小生の備忘録

akane928.exblog.jp ブログトップ

カテゴリ:Life( 25 )

C57-139 お召し列車


なつかしい写真が出てきたので更新。
a0339187_18350834.jpg
C57-139

JR東海 リニア館に鎮座している 「C57-139」。実際に活躍していたとき、この機関車の運転席に乗って走ったことがあるんです。小生が小学3年生の昭和44年の夏でした。

a0339187_17315795.jpg
a0339187_17320024.jpg
昭和44年 関西本線下り

 もう蒸気機関車が引退するということで(1971年電化)、最後だからと家族で名古屋駅から松阪まで乗ることになったようです。四日市の停車中に父と機関車の横まで見に行きました。おっきな動輪にビックリしていると、運転手さんが声をかけてくれたようです。

「良かったら運転席に乗らないか?」・・・・・!!!!!!

 父のほうが大はしゃぎだったような(^^)。助手席に父が座り、私はそのひざの上でした。これまでの乗り物で最も高い視点に驚きました。結局、松阪を通り越し亀山までこの運転席で過ごしたようです。なんどもT字型の汽笛を引っ張った覚えがあります。以来その運転手さんとは家族ぐるみのおつき合いをしました。

 この機関車は通常は真っ黒の車体ですが、実は伊勢参拝に使うお召し列車をひく機関車だったんです。各部に真鍮のモールがあしらわれ、煙よけにはストライブが入っています。今池の乗務員訓練所に長い間露天保管されてさびさびだったのですが、このような晴れ舞台が用意されて機関車もきっと喜んでいるでしょう。

今に思えば、すごい体験をさせてもらったんですね。

C57-139
1940-9-4 三菱重工神戸造船所 製番309 広島局配属
1945-4-1糸崎
1947-10名古屋 時期不明 重油併燃装置取付
1950-10-27~ お召し列車牽引 国体 新2号編成
1962-5-19 お召し列車牽引 三重県行啓
1962-5-25  お召し列車牽引 三重県行啓
1969-9-30 関西本線名古屋 蒸気機関車さよなら列車牽引 229レ名古屋→亀山
1971-4-17廃車 国鉄名古屋教習所に保存、準鉄道記念物に指定
2010-2 JR東海鉄道記念館展示
(レイルマガジンより)



by akane8150 | 2018-10-12 17:36 | Life | Comments(2)

丸栄百貨店 全館閉店 東郷青児 スイーツプラザ


a0339187_16185651.jpg
折り込みチラシ

 今月いっぱいで丸栄百貨店が閉店。中日ビルに続き、また名古屋のランドマークが一つ消えてゆく。昭和18年に丸栄として営業をはじめて75年、戦前からずっと営業してきたわけだ。

a0339187_09162510.jpg
名古屋 4M

 JR名古屋高島屋ができるまでは、名古屋の百貨店は4つ、いずれもローマ字の頭文字が「M」なので「4M」と呼ばれた。名古屋のお祭り、英傑行列では秀吉役などはこの4Mの従業員から選ばれていた。その4Mの一つ、丸栄が欠けることは名古屋人にとって寂しい話題だ。


a0339187_15170879.jpg
丸栄

 さて、梅雨の6月に入りバイクのお出かけもめっきり行けなくなった。目的のない日曜はつまらない、ならばと雨降りを利用して家族で丸栄に出かけてみた。開店は10時、混むかもしれないからちょっと早めに自宅を出た。

a0339187_15174888.jpg
マルエイスカイパーキング

 直営の駐車場の入り口はビルの西側にあって、10分前であったがすでに入庫を始めていて、まだ車列も少なく程なく入れそう。閉店前だしもっと混んでいるものと覚悟していたが、あっさり入れて拍子抜け。JR高島屋の駐車場であったら、すでに満杯だろう。

a0339187_16384802.jpg
丸栄 西壁面モザイク

 入庫待ちのクルマから見上げると、ちょうど目の前に巨大壁画が広がる。雨模様の日照で残念だけど、日が差すともっと輝いて見えるはず。図案は抽象的で様々なタイルとガラスで作られていて、中日ビル一階のモザイク天井と同様に、当時の贅沢な装飾であったことがうかがえる。名古屋にモザイク装飾の建物が多いのは、瀬戸焼きなど陶磁器の生産地が近いこともあるだろう。

a0339187_15183276.jpg
a0339187_15193975.jpg
クルマ用エレベーター

 2台のエレベーターが屋上の10階までクルマを運ぶ。全幅1770mmのSAIでいっぱいいっぱい、全長も4700mm以上は入らないという狭さ。モータリゼーションの始まった昭和30年代であればこれでも十分にだったろうけど、クルマのサイズが大きくなった現在では、ここに入れないクルマも多いはずだ。
 乗ってから窓開けて、最上階の10階のボタンを押す。同乗者もそのままでクルマごと勢いよく上がってゆく。ついた先の10階は3階立ての駐車場フロアの最も上の階で、ここからせん状に回りながら9階の指定されたところにクルマを停める。帰りは8階まで降りてそこから再びエレベーターで1階までおりるって寸法だ。

a0339187_15202096.jpg
9階駐車場

 ワンフロアーの面積は狭いが、クルマ1台分の幅は十分に確保されていてエレベーターの狭さとは対照的。5ナンバーのクルマなら3台入ると思われるので、仕切り直して2台分のスペースにしたんじゃなかろうか。

a0339187_15210755.jpg
丸栄屋上看板

 レトロな書体の看板が最上階に鎮座している。台座は円形で滑車もついているから以前はくるくる看板が回っていたのかも知れない。丸栄と言えばこの赤いロゴマークと図案にカーネーションの入った包装紙を連想する。
 また丸栄の屋上の思い出は、「戦車バトル大会」みたいなものに参加したことだ。小学高学年だった小生は当時のマストアイテム「プラモデル」に首ったけだった。とりわけタミヤの1/35リモコン戦車シリーズは宝物だった。持ち込んだ戦車で風船割りゲームやコースのラップタイム競争など、タミヤ模型が主催した子供向けの競技会で、賞品のプラモデルを持って帰った思い出がある。回転砲塔のタイプじゃ無くって、駆逐戦車のロンメルを選んだのも勝因だろう。

a0339187_15213930.jpg
a0339187_15215935.jpg
東玄関口

 栄の交差点からくるとこの東玄関口が丸栄の入り口となる。たしか。。。幼かった頃、百貨店の入り口には「ぶわーっ」と上から下に風が強くながれている場所があったはずだ。冷暖房の効率を上げるために取り付けられていたこの装置は「エアーカーテン」で、銀行や百貨店でかならず見かけたはずだが、いつしか見かけなくなってしまった。

a0339187_15303125.jpg
a0339187_16395181.jpg
a0339187_15305706.jpg
壁画エレベーター

 フロアの南面にあるエレベーターは4機あるが、左の2機は開設当時からの扉絵が残っている。昭和30年代に活躍し甘美な女性人物画を多く残した東郷青児がこの丸栄のエレベーター画を引き受けたのだった。独特の色調と優雅な人物像はまさに東郷の作風だ。小学生頃の小生でも、幼心にもこの絵には見覚えがある。
 1983年の増築工事までは、ここ以外のすべてのエレベーターにも同様な東郷の絵が描かれていたそうだ。しかし、この工事によって残った2台以外の扉はすべて取り払われ、一握りの幸運な人たちのもとで所有されているらしい。

a0339187_16330049.jpg
a0339187_16360014.jpg
大理石、木枠の階段

 低層階は重厚な大理石の階段、高層階はモダーンな鉄柵と木の手すりの軽快な階段。建物の重量バランスを考えてこのようになったのだろうと推測。この丸栄を設計した村野藤吾は戦後を代表する建築家で、1953年にこの丸栄を建築しデパートで日本最初の「日本建築学会賞」を授賞している。廃業にあたり建築学会からはこの丸栄を保存するように働きかけを行ったが、いかんせん所有者の「興和グループ」は耐震性などを鑑みて建て替えを決めた。

a0339187_16452957.jpg
地下1階 ラウンドお菓子

 食料品店やお菓子屋さんが入った地下1階、とっても懐かしお菓子の量り売りを見かけた。百貨店にはかならずこのお菓子陳列台があったと覚えている。調べてみるとこの回るお菓子の展示台は、「スイーツプラザ」や「ラウンドお菓子」などと呼ばれるようだ。小生の記憶では名鉄百貨店の地下にあったものはもう一廻り大きかったように覚えてる。母親にねだってもたいてい断られていたような。。。5回に1度くらいは許可が出て、夢中になってお菓子を選んでカゴにいれたっけ。

a0339187_16462689.jpg
2階売り場

 いまでこそ普通の婦人服売り場になっているが、2000年頃から10年間ほど「10代後半から20代前半の「ギャル」たちの聖地となっていた。他の百貨店との差別化を図るためにヤングゾーンとして2階と3階を電飾と床を揺らすようなBGMであふれた空間に作り替えたのだ。当時ここをお得意さんとしていた長女に聞いてみると、フロアの音楽のボリュームが大きすぎて、店員さんと会話することも大変だったと回想する。

