
青崩峠

ヤマハ XS1100S 1983

JA-SS 長篠 7:56
連休の1日目、午後からの天候が心配だったが、晴れを期待して、紅葉を楽しみにイレブンで6:40に名古屋を出発。めざすは毎年恒例になっている、南アルプスの展望台のしらびそ高原だ。名古屋からしらびそ高原は、中央道経由であれば、あっという間だけど、それじゃあ、つまらない。中央構造線に沿って北上するのが、小生のルート。中途には、佐久間ダムや水窪、兵越峠など、見どころの多い秘境が素敵なんだよね。

日曜営業のガソリンスタンド
でも、問題は、日曜のツーリングは、中途で補給できるガソリンスタンドが限られていること。長篠の農協ガソリンスタンドの次は、127km先の上村まで、給油が出来ないのだ。イレブンは15Lのタンク容量があるが、140kmも走れば、リザーバーに切り替えとなる。なので、何が何でも、上村までは走らなきゃならないし、そこで給油できなければ、しらびそ高原を諦めて、阿智村のスタンドに駆け込むしかない。中央構造線をバイクで走るのは、めちゃくちゃ楽しいが、ガソリンの心配がついて離れない。

3代目 原田橋 佐久間町 8:49
湯谷温泉、東栄町、浦川とつないで佐久間町に入ってきた。佐久間ダムの直下、天竜川にかかる「原田橋」は過去の災害を乗り越えた3代目だ。地元出身で財をなした「原田久吉」が私財を投じて初代「原田橋」が1915年に完成。その後、1956年に県が2代目「原田橋」を竣工。

土砂崩れ現場
2代目原田橋は、2015年の土砂崩れで、主塔部分から落橋し、居合わせた土木職員が2名殉職した。それから5年後に、下流200mのところに3代目が開通し、2023年に完成した。原田橋は、遠州と三河を繋ぐ生命線で、不通であった期間は、地域への影響も多大であったと聞く。

水窪 9:20
長篠をでて、1時間半でこのあたりでいちばん大きな街、水窪に到着。とっくに、静岡県の文化圏で、出合うバイクたちも静岡ナンバーが多い。この地にも2件のスタンドがあるけど、休日はお休み。地元の人たちは、どうしてるんだろうな。

塩の道
水窪の旧市街地は「味わい」あって、好きな街。信州と遠州をつなぐ古代からの街道(秋葉街道)は、遠州の塩の道だった。水窪の市街地を、秋葉街道が階段となって通り抜けている。

水窪を抜ければ、青崩峠まで美味しいワインディングが続く。ところどころで、道の掛け替え工事を見る。青崩峠トンネルの完成後には、高規格なR152号に変身するのだろう。

青崩峠への分岐 9:35
R152は地図の上では、青崩峠で車道はなくなり、杣道となって峠を乗り越え、飯田市側にぬけてゆく。国道の行き止まりを見るには、この分岐を右に折れる。青崩峠は、字のごとく、青っぽい岩石がゴロゴロする険しい峠。4年前に青崩峠を歩いているのが、以下の記事。

青崩峠トンネル(仮称)
脆い地質のため、計画から40年経て最新の技術をもって、ついに2025年3月に完成式が行われた青崩峠トンネル。現在は多くの建設機械も取り払われ、いかにも出来上がった風の姿。本来は正面の「草木トンネル」の先で峠を貫く計画だったが、それが困難と分かりこのようになった次第。周到な地質の評価と計画性があれば、草木トンネルは掘らなくてもよかったはず。

草木トンネルを過ぎると、峠をはさんで、1.5車線プラスαの市道がのびる。災害通行止めも多いが、今日は大丈夫だね。

まっすぐに谷を下る草木川にそって、市道もスイスイと高度を上げる。周囲は自然林が多く残っているので、黄色に染まった木々が明るい。

兵越峠 9:47
トンネルから約5kmで峠に到着。古い地図では、「ヒョー越」と表記があったり、気になった峠。武田信玄が遠州攻めにこの峠を使ったことから、その名がついた。水窪と南信濃の住民による年に一度の綱引きで決まる国境も、毎年その位置を変えている。丁度、1週前にこの地で綱引きが開催されたようで、水窪が連敗していたが、今年は勝って16勝19敗とした。つまり、現在は3mだけ、南信濃が押し込んでいる。

