過ごし、神々を祀る日々を送っていた。その生活ぶりとその後を取り上げてみると。。
良子(ながこ)女王
1038年平安時代 群行や斎宮の暮らしを記録に残し、斎王として9年務め、一品の位に上り、宮中より大変徴用された。疱瘡でなくなるまで生涯独身
斉子(なりこ)女王
986年平安時代 野宮で警護の武士、平致光と密通の疑いで退下。その後の消息不明
酒人(さかひと)内親王
774年奈良時代 1年斎王をつとめて、帰京後、桓武天皇の妃となる。美しく妖艶な女性で、享楽的かつ奔放な性格だったが、天皇は深く愛して咎めなかった。
雅子(まさこ)内親王
933年平安時代 斎王になる前から左大臣の息子と関白の息子の二人から求愛されていたが、2年後、帰京してから、出世した方の関白の息子と結婚し、4人の子に恵まれた。

斎宮跡
斎宮は伊勢神宮の10kmほど手前、明野町にあり、東西2km、南北700mの広大な敷地。歴史の中に埋もれ、本格的な発掘調査が始まったのは、1970年からで現在も続いている。当時の柱跡を丁寧に同定できたため、600年間の斎宮の遍歴も徐々に明らかになってきた。年代によって、建物の位置や規模が変遷してきたことが分かっている。

斎宮跡1/10史跡全体模型
斎宮は、斎王の宮殿と使えた官人たちの役所などから成り立ち、小さな都と同じ機能と形式を備えていた。斎宮跡地に1/10縮尺で再現されていた。数年前にはじめて訪れた時と変わらず、露天でありながら模型は生き残っている。博物館をはじめ、これらの遺跡は、とても整備されていて見応えあり。県立の施設として、地元民の誇りだろう。

斎王まつり
お膝元、明和町が毎年「斎王まつり」を開催している。希望者たちが、当時の群行や舞を再現したり、マーケットがひらかれたりと、数万人が訪れる。その様子は以下のホームページで。

小生のもとにやってきて、優に10年を越え、オドメーターも8万キロに届こうかというキャリア。1700ccのエンジンが、精々3000回転まで位しか回さないので、耐久性はあるだろう。3年前に大きく手を入れたので、健康体そのもの。我が家で一番デカい排気量のバイクなのに、セローには及ばないものの、20km/Lほどの燃費はツーリングでもありがたい。他にうつつを抜かしているので、めっきり構ってやれないのが可愛そう。でも、10月中旬には、全国のMT-01が集まるイベントがあるので、それを参加しつつ、伊豆半島をぐるっと巡ろうなんて、計画してる。晴れるといいなあ〜。
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