a0339187_08152651.jpg
TVコマーシャル 

 当時の名古屋の中高生は 栄なら「パルコ」か「丸栄」、名駅なら「パッセ」という案配だったようだ。彼女たちは「マルエイ」改め、「ギャルエイ」と呼んでいたらしい。ここのブランドを着たり身につけていないと流行に遅れていると思われて恥ずかしかったそうな。

a0339187_08151998.jpg
カリスマ店員 飯島さゆり

 渋谷109のカリスマ店員、飯島さゆりさんがイベントで丸栄に来店。若い女性が殺到し入場制限がかかるほどの大盛況であった。まさに丸栄2階売り場は「名古屋の流行発信地」となっていた。
 しかしその後は、「GU」、「GAP」に象徴されるようなファストファッション店が台頭して、丸栄2階もその役割を終えてしまった。

a0339187_16465137.jpg
3階売り場

 家庭雑貨や寝具のコーナーはまだマシだったけど、美容、健康フロアーは空きブースばかりでとても寂しい。閉館1ヶ月前を実感する光景だ。隣接する専門書で有名な「丸善」も改築の際にはこの丸栄のフロアを借りて一時的に間借りしていた。

a0339187_16474929.jpg
8階大催事場

 8階フロアの半分近くを閉める大催事場、これまでも「中古カメラ・用品大バーゲン」、とか「鉄道模型展」などなど、小生にも興味を引く催し物が行われてきた。この日は「チャリティーバザール」、「美術品掘り出し市」なんてあったけど、全く食指がのびるようなモノはなし。

a0339187_16484639.jpg
7階 丸栄のあゆみ パネル展

 閉店に合わせて丸栄の歴史をパネルで展示説明したコーナーがあってじっくり見てきた。閉館まで残り2週間となった週末の日曜午前、もうすこし賑わいがあるかと思っていたが、まあ見事に閑散としている。見学する側には空いてる方がいいに決まってるけど、やっぱり寂しいなあ。

a0339187_16542193.jpg
十一屋百貨店 昭和11年

 大坂夏の陣のあった1615年に大阪から移り住んだ呉服屋さんが名古屋でお店を始めたのが最初。大正の初めには今の栄ビルの場所に木造4階の洋風建築に変わって百貨店となった。その後、昭和11年には地上7階地下2階の鉄筋コンクリートの百貨店に生まれ変わった。

a0339187_13564331.jpg
三星百貨店 昭和14年

 京都から進出してきた三星は十一屋の向かい側に鉄筋3階、地下2階の百貨店を開いた。この場所は今の丸栄があるところと一致する。まだ珍しかったエスカレーターやスプリンクラーなどの最新鋭設備を誇っていた。

a0339187_16551997.jpg
丸栄本館 昭和28年

 第二次世界大戦の最中、昭和17年に戦時統制によって「十一屋」と「三星」は合併することとなり「丸栄」が誕生した。社名は「名古屋栄の地で丸く栄える」ことを願って「丸栄」とつけられた。戦後は三星の建物が焼け残り、これを改築して丸栄本館として今の建物に繋がった。

a0339187_16495470.jpg
丸栄本館 北館

 パネル展では精密な模型を見ることができた。広小路をはさんで茶色の建物があるが、これが丸栄北館であったのか? ここには名古屋国際ホテルの前身となった丸栄観光ホテルや劇場が入っていた。丸栄本館の姿は現在に準じているが、茶色の建物は当時の姿である。現在は栄ビルと称して姿を変えている。

a0339187_17005808.jpg
スパゲティ コモ

 店内さよならセールで家族はそれぞれ買い物、アパレルにお金をかけない小生も半袖ポロやシャツが足りなかったんで「大人買い」。百貨店内をくまなく歩いて探求すること2時間、すっかり満足できてお腹が減った。おふくろが昔からある「スパゲッティのコモ」が食べたいというので、隣の栄メルサにあるお店に行ってみた。ショーケースのサンプル見る限りではちょっと物足りないかな、、とおもって2割増しの中盛りをお願いしたが。。。

a0339187_17011431.jpg
ピザ風あんかけスパ

 出てきたボリュームにおったまげた( ・_・;)。山のようにスパゲッティが盛り上がり、崩れんばかりにオニオン炒めがのっかていた。これで750円、フォークとスプーンを使って食べ始めるが、崩さないように、あんかけを混ぜるように食べるのは至難の業、また一息ついたらもう食べられなくなりそうな気がしたので一気に食べたが。。。半分くらい食べてギブアップ。
 他のお客さんが注文する声を聞けば、「小盛りにしてください」と注文時に添える人が多かった。小生もそれを知っていれば、食材を粗末にすることもなかったのに。。後でおふくろに尋ねてみたら「昔はあれくらい普通に食べることができたわ」なんて返答、よほど大食いの女性だったんだ。

a0339187_17080441.jpg
丸栄屋上

 中日ビルの屋上ビアガーデンも今年が最後、そしてこの丸栄屋上のビアガーデンはあと数週間でおしまい。なので、再度ここのビアガーデンに来ようと予約をした。雨が降ってもテント付きだから大丈夫。その時がいよいよ、丸栄とのお別れだ。





by akane8150 | 2018-06-13 18:55 | Life | Comments(4)

CoCo壱番屋 栄広小路の花壇 



a0339187_10200443.jpg
さくら工房さんより

 自宅から職場まで、毎日の通勤路、名古屋栄の繁華街メインストリートともいえる「広小路」を走っていると、毎朝中央分離帯の植え込みの管理している人たちを見かける。午前7時前の早い時間から植え込みの手入れをしているのにビックリするともに、車道に出て作業する姿に「クルマに撥ねられはしないか」心配したものだ。花壇の整備だけでなく、歩道や路肩のゴミ拾いにもくもくと取り組んでいる。後述する「初老の男性」も毎度見かける人物だった。

a0339187_15550543.jpg
 東新町から100m道路の久屋大通の栄までの約400m、中央分離帯の花壇が黄色の花で飾られるようになったのはいつからだろうか?もう、5,6年になるのかもしれない。市内でもこれほどに車道の花壇が管理されているところは無くって、たいていの分離帯は手入れのされていないつつじだったり、雑草がぼうぼうだったりが多い。

a0339187_10291409.jpg
a0339187_10293157.jpg
a0339187_10294728.jpg

 ちょっと前までは水仙も植えられていたが,今はビオラで統一されている。昨年の夏から秋は、ハイビスカスが植えられていてなかなか豪華であった。それにしても、いつも黄色の花たちばかり。しかも前述のように早朝からせっせと花の管理をしていて、市の職員には思えないし、、、。

こんな疑問を持っていた小生であったが、地方紙に取り上げられているのをたまたま読んで事の次第が分かった。

「私は毎日3時55分に起きています。「さあゴー、ゴー」です。おそらく早起きでは日本一でしょう。もっと早くに起きているという人があれば、私は負けるのが嫌ですから3時45分にします。努力すれば日本一になれる。日本一は気持ちいいものです。オンリーワンではなくナンバーワンです。毎日90分、町の掃除を続けているのも日本一でしょう。名古屋のメインストリートである広小路通の413mのグリーンベルトと南側の歩道の掃除をし、樹木の下の小さな花壇の手入れをしています。6時半から8時まで毎日やります。いろいろな人が入れ替わり立ち替わり手伝ってくださいます。昨年、1人だけ365日続けた方がいました。今年の12月で2000回を迎えます。なんでもいいからコツコツとやり続ける。経営でも大事なことは地道に積み上げることです。」 宗次徳二 カレーハウスCoCo壱番屋 創業者

まさにこの人物が早朝に掃除や花壇の世話をしている「初老の男性」であったのだ。


a0339187_10314794.jpg
喫茶 バッカス

夫婦で始めた喫茶店がココイチの始まり。奥さん手料理のカレーライスが好評で、カレーライス専門店フランチャイズのきっかけとなる。お客さんを大事にすることを心がけていたという。

a0339187_10315472.jpg
カレーハウスCoCo壱番屋 一号店旧店舗  名古屋 西枇杷島

a0339187_10321460.jpg
a0339187_10322673.jpg
壱号店 西枇杷島店

俄然、興味が湧いた小生はココイチの始まりとなった一号店を訪れてみた。旧店舗は周囲の店舗と合わせて綺麗に整理され、広い駐車場を備えた真新しい西枇杷島店として店を構えていた。壁には「1号店」と銘打ったパネルが貼られていて誇らしげだ。

a0339187_10330093.jpg
a0339187_10331013.jpg
a0339187_10335233.jpg
壱番屋記念館

興味が湧いたのは隣接する「壱番屋記念館」だった。店舗の2階がホールになっていてココイチの歴史やこれまでの商品展開、グッズなどが展示されているらしい。しかし案内には「予約制、午後2時から4時半まで」とあり、生憎見学することは敵わなかった。予約制ってのが妙に敷居が高いが、いずれ人数を揃えて見に行ってみたい。

1978年に創業したココイチは2004年には国内1000店舗を数えるまでに成長し、2013年には世界で最も大きなカレーライスチェーン店としてギネス認定までされている。その中で、創業者の宗次氏は2015年に持ち株を含めココイチをハウス食品に220億円ともいわれる価格で売却した。