峠の先は、クネクネヘアピンで高度を落とし、信濃側の谷に降りてくる。左手に南北に続く「伊那山地」は、佐久間ダムの辺りから、諏訪湖まで、中央構造線に沿って、屏風のように長く連なる。自然林が残る山の上部は、やっと紅葉らしい景観だ。昨年は同じ時期でも、もっと紅葉が進んでいたので、今年は気温の下がりが遅いのか。

谷をどんどん下ってゆく。青崩峠トンネルの信州側、つながる道路の改良工事中。トンネルは出来たが、特に信州側の取り付きが出来ていないので、トンネルの共用はまだ未定とのこと。

木立の隙間から、信州側のトンネルの開口部が見えたよ。

拡大すると。。。ポータルも完成してそう。非常にもろい地質でのトンネル工事、大変だったろうが、そのドキュメンタリーなど出来たら見てみたいな。

大河原にでれば、既に高規格の道路が出来ているので、ここからトンネル抗口までの区間で道路建設が進められている。峠をはさんだ地域の人たちは、首を長くして待ってるんだろう。

道の駅 遠山郷 10:11
この近辺には、トイレも食事をするところもないので、遠山郷の道の駅は、大変貴重。この日は、「わっしょい遠山」と名をうったイベントが開催されて、和太鼓の音が響いていた。ジモティな皆さんもクルマで駆けつけていたね。「かぐらの湯」が設備不良で、ずーっと閉館だったけど、10月4日から営業を再開したとのこと。温泉好きな住民は、待ち望んでいただろうな。よかったねえ。
遠山森林鉄道 梨元貯木場跡 10:18
めざす上村の手前に、森林鉄道の遺構があり再訪。紀伊半島、奥靜、木曽と多くの森林鉄道が活躍した時代があったが、その線路やトンネルに出合うと、その当時を知りたくなる。この遠山にあった森林鉄道もそのひとつ。R152ぞいに、広い空き地が残っていて、そこが梨元の貯木場だったところ。

活躍した機関車や台車が、錆びて残されている。この地は、切り出し木材の貯木場であり、森林鉄道を維持管理する機関庫や整備工場が設置されていて、遠山森林鉄道の基幹基地だった。
遠山森林鉄道 路線
木材の需要(パルプ)などで、昭和15年より木材の搬出目的で、遠山森林鉄道が開設される。昭和30年代の最盛期には、鉄道員400名、機関車7台、貨車242台をかかえるまでに成長。その最終貯木場が、この梨本であり、ここからトラックで送り出された。
しかし、聖岳のふもとに広がる国有林、私有林の伐採が終われば、その使命は終わりを告げ、昭和48年にすべての線路が撤去された。
夢をつなごう遠山森林鉄道の会
2011年に地元有志が集まって、800mの線路の復元と、No96の機関車の動態復元に成功。以降、線路を広げたり、客車を客車を復元したりして、2019年には乗車会を開くまでになった。紹介した線路や機関車たちはそれであり、「林業違産」に登録された。今後も、活動が続くことを願う。
遠山 南信州新聞社
ずいぶんと昔に、取り寄せて手にした遠山森林鉄道の本。各地の林鉄の本が発行されているが、遠山のそれは、写真も資料も豊富で読んでいて飽きない。

最盛期の梨元貯木場の姿がこの写真だ。所狭しと置かれた材木たちが、切り出しの規模を表している。鉄道員の寮があったり、生活用品、食材が手に入る売店もあった。現在の広場からは、想像も出来ない規模だったんだね。わずか30年の森林鉄道の繁栄と、現在の姿は人の営みの移り変わりを知らしめる。
アポロステーション 上村SS 10:29
さてさて、目的地の上村のガソリンスタンドに想定時間内で到着、絶賛営業中です(^^)。これで、計画通りにしらびそ高原に行けます(^^)。

フルサービス??のお店なので、タンクキャップを開けて、出光カード(ガソリンは出光派)を渡して給油してもらう。え??、って思ったのは、給油ノズルの色分け。レギュラーが「緑」、ハイオクが「黄」、経由が「黒」って、セルフスタンドの常識が通じない(^^)。スタッフさんに、「日曜もやってるから、バイク乗りには助かります」って、お話ししたら、「そうなんです。なので、バイクがやってこない12月から、GW前までは、日曜はお休みしてます。」ってお返事。こちらに来ようと思ってるバイク乗りには、大事にしたいガソリンスタンド、継続してもらえるよう、皆で使いましょう(^^)。
XS1100S 18 下栗の里 しらびそ高原 に続く
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