「私は壱番屋の経営に一切の未練や後悔はありません。株もハウス食品グループ本社に売ってしまいました。創業者なのに、なぜこれほど会社への執着がないのかといえば、現役時代にやり切ったからです。」宗次氏談


a0339187_10352309.jpg
a0339187_10341067.jpg
宗次ホール

 中区の繁華街にある宗次ホール。2007年、私財27億円を投じてクラシック音楽専門のコンサートホール「宗次ホール」を建設した。ヴァイオリニストの五嶋龍や葉加瀬太郎にストラディバリウスを、宮本笑里にはドメニコ・モンタニャーナを貸与し、ヴァイオリニストのパトロンでもある。株式売却で手にした資産を基金として財団を作った。小生はクラシックには造詣がないので、このホールを訪れた事はないが、客席300を越えた本格的なモノであるらしい。

 さらに氏はNPO法人イエロー・エンジェルを設立し、「夢と目標を持って一つの事に打ち込んでいるいろいろな方々への支援。特に経営塾による創業支援、芸術家やスポーツ選手及び福祉、早起き、掃除の実践運動、福祉慈善活動の啓蒙等々。」と目標を掲げている。初めに取り上げた広小路の清掃や花壇の管理は、このNPOの活動であった。

a0339187_10341735.jpg
 1号店に入って遅めの昼食を取る。ビーフカレーにカツをトッピング、辛さは一辛、いつものオーダーだ。壱号店だからといって、接客は他店と変わりなかったしスペシャルな店員さんがいたわけでもなし。。。お味もこれまたいつも通りの美味しいものだった。でも、これがココイチの強みというか、教育された接客ということだろう。

 創業から一貫してカレーライス販売に取り組み、見事に成果をのこした創業者の生き様は感銘を受ける。生業を積んでいる小生も見習うべき部分が大ありだ。早起きは三文の徳と昔からいわれるが、確かに早起きした分だけ「何か」をすることが出来る。

かといって、小生がほうきとちりとりをもって、職場の回りを毎日掃除をして廻るってことは、かなりの難題だ。やれたとしても三日坊主は目に見えている。それよりも夜勤の病棟看護師たちにすれば、早く病棟にきて患者さんの報告を聞いてください!!っていうのが現実だろう。。。






by akane8150 | 2018-05-17 22:32 | Life | Comments(4)

大学受験サクラ咲く 岐阜潜龍 根尾淡墨桜



a0339187_17505298.jpg
a0339187_17512822.jpg
岐阜シティ・タワー43


 さてさて、世の中はすっかり春の陽気となり、我が家にも待望の「春」がやってきた。家中を引っかき回してくれた次女の大学は私立の合否も聞きつつも、第一希望であった国立大学合格の「桜咲く」の知らせが届いた。

 後生だからとおふくろが孫の大学を見てみたいと言うので(どんだけ後生を使うんだ。。。)合わせて大学がある岐阜でお祝い会をしようということになった。久々の我が家フルメンバーで名古屋を出発、まずはだれもいったことが無かった岐阜駅前の高層ビルに登ってみた。「岐阜シティ・タワー43」、おそろしくベタなネーミングでなるほど43階建てであった。地下駐車場から無料で行ける展望フロワーまで直通のエレベーター。日曜のお昼前にも関わらず、観光客はわずかでゆっくりと景色を楽しんだ。遠くは揖斐や御岳の山々、南には濃尾平野を一望するなかなかの景観。名古屋駅前のツインタワーと比べると、立地の違いからくる景観の差が面白い。



a0339187_17530261.jpg
a0339187_17531113.jpg
金華山ドライブウエイ


 さくっと駅前を楽しんだ後は岐阜城のある金華山をクルマで登ってみる。休日は一方通行となる登坂道を上がってゆくと、眼下に岐阜市内を一望できる展望台がやってくる。風も少なく春霞の景観は春を実感させてくれる。遠望には次女が通うことになった大学や隣接する大学病院が望める。
 自宅から名古屋駅まで地下鉄で30分、名古屋駅から岐阜駅までJR東海で20分、さらに岐阜駅前から大学までバスで30分。これまで、小中学校は自宅の目の前、高校も地下鉄で2駅という非常に通学に楽をしてきた次女には、きっと毎日が旅行のようなものになろう。4年のあいだ、名古屋と岐阜を通学できるのか、少々心配だ。


a0339187_17535004.jpg
岐阜 長良川畔 潜龍


 お祝い会は岐阜でお気に入りの料理屋さん、潜龍。小生は研修医時代を岐阜で過ごしたこともあり、社会人に成り立ての頃は岐阜が飲み食いする場所で、当時の先輩達に教えてもらったお店がここだった。もともと岐阜の経済界重鎮の別荘であったものを料理屋にしたのが50年前、小生が覚えたのは30年前、その頃とまったく変わらずに美味しいお肉料理を提供している。


a0339187_17541396.jpg
a0339187_18075633.jpg
a0339187_18051871.jpg
本館2階


おとなりの料理旅館を合併したので、日本建築の本館と鉄筋の別館があるのだが、もちろん風情のある本館をお願いしておいた。小さなお庭もしだれ桜が咲き誇り、新芽の付いた庭木も春を演出していた。本館1階はいわゆる座敷、2階はテーブル席となっていて、正座の出来ないおふくろには嬉しいお部屋。すべての客は個室で食事を頂けるのも贅沢で、女中さんが付きっきりで料理を裁いてくれる。建物は昭和初期の風情がそのままで、窓枠のガラスも波打つ当時のモノ。綺麗に管理された建物やお庭、そしてお店の接客、すべてに満足できるもので昔から変わっていないこともうれしい。


a0339187_17554152.jpg
a0339187_18042498.jpg
a0339187_17560408.jpg
a0339187_18024490.jpg
a0339187_17575290.jpg

 お料理は、お手軽なロースステーキコース。それでも提供されるお肉のボリュームは小生でも十分満足できるもので、ロースでも脂身がほどほどで家族も満足の品だった。面白いのは、鉄板焼きステーキを提供するお店だと、まずは海鮮や野菜が出てくることが多いけど、潜龍では最初にお肉がでてくること。お酒や前菜などで適当にお腹がふくれた頃にメインを出されるより、最初にがつんとお肉を堪能するほうがインパクトがあると思う。

 家内は可愛そうにもお肉類がまったくだめなので、海鮮に換えてもらい伊勢エビを頂いた。今日は家庭サービス、小生はウーロン茶でちびちびと、家内を筆頭に飲み助の家族達は梅酒やら生ビールを美味しそうに開けていた。乾杯では次女にも大学生活の決意を語ってもらい、1つのけじめが出来たであろう。これから4年間は長いようで短い、社会勉強や学業、そしてどんな分野を選んで就業するのか、家族みんなで見守っていきたい。


a0339187_18023048.jpg

 壁紙、天井、ふすま、照明器具、毎日ここで焼き物が調理されているとは思えないほどに、どれをとってもキレイに磨き上げられている。油汚れがひどいはずだから、スタッフは大変だろうな。


a0339187_18071788.jpg
長良川 金華橋


 時期になると「鵜飼い船」が出る長良川の金華橋付近。大河と金華山、岐阜城の景観がすばらしい。おなかも一杯になって満足、だらだらと堤防をお散歩。


a0339187_18065172.jpg
根尾 淡墨桜


 岐阜市内から30分も山に向かうと温見峠が控える根尾の村だ。ここには「淡墨桜」といって日本三大桜のひとつがでーんと存在する。時期的にちょい早いかなと思いつつ、だめもとでドライブ。このところの夏日の陽気で開花がずっと進み、まさに当日が満開となっていた。プチ渋滞の駐車場を経て、御木にご対面、毎度ながらその大きさと可憐な花の色に感動する。ソメイヨシノはより色が濃くって華やかであるが、この淡墨桜はエドヒガンで薄紅色から白色の淡い花が特徴。山桜とならび長命で古木のサクラはそのほとんどがエドヒガンであるそうだ。
 樹齢1500年、ずっとこの地で立ち続け、毎年花を咲かせてきた。想像するだけで感嘆してしまう、比べて自分の人生なんて「一瞬」。戦後に根や幹が傷んで数年で枯れるとされたが、人々の助けで見事に生き返った希有の経過をもつ。

 今季最終のさくら見物になったであろう淡墨桜を後にして、近くの「うすずみの湯」にみんなでドボン。このお湯はヌルヌルアルカリ泉はよくあるとして、太古の海水が地下に閉じ込められた太古の海水が温泉になったこの山奥の珍しい「海水泉」だ。サクラを咲かせた次女と風雪に耐えた淡墨桜、そして先日植樹した曽爾村の山桜、この春は嬉しいことに「さくら」に多くのご縁をいただいたようだ。





by akane8150 | 2018-04-02 20:09 | Life | Comments(6)

奈良県曽爾村 屏風岩公苑 ヤマザクラ植樹



 クルマやバイクで訪れた先々を楽しませてもらったお礼の気持ちで「ふるさと納税」を昨年からはじめた。長崎の対馬や南島原町、長野の大鹿村などご縁を頂いた先をふるさとチョイス。その中には「サクラの植樹」をさせていただける奈良の曽爾(そに)村も含まれていて、この春に植樹するとの案内をいただき、立ち会わせてもらうことになった。

a0339187_21554573.png
奈良県曽爾(そに)村


 近くに赤目四十八滝や室生寺が点在する紀伊半島の山奥に曽爾村がある。名古屋から車で2時間半、午後1時からの植樹式に間に合うように家を出発したけど、いつも以上の東名阪(四日市〜鈴鹿)の渋滞にヤキモキしながらロードスターを走らせた。


a0339187_21372439.jpg
a0339187_21375148.jpg
兜岳と鎧岳


 伊勢自動車道路の久居から県道15号を経て御杖の道の駅をやり過ごし、国道369号で南から曽爾村に入る。目に飛び込んでくるのが、兜岳と鎧岳、どちらもインパクトのあるお山で、曽爾村を強く印象づける。特に写真右の鎧岳は、南面は断崖絶壁となり特異な荒々しい景観を見せている。今回の植樹がされる場所は、左の鎧岳のふもとにある屏風岩公苑だ。


a0339187_21384001.jpg
屏風岩 屏風岩公苑


 曽爾村の役場から山間に入って行く先に屏風岩が現れてくる。そのふもとに広がる高台が屏風岩公苑で、ヤマザクラが一面に植えられていてそこに小生のサクラ苗木を植えてもらうという趣向だ。屏風岩は垂直に200mの柱状節理の形状でそびえたち、1.5kmに渡って横たわっている。見上げると目の前に立ちふさがるまさに屏風のような景観だ。


a0339187_21410514.jpg
植樹式


 現地の駐車場に入ると村役場の人がすでに待ち受けて、約束の時間に間に合ってよかった(^^ゞ。公苑の中を進んでゆくと開けた丘の上で村の人たちが準備万端おそろいであった。テーブルやイスまで用意している。


a0339187_21413738.jpg
a0339187_21430933.jpg
a0339187_21442667.jpg

 植えて頂くのはヤマザクラで一般的なソメイヨシノよりも貴重なものらしい。自然の山肌にぽつんぽつんと白い花をつけているのがヤマザクラで、清楚で力強い自然なサクラだ。5年苗だそうだが、新芽もそろっていて2.5mほどの背丈がありそうだ。すでに植樹の穴はしつらえてあって早速苗木が立てられた。そこへ小生がリボンの付いたシャベルで土を落とさせて頂いて無事任務は終了。

あとは手際よく鹿よけの柵や支えの棒も立てられ、さらには今日の日時と小生の名前が入った石碑がコンクリートの基礎の上に丁寧に建てられた。お休みの日曜にも関わらず、役場の担当者や公苑の管理者の方々が尽力頂いたことに感謝の念。


a0339187_21445966.jpg
ヤマザクラ5年苗 


 フレームに収まって頂くのも大変だったが、遠慮がちな村の方達と記念撮影。その後は用意されたテーブルでお茶とお菓子で一服。小生が曽爾村が気に入っていることをお伝えし、ヤマザクラ管理の苦労話、あかげらがサクラに穴を開けちゃう被害のお話、日が落ちるとこのあたりは鹿がやってきて新芽を食べてしまうことなど、皆さんから興味あるお話を聞くことが出来た。


a0339187_21453119.jpg

 周囲は100年以上経過した古木のヤマザクラが一面であるが、植えた場所はぽっかりと空が開いていて、いい場所を選んでもらったようだ。これなら遠い未来に枝葉が大きく広がっても見栄えがいいだろう。


a0339187_21462793.jpg
標本木


 130年は経っているヤマザクラの古木。自然な姿で育てられたので、幹の根元から複数に分岐した姿をしている。剪定をして一本の太い幹になったサクラと比べると風雪に弱くなり幹が折れる被害が増えるそうな。また古木となると表面にコケが張り付き、寄生木も付くようになってさらにサクラの勢いは衰えると言われた。ちなみにこの木はこの公苑の「標本木」と選定されていて、この枝に5、6輪の花が咲けば「屏風岩公苑の開花」と発表されるそうだ。

 一般に多く見かけるソメイヨシノは80年ほどで寿命が訪れるそうだが、このヤマザクラは長く、さらにこの寒い屏風岩では発育も遅いために200年ほども生きながらえるらしい。



a0339187_21471645.jpg
a0339187_21475190.jpg

 ある程度まで背丈が伸びるまでは、このシカよけ柵が葉っぱを守ってくれる。2mの高さまではシカに食い荒らされるようだ。石碑も今日の期日が掘られてあって立派なもの、しかし名前まで掘られているのを見るとお墓をもう一つ作ってもらったみたいだ。

 できれば家族総出できたかったのだが、家内も体調不良、子供達はお忙しいようでだれも付き合ってくれなかった。これほどまでに曽爾の人たちに歓待されるのなら、ひもを付けてでも連れてこればよかった。

 周囲の大木達の樹齢が130年ほど、それに肩をならべるようにいずれはこの苗木も育って欲しい。20.30年後の姿は小生も見ることができるだろう、そして130年後4世代先の「玄孫」の頃にもこの地で満開の花を咲かせてもらいたいものだ。



a0339187_21481772.jpg
a0339187_21482018.jpg

 奈良県の桜の中では最も遅咲きになるそうな。標高と寒さがそうさせるのだろう、3月下旬で名古屋はすでに満開の時期をむかえているのに、この曽爾村のサクラの見頃は4月下旬となる。屏風岩の裾のまで広がったヤマザクラは300本、さぞかしキレイな光景だろう。村ではライトアップなどのイベントも用意している。

上手くすれば今年もこの苗木が花を付けるかもしれないと聞いたので、来月は家族を連れて見に来よう。


a0339187_21492937.jpg
a0339187_21532922.jpg
a0339187_21535122.jpg
曽爾高原


 曽爾村を潤す青蓮寺川を挟んで対岸には曽爾高原が広がっている。草葺きの屋根に用いるために「ススキ」が一面に広がっているが、現在では「ススキの高原」として多くの人たちが訪れている。今回も立ち寄って偵察してみた。昨年秋は1時間かけて頂上まで上がってみたが、なかなかハードな散策路だった。

 山の一面を刈り取られススキが生い茂る景色は、それ以上、それ以下でもないのだけど、左右上下にジオラマのように広がる風景はとても印象に残る。曽爾村は鎧岳の特異な景観と屏風岩の荘厳さ、そして小宇宙のような曽爾高原ととても魅力ある山あいの村だ。


a0339187_21500325.jpg
お亀の湯


 曽爾高原にはとてもいいお湯もある。泉質はナトリウムー炭酸水素塩温泉で「ヌルヌル度」は小生が経験した温泉でもトップクラスの「お亀の湯」、東海・関西日帰り温泉約190カ所中のランキングで常にTOP5位以内に入る人気の温泉だそうな。平日ですら遠方からお湯に浸かりに大勢の人が訪れる。

 ざぶんとお風呂につかって、さっぱりした後は牛乳一本ゴクンと飲み干す。さて、名古屋まで帰らなきゃ、バイクじゃないから「すり抜け技」も使えず、帰りの高速道路の渋滞を覚悟した。








by akane8150 | 2018-03-26 21:00 | Life | Comments(6)

2018年 年末年始 大神神社 城山八幡宮 




 我が家の2018年、年末年始のキーワードは「次女の受験」。この前入学したばかりに思っていたのに、次女はこの春に卒業と大学受験を迎えることになる。まずはセンター試験が1月中旬にあり、このさき3月末までずーっと受験シーズンが続き、家族全員が否応なしに臨戦態勢に引きずり込まれる。


a0339187_23031466.jpg

 何かお願い事があると小生は、奈良三輪の大神大社へお参りに参上する。祖先は宮司をしていた伝えられ、和歌山の玉置神社の家紋が当家の家紋と一致したり、神社が管理していたとされる湯の峰温泉の宿の家紋が同じだったりと、奈良三輪の地は強く小生を魅了させる。

 しかし肝心の長女は余裕がないからと同行することを嫌がったので、小生ひとりで家族を代表して大晦日に訪れることになった。お社での混雑を避けるために朝7時に名古屋を出発。しかし下り方向の帰省ラッシュの高速道路渋滞に巻き込まれた。こんなときハイブリッドの「SAI」は都合がいい。渋滞ののろのろ、ストップ&ゴーもエンジンがかかることなく電力だけでスムーズに走ってくれる。高速道路での定速走行名などはハイブリッドの恩恵を感じないが、市内の混雑やこのような渋滞の走行ではストレスが無くって良い。

 東名阪の四日市から亀山までは上下方向とも渋滞の名所だ。新東名と東名阪の2本が合流し1本になるわけで、車線を1つ増やすくらいの小手先では渋滞緩和にはつながらない。しかし2018年には新名神が新四日市ジャンクションと亀山西ジャンクションの間で開通するようで、これが出来れば大きく改善されるだろう。

渋滞区間を乗り越えて名阪国道に入れば車は順調に流れ、約2時間半で奈良県の大神神社に到着した。


a0339187_16524047.jpg
巳の神杉
a0339187_23035924.jpg

 翌日の元旦に向けて、お社は最後の飾り付けや屋台の設営などで賑やかであった。本殿では昨年の息災を感謝し、来春の次女の受験をお守り頂けるよう願った。試験に使う鉛筆やシャープペンシルを次女から預かって、大物主大神の化身の白蛇が棲む「巳の神杉」といわれる境内の神木に備えて無事合格のお願いを立てた。神杉は樹齢800年、幹の周囲5mの堂々たる幹には蛇が住んでいそうな洞がぽっかりと口を開けている。


a0339187_23042971.jpg

 大神神社の境内にある久延彦神社 (くえひこじんじゃ)は智恵の神様といわれており、ここにも足を伸ばしてお参りをした。本殿からの参道の途中に「大美和の杜展望台」という奈良三山を見下ろす高台に寄り道する。三輪の町の向こうに 耳成山・畝傍山・天香久山がひょっこりと聳えている。弥生時代から始まる大和朝廷がこの地で始まった事を思うととても興味深い。



a0339187_23043874.jpg
箸墓古墳


 大神神社の近くにある「箸墓古墳」は、昨今の調査で注目されている古墳時代初期の大規模な古墳だ。魏志倭人伝が伝える「倭国」の女王「卑弥呼」の時代と一致しており、この古墳が女王の墓とされ、邪馬台国がこの地にあったとする学説が有力視されるようになった。宮内庁の公式な説明では、倭迹迹日百襲姫命の墓とされ、この巫女は三輪山の神(大物主)との神婚伝説が日本書紀に示されている。これら古墳時代についての日本書紀・古事記が残した多くの謎が、やがて考古学的に解明されることに期待したい。

a0339187_21302654.jpg

 明けて元旦。家族で正月らしい朝食を過ごし、「さて、天気もいいし、食材の買い出しを口実にバイクの初乗りでも」ということになった。母がワタリガニが食べたいというものだから、知多の海鮮市場に電話で問い合わせをしてみた。このあたりでは名の知れた市場だが、茹でカニすらもう店先には並んでいないとのこと。諦めきれずに幾つか聞いてみると「蒲郡」の海鮮市場にワタリガニが少しだけ残っていることが判明、さっそく電話口で取りに行くからと予約をした。


a0339187_23060322.jpg
蒲郡港


 上社から名古屋環状自動車道に上がり、国道23号バイパスで蒲郡に向かった。片道60kmの走行はなんてことはないのだけど、とにかく寒い。冬の名古屋で吹く強い北西の風は「伊吹おろし」といって日本海から通り抜ける肌を刺す季節風。往路は背中に受けるのでまだマシだが、復路ではずーっとこの風を正面に受けながらの高速走行は、小さなOSフロントカウルくらいでは如何ともしがたい。この点、GL1200のばかでかいフェアリングとシールドは快適で、高速走行にはいいな〜。


a0339187_23061756.jpg
蒲郡海鮮市場


 蒲郡は海沿いに面した県内では温暖といわれる地域なので、バイクを降りてしまえば日差しがあるかぎりひと息つける。休日であればそれなりにお客さんも多いのだが流石に元旦の店内は閑散としていた。お目当てのこのシーズン最後と思われる貴重なワタリガニを買い占めて、不漁でこれまた品薄のアサリを酒蒸し用に追加してトロ箱に詰めてもらう。MT-01のリアシートに落ちないようにネットでくくり付けて、いざ帰路に。サービスエリアにことごとく入って用を済ませ、手足がすっかりかじかんだ頃に初走りが終了した。


a0339187_23064794.jpg
a0339187_23065705.jpg
a0339187_23071166.jpg

 ワタリガニは夏から秋が時期だと思うので、もうこの時期では漁師の舟もほとんど出ていないらしい。手に入れたモノも大きさがまちまちでハサミも取れてたりと、他の漁でたまたま上がったモノが店に並んだんだろう。まあ贅沢は言えないので、さっそく湯がいて注文主のお袋に食べてもらう。すべてがメスで卵をかかえていたようだ。「美味しい」といってかぶりつく家族の姿をみれば、クッソ寒い中をバイクで買い出しに行った甲斐もあるものだ。アサリも地元産じゃない「浜名湖産」、やはり時季外れだから小粒で酒蒸しにはふさわしくないけど、他の調理法も思いつかず。秋に蔵出しで手に入れていた日本酒のアテに、チマチマと小さなアサリを頂いた。


a0339187_23083378.jpg
a0339187_23083710.jpg
a0339187_23090113.jpg
城山八幡宮


 昼食なのか夕食なのかわからないような正月らしい時間を過ごしてから、家族で近所の城山八幡宮に初詣に出かけた。ここはこんもりとした小山の上にあり、元々は戦国時代の織田家が作った末盛城があったところで、東国の松平氏や今川氏に備えた織田家の重要な防衛拠点であった。今も空堀が残る山城あとは、足腰の弱い母親には辛いものがあるけど、娘達が介添えして自力で参拝することが出来た。日中は大勢の参拝者で溢れているけど、夜7時ともなれば元旦とは思えないほど静かに初詣をすることができる。「どうか、次女が希望する大学に入れますように」。


a0339187_23091632.jpg
君の名は


 去年の年始には「永遠のゼロ」を、今年は「君の名は」を家族でゆったりと観賞。前評判からストーリーが難しいと聞いていたので、前後する展開を考えながら見ていた。見終わったときには、70%くらいストリーが分かったような気がしたが、残りはもやもやと残る。後で娘達と意見を交わすと90%くらいまでは納得できるようになった。脚本は置いといて、まずは画像の美しさ、アニメの立体感が素晴らしかった。昔、ジブリのアニメを見てその奥行き感に感動したが、このアニメではさらにその上を行っておりアニメ技術や手法がそれだけ発達したんだろう。

エンディングを見て、これからの二人の展開に期待してしまう人もいたんじゃなかろうか、かく言う小生もそのひとり。


a0339187_20090622.jpg
a0339187_20092127.jpg
a0339187_20094167.jpg
平和公園


 2日の朝早くから家族でお墓参り。お墓は自宅からクルマで10分ほどの距離にある「平和公園」にあり、お参りするには都合がいい。名古屋が戦後の復興をしてゆく中で、都心部の区画整理が強力に押す進められて広大な道路や碁盤の目のような整然とした区割りがなされた。そのとき、都心部に広がっていた300近いお寺さんも都市計画に組み込まれ、その檀家のお墓はすべて東山に新設された広大な平和公園に集約された。
 見渡す限りお墓が広がっているが、宗派ごと、さらにはお寺ごとにきれいに区割りされている。我が家のお墓の裏には日清戦争で亡くなった名古屋の連隊兵士たちのお墓が建ち並んでいる。その横には、捕虜として日本にいる間に亡くなったドイツとロシアの兵隊達のお墓も仲良く並んでいる。

 小学生だった頃の小生は、お墓参りに来るたびにこの兵隊さん達の墓標に水をかけていたものだ。花も供えられていない姿がかわいそうだったからだ。それが、いつしか次女も水をかけて廻るのがお決まりとなっている。小生が指示したわけではないのに、小生の幼い頃とおなじように娘が振る舞う姿はなんと言えばよいのだろう。


a0339187_09503202.jpg

 その晩は、かねてから企画したかったお隣さん夫婦との夕食会だった。ご夫婦とは立ち話はするものの、引っ越してきて1年が経っても一度もゆっくりとお話や食事をしたことがなかったからだ。ご主人の趣味が小生と同じオートバイ、奥さんもつい最近免許をとって仲良くツーリングに出かけている。バイクのことやご近所のこと、仕事の事などなど話は尽きることなく、長時間お付き合いさせてしまった。
 ご主人は下戸、対して奥さんは東北出身のいわゆる「ザル」!! 小生の家内は手酌で缶ビールをガンガン飲み、ご主人はウーロン茶をちびちびと、小生と奥さんでとっておきの蓬莱泉「吟」をさくっと一升空けてしまった。お隣さんとはこれからもながーいお付き合いになりそうだから、今回はよいきっかけになったと喜んでいる。


a0339187_20104765.jpg
DSCC中部 新春ツーリング


 フェアレディZのクラブ(DSCC中部)の今年最初のツーリングに参加。毎年1月3日に開催され、目的は浜松の秋葉大社にメンバー揃って交通安全のお払いを受けることだ、午前10時という比較的遅めに新東名浜松SAに集合し、秋葉大社まで32台の新旧Zが車列を整えて走行した。もっともクラシックなS30が数台に、最新型のZ34まで様々な年式のフェアレディZを見ることが出来る。ロードスターは小生を入れて2台、Zのメンバーの中ではロードスターはマイナーと言えるだろう。程度のいい初代フェアレディZ(S30)などは希少価値が出てしまい、非常に高額な値段で取引されているようだ


a0339187_20110670.jpg
秋葉神社下社
a0339187_20111329.jpg
a0339187_20113161.jpg
昼食時のじゃんけん大会


 秋葉大社は秋葉山の山頂にある上社とふもとにある下社の2社がある。上社への山道は狭く多数のクラブ員が押し寄せては迷惑になるのか、いつも駐車場のゆったりした下社にお参りに行く。他の参拝者に混じって、クラブ員も神妙にお祓いを受けた。
 その後は門前の食堂で恒例の昼食。今回は秋に行われたアメリカのZクラブとの交流で先方からプレゼントされたフェアレディZのお宝が提供され、支部長とのじゃんけん大会でメンバーに手渡された。アメリカのZカークラブとの交流も盛んだ。昨年は日本からは10名近い人たちがアメリカのZフェスティバルに参加し、またアメリカからは大勢のZフリーク達が家族連れなどで日本を訪れ、日産のテストコースや鈴鹿サーキット、京都観光などを巡り、日本の仲間たちがエスコートした。クルマの趣味の延長で、1週間ほどの海外旅行をしちゃうほどのクルマ好き達だ。思うように長期の休みが取れない小生には羨ましく思うばかり。


a0339187_20120534.jpg
浜松市春野文化センター 


 この春野はクラブのイベントで毎年訪れている場所、フェアレディZの生みの親と言われる片山氏のふるさとだ。秋葉山の天狗に因んで、地元の広場には巨大な天狗の面が飾られている。これを背景にツーリングの最後に集合写真を撮る。これも新春ツーリングのルーティーンだ。
 冬の日差しはつるべ落としというが、周囲の山の端で切り取られた日差しがどんどんと遠のいて、肌寒い日陰が押し寄せてきた。日が陰ると風はめっぽう冷たく、とてもロードスターをオープンにする気力も失せる。



a0339187_08475247.jpg
Z33 ロードスター Ver T 平成17年


 塗色「サンセットオレンジメタリック」が夕日に照らされている。カタログではイメージカラーとして取り扱われているが、実車ではあまり見かけないニッチな色だ。現行のGT-Rにも似たようなオレンジが使われていて、スポーツカーでは希ではあるが定番な塗色なんだと思う。小生的には気に入っているのだが、家族からはさっぱりの評判。。。スポーツカーはブラックが多いのではと思っていたけど、今回のツーリングで並べてみると意外に「白系」のボディが多いことに気づいた。

 小生のロードスターも初年度登録が13年前になり、走行距離も8万キロに届いた。昨年は助手席のドアノブが壊れて開かなかったり、マイナーな漏れがあってホースごとラジエターのアッセンプリー交換したり、エンジンカムセンサーの故障で機嫌悪くなったりと、そろそろ手がかかるようになってきた。
 乗り換えるなら、次期フェアレディZロードスターを企んでいるのだが、昨今の日産不祥事などで、プロトタイプすら未だ発表されていない。エンジンが自然吸気3.7Lからターボ3Lになるらしいけど、この先は自然吸気の大排気量のエンジンは開発されないだろうと思うと、新型のエンジンダウンサイズにはちょいとがっかりだ。

 新しいフェアレディZに期待するか、最後の大排気量の現行フェアレディZを手に入れるか、悩ましいな〜〜。
おっと、肝心の次女の大学受験を忘れていた、、、しばらくは次期戦闘機の話題は封印しなきゃねえ。








by akane8150 | 2018-01-05 21:26 | Life | Comments(11)

中日ビル ビアガーデン2017 2018 回転レストランバルーン オリエンタル中村 観覧車



a0339187_17093140.jpg
名古屋 栄 中日ビル

 名古屋を代表するビルというと「大名古屋ビルヂング」「中日ビル」「都ホテル」「明治屋」など、昭和レトロから続く市民に親しまれた建物が多かった。しかしいずれの建物も耐震性を問われてどんどんと町並みから消えてゆく。中日ビルは1966年の開業から、森光子の放浪記などをロングランした「中日劇場」、事務所を置いている「中日ドラゴンズ球団」などを抱え、栄の待ち合わせ場所としても知られている。

 50年以上続いたこの建物も2019年3月で閉館し、数年後には新しい中日ビルができることになった。小生も幼い頃からこのビルには親しみがあって、特にその屋上にある回転レストランも無くなってしまうことは寂しいかぎり。

a0339187_17095080.jpg
a0339187_17094500.jpg
回転レストラン ばるーん

 開業当時からあったものかどうか不明ではあるが、2000年頃まで営業していた回転レストランのばるーん。小学生の頃に両親に連れてきてもらったことがあって、ゴージャスな内装と食事が鮮明に記憶に残っている。遊園地の回転カップですら感動するのに、床が動いてご飯を食べるなんてスペシャルな出来事はビックリだったんだろう。

a0339187_17521364.jpg
ひろしま国際ホテル(広島経済新聞Webより)

 インターネットで探しても、このばるーんの画像や資料が出てこない。現役で活躍中のひろしま国際ホテルのレストランの画像を挙げてみたが、小生の記憶をたどるとこのような雰囲気であったように思える。中央の回転しない厨房と回転する客席の間には明瞭な境界があって、じっくりみていると動いているのがよく分かった。ばるーんの規模も広さもこれくらいだったんだろう。

a0339187_17104362.jpg
a0339187_17105042.jpg
 ビアガーデンが置かれた屋上からさらに上に回転レストランが作られている。屋上からレストランには階段を上がってたどり着いたはずだが、その階段はプライベート空間で立ち入ることは出来なかった。屋内はライトアップされていて今でも営業できそうなくらい管理されている。ほどなく取り壊しになって、回転レストランを間近に見るのも最後、時代の移り変わりと自身の齢の変化を実感する。

a0339187_17114839.jpg
中日ビルビアガーデン

 さてさて、ここにやってきたのは、病院の納涼会ビアガーデンに参加すること(^^)。病院スタッフの約半数と調剤薬局のスタッフ、委託給食会社のスタッフなどなど、総勢60名ほどの参加となって今年も賑やかな企画になった。

a0339187_17122193.jpg
 ここがいいのは開閉できる屋根があることだ。雨が降ったらどうしようなんて心配を幹事がしなくて済む。キリンビールの銘柄が選べて、ソフトドリンクなども充実している。ビアガーデンといったら揚げ物中心ときまっているんだろう、料理はこんなものと納得すべきで期待してはいけない。
a0339187_17131253.jpg
 家族で来てくれた職員もいて、初めてのビアガーデンと夜景にお子さんも喜んでくれたようだ。背景にはライトアップされた「テレビ塔」、こんな派手な照明だったっけ??

a0339187_17124374.jpg
 「サッポロビール浩養園」「マイアミ」「丸栄百貨店」「名鉄百貨店」などが名古屋では知られたビアガーデンがあるが、立地の良さや会場の清潔感から小生はここのビアガーデンが好きだった。これまで、毎年楽しませてくれてありがとう!! 


H30.5.10 更新 中日ビルさよなら企画

いよいよ閉館まで1年を切り、現状の中日ビルを訪ねてみた。「中日ビルさよなら企画 ビルなつかし写真展」が開かれていて幾つかの興味ある画像を手に入れた。
a0339187_08471008.jpg
ビルなつかし写真展

 1階の東特別展示室でキャプション付きのパネル展示がおこなわれていた、規模は小さくて50枚ほどのものであったが、当時の写真が少ないので小生にとっては興味ある展示だった。

a0339187_08473094.jpg
a0339187_08475739.jpg
中日ビル建設時の模型

屋上や回転レストランの形状がよく分かる。目的が分からないが、屋上のステージのようなひな壇はもともと作られていたことが分かる。

a0339187_08483233.jpg
昭和39年12月

鉄骨が組み上がってきた中日ビル。キャプションでは掘り出した膨大な土砂で港区にある池が埋め立てられて宅地になったそうだ。

a0339187_08481743.jpg
昭和40年7月

回転レストランの骨組み作業が始まる。屋根にあたる部分の鉄鋼組みの写真だろう。屋上から北西の方角に向けられた写真は、100m道路の地下鉄工事中を右隅に映し出している。

a0339187_08491204.jpg
回転レストラン ばるーん オープン日

 1966年4月29日の開店日には、150席の回転レストランはすぐに満席に。周囲に高いビルがないので、地上53mからの展望が好評を博した。回転レストラン内の貴重な写真、これをみると窓際と内側に4人掛け席の2列でテーブルが配置されていることが分かる。窓際テーブルが人気であったことは想像に難くない。

a0339187_08521968.jpg
屋上ビアガーデン 

 昭和60年7月撮影。30年後の現在と比べても、ビアガーデンの雰囲気は全く変わっていない。当時は回転レストランの屋根に点灯式の中日ビルネオンが立っていたが、現状は撤去されている。撤去された看板は、現在の屋上階のフェンスに取り付けられているモノと同じかも知れない。

H30.8.3 更新 ビアガーデン再訪

a0339187_21092727.jpg
a0339187_21095512.jpg
 昨年に続き営業最終となるこの夏も職場のみんなでビアガーデンにいってきた。土曜日ということで席は満席、ずいぶん前に予約してあったら雨が降っても大丈夫なテント席を押さえることが出来た。まずは気になっていた回転レストランはちゃんと現存。いよいよ最後なんだから、この回転レストラン ばるーん を懐かしむ人のためにも、屋内を開放してくれてもいいのになあ。

a0339187_21105498.jpg
 
 ビアガーデンのエレベーターフロアの奥には、回転レストランへの階段がある。知らなければただの階段室にしかみえない。営業していた当時はエレベーターかられすとらんへの案内看板が並んでいたはずだ。

a0339187_21110958.jpg

 扉の向こうには階段室があって、この階段を上ればレストランの入り口だ。幼いながらにも、エレベーターでレストランまで行けないことを不思議に思った覚えがある。今にして思えば、回転するレストランなのだから、その中にまでエレベーターを設計するには構造上で無理だったんだろう。柵で閉鎖されてはいるが、いまも階段や手すりはきれいだった。

a0339187_21135457.jpg
a0339187_21252128.jpg
a0339187_21190394.jpg
2018 中日ビル屋上ビアガーデン

 このところの名古屋は猛暑。40℃近い都会の大気は日が落ちてもどっしりと居座っていた。おかげでビールの冷え冷えが余計にのど越しをよくしてくれる。ビール大好きなスタッフが集まったいるので、今宵もみなしこたま飲んでいた。ここで生ビールが飲めるのももうすこしでおしまい、9月24日で閉店だ。新しくなる中日ビルにはビアガーデンの設定がないと聞いている。名残惜しんでみんなで騒いだ。


H30.9.24 更新 さよならビアガーデン

a0339187_08395638.jpg
 2018年9月24日、とうとうビアガーデンも店じまいする日がやってきてしまった。名残惜しく、家族で最後を見届けにやってきた。テント席を予約しようとしたら、閉店ラスト2時間の枠が取れたので開始は遅い8時半。
a0339187_08401953.jpg
 満員御礼になっているのかと思いきや、すでに帰ったお客さんも居るだろうが、7割くらいの席の埋まり具合だった。なんだか拍子抜け。さみしいな〜。
a0339187_08410591.jpg
a0339187_08561260.jpg
 中日ビルは2019年春に閉鎖される予定だけど、屋上にあがることが出来るのもきっと今日が最後だろう。交差点角から栄錦方面の景色も見納め。
a0339187_08413486.jpg
a0339187_08422105.jpg
ビール注ぐおにいさんにも無理矢理ピースをさせてしまう。ごめんなさい。
a0339187_08423982.jpg
回転レストラン「ばるーん」も近くから見ることが出来るのも、これで最後。お名残惜しゅう。
a0339187_08425246.jpg
 ビル全体を一望出来るとこまで、テクテク。屋上の賑やかな灯りもこの日でおしまい。50年以上愛されてきた中日ビル、お疲れでした。ぜひ、また名古屋を代表するようなビルに生まれ変わることを期待だ。
a0339187_08430659.jpg
ビアガーデンの出口では、記念品が配られた。名古屋の老舗和菓子の両口屋のスペシャルどらやきだった。


中日ビルの中をぶらぶらしてみた

a0339187_08550678.jpg
地下2階ビル入り口

 栄の地下街から中日ビルにくるとこの吹き抜け空間が出てきたら中日ビルに入ったことの証。手前には老舗の味噌煮込みうどん、踊り場には昔から花屋さんがある。地下2階部分はレストラン街、地下1階部分は八百屋さんがあったりと食品売り場風になっていた。

a0339187_08541989.jpg
1階エントランス天井壁画

 巨大なモザイク「夜空の饗宴」は矢野六郎の作品、CBC会館の壁画、丸栄西壁、旧新幹線口など、かれは当時の名古屋市内でモザイク画を幾つか残している。改装ではこのモザイク絵も失われてしまう。

a0339187_10201095.jpg
2階

 中高齢の女性をターゲットにした服飾や装飾、趣味の店がならぶ。階上にある中日劇場に芝居を見に来るような人たちを対象にしているのか、香を焚いたかおりがいつもしている。すでに引き上げたテナントもあって、寂しいたたずまい。

a0339187_12580277.jpg
a0339187_12584209.jpg
地下駐車場

 ここも父がよく停めていたことを思い出す地下駐車場で、入庫の管理の仕方がおもしろい。ゲートで駐車すべき階と場所が書かれたカードを受け取って、運転手は指定された場所に停めるってわけだ。昔からずーっとこのやり方で管理されていて、なんとまあ、手の込んだ、昔ながらの方法だろうと感心した。
おまけ

 中日ビルの外観を撮るために、お隣の三越デパートの屋上に上がってみた。幼稚園の頃、デパートの屋上は子供達にとって「楽園」であったと思う。両親と日曜にデパートの屋上遊園地で遊び、大食堂で「お子様ランチ」を食べて付属の「日の丸」を自慢げに家に持ち帰るという、一連の過ごし方は、小生にとって最高のイベントだった。それに反し、現状の屋上遊園地は廃墟のようだ。まずは人の姿が見当たらない、粗大ゴミのような動物の張りぼてや動きそうも無い乗り物。。。

a0339187_17133269.jpg
栄 三越百貨店 屋上遊園地
a0339187_17203354.jpg
現在の観覧車(Hideto Uchiikeさん動画より)




 デパートの屋上観覧車は全盛期であった昭和40年代には全国にあったようだ。決して高さは無いのだが、上がるとビルからはみ出るんじゃないかと心配するくらいスリリングだった。そんな中で、1954年日本最初の屋上観覧車として生まれ、かつ現存する最古のモノがこの三越には残れさている。人を乗せないが日に2回、今もミュージックと共に回転しているらしい。手前のカンガルーは「オリエンタル中村」時代の正面玄関に置かれていたデパートのシンボル。こやつの背中にまたがった覚えがある、いまはひっそりと屋上のオブジェになっていた。

a0339187_17234080.jpg
1954年 オリエンタル中村 観覧車(中日新聞Webより)
a0339187_08531130.jpg
昭和41年7月 広小路の屋台(昭和48年3月で廃止)

 都会で育った小生は街の喧騒の中で大きくなった。まさに昭和レトロな建物、デパートの屋上遊園地などは幼い記憶に刻まれているが、すこしづつその風景も失われようとしている。懐古趣味はどうよって思うけど、この現実は残された小生のかすかな「記憶」をも消してしまいそうだ。



by akane8150 | 2017-07-25 13:14 | Life | Comments(2)

屋形船宴会 名古屋堀川 東山ガーデン 2017



 今年も新人を迎える季節がやってきた。これに合わせ職場では慰安イベントを企画してきた。昨年はバス旅行であったが、一昨年の屋形船宴会の再現と決めた。職員からの受けもよかったけど、実は小生が屋形船が好きだからだ(^^ゞ。


a0339187_17484241.jpg

 「東山ガーデン」という名古屋に古くからある結婚、会議、イベント施設などの会社が名古屋港クルーズと称して「屋形船」を運営している。名の通り、東山に以前は施設があって、それなりに流行っていた。その後、その施設はなくなって現在は名古屋港関連のレストランやケータリング、サムライクルーズと称した屋形船などの運営を行っている。一時は名古屋の能楽堂の管理もしていたようだが今はどうなってるんだろう。



a0339187_17500018.jpg


 遊覧船やより小型の屋形船もあるが、尾張藩の関船「義丸」の名をつけた屋形船をお願いした。これだけの大きさがあると横揺れもすくなく、お座敷もゆったりとしている。最大48名まで乗れるが、20名から運行できて36名までであれば「掘りごたつ」となって居心地がいい。ただし今回は40名を優に超えている参加なので、あぐらがきつい小生には「座椅子」が恋しい状況(^^ゞ。


a0339187_17502993.jpg
a0339187_17591486.jpg

 職員は約100名なので、今回も前半後半に分かれての企画。土曜は夕方まで通常業務だから業務命令でちゃちゃっと仕事を片付け、午後7時に名古屋「納屋橋」の船着き場から出航となった。日頃から時間厳守を口酸っぱく言っているのでほぼ全員が余裕をもって集まってくれくれたのだが。。。


a0339187_17210957.jpg
a0339187_21360814.png

 宴会は出航から帰港まで2時間。名古屋の中心部を流れる堀川を下って名古屋港までのクルージング、途中の白鳥庭園やネオンの輝く町並みを抜けて名古屋港水族館や観覧車の遊園地がある港内を巡っての往復。船はそれなりのスピードで走り、船酔いを心配することなく宴会を楽しむことが出来る。
 出港は潮の状況で代わり、干潮では南に位置する「宮の渡し」が出発点。より上流の「納屋橋」からの出発は満潮時しか出来なくって、今回の日程も潮の状況をみて予約した。納屋橋は名古屋でも繁華街の中にあり、大阪でいう「道頓堀」みたいな場所だ。「グリコの看板」に雰囲気の似た「太田胃散」のネオン看板が目印。


a0339187_17525682.jpg

 とりあえず船は無事に定時で出発。さっそく挨拶と乾杯を仰せつかう。慰労の言葉と日頃の感謝を伝え、さっさと乾杯!!。こんなスピーチは短いが良いにきまってる。


a0339187_17544085.jpg

 料理人も乗っているので、揚げ物なども出来たてを頂く事ができる。ビール、日本酒、焼酎、ソフトドリンクは飲み放題。持ち込みもOKなので、酎ハイやソフトドリンクも職場からそれなりに用意して乗り込んだ。小生は振る舞い酒として「蓬莱泉 吟」を一升持参した。吟は愛知設楽のお酒でなかなか手に入らないものだが、昔から醸造元から春、秋と届けてもらっている。いわゆる大吟醸でのど越しのよいお酒、人数分のお銚子を持ってひとりひとりに注いでまわる。


a0339187_17562784.jpg
a0339187_18033293.jpg

 新人挨拶も恒例、医療事務でこの春卒業したばかりの新人。昨年秋からすでにバイト扱いで病院には来ていたが、無事にこの春卒業し二十歳になった。まだまだ勉強してもらうことは沢山あるけど、これで晴れて正職員となってがんばってほしい。成人になったので、お酒を勧めることも出来るようになった(^^)。
 遅刻しそうになったのはいずれもこの春からの子たちで、周知した集合場所を知らなくって離れた船着き場に行ってしまったようだ。「なんでもいいから納屋橋までって、運転手さんにお願いしてタクシーに飛び乗りなさい!!」って、直々に携帯電話で連絡し間に合うことが出来た。
 そうそう、折角の宴会なんだから、小生がきつく叱ってはいけないと思い、担当の上長には後ほど指導するようにお願いした。m(__)m。慌ててタクシーに飛び乗った姿が想像できて、かわいそうなことをしたものだと自己嫌悪もチクリ(T_T)。


a0339187_17565488.jpg

 翌日にはプライベートで長距離バイクツーリングが控えていたけど、まずは楽しく飲みたかったんで遠慮無く皆と騒いでお酒と料理を楽しんだ。職場を離れて仲間とお酒を頂くのは楽しい時間。
 子育てのために夜勤が出来なくってパートで頑張ってくれたスタッフも、この春からは夜勤も頑張ってくれ常勤に挙げることが出来た。これもありがたいお話、共働きで子育ては大変だけど旦那さんにも助けてもらってしっかりと稼いでもらいたい。


a0339187_17574235.jpg
a0339187_17581282.jpg

 屋形船の舳先は船外に出ることができる。心地よい風を受けて夜景を楽しめる。大勢で押し寄せると船頭さんの視界を奪うことになり、おしかりを受ける(^^)。3名までは外に出て良いらしい。舳先では「タイタニック」の物まねをしてる仲間もいたりして。


a0339187_18000956.jpg
a0339187_18003040.jpg

 予定通り、午後9時には元の納屋橋にもどった。船内に忘れ物が無いことを幹事たちと見て回って離船。皆、三々五々、2次会に散っていった。小生はこの界隈をカメラ片手にうろうろと、普段ではこんな写真も撮らないだろうから、シャッターを押してみた。慣れ親しんだところも写真を撮ってみると新鮮な感じがして面白かった。

また来春も何かの企画ができたらいい。そうなるように、皆でお仕事がんばらなきゃ。





by akane8150 | 2017-04-17 22:58 | Life | Comments(4)

長女の卒業



 長女が無事に卒業とあいなった。端から見て、自分の大学時代を思い出しても「よく勉強していたな」というのが感想だ。薬学部の授業はサボることも難しいようで、小生が部活やビリヤード、バイトやバイクに明け暮れたのとは大違い。各期の試験もハードルが高くって、再試も簡単には済まないようだった。そんな中で6年間に留年もなく、すんなり卒業試験もこなしたようだ。よくやった。


a0339187_15534389.jpg


 振り返れば・・・
 この子が生まれて数年は両親に頼らずに妻とふたりで育児にがんばった。小生は大学病院で臨床と研究をしていた頃。妻は市立病院の産婦人科で周産期診療に多忙を極めていた頃だった。産後3ヶ月から始まった家内の当直日には小生が託児所から連れ帰って翌朝まで育児をしたものだ。幸いにも手間のかからない子であったが、ミルクを飲ませ、お風呂に入れて、夜中もミルクを与え、翌朝は託児所に送り込んだ。病院にある院内託児所であったので、多少熱が出ても小児科に受診させてもらったりと随分とたすけてもらった。

 ただ、小生も入院患者の急変などで緊急呼び出しがあったときはとてもこまったものだ。夜中であろうとクーハンに長女を入れてクルマの助手席に固定。職場で小生が診療している間は、病棟の詰め所などで看護婦さんたちにあやしてもらった。

そんなこんなんでも、子供は育つ。腕の中で泣いていたこの子がこんな娘に育つとは感慨深い。



a0339187_15501299.jpg

 職業として小生たちと同業の世界を勧めたのだが、「パパたちを見てるから選ばなかった」とのこと。とても微妙な発言でそれ以上突っ込むことはできなかった。薬剤師として病院勤務が良かろうとこれも勧めたのだが、「病院は忙しいから調剤薬局」という選択肢を選んだ。なかなか教育は難しいモノでこちらの思うようにはならないもの。

 卒業旅行も友人と楽しく過ごしてきたようだ。海外旅行なんて大丈夫かしらと思っていた小生だったが、すでに学生時代から何度か経験済みと家内から聞いた。知らぬは親父のみか。。。(>o<)。

 あとは国家試験の結果を聞きさえすれば、これで彼女も社会人。責任感をもってしっかりと働いてくれることを願っている。





by akane8150 | 2017-03-18 16:21 | Life | Comments(4)

最近、美味しく頂いたモノ



 お出かけ先で食べるご飯は、楽しみ。お気に入りを狙って食べに行くことも、出たとこ勝負で飛び込み挑戦するのも楽しい。このところで美味しかったモノをちょいとアップしてみた。


a0339187_12245851.jpg
豊橋カレーうどん 玉川うどん広小路本店


 名古屋に住んでいても豊橋を訪れることはなかなかないだろう。「うどん」がもともと親しまれていた豊橋の町おこしとして、企画された「豊橋カレーうどん」。未体験なので食べログで一番最初にあった「玉川うどん広小路本店」にやってきた。
豊橋カレーうどんを名乗るためのルールとしては、「自家製麺」、「器の底から、ご飯、とろろ、カレーうどんの順に盛る。」、「日本一の生産量の豊橋産のうずら卵を具に使う」、「福神漬け、壺漬け、紅ショウガを添える」、「愛情を込める」だそうな。

 うどんなのにその底にととろご飯を入れてしまう発想が面白い。麺を頂いた後で、底のご飯を平らげると丼一杯、まるっと食べちゃうことになる。豊橋名産のちくわ天ぷらと豊川名物のいなり寿司の組み合わせ、美味しかった。




a0339187_12250185.jpg
松阪牛 「まるよし鍋」 松阪まるよし鎌田本店


 名古屋から車で1時間、三重の松阪は松阪牛で有名な所。ここもなかなか訪れることの無い町だ。松阪牛が食べたくなって、ついでに松阪城や松阪商人の町並みを観光しながらやってきた。松阪牛といえば、「和田金」や「牛銀」が名を知られているが、ランチで頂くにはお値段が張りすぎる。気張らなくて使える「まるよし」ののれんをくぐった。ステーキやすき焼き、網焼きが王道のメニューだが、ここの名物「まるよし鍋」をチョイスした。松阪牛のモモ・バラ肉を使い、味付けをすき焼風味に仕上げた牛鍋だ。これをすき焼き同様に生卵で頂く。しっかりとしたお味に柔らかいお肉、ご飯がどんどん進んでしまう(^^)。4000円ちょっとのプライスでお得な松阪牛を楽しむことができる。


a0339187_12245649.jpg
錦3丁目 いば昇


 うなぎ丼はお店によって焼き方やタレに違いがあって、ひとそれぞれの好みに分かれよう。蒲焼きにはそのまま焼き上げる関西風と蒸す工程の入った関東風がある。その地域の境界は愛知県岡崎といわれ、名古屋のこのお店は関西風の蒲焼きだ。100年続くこのお店は、幼い頃から親父に連れてきてもらった覚えがある。カリッと焼き上がったうなぎに甘めのタレが小生の舌にあっていて、うなぎが食べたくなったらこのお店に足を運ぶ。「並」が2050円、ご飯の中にふた切れ追加してある「上」が3000円、まあ値段はそんなものだろう。

 「いば昇 本店」というのが、同じ名古屋栄にある。もともと暖簾分けの親店のようだが、味付けや雰囲気はまったく違うお店と思った方がよいだろう。



a0339187_15094911.jpg
京都 下鴨茶寮

 下鴨神社の南にある古くからの料理屋さん。京都らしい静かさともてなしを感じるしつらえが素晴らしい。和食の美味しさをうんちくするほどの知識も経験もないのだが、その色合いと季節感、味覚はとても洗練されているくらいは分かる。若かりし頃、ここで初めて舞妓さんのお座敷を経験したこともあって、自分の中では贔屓に感じ京都に来たときには寄ってみたいお店となった。


a0339187_12245415.jpg
京都祇園  鍵善良房


 八坂神社から歩いてほどなく、江戸時代から続く京菓子のお店。鮮やかな和菓子を扱う店舗の奥に、喫茶部があって京都らしい「くずきり」を頂く。立派な塗りのお椀に、透き通った大粒の氷にくずきりが盛りつけられている。「黒蜜」と「白蜜」の選択を迫られるのだが、ついついアッサリした「白密」を選んでしまう。人気は「黒蜜」だそうな。。。 冷たくってつるっとした食感と上品な甘さがとても印象に残る。人気のお店のために、土日には行列に並ぶ覚悟が必要だ。

 食べ物を取り上げた文章を書いていると、美味しさを思い出して空腹に襲われる(^^)。出かけた先で美味しいモノに出会うと、その場所はリピート先になろう。

 今週末は泊まりの休みが取れそう、家でごろごろしていないで久しぶりにでもバイクで一泊ツーリングを画策中。 冬型の気圧配置で太平洋側も雪が降るかもという天気予報だが、静岡・伊豆方面は晴れマーク!! 菜の花にはまだ早いけど、河津桜は良いんじゃないかなあ。



by akane8150 | 2017-02-08 17:40 | Life | Comments(0)
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite