小生の備忘録

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カテゴリ:Motorcycles( 97 )

XT250 セロー 14 東山道2 木曽峠(大平峠) 大平宿 松川入


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林道大谷霧ヶ原線 美濃側

 神坂峠の美濃側を探索し、車両では峠を越せないことがわかった。ならば、反対側の信濃側へ行きましょう。清内路峠を越して反対側へいくだけじゃあ、つまらない。時間もあるので、途中の立ち寄りと大平街道をぐるっと回ってこよう。

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馬篭宿

 東山道を美濃側に降りてくると、そこは全国的にも有名な中山道の宿場町馬籠。馬籠峠からの稜線上に宿場は上から下に細長く広がっている。駐車場にはすでに観光バスもたくさん止まっていて、昨今の例に漏れず海外からの団体客がとても目立つ。石畳の両側にお土産物屋がならび、一般の家でも当時の屋号を表札かけて史蹟の保全と現在の生活とを共存させている。今日はスナップショットだけで馬籠の町は素通り。


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馬籠峠

 馬篭と妻籠をつなぐ旧中山道の峠。この先の妻籠側は高低差が大きいので小さなカーブがいくつもやってくる。石畳の旧街道(小径)はハイカーの人たちで賑わっていた。この峠は馬篭峠となっているが、これまでの峠を巡ってきた経験から、多くの場合、越える先の集落の名を峠の名にしているような気がしている。つまり峠には2つの名前があっても不思議ではない、そこに生活している人にはそれで問題無かったはずだ。地図上で馬篭峠と命名された背景がなんであったのか、想像すると面白い。

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大妻籠 旅籠つたむら屋

 馬篭峠を下り旧街道に入ってみると昔のままの「大妻籠」の集落。うだつの上がった立派な旅籠がならんでいて、いずれも江戸時代の建築で優に200年を越えている。さらに当時からずーっと旅籠として生業をしてきたというのだからすごいことだ。まわりは自然のみ、アメニティが優れているわけでもないだろうにどんな客層なのだろうと調べてみると、欧米の旅行客が多いようだ。「日本らしさ」を彼らはこの宿に見いだしているのであろう、「いろり」や「和布団」、「郷土料理」に「日本酒」、どれもクールに映るのかもしれない。

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大平街道(木曽側)

 妻籠から清内路峠にむけてR256を快走する。清内路トンネルの手前でいよいよ大平街道への分岐、これを左に折れて峠までの登りが始まる。ここから大平峠を抜けて飯田の町までおよそ30km、冬期間は雪で閉鎖はもちろんだが、災害で通行止めになることもしばしば。でも今日は大丈夫、通行止めの表示無し。

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 路線バスも走っていた(過去形)峠道はちゃんと整備されていて走りやすい。夏のこの時期は森林がうっそうとしていて、木々のトンネルを走るようなものだ。峠では良くみかける「第23号カーブ」なんていう標識が続いている。

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木曽見茶屋

 あともう少しで峠というところに峠の茶屋がある。この街道は本来素晴らしい展望が期待できる位置にあるが、夏場は深い樹木で遠望の景色を知ることが出来ない。しかし、唯一といっていいほど、この茶屋のあるカーブは周囲が開けていて明るく見通しが良い。「木曽見茶屋」と言うくらいだから、西の方角には真下に清内路街道、遠くには先ほどの馬篭峠や中津川など、南木曽が一望できる。

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 茶屋は板で閉ざされていて休業している風情、張り紙がしてあって「体調を崩し昨年で店じまい」との内容であった。ひとむかし?ふたむかし?の頃はここでそばとおでんを食べたのだが、最近はずっと店は閉まったままでとっくに廃業したんだと思っていた。
 後に調べてみると、昭和7年からこの店は続いていたのだが、2014年頃に廃業。しかし中津川の男性がこの自然に感銘し、周囲の応援もあって2016年に営業を再開したという記事まではたどり着いた。しかし張り紙の通り、2017年秋の営業をもって再び木曽見茶屋は静かな廃屋に戻ってしまった。わずか2年で廃業してしてしまったとは。。それほど交通の多い訳じゃ無いから「やり繰りの問題」、ひとり営業の「切り盛り」などなど大変であったろう。この大平街道がたどった歴史の経緯からすれば、この木曽見茶屋の消滅も残念だが自然の流れと言うべきだろう。

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木曽峠(大平峠)

 茶屋をすぎるとまもなく峠のトンネルが見えてくる。ここに来るたびに、その可笑しなトンネルの姿に注視してしまう。これをトンネルと呼んで良いのだろうか? まるで土に半分埋まった「土管」だ。おまけに天井部には窓が開いていて家屋の明かりとりのように日差しがはいってくる。トンネルの前後、峠部分はすべて切り通しになっている。特に伊那側のそれは深く掘られていて崩落の心配もありそうと、なれば切り通しの崩落対策と思えば、土管形状でも役に立つ。きっとそのあたりが答えだろう。

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 峠には明治時代の道標が立っていて雰囲気よろしい。標高1300mもあれば抜ける風も十分にすずしく、日陰に入っていれば名古屋の熱風地獄がうそのようだ。トンネルにつけられた表記は「木曽峠」、〇△隧道とか、□〇トンネルって書かれるのが普通だろうから、ちょっと変わっている。つまり作った人はこれを「トンネル」とする認識がなかったんじゃなかろうか?? 

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大平宿(おおだいら)

 峠を伊那側におりてくると開けた土地と集落が現れる。ふるびた建物が並ぶ姿はちょいと異様で、その昔にタイムスリップしたかのような錯覚すら感じる。そもそもこの大平街道は伊奈の町と妻窹宿を結ぶために江戸中期に飯田藩が作った街道だ。それまでの迂回する経路よりもこのおかげで随分と利便が良くなった。
 この開通により、木地師と商人たちがこの大平に入植したのが始まりで、やがて村となり宿場町となる。明治になって中央線が開通すると、伊奈の人たちがここを越えて木曽まで通うようになってますます交通は盛んになり、小学校や郵便局も開設されるほどの規模になった。
 しかし、飯田側にも電車が通るようになり、これまで難路だった清内路峠にも国道が走り、大平街道よりも便利に伊奈と木曽が繋がるようになり、交通や物流は減少の一歩となる。昭和35年には最盛期の半分、35戸になりついに昭和45年、住民の総意として集団移住を決定し、大平宿は約250年の歴史に幕を下ろした。

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大平宿(宿泊できる古民家)

 大平宿は旧街道に沿って南北に民家が連なっている。残っている古民家のほとんどが手入れ、整備されていて宿などの利用が可能だ。どれもが江戸時代に建てられて200年以上も経った民家で、いろりを囲んで自炊生活が出来るなんて面白い。ただし、小生には無理だ、夏場は日が落ちれば「虫」がいっぱい飛んできそうだし、ムカデさんやカマドウマさんなどは大の苦手。多分おちおち眠っていられないだろう。
 村の家屋たちは廃村後、リゾート開発で破壊される危機に面したが、有志(大平宿をのこす会)によってその維持が続けられた。平成29年、大平宿をのこす会は解散したが、引き続き飯田市が廃村を管理し、宿泊体験などの利用については民間に委託している。

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松川入(廃村)

 大平宿を抜けて飯田峠を越えればあとは飯田市街まで松川に沿った下りとなる。この松川の上流に入り込む林道を見つけたので、行けるだけ上がってみた。
 街道からは一変して、道は枯れ枝や落ち葉、落石の舗装林道となる。しばらくすると森林から抜け出して空がしっかりと見える広場に出る。無人であろうが、まだあまり傷んでいない木造家屋を発見。明治初期に炭焼き小屋や森林伐採など、山仕事のために開拓された「松川入」という集落で、農林事務所?が残っている。調べるとこの建物は昭和30年頃に建てられて、昭和の終わり頃まで森林整備などの作業員が出入りしていたようだ。例に漏れず、昭和41年に松川入の集落は集団移転して廃村となった。

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 さらに登って行くと左右の分岐に遭遇。右「松川入線 13kmで行き止まり」 左「小西川線5kmで行き止まり」「携帯電話も通じません」などど 心折れるような案内板。おまけに「熊に注意」の看板が至る所に見られるようになる。さて思案の結果、折角ここまで来たのだからと、奥の深い右手の道をえらんだ。
 ちなみに「神戸市御影高校山岳部遭難。。。」との案内もあったのは家に帰ったから気づいた。後学では、、

 昭和44年8月、神戸市立御影工業高校山岳部総勢7名(教諭2名、生徒5名)は中央アルプスを松川入から入山し西駒ヶ岳までを縦走するため、松川を遡った松川入の蜂の巣小屋に泊った。折りしも台風が接近し飯田地方は風雨強く、安平路山に降った豪雨により鉄砲水が発生。就寝中に小屋もろとも7名を山津波が襲った。延べ1千人余の消防団員らが下流を捜索したが、二人の遺体が発見されただけであった。

分岐を左にとって行くと慰霊碑があるとのこと、小生は立ち寄る事ができなかった。

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林道 松川入線 折り返し地点

 今日は日曜、工事関係者も山を下りているだろうと思うと、ますます山奥一人っきりの感が強い。行き止まりまで15kmを信じて走るが、展望のきかない林道を同じようなくねくねをくり返すのみで、先行きが不安になる。ましてや「熊に注意」の看板は心細い、徐々に路面に落ちている枝葉やがれきが増えてきて、交通量の少なさを実感する。ついには見通しのきかないカーブで、対向車に対してというよりも、「くまもん」に対して、情けないセローのクラクションを使い始める。
 心の中のもうひとりの自分が、「もういい、堪能したでしょ」とささやき始めた。先ほどの分岐から7.5km、行き止まりまでの半分を走行して勇気ある撤退、潔くUターンした。



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松川入

 引き返すとなれば、後は同じ道を戻るだけ。心のゆとりも出てきて林の切れたところから望める景色で一服。この山の向こうには飯田の市街があるはずだ。このような人気の無い山奥の方々で治水工事がなされている。土石流や鉄砲水の被害を防いでいる「日の目を見ない」これら工事が町の人たちの知らない所で行われているのだ。

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 リニア中央新幹線工事現場

 林道松川入線を降りきって大平街道にもどればひと安心、あとは飯田の市街に向けてどんどんと下る。途中にはこんな工事看板、「中央新幹線の工事をおこなっています。」そっか、飯田の町にリニアが通るんだ。2027年度の開通に向けて、どんなリニア飯田駅にするのか、現在企画中。 乗り換え案内で「名古屋〜飯田」を検索すると、1日2本のJR特急ワイドビュー伊那路を使っても、3時間半かかる利便の悪い環境だ。これがリニアになればなんと20分!! 普通に通勤で移動できる距離圏内となる。
通勤費用を度外視すると、名古屋が飯田の人たちの通勤圏内となり飯田で仕事を探さなくても良いようになるだろう。長い目で見て、これが飯田の人たちにとっていいことなのか、今の時点では分からないと小生は思う。

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飯田

 伊那地域の景色は東西を山脈で囲まれ、天竜川に向かって扇状地が広がるすばらしいもの。とりわけ、大平街道や松入林道などのお山の中を堪能した後は、ひろびろとした景色と市街地は安堵できる。無事に山を下りてこられたことに感謝。



by akane8150 | 2018-09-03 22:53 | Motorcycles | Comments(6)

XT250 セロー 14 東山道1 神坂峠


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東山道(とうさんどう)

 バイク日帰りツーリングの「未開の地」で東山道「神坂峠」(みさか)は気になっていたところ、地図やWeb上で下調べをして資料を作成。晴れ間を待っていざ行かん。
 神坂峠は、中央高速道路の恵那山トンネル近くにあるパーキングエリアの名前で思い浮かぶ人も多いだろう。この峠は古代「東山道」で最も難所とされ、日本書記の「やまとたける」の東征や万葉集の防人歌などに登場する神代から続く歴史をもつ。大化の改新の頃から整備された東山道は都と地方を結ぶ政治・経済のルートとして作られた8ルートの一つで、後の江戸時代の中山道と概ね被っている。二つの街道で大きく違う部分がこの木曽山脈を越えるところで、東山道が中央高速道路に沿うように神坂峠で国境をこえて木曽山地の東側にルートをとるのに対して、後の中山道では馬籠、妻籠を経て木曽山地の西側を北上する。

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中津川SA

 残暑が予想される良い天気なので、朝6時に家を出発して中央高速道路を中津川ICまで一気走り。もう少しで終わっちゃう夏休み期間だから子供連れのマイカーが多い気がする。SAでおにぎりと飲み物を手に入れて、峠で食べよう。

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神坂峠(東山道)と大平街道

 これまで集めた情報では神坂峠は抜けることが出来ないと聞いているので、美濃、信濃いずれからもアプローチすることになりそう。まず中津川から東山道に入って神坂峠を目指す。お次は妻窹・馬籠を経て大平街道を東進し大平峠と越えて飯田へ。名古屋への帰路では、園原を経由して神坂峠を信濃側から登ってみる作戦。

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恵那山
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神坂峠(美濃側)

 中津川の市街をすぎて国道19号線を北に向かう。山麓を流れる落合川を上流に求めてゆけば自然と神坂峠に至る。国道から午前の太陽に照らされて恵那山が逆光の元、シルエットをみせる。

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 クアリゾート湯舟沢を横目に落合川の上流をめざす。やがて霧ヶ原というなだらかな台地を越え、古代東山道と交差しながら峠を越えてゆくこの道は林道大谷霧ヶ原線と呼ばれる。途中には比叡山延暦寺に由来する史跡と施設があって、道案内の良い目安になる。

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広済院遺跡

 奈良平安時代の東山道は往来の激しい幹線で、東に向かう旅人は最難関のこの神坂峠を越えなくてはならなかった。比叡山延暦寺を建てて天台宗の開祖となった最澄も東へ布教に行く際にこの東山道を越えていった。その体験から最澄は峠の急峻さや命を落とす旅人達のために、日本初の救護所となる無料宿泊所を神坂峠をはさんで美濃側、信濃側の2カ所に作った。その美濃側にあったとされる「広済院」の跡が残っている。

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延暦寺広済寮(特養)

 東山道の街道沿いにある延暦寺の名称が付いた特別養護老人ホーム「広済寮」。古から延暦寺関連の施設だったから、滋賀県比叡山延暦寺の飛び地になってるとか、いないとか。

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強清水(こわしみず)

 ところどころ、古代東山道の小径と交差しながら、林道はやがて集落を外れ、うっそうとした植林の中をクネクネと上がってゆく。
途中には古来から旅人を支えてきた水飲み場がある。水口からどうどうと流れる清水は冷たいことこの上なし、顔をざぶざぶ、メットも洗わせてもらう。水に冷やされたシールドがすぐに曇ってしまうくらい、キンキンに冷えている。

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水またぎ

 峠までもうすこしというちょっとした拓けた場所に「水またぎ」と記されていた。水の補給場所だったり、関所が置かれたりしたようだ。変わった名前。

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神坂峠(美濃側)

 麓のクアハウス湯舟沢から舗装林道を走ること15kmでついに頂上の神坂峠に到着。素晴らしい峠道がたくさん紹介されているWebサイト「旅と峠」でこの峠を知って以来、やっと来ることが出来た。登ってきた美濃側を望むと奥には加子母の山々、中津川の市街、そして手前には山肌を縫うように林道が見渡せる。名古屋はこの日も38度近くあったそうだが、標高1600m近いこの地は、まちがいなく涼しい。稜線を越えてゆく風はメッシュのウエアを気持ちよくぬけていく。

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神坂峠(信濃側)

 峠の東側はぐいっと展望が開けて気分爽快、天竜川をはさんで遠くには南アルプスや伊奈の山々が連なっている。丁度この正面あたりに小生の好きな遠山郷や地蔵峠などがあるはずだ。


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林道大原霧ヶ原線 美濃側ゲート

 峠から稜線の左右に道が続いている。林道の本線は右に折れ、爽快な景色を見せながら尾根づたいに高度を下げてゆく。途中には通行止めの案内あり、しかし道は続いていており「ひょっとして」なんて期待したが、本道の林道にあえなくゲートが現れて終点となる。左は隣接するスキー場へ続く道で関係者以外立ち入り禁止。

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萬岳荘

 行き止まりを折り返して北に向かい突き当たるのが山荘の萬岳荘。ここは恵那山トンネルの真上に御坂山の頂に近い場所で、ここから歩いて稜線に出ると富士見台高原、周囲の山並みが一望できる爽快な景色らしい。富士見台というからには「富士山」が見えるようにも思えるが、どうも違うらしい。歩いて行っていないので、すべて受け売り・・・。

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神坂峠

 切り通しになった林道の神坂峠からすこし歩けば、古道東山道の神坂峠。この日は美濃側から稜線近くで雲がわき上がり、速い流れで峠を乗り越してゆく。静かな峠、ここを1200年前から人が行き交ってきたのかと思うと不思議な気分、草の上に座ってちぎれ飛ぶ雲を眺めていた。

峠までは来ることができるが車両では信濃側に抜けることは出来ないことを確認。一旦同じ道を下って信濃側から再突入。

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神坂峠(信濃側)

 中津川の湯舟沢まで降りて、大平街道で飯田に出てぐるりと園原に迂回、神坂峠を信濃側から探求を開始。林道大原霧ヶ原線はゲートで信濃側で閉鎖されているけど、道路そのものは通じていることが予想され行けるところまで走ってみる。

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林道大原霧ヶ原線 信濃側ゲート

 東山道への取り付き分岐を通り過ぎて本谷川沿いに上流を目指す。林道の始点にはこの先通行止めの案内があるのを確認しつつ、さらに峠に向けて走ると数キロ先でゲートが登場。道路はつながっているのに通さないのはよほど災害が多いのか、峠を越える輩を制限したいのか、この林道が神坂峠を繋いでいることは知ることが出来た。
 どちらのゲートも「脇が甘い」。自転車はもちろん、セローでも、崩落などの災害で無ければ抜けられそうな雰囲気だ。でも「よい子は決して突破しないように」。

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 園原ICからすぐの所で東山道への分岐がある。古代歴史ブームが一部にはあるのか、それっぽい観光の幟が一杯並んでいる。隣接するスキー場もオフシーズンではあるが、「ナイトツアー」として環境庁が評する「星が最も美しく見える場所」で夜空の観察をするイベントをやってるようだ。そんなこんなで週末はマイカーでそれなりに賑わっていた。東山道・園原ビジターセンター はゝき木館は、東山道を紹介した施設で、さらっと学習するにはよい。



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広拯院(月見堂)

 山肌の集落を道はくねくね登ってゆき、美濃側の広済院に対峙する信濃側の広拯院に到着。本来の建物はとっくに無くなっていてその跡地に「月見堂」が建っている。ここに古代の旅人達が休息できる施設があったわけだ。

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暮白の滝 滝見台

 集落を外れると渓谷にそそりたつ滝見台があった。この下にある滝がよく見える場所、ここから願いを込めて「陶板」を投げるようで、どこかの観光地にありそうな。近年観光目的で作られたようだった。

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 古代東山道にそって、神坂峠をめざしてどんどん林道をのぼってゆく。神坂神社も通り越し園原川に沿ったグラベルを2kmほど進むとついに車両の通行を拒むゲートが出現。ここが信濃側の終点だった。男性一人がもくもくと古代東山道を登る姿を見かけたが、羨ましい気がした。小生がバイクで駆け上がってしまうところを、自分の足でてくてくと森林の中を進んでゆくのは格好いい。
 ゲートの前でプチ休憩をする。木漏れ日の林道にうつる相棒のセローは未舗装の林道や周囲の緑に溶け込んでいるようにも思えた。25周年記念のカモフラージュデザインが面白い。

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古代東山道

 林道からは古代東山道の小径が続く。すこしだけ下ってみたがゴロゴロした石でとても歩きにくい。不安定な登り降りではトレッキングポールがないと辛いねえ。小径は林の下草の中をうねって続いている。ここから峠まで3時間ほどかかるそうだが、大変だ〜。バイクの格好では無理。

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神坂神社

 底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命の三柱の神を祭り、いつに時代からあるかは不詳。住吉様とも称される神社で、筑前国を本拠とする安曇族が当地に移住したともいわれる。住吉様は航海の神、漁業の神、海洋神であって、この険峻な峠に祭られたのはなぜだろう。山道を旅するのも、海原を航海するのも同じともいえるが。
 雲のうえに社殿が建ってるようなきつい石段の横には、斜めにそびえ立つ巨木がある。林の中で時折日差しがさす境内は、なるほど静かで神の領域と思える。石段の左手には奥に続く小径は古代の東山道で、神代の頃からここを人が難儀をして峠越えをしていたんだ。

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謎のコンクリート施設

 神坂神社の手前、園原川沿いに怪しいコンクリート施設を発見。パッと見では排気塔のようで、作られたのも最近では無さそう。トンネルの排気塔であれば恵那山トンネルとなるが、ここからトンネルまで随分と距離が離れている。どのような施設なのか調べたけど「謎」だった。

大平街道 木曽峠に続く



by akane8150 | 2018-08-28 20:50 | Motorcycles | Comments(6)

RZ250改 10 その3 島津越え 地蔵峠 杉 保月 五僧


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霊仙山

 早朝に名古屋の自宅を出て、敦賀、小浜、京北と走り、彦根近くまで戻ってきた。目前の養老、鈴鹿の山を越えれば名古屋も近い。霊仙山はなだらかな頂きを見せて周囲の最高峰の姿を見せている。

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多度大社

 方角を頼りに多度大社を目指していたら、いつの間にか、参道街道に入り込んでお社の前に到着。鳥居前の糸切り餅などのお店はすっかり閉店して静かだ。ちゃちゃっと、手を合わせてお参りした。


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上石津多賀線(島津越え)


 さてさて、大好きな多賀のお山に入る。東から西へ抜けることが多いので、今回のように多度側から登るのは新鮮。関ヶ原の戦いに敗れた島津義弘が、命からがら逃れた裏街道がこの上石津多賀線で、いわれから「島津越え」とも呼ばれる。

 西軍の将として西軍の本陣 石田三成軍の横に山を背負って陣取った島津義弘は、小早川秀秋の行動によって戦いの大勢が決したのを見て自らの進退を決し、雄略知略をもって徳川家康の本陣前を駆け抜け、活路を牧田路から西伊勢街道(現在の国道365号の旧道)にとって背進しました。
 島津軍約1500名は、井伊直政や本多忠勝らの精鋭に追撃され、上石津の地に到着した頃は約200名、義弘の甥・島津豊久は重症を負って多良まで辿り着きましたが自刃しました。豊久の位牌を祀る瑠璃光禅寺は、西伊勢街道の勝地峠を越えて山間道を進んだ上多良樫原地区にあり、近くのカリン藪と呼ばれる地に豊久公墳墓之地碑があります。
 島津義弘らは、多良から時山、江州の保月の山道を経て、水口~信楽~上野を経由し大阪城で人質となっていた義弘夫人らを救出して、堺より海路で兄島津義久の居城 大隈に辿り着いたのは10月3日、関ケ原の敗戦から18日目でした。その時の生還者はわずか80名ほどと言われています。
 琳光寺(上石津町牧田)には、背進の殿をつとめて戦死した国家老阿多長寿院盛敦の墓が子孫によって建立され、その周囲には戦死者18名の自然石の墓標があります。宝暦治水の折、この戦いに参加した島津の子孫たちは、治水工事の合間に小さな石造りの五輪塔を作り、先祖の供養をしたと伝えられています。
国土交通省HPより

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多度町 来栖

 多度大社のあたりから、「河内の風穴」の案内にそって山あいに入ってゆく。程なく右手の橋を渡る分岐部が島津越えの始まりだ。このふもとの集落「来栖」を過ぎてしまうと、山の向こうの岐阜県時山まで人の住む集落はない。

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調宮大明神神社

 杉坂、集落杉にいたる来栖の入り口には大きな鳥居があって、調宮大明神神社(ととのみや)がある。近くの多賀大社の奥の院ともよばれ、歴史のあるお宮。杉の古木に囲まれて、苔むした大きな磐が控えて、とてもひっそりと鎮座していた。

 創祀年代不詳。社伝によれば多賀の大神が杉坂山に降臨なされ、更に栗栖の里にしばし休まれたという。その後大神は多賀の宮に移られた。当社は多賀大社の元宮といわれ、現在も多賀大社の御旅所として、4月22日古例大祭。11月15日の大宮祭には本社のご神幸がある。明治10年村社に列せられる。
滋賀県神社庁HPより

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杉坂

 ほぼ1車線しかない狭い山道。タイヤを乗っけたら大変な事になるけど、わだち以外はみどりの苔で被われて眺める分にはキレイだ。来栖から峠まで標高差は500mほど、低いギアでのんびり上がってきたら、白煙がすごいことになっている。
 この狭いところで上から降りてきた2台のクルマをやり過ごす羽目になった。本来優先されるべき上りなのに、譲る気もなくどんどん降りてくる。。。 小生は足をばたばたさせて、ガードレールのない谷側の路肩一杯にバックで寄せる。週末に集落にやってきた元住人の人たちだろう。「そこのけ、そこのけ」って雰囲気ありありで、どうよって感じ。

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多賀神木
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三本杉(日本観光振興協会から)

 峠のすぐ手前に古びた石の標示。この先の斜面には、多賀の神木「三本杉」という巨木が鎮座している。イザナギの大神が天から降り地面に刺した箸が成長したと言われる県下最大級の杉だ。
 イザナギは国作りのあとに「淡路島」に降り立ったとされるのが通念であるが、この杉坂こそが天地降臨の場所とする伝説が残されている。


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廃村 杉

 杉坂をクネクネ道をのぼり、三本杉も通り過ぎると猫の額ほどの平地が現れる。「杉」の集落はいつ頃から存在するのか不明であるが、神代以前の歴史をもつ多度大社や来栖の調宮大明神神社と関わってきた集落だから、かなりの古さだろう。明治の頃には18戸、74名の人口があったそうな、昭和48年頃に一人もいなくなって廃村となる。廃村となって40年も過ぎているが、点在する家屋は未だ朽ちずに残っているものもある。今も住人が手を入れているからにほかならない。


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 簡易舗装は路肩の境界もあやしく、クルマのタイヤが踏まない所は、雑草や苔で被われる。クルマの往来が残っているからなんとかこの状態でいれるけど、クルマも入らなくなるようになれば一気に草ぼうぼうの自然の姿に戻るのだろう。


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高室林道

杉の集落を過ぎてちょっと開けたところに分岐がある、ピストン林道の高室林道は未舗装のグラベル。行く先では幾つか分岐があるが、林の中で展望はきかない。

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オフロードワールド保月

 林を伐採した後にバイクには面白そうなコースが出来ている。彦根の溝口オートさんが管理しているオフロードコース。ジャンプやバンクコーナーなどなさげで、どちらかというとトライアルコースのようにも見える。こういったコースを管理、整備するのは大変なことだ、ぜひ走ってみたい人は必ず連絡を入れて許可を得てからにして欲しい。セローでトコトコ走ったら楽しそうだ。

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地蔵峠 地蔵堂

 さらに苔むした道は杉林の中を上がってゆく、すると杉の巨木が柱のようにそそり立っている地蔵峠に到着。この地域で最も古いのではないかと言われ、樹齢は1000年ほど。手前に2本、後ろに根元から枝分かれしたものが1本、どっしりと生えている。その間には立派な地蔵堂があり、伝承では「乳地蔵」と呼ばれていた。母乳の出の悪い産褥の女性から信仰を集めていたそうだ。
 それにしても、峠周囲の雰囲気とこの杉の巨木、地蔵堂の醸し出すオーラーは背筋がぞくぞくするくらい何かしらの力を感じる。宮崎駿がここを取材していたら、きっとアニメのワンシーンに使っていたのではないだろうか。この島津越えの街道の中でも小生にはハイライトな場所だ。
 ちなみにこの巨木は「薩摩杉」と呼ばれ、追いかけてくる徳川勢から保月の村人による道案のおかげで、九死に一生を得た薩摩藩から保月の集落が後に授かったものとも言われている。

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廃村 保月

 穏やかな峠を越えると夕日に照らされた保月の集落に到着。ここは近隣で最も大きな集落で、明治の初めには戸数65、人口300人の相当規模であった。立派な鐘楼を備えたお寺さんや今にも人が出てきそうな家屋が残っている。昭和51年から廃村となりすでに40年以上、小学校や旅館、郵便局まで備わっていたとは思えないほどの静けさで今に至っている。
 このように当時の姿が残っている訳は、住人だった方々が今も定期的に手を入れたり、一時的に生活したりしているからだと聞く。それにしても保月とはとても風流な地名だ、「回りの山の端に残る月を見る」意味から「月を保つ」、保月(ほうげつ)の地名が生まれたという説もあるようだ。名付けた昔の人はよほど風雅な資質を持っていたんだろうと思う。

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アカハギ谷林道

 保月の集落を出ると道は一転し深い渓谷に沿って下り出す。左手には権現谷の先に霊仙山の頂が夕刻の近づいた逆光の中に見えてくる。1つ沢を乗り越えて先日まで通行止めの原因となっていた崩落跡を過ぎ、権現谷の川まで降りてきた。この区間はアカハギ谷林道とも言われる。その昔、山伏に化けたタヌキの皮を朝早く剥いたことによるそうだ、、、かなりエグイ伝承だ。朝方に捕った獲物の皮を剥ぐのには、タブーだったんだろうか、きっと「朝」であったことが問題だったに違いない。

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廃村 五僧
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五僧峠

 島津越え、最後の峠に向かって西進する。五僧への上り道の法面は石灰岩で出来ているためか崩れやすく大小様々な落石でいっぱい。フロントタイヤでも乗っけてしまえばすぐに転倒、クルマもサイドウオールを傷つけたら修理も出来ないようなパンクになりかねない。法面の補強をすればいいのかもしれないが、交通量の少ないこの山奥には無理なのか。道路を塞ぐような災害があっても、ブルドーザーで谷間に落としてしまえばそれはそれで良いのかも。
 登り切ったところが五僧峠、朽ちかけた廃屋が残っている。数年前まで見かけた廃屋はいつの間にか平らに押しつぶされて姿も見えない。冬期間の積雪が昔の人たちの生業も元の自然に還しているかのようだ。

 この五僧峠を含め、走ってきた島津越えは、古代からの美濃地方と近江をつなぐ商いの道、さらには伊勢神宮と多賀神社に詣でる人たちの交通の要所でもあった。長い年月を経た現在でもこの旧道は小生の興味を引きつける。廃村になって人の気配が薄れたからこそ、いまも当時の姿を残せているのかもしれない。季節がやってくると離村に人知れず咲き誇る「桜」「シャゲ」「彼岸花」「モミジ」など人里の名残を味わうのも愛おしい。

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五僧の送電線

 峠を下りてくると谷を走る送電線が近接して見えてくる。日頃、高圧線は遙か頭上を走るモノなのでとても珍しい。鉄塔の大きさからみると100~200キロボルトくらいだろうか、送電線に取り付けられたオタマジャクシのようなねじれ防止ダンパーも大きくよく見える。500キロボルト級ともなれば、近寄ると「ブーン」ってうなり音が聞こえることも。

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上石津町 時山

 来栖から峠を幾つか越えて、人里に降りてくると時山の集落。人里に降りてきたことでホッとする。バス停のベンチでダベリング中のおばあちゃん達の訝しい視線を感じながら、バイクを停めて今日最後の写真を1枚。夕日を浴びてまだ明るいが、午後6時を優に過ぎていた。なんとか日没までには帰宅したかったが、まだまだ自宅までは80kmは残っている。今日はちょいと走りすぎたか。

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「鈴鹿の山と谷」 

 多賀の山奥に細々とした道と名前も書かれていない集落があるのを知ってからは、小生は随分とこの地に足を運んでいる。自然と人の生活が微妙にバランスを取っていた時代が今もそのまま残されていて、歴史が好きで山が好きな小生のツボにはまっているのだろう。そのような中で、ブログでつながっている先達の情報やネットで調べていると「鈴鹿の山と谷」という山岳本に出会った。とても緻密に筆者の足でつづられた山岳ガイドは、山行のみならず集落の歴史やそこに住む人たちの生活までも取り上げていて、とても充実した内容だ。多賀の山々を始め、鈴鹿山脈一帯の山行バイブルだろう。



by akane8150 | 2018-07-29 23:00 | Motorcycles | Comments(4)

RZ250改 10 その2 小浜 旧古河家別邸 堀越峠 R477百井別れ



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エンゼルライン

有料の三方五湖のレインボーラインに比べると今ひとつだけど、無料化されたエンゼルラインも高所から海を見渡せて気分がいいところ。手入れが途絶えて路面が相当に荒れてしまってはいるが、バイクでクネクネを登ってゆくと、小浜の町並みや常神半島が手に取るようによく見える。頂上のひろーい駐車場が閉鎖されてしまっているのが残念。なにか問題でもあったんだろうか。

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小浜 旧古河家別邸 

 今日の最大の目的地。小生はこの古河家とは縁故があって、以前から訪れていた。手入れがされなくなって7,8年が過ぎた。残念なことに3年前に訪れた時よりもさらに建物が傷んでいた。木塀は倒れかけ、瓦はずれ、剥がれた木壁が痛々しい。すばらしい庭園も雑草に埋め尽くされ、石灯籠も崩れてしまっていた。

 若狭小浜の海の雄、古河屋は松前の海産物や東北・北陸の米等を小浜へ、そして京阪へ集散する回船問屋を本業とし、酒、醤油の醸造、金融業を兼業し、藩の御用達をつとめる豪商であった。
 この建物並びに庭園の築造は、古河屋の全盛時代のものであって、文化12年(1815)で5代目古河屋嘉太夫の時である。式台から杉戸をあけると書院は2室からなっていて、床の壁は貼付壁画で、襖絵、杉戸絵、地袋の絵は狩野一門のものである。建築材料は天井を始め障子の棧に至るまで杉の柾目で、柱全部が杉の四方柾を使用している。建築様式の特異な点は、庭を広く見せるために緑の角にあるべき柱が取除かれていることで、これは高度の建築設計によるもので現代でも珍しいものである。
 庭園は小浜藩主お成りのために築庭されたもので、若王子山を借景として蓬莱式書院庭園で、大小の松の多いところから護松園とも云われている。この庭園は藩主を迎えるにふさわしい風雅にして格式ある庭園で、当時の豪商の面目躍如たるものがある。

「ホームページ 若狭小浜の デジタル文化財より」

 築200年にもなる木造建築と庭園、しっかりと整備されていれば、観光に訪れる人たちの目にもとまるだろう。なんといっても北国回船の歴史遺産がほとんど残されていない現状において、この別邸は小浜の貴重な観光資源となるだろう。


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旧古河家本宅 (元 料理旅館 福喜)

 江戸時代後期、古河屋は貧窮する福井藩の財政を支えながら商いを続けたが、明治維新と共にその船をすべて失う現実に直面した。そして豪商の生活も明治・大正の近代化の中に埋もれていった。この立派な木造3階建ての本宅も別邸も、戦後に地元の料理旅館が管理することになる。しかし、その後、料理旅館の経営は行き詰まり、2015年頃に廃業してしまった。
 県の指定有形文化財であるにもかかわらず、廃業後の手入れをされなくなった本宅はもちろん、貴重な別邸も放置されている。傷んだ家屋や庭を見るのは忍びないし、これを元に戻すのには莫大な費用と労力を要するだろう。どうか現所有者と福井県で取り組んで、江戸時代に栄華をつくした「廻船問屋 古河屋」の貴重な遺産を後世に残してもらいたい。

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小浜 こだま食堂
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カツ玉丼
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玉砕した名物わらじカツ丼

 小浜港にあるB級グルメの定食屋さん。いつの頃から起業しているのかしらないけど、この界隈のツーリングライダーには知られたところらしい。生憎、小生は最近知ったばかり、名物の「わらじカツ丼」に挑戦したが、インパクトに圧倒されて敢えなく残してしまった。今回はその轍を踏まえて、単品で普通サイズの「カツ玉丼」を頂いた。
 取り立てて美味しいわけじゃなくって、お肉は薄めでごく普通のカツ丼だ。この店の売りは、面白いほどのメニューの多さとボリューム、お値打ちさだろう。名古屋のカツ丼は標準で玉子がとじられているが、他の地域だとキャベツが刻まれていたり、ソースだけがかかっていたりと、場所によってカツ丼も様々だ。

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小浜 マーメイド・テラス

 小浜の町並みに面した海岸線はきれいな砂浜、遊歩道が続く。夕日がきれいなこの遊歩道に人魚の像がおかれている。そのわけは。。。800才で死ぬまで美白で二十歳前の容貌だった八百比丘尼(やおびくに)の伝承がこの地に残っているからだ。八百比丘尼は全国に伝説を残してこの小浜で入定したと言われる。それにしても、食べられてしまった人魚の像をかざるってのは、どうよ?って。

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堀越トンネル

 小浜での用件を済ませて正午、まだまだ日は高いので、R162号で南に下って京北から琵琶湖、多賀というコースとした。小浜から堀越トンネルまでは信号も少なく、車の流れも速めでゆったりとしたカーブが続く。途中の名田庄の道の駅をやり過ごして、程なく堀越トンネルに到着。若狭国から丹後国への境界にあるこの峠は古くから栄えた街道だった。

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堀越峠 旧道入り口(京都側)

 ひんやりとした堀越トンネルをでると京都府。旧道への分岐部がその先にある。かねてから通ってみたかった旧道に挑戦しようと思っていたが、なんと!、閉鎖されていた。ありゃ〜残念。

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堀越峠 旧道

 この堀越峠に車道が通るようになったのは、昭和26年で若狭と京都が車道で繋がった。その名の通り、峠は掘って越えたと書くくらいの切り通しになっているようだ。調べてみると数年前まではなんとか通り抜けることが出来たようだが、昨年の秋以来通行止めになっているらしい。行く事が出来ないと分かるとますます行きたくなってしまう。ぜひ、情報を集めて堀越峠越えにチャレンジしたい!。

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旧旧堀越峠入り口
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昭和2年 堀越峠

 人道しか通っていなかった頃の堀越峠のルートは旧国道とは異なったルートであった。堀越トンネル京都側出口には、道しるべが立っていて、この左側の沢を登ってゆくと旧堀越峠に到着するようだ。これも趣がある旧道のようで興味がわく。

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道の駅 美山

 愛知でいうと稲武のどんぐりのように、このあたりでは沢山バイクがやってくる道の駅 美山。さすがに平日だとバイクもちらほらで、日曜なら行列の出来るソフト屋さんもすぐに注文出来てしまう。地元の警察が作ったモノなのか、南丹警察と書かれた乳牛型カウル付きバイク(^^) 牛の目の玉のヘッドライトがまたかわいい。こんなカウリングが売られていたら、しゃれっぽくて面白いのに。

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R162号

 美山の道の駅から京都方面に向かう下りの道も気分がいい。このあたりは杉の植林が進んでいて天然林が残っていない人工林、整然と背の高い杉に囲まれて日差しも届かない森林浴だ。

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国道477号

 井戸峠を経て、R477号で東に向かう。国道ではあるが、すれ違うことが困難な溢路が続くことで知られている。昔からの道が国道に格上げされただけで、拡張もされていないのが現状だ。自然保護の面などで制約などがあるのだろうか。

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常照皇寺
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紅葉の常照皇寺(NAVAERより)

 今回、たまたま道を間違えてたどり着いたお寺。山門に風情があって、本堂にいたる石段がうっそうとして美しい。常照皇寺は北朝の初代天皇、光厳天皇が都の政争を避けて京北の山国に開いた臨済宗の名刹。「九重桜」「左近桜」「御車返し」の名で知られる桜、京都でも別格といわれるほどの紅葉は素晴らしいようだ。NAVAERさんの紅葉写真は、この山門の秋の姿を教えてくれる。

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R477号 花脊峠
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R477号 花脊峠 鞍馬側

 花脊峠(はなせ)は京都と若狭をつなぐ古来からの「鞍馬街道」の峠で、前後の上り下りは「人道」を広げて作っただけじゃないかと思うくらいRのきついカーブや急坂が続く。谷を覗けば、先に自分が走る道が真下に見える。こんな所はRZのお得意の場所で楽しい。もしも、GLサイドカーで走っていたらすっかり握力を失ってしまうだろう。この坂を下りきったらもう京都の鞍馬寺だ。

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R477号 百井別れ

 ここが酷道477号でも有名な「百井別れ」、花脊峠から下ってくるとほぼ180度転回しながら向きを変え、斜面にへばりつくような細い1車線の下り坂で百井峠へと向かう。直前の道路標識を見ていても見落としやすく、国道として考えたら「あり得ない」分岐だ。この日は鞍馬への通行止めで、道路閉鎖をしていたガードマンに聞いてみると、地元民の軽自動車なら切り返さずに「一発で」廻ってゆくとのこと。まさにその直後、上から降りてきた軽自動車は道幅いっぱいをつかって回りきって抜けていった。
 このあたりの山道は、斜度が大きいのでカーブはほとんどがきついヘアピンばかり。この百井別れも内側の杉を何本か切ったところで、高低差がありすぎて道路にすることが出来ないのだろう。でも、これって、国道だから話題になるわけで、林道や市道などであれば見かける分岐のようにも思える。

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R477号 百井峠

 百井別れから百井峠あたりが、R477でも最も狭いところ、また最も路面が荒れているところ。クルマでの離合は無理だしバイク同士でもスピードを下げたくなる。舗装がとことん痛んでいて、ひび割れ、プチ陥没などなど、なぜ補修しないのか不思議なくらいだ。国道なんだから予算がないとか、無理とか、そんな理由もないと思うが。
 それでも、ゆるやかな百井峠には、姿を失いかけたふるーいお地蔵さんが新しい花を添えられて佇んでいた。足下にはきれいなコケの絨毯がひかれ、背景には木の根っこの深そうな「洞」が開いている。峠をかざるお地蔵さん達の中でも、とっても美しいお姿だ。

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大原百井町

 ここまで降りてくると「琵琶湖大橋」なんて、ひと安心する道路標識が出てくる。今日は通行止めになっているが、これを北にとれば朽木に至る。今日は道なりに山をおりて「途中」を抜けて琵琶湖大橋を渡った。

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琵琶湖

 琵琶湖大橋を渡ってすぐに左折、強い西日を浴びながら湖岸道路を北に走る。交通量は多いけど、信号が少ない分、クルマの流れは順調で彦根をめざしてもくもくと走る。琵琶湖の向こうにはずーっと比良山地の峰が続いている。今日はあの向こうの山の中を走ってきたんだ。

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宇曽川から望む霊仙山

 さて、ここまできたらどうやって名古屋に帰ろうか。午後3時、おそろしく暑い中、まだ日はあるだろうから「涼しい」であろう多賀のお山を抜けてみようかと「やる気」が出てきた。東に見えるは、多賀の廃村を抱える霊峰「霊仙山」、あの麓をめざして走る。

その3に続く




by akane8150 | 2018-07-21 20:30 | Motorcycles | Comments(4)

RZ250改 10 その1 柳ヶ瀬トンネル 敦賀 高速増殖炉もんじゅ 



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RZ250改

 さて、梅雨も明けてお休みの金曜がやってきた。暑いさなか、どこに繰り出そうと思案してると、小浜の旧古河家がどうなってるか見に行こうと思いたつ。ここは小生にも縁のあるところで、建物や周囲の現状が気になっていたのだ。

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 今日も35℃以上の夏日が予想される。このまえGLサイドカーで走ったら、エンジンの熱気で脛に2度の熱傷をしてしまった。冬場は快適なGLも熱気が下半身にとどまり、上体もシールドで完全にプロテクトされて夏場はライダーにとても辛い。MT-01も股ぐらの1700cc空冷エンジンはたき火をしているようで、これもクソ暑い。その点セローはエンジンの暑さには無縁だけど、長距離移動は辛いだけ。消去法で今回の伴侶はRZに決まり。水冷のRZは足下は暑くはなるが、排気量が小さいせいか全然暑さにも耐えられる。

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伊吹山

 早朝に自宅を出発、名神高速道路で関ヶ原まで走って時間を稼ぐ。さらに時短するなら高速でそのまま木之本あたりまで走るのだが、幸い薄曇りの天気でのんびりと伊吹山を眺めながらと、関ヶ原ICで下道に降りる。ここから木之本までは、R365号にのっかって行けば良いけど、小生は信号を嫌って一本北側を走る農道(坂浅東部広域農道)を使うことが常套だ。伊吹山の最もふもとをノンストップでかなりの距離を稼ぐことが出来る。途中には道の駅もあって利便よし。ただし、その道の駅の近傍、西行きの直線路では「ネズミ取り」をやってることに注意が必要。

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木之本迂回路

 快適な農道もやがてはR365号に合流して木之本を目指す。敦賀に向かうのであれば、木之本周囲の市街を避けるためにも小生は街の東側を迂回する事が多い。高時川にそってr332号、r285号、r284号と走って、信号の無い田舎道を走って木之本の北側でR365に合流する。

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滋賀県道332号

 この脇道に入ると、まずは水田の中の直線路となる。これがなかなか気分のよい道で途中にはクランク状のカーブもあったりと好きな道だ。坂内に向かうR303号の交差点には、日曜も開いている貴重なガソリンスタンドもあり重宝する。その先は高時川にそって峡谷の中を進み、パターゴルフに勤しんでいる地元の人たちを横目で見ながら、余呉湖の北で国道に合流する。

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旧北陸本線 中之郷駅跡

 R365もまっすぐに伸びて気持ちの良いコース、その途中に鉄道駅のホームらしき遺構と駅名が残っている。このR365に沿ってを旧北陸本線が走っていた証だ。

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 大正15年に当時日本最長の柳が瀬トンネルが開通するに至って、東海・関西と敦賀が鉄道で結ばれる。そして西側に現在の北陸本線が出来る昭和32年までは、このルートが日本海と太平洋を繋ぐ動脈となった。

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昭和7年 1/50000地図

 古地図では手前の柳ヶ瀬の街から刀根にぬける山道が描かれている。昭和7年の頃は、まだまだこの刀根経由が北陸本線のルートであり、近隣の駅にも賑やかさがあったんだろう。しかしこの刀根越には車道が引かれたことはなく、すでに現在のR8の塩津街道が車道として使われていたようだ。

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柳ヶ瀬集落

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刀根越

 当時の地図を探してみると、鉄道はトンネルを介して県境をこえるが、人道は昔のままの山越えであった。それが「刀根越」、柳ヶ瀬の集落からの道筋が描かれている。RZなら多少の林道も怖くない。今日はその人道をいけるだけ行ってみた。しかし数百メートル走ったところで、沢から外れて尾伝いの山道となり、残念ながらRZはここまで。

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柳ヶ瀬トンネル(滋賀側)

 ふたたび県道に戻って、柳ヶ瀬トンネルの入り口に到着。交互通行の信号は6分30秒間隔で、ラジオ体操ができるくらい待ち時間が長い。明治時代に開通した単線のトンネルは現代の規格と比べると狭くて低い。それにしても明治15年に出来てから、列車からクルマまで100年以上に渡って現役で活躍してるトンネルはとても貴重なものだ。

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 トンネル内は照明は少しだけ、RZの暗いハロゲンランプでは役不足だ。途中には2個所離合できる広さが確保されているが、現在は入り口信号で交通整理されているので鉢合わせになることはない。1300mのながーいトンネル内は、すっかり涼しくってトンネルを出たらカメラのレンズが結露してしまった。
 急坂のためこのトンネルの中で蒸気機関車が空転し立ち往生、その煙で機関手達が死亡したという痛ましい事故も、このトンネルを迂回する路線を作るきっかけになった。

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柳ヶ瀬トンネル(福井側)

 福井県側にでると刀根越の道が現れる。以前は小さな案内板であったのに、いつしか新しくりっぱな「玄蕃尾城址」への案内が出来ていた。先ほど確認した刀根越えの反対側が気になって、沢の道を上がってゆく。これも古来の越前と京を結ぶ鯖街道のひとつ。

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玄蕃尾城址登山道

 数キロの簡易舗装を上がってゆくと、道はやがて尾根の手前にさしかかりそこでクルマ止めとなる。歩道はつづら折れでさらに登ってゆき、峰にある玄蕃尾城址まで続いている。さらにその先は先ほどバイクで訪れた柳ヶ瀬集落だ。気候の良い頃に歩いてこの刀根越えをするのも気分がいいだろうな。

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スーパーオートルーブ

 国道8号線に出て敦賀市内を目指していると、「OIL」警光灯がぱっかりと点灯。途中で補給が必要そうだったので、シートバックの中には1L缶を積んであった。RZのオイルタンクは1.5L位は入るのだろう。警告灯がつくと「1L」はすっかり飲み込んでほぼ満タンとなる。再びOIL警光灯がつくのは400~500km先で、小生のRZはオイルをよく食う。

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金ヶ崎城(金崎宮入り口)

 8号線のバイパスで敦賀インターを通り越し、敦賀港に到着、最初に寄ったのは敦賀の港に隣接する「金ヶ崎城」。織田信長が挟み撃ちに遭いそうになり、秀吉を殿としてこの金ガ崎から撤退してピンチをしのいだ。駐車場から城址までこれまた歩かなくてはいけない。。。お山の上がどうなってるか見てみたいのだけど、このくそ熱い真夏日にバイクの格好で石段を上がる意気地無し。


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敦賀 赤れんが倉庫

 敦賀の港には、以前に派無かったようなおしゃれな立ち寄り場所が整備されていた。昔からの倉庫がレストランやジオラマなどを含んだレジャースポットになっている。模型に目がない小生は、次回じっくりと訪れてみようと思う。

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敦賀 どんと屋

 5,6年まえに新しく出来た敦賀港にある海鮮料理屋さん。小さなお店でほぼカウンターだけではあるが、美味しい海鮮丼でお値打ちとあれば、絶えず行列ができる。この日も11時前にも関わらず、もう待ち人がいた。小生はさっさと諦めて小浜まで我慢することに


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高速増殖炉もんじゅ

 国家プロジェクトである高速増殖炉もんじゅが作られて35年、数回の稼動のみでトラブル続きが原因で廃止と決まった。対費用効果で評価してしまうと恐ろしく巨額な無駄遣いをしてしまったことになろう。それでも最後まで福井県は廃止に反対していたという。

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もんじゅ専用ゲート

 岬のつきあたりのもんじゅは厳重な監視下で守られている。もんじゅに行くには専用のトンネルを通らないと行けない作りだ。帰り際にこの正面ゲートにカメラを向けただけで、気付いた警備員は大声でこちらに向かって叫んできた。写真を撮るだけで、これだけのリアクションをするのだから、ここは尋常な地域ではないことを思い知った。

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美浜原子力発電所

 美浜原子力発電所は40年前から稼動を開始した日本最初の原子力発電所らしい。原子炉は3機あるのだが、うち2機はすでに廃炉が決まって残りの1台も検査休止中。さらにこの美浜原発の近くには敦賀原子力発電所があって、まさこの敦賀半島は原子力発電所の展示会場のようだ。その敦賀原発の1号機も廃炉が決まり、この先30年近くかけて撤去されると聞く。稼働し始めた頃は、現在のように廃炉の時期がやってくることを現実にとらえていたんだろうか? 原発が稼働できるのが40年間前後、それを廃棄するのに30年前後かかってしまう手間はいかがなモノか。

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水晶浜海水浴場

 蒼く透き通った海と粒の大きめなきれいな砂浜、水晶浜はこのあたりでも有数の海水浴場だ。知多の海と比べるもなく、海水浴場としては最高だ。若い頃はクルマに仲間を乗っけて夏を楽しみにきた。まだ北陸自動車道路も整備されていなかったから、日の出前に名古屋を出発して4,5時間かけてここまでやってきた。帰りはお決まりの渋滞で、国道8号線の数珠つなぎが大変だった思い出が蘇る。

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美浜迂回路

 高速道路が出来るまで、夏場の渋滞時には信号のせいで美浜の街を抜けるだけでも大変だった。その頃から使ってる抜け道、東の坂尻交差点からすぐにトンネルに入るところが始点で、そのまま道なりに西に向かえば若狭三方IC近くまでノンストップの道が続く。

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R162号 若狭リアス式海岸

 三方五湖の道の駅からの海沿いの道は、右手に若狭の入り組んだ海岸線を見せながらの気分のよい道だ。以前の旧道はクネクネで狭く、走り応えのある海沿いの道だった。現状は快適なツーリングコースに。トンネルを幾つかやり過ごせば、小浜はもうすぐだ。



1年前にMT-01で若狭を訪れていた。


(次に続く)




by akane8150 | 2018-07-18 08:03 | Motorcycles | Comments(6)

MT-01 OS 33 ビーナスライン(表・裏) 上諏訪「宮の湯」



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 梅雨の時期に入ってしまったが、休みと晴れ間が重なった。んっじゃ、出かけましょう。思い立った先は、「ビーナスライン」、特に裏ビーナスを楽しみに午前5時半に自宅を出た。前日が夏至の日であったこともあり、日の出は4時40分!!あたりは全然明るくなっている。

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ビーナスライン(表・裏)

 ビーナスラインは名の知られた山岳観光道路だ。茅野から美ヶ原美術館までの全線開通は1981年、学生の頃に初めて来たときは、料金所ゲートが各区間にある有料道路であった。茅野から蓼科湖、スズラン峠を走る蓼科有料道路区間、大門峠から霧ヶ峰、和田峠、美ヶ原をつなぐ霧ヶ峰有料道路区間の二つを合わせてビーナスラインと呼ばれる。茅野から美ヶ原まで全線をバイクで走ると3500円ほどかかったが、2002年以降は無料開放されて現在に至る。
 美ヶ原美術館で折り返す観光客がほとんどであるが、その先を走ってゆけば、美ヶ原高原の北側に回り込む「裏ビーナスライン」と俗称の付いた県道が続いている。今回は茅野市街から裏ビーナスラインの終点、美ヶ原自然保護センターまでの約100kmを動画を撮りながら「ゆっくり」と走ってみた。

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諏訪湖(諏訪SAより)

 名古屋ICからノンストップで茅野まで走ろうとしたけど、恵那山トンネル付近の寒さに凍えてしまって阿智PAに避難した。標高が上がると気温はぐっと涼しくなって、メッシュの上下での高速道路は辛すぎた。寒すぎてそれ以降は80km定速走行のトラックに紛れてゆっくり走る。おかげで休憩を合わせると3時間もかかって諏訪湖に到着。晴天が拝めるか気になっていたが、高層雲と青空が出迎えてくれた、これなら動画も栄えるだろう。

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旧蓼科有料道路区間

 諏訪ICを降りた茅野市内では朝の通勤時間帯に居合わせてしまう。信号が変わってもなかなか前に進まないほどの混雑、すり抜けができるほどの路肩すらなくって随分と時間をロス。あれほど寒さで凍えていたのに、渋滞の信号待ち、足下からわき上がるエンジンの熱気で汗ばんでくる。ライダーは夏冬関係ないくらい環境温度の過激な環境に晒される。
 やっとのことで郊外に出るとクルマ量はグッと減って、幹線たるビーナスラインでクルマの流れは快適、順調になった。

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蓼科湖

 ゴルフ場の手前からヘルメットに装着したGoproを回し始めた。ほどなく右手に蓼科湖の駐車場が出てきた。観光ポイントだろうけど、湖というには小さいなあ。信州そばの「やまなみ」や ホテル「ハイジ」など、昔から変わらずに続いているお店も近隣にあって嬉しい。

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スズラン峠周辺

 蓼科湖を過ぎたあたりからは民家も減って山岳路になる。路肩が弱くなっていたり、アスファルトもつぎはぎだらけだったりと道路は傷んでいてバイクにはあまりよろしくない。近隣の「ピラタス蓼科」「しらかば2in 1」などのスキー場にもよく通ったものだ、いつもエスティマだったなあ。
 世俗たっぷりの白樺湖湖畔におりてくると、池の平ホテルの施設が目立つ。しかし、昔からの湖畔にならぶホテル群は随分と寂れていた。18年前にPorsche928の全国オフ会の宿泊先で利用した「白樺湖レイクサイドホテル山幸閣が気になったが、現在も建物もそのままに営業を続けているようだった。よかった、よかった。

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旧霧ヶ峰有料道路区間

 白樺湖をすぎてしばらくすると「大門峠」交差点、これより、先の牧草地となだらかな丘陵を縫うように走る「ビーナスライン」らしい区間が始まる。裏ビーナスラインという名称がもしあるとしたら、この区間はまさに表のビーナスラインと呼べるだろう。

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大門峠交差点
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ビーナスライン

 開放的な牧草地で被われた丘陵、それをゆった入りとカーブしてゆくこのあたりの景色はすばらしい。周囲が森林で被われていたらまったく違った景観になってしまうだろう。クルマを追い立てて走るのも嫌だから、車間を十分にとって見晴らしよく走る。

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八ヶ岳

 高度を上げてくると西の方角に八ヶ岳の姿が見えてくる。八ヶ岳と名が付くだけあって、山の頂はいくつもあって、ぱっと見ただけではどれが最高峰なのか、頂きの名前も分からずひとくくりで「八ヶ岳」だ。

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霧ヶ峰 S字カーブ

 ビーナスラインを走っていて特に印象に残るのがこの連続するカーブ。上りだとカーブの先がすべて「空」、下りはカーブを見渡せて向こうの山も背景となりダイナミックな景観。どちらから走っても楽しい。

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富士見台

 このような名前が付いているからには、「富士山」が見えて欲しい。正面には南アルプスの北端、左を望めば八ヶ岳の裾野の向こうに山頂を覗かせている100km以上先の富士山がはっきりと見える。信州を走っているのに富士山が見えるなんて得した気分だ。

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三峰展望台付近

 きれいに刈り取られたような牧草の山肌が美しい。前方を走るクルマと適当な車間を保ちつつ、エンジンの鼓動を感じながらノンビリ走る。ビーナスラインのほとんどの場所は、追い越し禁止のイエローラインが続く。

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美ヶ原高原美術館 道の駅


 美ヶ原の登るヘアピンカーブを幾つか越えて、大門峠から38km 所要時間45分でビーナスラインの終点「美ヶ原高原美術館」に到着。飛ばしてこなかったから時間もそれなりにかかった。せっかくの好天気、緑のお山と青い空、表情豊かな白い雲、バイクの排気音とエンジンの振動 かなりお腹いっぱいになって極楽、極楽。
 
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裏 ビーナスライン

 ビーナスラインと名称される観光道路はここまで。この先は長野県道464号となって山を下ってゆく。北から回り込む県道で美ヶ原高原に至る山岳路は、アクセスが遠いこともあってあまり知られていない。お世辞にも快走路とは言えない舗装林道ではあるが、美ヶ原自然保護センターを終点とするラスト10kmほどの高原を走る部分は1度来たら忘れられないだろう。

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 長野県道62号

 下りの464号は所により鎰路だったり、舗装の状態も悪く注意をするべき区間。展望もあまりよろしくないから、じっと耐えて走るべし。この日も平日ではあったが、観光客のクルマがそれなりに走っていてカーブをはらんでくるドライバーには気をつけなくてはいけない。
 下りきった武石観光センターの三叉路を左にとって、県道62号は再び上りに変わる。途中の武石峠の先で三叉路。美ヶ原スカイラインと名の付いたこの林道は下ってゆけば「美鈴湖」を経て松本市内に抜けることができる。

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美ヶ原高原

 森林地帯を抜けると視界の開けた高原にやってくる。頂上までつづくなだらかな斜面を適度なRを描いて道は続いている。草原にはオレンジの花が咲いていて、「レンゲツツジ」と言うそうな。とっても色彩が濃くって、群生している色合いが印象的。どうやら見頃であったようで、大勢の観光客が訪れていた。ガードレールのない伸びやかな道をゆっくりと走る、最高にき気分はよろしい。この日はオープンのZでもバイクに匹敵するような開放感が得られただろう。また、ゆっくり走るバイクの走行シーンをドローンの追走機能を使って、高所からの見下ろしで撮れたら自己満足100%のイメージが作れそう。

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北アルプスの遠望

 緩やかな尾根を道が続いて、その先にはまだ頂きに雪を残した白馬連峰がくっきり見えている。手前にはレンゲツツジの鮮やかなオレンジの帯が広がる。青い空、白い雲と対比して心に刻まれる風景。路肩にバイクを停めてぽっかりと休憩だ。



裏ビーナスライン
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美ヶ原自然保護センター

 今日の終点、クルマが入ることのできる最上部の美ヶ原自然保護センターの駐車場に到着。上田や浅間山などの蓼科から北に控える山々の端がすっきりと美しい。高層雲と青い空、完璧だ。この先は未舗装の林道で「王ヶ頭」の頂きを経て、先ほど出てきた美ヶ原高原美術館に続いている。歩けば数キロで向こう側にいけるらしい。しかしバイクでここに来るには北回りでぐるっと30kmを迂回しなくてはいけない。
 ビーナスラインの往復を予定していたので、ここから逆行して茅野の街まで戻った。茅野からビーナスラインを表・裏と往復すると約200km、6時間を要した。天気がよければ、日本屈指のすばらしい山岳路を体験できる。

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諏訪大社上社本宮

 午後2時過ぎに茅野に戻り、ひと風呂浴びようと魂胆。まずは諏訪大社上社にむかってかるーく参拝、目的の立ち寄り湯はこのすぐ近くの旧道沿いにある「宮の湯」さん。地元の人しかこない小さな銭湯で、時間が合えば使わせてもらっている。

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上諏訪温泉 宮の湯

 お風呂の看板はたったの一つ、ドアに男湯、女湯と書いてあるだけの恐ろしくシンプルな外観。これが名湯の銭湯だなんて通りがかりの人には分かるまい。水曜休み、14時くらいからお風呂は営業していて、中に入ると番台があって400円を支払う。「あんたが今日の最初だからゆっくり入ってきなさい。」、お借りしたシャンプーと石けんでごしごし。日差しの届いた明るい浴そうには、湯ノ花の浮かんだお湯が湯船から蕩々と溢れ流れている。
 すこし熱めの湯加減だが、小生にはぴったし。かすかに硫黄の香りのするお湯はつるつる感もあって名泉だ。自宅までまだ200km、あまり長湯するいけないと思ってさくっと脱衣場に戻ったら、「なんでもっとゆっくり入らないの? もったいない!」おばさんに指導を頂いた(笑)。



by akane8150 | 2018-06-28 17:57 | Motorcycles | Comments(6)

MT-01 OS 32 野麦峠 飛騨農園街道 やまびこロード



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小牧IC

 天気予報「晴れ」「降水確率0%」とあれば、梅雨前線がじりじりと北上してくる前にお出かけ、お出かけ! 梅雨に入ってしまうと当分は思うように週末バイクを楽しめなくなる。

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 今日の主目的は冬期通行止めの外れた「野麦峠」、ついでお山のクネクネ快走路でコースをつないだ。伊那地方、高山地方、奥美濃地方を反時計回りでぐるっと1周。中央高地1周とでも言えようか。
 この中央高地1周コースは小生が好きなルートで年に複数回は走るだろう。北上して郡上あたりから時計回りで走ることが多いため、今回は敢えて反時計回りを選ぶ。向きが変わるだけでも随分とツーリングの印象は変わる。

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R361号 権兵衛峠手前

 伊那ICまで160km、中央高速道ををノンストップで走りきる。気温は20℃以上あるけど早朝の高速走行は体温をどんどん奪う。上下アンダーの上にレザースーツの出で立ちですら寒さを我慢したほど。グローブもメッシュじゃ寒かろうとレイン用の厚めグローブも用意して正解だった。
 トンネルも場所によって、体で感じる気温差があって面白い。8kmを超える長さの恵那山トンネルは、「温かい」。震えた体が癒えてゆくのが分かる。隣接する2kmの網掛トンネルは、「寒い」。ライダーの取り巻く環境の寒暖差はほんとに激しいモノがある。

 伊那から権兵衛トンネルをくぐって伊那地方から木曽地方へ。手前の「交通かかし」は今日も元気にお仕事をしている。わかっちゃいるけど、通るたびに「どっきり」させられるなあ。

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伊那市お花畑(フクロナデシコ)

 権兵衛トンネルに向かう左手に鮮やかなお花畑が見えたので、国道を外れて尋ねてみることに。濃いピンクの背丈がある派手なお花。名前はさっぱり浮かんでこないが、まずは咲き誇って美しい。
 後に調べてみると「フクロナデシコ」、さらに世話をしている主のブログにもたどり着いた。5月の上旬くらいから咲き始めたようで、1ヶ月くらいで実を付けるそうな。「手入れは大変でしょうが、ぜひまた来年も見させてください。」


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境峠

 4.5kmの権兵衛トンネルをさくっと通り越し(これは寒いトンネル)、伊那から木曽に入る。すこしだけR19号を北上し薮原の街から左に折れて県道26号線に入る。横を流れる川は「木曽川」、やがて現れる「境峠」は木曽川の源流のひとつとなり本州の分水嶺を成している。
 薮原から境峠を経て野麦峠入り口までの約20kmは、信号もなく道路も拡張されてとても気分がよい。MT-01は1500~2000回転でドコドコいいながらのんびりと走る。バイクを狙い撃ちするように、白バイがかくれんぼしていることもあるのでミラーはちゃんと見てなきゃいかん。

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県道39号 奈川野麦高根線

 突き当たる三叉路をひ左に取って野麦峠に向かう。この先が今日の目的地、野麦峠。ここから峠を挟んで高根の木曾街道までは30km、舗装路でよく整備はされているけど、民家もまばらな山奥となる。今日は妙に対向車が多い、旧道の野麦街道の石畳を団体さんが登ってゆく、峠の途中にはシャトルバスまで用意されている。。。なんだろう、

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野麦峠(乗鞍岳を望む)

 野麦峠に到着、天気は快晴で紫外線が強い、峠のむこうにはどっかっと乗鞍岳が鎮座している。峠の駐車場は制限されていて、毎度のようにお助け小屋近くまで入ることができない。今年も峠に来ることができたことに感謝しつつ、しばし休憩。

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野麦峠まつり

お助け小屋まで歩いて行くと、前の広場はテントが張られて特産物のお店が並んでいた。「野麦まつり」と称した年に一度のイベントに居合わせたのだ。女工さんに仮装した子供達が当時の野麦越えを再現するようで、ワイワイ騒ぎながら待機していた。

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野麦峠展望台

 お助け小屋から笹原を上がってゆくと展望台で眼前に乗鞍岳が見えてくる。尾根には映画「ああ野麦峠」のモデルとなった「政井みね」さんを偲ぶ石碑がたっている。みねさんは兄に背負われてこの地で命を落とす。時は1909年の11月20日午後2時、景色は紅葉真っ盛りであったろう。

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 毎度のごとくお昼代わりにお助け小屋でそばをかきこんで、まつりが始まる前に峠を高山側に降りてくる。野麦峠の道は展望があまりよろしくない。峠近くの奈川側、そして高山側のこのあたりにほんの少し遠望があるくらい。それにしても天気のいいこともあって、登ってくるバイクは多い。
 もう少しでR361号木曾街道にでるあたりで、ソロライダーがカーブを曲がりきれずに転倒した現場に遭遇。転けたばかりで起こそうとするけど力が入らない。。。 MT-01を路肩に駐めて、彼のバイクを起こすのを手伝う。バイクはカウルが割れてたりしてるけど、レバー類もペダル類も生きているので大丈夫そう。しかしセルは回れどエンジンがかかろうとはしない。400ccのカワサキで彼曰く、メーター内のランプがいつもは赤なのに、今は白くなっている。なにかエラーでもでているんだろうか。
 電話がつながるところでよかった、かかりつけのショップに助けを呼ぶとのこと。転倒センサーなどの故障であれば、現場ではなんともできない。

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飛騨農園街道 高山市街迂回路

 開田方面から高山へ向かうR361号は美女街道となっって市街地に入ってゆく。市内に向かうのならそれで良いが、荘川方面に抜けるにはとても混雑する高山市街は迂回したいところ。この日も小生は「甲」交差点より北上して美女高原キャンプ場から「飛騨農園街道」をつかってバイパスした。この路は広域農道で綺麗に整備され、なによりクネクネ道が約20km楽しめて交通量もほとんど無い。時折トラクターが落とした畑の土が気になるくらいで、知る人は知る美味しいバイクロード。

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飛騨農園街道終点

 十分に中速コーナー、タイトなコーナーを楽しんで、平湯峠から下りてくるR155号にぶちあたる。これを左折して「板倉ラーメン道場」を過ぎて「丹生川町 町方」の交差点に到着。
 高山市街はここで左折、大半のクルマの流れは左折だがここは直進、交通量の少なくなった路をしばらく走るとR41号にいきあたる。右手にはライダー御用達の「国八食堂」がある「下切町」交差点をを左折、次の「八千代橋」交差点を右折。道なりにいけば高山の渋滞や信号に巻き込まれずに「道の駅 ななもり清美」までパスできる。ただし、八千代橋交差点の先、高山本線の踏切を越える際には、ちゃんと一旦停止が必要。かなりの確率でパトカーや白バイがこちらを観察している。この迂回路を使うことで、夏場のおそろしく暑い高山市街の渋滞と信号トラップを回避できるのでこれもお薦め。

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ひるがの 分水嶺公園

 無料区間の飛騨清見道路を使って荘川までパスしてもいいけど、ななもり清美から下道のR155号を使って「小鳥峠」越えで荘川に向かう方が確実に楽しい。交通量も少なく大きなカーブを描いて走って気分が良い。
「道の駅 ななもり清美」から次の休憩地 ひるがの高原まではR158号で約60km。比較的交通量も少なくクルマの流れも70km前後で進むため、この区間もバイクで走るには爽快だ。途中には「道の駅 荘川」があったりと休憩場所にも困らない。ただし、ここもツーリングのように楽しんでる白バイの隊員がいることも多いので要注意。ぶっ飛ばしていると反対車線でもUターンして追いかけてくるらしい。
 往路は木曽の境峠で日本海側にやってきて、ひるがのでは分水嶺公園で太平洋側に戻ってきた。公園の中には、小川が作られ見事に太平洋側、日本海側と分流して流れてゆく。

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やまびこロード
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大日が岳

 ここまで来て早く帰りたければさっさと高速に、まだクネクネ道を満足していなければ、〆の「やまびこロード」が待っている。ひるがの高原から高速道路を越えて信号のないまま、アップダウンとコーナーで繋いで約35kmのお持てなしを受けることが出来る。そこそこ地元の軽トラなどがいるので追い越しに無理は禁物、見通しがきかないコーナーも多いので注意が必要。
やがてやまびこロードは「道の駅 やまと」を過ぎてR156号に再び合流する。ここからは小生は高速に乗っかって一気に100km先名古屋の自宅に向かうことが多い。

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MT-01 2008

 小生の現在のメインバイク、走り出してしまえば乾燥重量240kgも感じないが、弱点といえば足つき性の悪さで170cmの小生は数回の立ちゴケを経験。しかしそんなことより、今も手に入れたときの感動を乗るたびに味わうことが出来る。50〜70km/hあたりのツーリングペースは、股ぐらの1700cc 空冷Vツインがドコドコと鼓動を発しながらバイクを操る楽しみとツーリング先の素敵な景観を楽しませてくれる。手に入れてもうすぐ4年、オドメーターは55,000kmを示しているがこれまでも重整備は不要で旅先でもノントラブルだ。5万キロを越えたあたりで、リアウインカーのラバーステーが振動で左右両方とも折れてしまったのはご愛敬。大トルクでクラッチスプリングがちょいと垂れてきたからか、高速道路の全開時にはクラッチがズルズルするので、そろそろ手を入れる頃だろう。



by akane8150 | 2018-06-02 22:21 | Motorcycles | Comments(3)

XT250 セロー 13 東紀州 2 千尋峠 水呑峠 大杉谷登山道



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千尋峠 水呑峠
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住古川

 東紀州、後半戦。紀伊長島も通り過ぎR42号を西に進む。今日の主目標は、千尋峠の探索と未踏の水呑峠リベンジ。最初に目指すは秘境大杉谷の入り口、千尋峠だ。

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大台林道

 分岐部から数キロ走ると集落から外れて舗装からダートに変わる。いいな〜、やっぱり林道は砂利道じゃなくっちゃ。踏みしめられているので走りやすくどんどん川沿いを上がってゆく。路肩はワイヤーガードレールが備わっていてこれも安心、人が行き交いしていることで管理もしっかりされている印象。しかしすれ違うクルマも民家も全然途絶えて山奥感ありあり、さっきまで賑やかな海沿いを走っていたとは思えないほどだ。

ところで側溝に使われているフタ、よーくみるとレールのようだ。なんで??

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小木森滝

 急流の左岸をどんどん高度を上げて登ってゆく。この林道を予習しておいたので、そろそろ滝が見えるんじゃないかと。。。お〜ありました、ありました。川むこうの尾根からぷっつんと滝が流れてるのが見える。これは落差がある滝だと素人目にもわかる。奥にひかえる山の端はすぐそこに見えるのに、水流があれほど豊かなのはなんでだろう?? 

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小木森(おごもり)滝 (花鳥風月さんより)

 対岸の滝に近づくには林道を外れてルートを示すテープを頼りに30分ほどでたどり着くそうだ。晴れた日に訪れた「花鳥風月さん」の写真はみごとにスケールのでかさを示している。落差100m以上の上段、さらに50mほどの下段、那智の滝を思わせるような豪快さだ。滝巡りをしている同好の中でもこの小木森滝はトップクラスの滝とされるのも頷ける。

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千尋峠 千尋隧道

 国道から約10kmで終点の千尋峠に到着。走りごたえのダートは路面のえぐれや脆弱な路肩などは少なかったけど、断崖絶壁のカーブが続き十分にクネクネ道を満腹した。似たような景色もあったりで、「多賀の大杉林道」を思い起こした。路面のガレ石は大杉林道の方がひどかったような。それにしても、林道はやっぱり未舗装であって欲しいなあ、全然おもしろい。
 千尋峠のトンネルは昭和34年に竣工、なんとほぼ小生と同じ生誕。妙に親近感がわいた。隧道の手前にはクルマを遮断するゲート、数年前のWeb上の記事ではこのゲートを見かけないので、最近追加されたようだ。トンネルくぐった先で閉め出されても困るわねえ、、、。


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千尋トンネル(大台町側)

 トンネルの向こう側に出てみると展望はきかないけど、大杉谷に至る林道が続いている。この先に秘境が広がってるんだと感慨深く眺めていたら、その秘境側から軽トラがやってきた。作業を終えたご夫婦のお帰りのようで、「よくも上がってきたな」と声をかけられる。手慣れた手つきでゲートのカギを外してポッポっと通り過ぎていった。ゲートの上げ下げはご主人、その間は奥さんが運転、毎度の事ではあろうが、極めて手慣れたお二人だった。
 降りてゆく軽トラを見送った後、小生も下山開始。セローだと2速に入れたまま エンジンブレーキでトコトコおりてゆく。軽トラもいいペースで降りていったようで、なかなか追いつけない。あっという間の下山で海が見えるところまで戻ってきた。


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県道603号

 大杉谷周囲は山が深いためか、山の稜線を貫いて、南北に通過できる幹線は県道603号が唯一だ。3年前の春に訪れていたが、災害復旧の工事で撤退した苦い思い出。バイク仲間のRipさんが最近、北からこの峠を抜けたとの情報を得て、前回のリベンジを果たそうと今日の〆のルート。まずはR42号の船津にある分岐部の電光掲示板、お〜〜、今日は通行止めとは書いていない!!

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  川沿いに登ってゆくといつしか民家は途切れ、県道はうっそうと茂る雑草に挟まれながら、奥に進んでいる。十分に走った頃にT字路に出会しこれを右「大杉」方面へ。大っきなゲートで本線も遮断できるようになっているけど 今日はちゃんと開いている。後述の「インクライン跡」はこの分岐を左にとって突きあたりまで行くとあるようだ。

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 大がかりな高架まで用意された最後の左ヘアピンを登ると、上がってきた下の道が斜面をえぐるようにくっきりと見える。このヘアピン部分は高度差もかなりのもので大がかりな構築が難儀だったろう。深い山奥にこれだけの立体構造物を作らなくてはいけない理由は何だったんだろう、木材の搬出路の確保のためだけだろうか。

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森林鉄道 索道 インクライン (三重森林管理署より)

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大杉谷森林鉄道(6月なんよ)さんより

 帰宅後、大杉谷を調べていると大杉谷森林鉄道なる廃線があったことがわかった。ブログ「6月なんよ」さんの大河内川遡行はこの森林鉄道を探求している。昭和16年から41年までの間、下流の船津からこの県道に沿って森林鉄道が北に延び、中途では「インクライン」や「索道」を介して大杉谷の深い谷まで搬出路が確保されていたのだ。
 開拓された昭和の初めの世界恐慌は日本の山村にも多大な貧困をもたらした。対する国策として森林資源の開発を建前に、山奥に向けて林道や森林鉄道などのインフラ整備が推し進められ雇用を作り出した。そのひとつとして大杉谷の国有林に多大な労力をかけて大杉谷森林鉄道が開発されたのであろう。やがて戦後になり大台林道の開通に伴って材木搬出の役が終焉を迎え、大杉谷森林鉄道は廃止となった。
 大台林道で遭遇した側溝蓋に流用されたレールは、不要となった森林鉄道のものが流用されたに違いなかった。船津から水呑峠までの県道上にはそれらしき遺構や線路跡などを見かけなかったが、線路は下流の「インクライン」まで続いた。そして峰から「索道」で谷越えをして大杉谷の深い谷間まで搬出路は延びていた。

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管ノ峠

 3年前に引き返したあたりをスルーしてここから先は未踏の地。やがて深い切り通しの峠に出会う。後に地図で確認すると管ノ峠とある。路面には落石や枝葉が散乱している箇所もあったが、崩落や路肩の落ちたところもなく舗装路が続いている。

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水呑トンネル(紀北町側)
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水呑トンネル(大台町側)

 尾根伝いを走るとついに水呑峠、トンネルに到達。峠はやっぱり抜けることが出来ると達成感もあるってもので、越えてみたかった満足感でいっぱい。急峻な山間だから崩落や落石は日常だろう、道路を管理している方々の労力と努力に感謝だ。

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宮川貯水池 大杉谷登山道

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宮川貯水池への峠からの下り

 トンネルを抜けて大台町に入るとつづら折れであっという間に高度を下げてゆく。雨の多い地域、路面には多量の流水があったことをうかがわせる枝葉やガレの流れ止まりが方々に見られる。それでも道はしっかりしていて、MT-01でも大丈夫そうだ。

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新大杉橋

 貯水池周囲のクネクネ道を下流に向けて進む。果てしなく続くカーブに不安になったころ、大杉谷への分岐、「新大杉橋」に到着。最後の探索はこの奥に控える登山道入り口まで、バイクで行けるだけいってみようというもの。鉄橋は路面がネット状になっていてなかなかスリル有り。

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「六十尋滝」

 貯水池にそって対岸を上流に向かうとほどなく沢が右に拓ける。計ったら60尋あったので名前がついた六十尋滝、伊勢神宮遷宮の際の御用材はこのあたりから切り出されることが多かったようだ。この滝がある沢は「美濃ヶ谷」と呼ばれ、尾張美濃のきこり達が大昔にこの沢から御用材を伐採したことに由来する。

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宮川第3発電所

 新大杉橋から6kmほど上流に進むとついに行き止まり、発電所が現れた。手前には登山者用の駐車場、トイレなどが整備されていた。バイクで行ける最も奥まったところで、この先は大台ヶ原に続く大杉谷登山道(約18km)が延びている。登山道は7つの滝、11本の吊り橋をみながら山小屋を使ってだいたい2泊3日かけて原生林の森を抜けてゆく。小生もいつか日本三大峡谷の1つといわれるこの大杉谷を自分の足で歩いてみたい。


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大杉谷方面

 車道終点から望む大杉谷方面。水は青く透き通って緑はあおあおと繁り、晴れていればもっと見替えがいいだろう。1000mほどの峰の山々だからそれほど高いわけじゃ無いけど、山奥感・秘境感は半端ない。


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大杉谷登山センター

 再び折り返して貯水池を下ってゆくと登山センターに出てきた。紀北町側から峠を越えて30km先のこのあたりまで、ほぼ民家はもちろん人の気配がないところばかりだったから、なんとなく安堵する。人里に出てきたんだ~。

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宮川ダム

 宮川ダムは50年以上前に完成した三重県最大の貯水量をもつダムだ。ここまで来ればもう大丈夫、あとは大宮大台ICまで山道降りれば、名古屋までの帰路につける。高速に乗ってしまえば、2時間後には帰り着くはずだが、、、そろそろ坐骨が痛くなってきて座りポジションが辛くなってきた。時々、姿勢を変えたりお尻をずらしたりと工夫が必要。

 高速道路をスタンディングしたままで走っていくKTMオフロード車を見かけたが。。。。きっと彼はお尻が痛かったからに相違ない。




by akane8150 | 2018-05-28 20:02 | Motorcycles | Comments(4)

XT250 セロー 13 東紀州 1 旧能見坂 藤坂峠 大紀南島線 棚橋トンネル 錦峠



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 今年の初めに訪れた伊勢の山々、とりわけ剣峠の秘境感が気に入った。その時に廻りきれなかった西の領域を探検する事を思い立つ。このあたりは紀州の東にあたるので東紀州と地域区分されている。

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玉城町

 名古屋から高速乗り継いで130km、2時間でスタート地点の玉城ICをおりる。排気系をいじってあって100~120kmあたりの巡航は余力であるが、250単気筒のセローの高速道路はぜんぜん面白くない。時間短縮の移動手段としてやむを得ず高速道路を使ってるわけで、走行車線の車の流れに乗って淡々と走った。
 クルマも空きはじめた勢和多気あたりで、白い現行クラウンを110kmほどで追い抜いた。。。覆面さんかもしれないと疑っていたが、「ビンゴ!!」ドライバーがヘルメット被ってる(^^ゞ。。。そーっと減速しつつ、走行車線に戻ったけど。。。おとがめ無し。 その区域は80km制限だから、かなり大目に見てもらえたみたいだった。

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旧能見坂峠

 一般道におりるとセローのご機嫌は一変、スラッジが飛んだためなのか、アクセルのツキがよくっていつも以上に元気な印象。県道66号を南進し、県道22号を快走する。このあたりは信号も少なく適当なカーブとアップダウンが続く。そして能見峠トンネルの手前に左から旧道が現れる。本日最初の目標地、野見坂トンネルを目指す。つづれ織りの部分が非常に狭くって、普通車でも対向できない個所ばかり。2001年に新道ができるまではこの狭い峠道がメインルートであったとは思いがたいほどの鎰路だった。

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野見坂トンネル
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野見坂トンネル内部(とりつきいver.2さんより)2017年6月


 やがて開けた峠にさしかかると、レンガ作りの野見坂トンネルが現れた。この峠道は明治中頃から開発され、昭和3年にこの野見坂トンネルが完成しバスも通れるようになったとされる。いかんせん100年前のトンネルはいつ崩落しても可笑しくない。数年前まではここも通ることができたが、新トンネルが開通してからは、リスクを残す必要ないのだろう、がっちりとフェンスで閉鎖されてしまっていた。
 とりつきいVer2さんのブログによると、1年前は通行できたことが分かる。昭和初期の主流だったコンクリート杭門ではなく明治大正の味わいをもつレンガ積み、長さは400mほどあって、素掘りやレンガ積みの天井を持っていたようだ。きっとこのフェンスが外されることは無いのだろう。もう少し前に訪れるべきだったと悔やまれる。

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南島町
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県道46号 南島大宮大台線

 南島の庁舎がある村落から大台町のある北に抜ける唯一の山越えが県道46号。地図で見てもクネクネ山道の険道であることが想像できる。峠近くには採石場もあるようで、その搬出するためのベルトコンベアが港まで続いている。県道46号の始点よりも西にあるベルトコンベアに沿って県道を上がってみることに。

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国見山鉱山ベルトコンベア

 国見山石灰鉱業株式会社が正式名称で、昭和9年より石灰石を採掘してきた。港までベルトコンベアが作られる前には国見山石灰鉱業専用線といって、2001年まで鉄道も引かれていた。今も鉄道跡は道路となっていたり、線路が残ったりして名残りを知ることができる。このベルトコンベアを横切るように林道が山の奥に続いている。


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南島大宮大台線


 尾根伝いに高度を上げて簡易舗装の1.5車線が続く。三重県の鎰路はガードレールを見かけないことが多いような気がするし、カーブミラーも少ない印象だ。ガードレールの無い谷側の走行は気が抜けない。フロントタイヤで大きな礫石でも撥ねた際には、ハンドル取られて谷に真っ逆さまなんて起こりえる話。谷にバイクごと転落したら、現場には転落した痕跡すら残らないだろうし、探しにきた人も転落場所を見つけることは絶対にできないだろう。

 転落した場所で助けを呼ぶには。。。携帯がつながればひとまず何とかなるだろう、人気があれば大声で叫ぶか、バイクのクラクションでも鳴らすか。映画「タイタニック」のワンシーンみたいに「ホイッスル」を携帯するのもいいかも。

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藤坂峠

 落石や折れた枝葉などを避けながら8km先の藤坂峠に到着。南島側は海が遠望できて深い切り通しになっていた。峠の先には峰を走る林道との交差点、これを右に回ると山頂の通信アンテナへ、これを左に取ると採石場に続くゲートが現れた。補強のされない林道の壁面は、すっかり崩れてしまい1車線しか残っていない。路肩の道路標示も半分以上埋まっている。

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県道46号 南島大宮大台線


 峠からの下り、切り返しのヘアピンが幾つも続き、どんどんと高度を下げてゆく。道幅も1〜1.5車線ばかりですれ違う場所も用意されていない。ヘアピンもこれだけ見晴らしがよくって、対向車が見えれば離合もなんとかなりそうな気がする。身軽なセローだから狭い山奥でも気にしなくてもいい。

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阿曽温泉

 里山の木屋までくると道はすっかりとよくなって、快調快走。前回の伊勢山奥ツーリングでは、「藤越」という峠を下ってこの木屋まで来ていたはず。大紀町への近道となる七保峠方面へ左折、さらに道はよくなって勾配も緩いために、七保峠は分からずに通り過ぎてしまうくらい。
 その先の阿曽には温泉があってそこで一服休憩。もちろんお湯に浸かることはないけど、今度家族で近くに寄ったら入ってみよう。来訪客も地元の人だけのようだから、静かにゆっくりとお風呂を楽しめそうだ。

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大紀南島林道

 この阿曽の部落から山に向かうと大紀南島林道とそのトンネルが待ち構えている。案内図が立っている林道始点がそれで、前回は時間切れで来れなかった所なのでワクワクして出発。しかし雲が多くって展望は全然期待できず、かつ陽が無いので肌寒い。

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 網掛山への登山ルートが記されており、ハイカー達も多いようだ。地図によると川伝いに西に進めばやがて先ほど超えてきた藤阪峠の県道46号線に抜けることが分かる。

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 林道とはいっても完全な舗装道路、ただし交通量が少ないためか、落石や枝葉の堆積が多くって走りにくい。特に落葉の堆積した中に礫石が潜んでいるとは知らずにハンドルを取られるのが最も怖い。反対に落石が多くっても、それがどでかくても、見えてる限りは避ければ大丈夫なわけで路上の石については怖くは無い。


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大宮紀勢トンネル

 やがて拓けた丘陵にトンネルがぽっかりと口を開いている。碑文を見て2000年に完成したトンネルだと分かる。この広大な山奥にかようなトンネルまで掘って、林道を新たに作った理由はなんであったろう? 東の藤阪峠、西の古和峠、錦峠、いずれも険しい山道であったから迂回するのも困難であったから? ウエブ上で調べてもこの大紀南島林道の生い立ちなどの記事は見当たらない。

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県道33号 古和峠

 古和峠も今回訪れる予定にしていたが、県のHPでは崩落による通行止めが続いているようだった。国道260号の分岐部には大型車通行不能などのお決まりの看板が立っていて、横には復旧工事のお知らせ。しかしどこに通行止めとは書かれていない。指定時間だけの通行止めなのか、日曜は休工しているのか、情報が不十分、、、峠まで距離があるので引き返すことになるのは辛い。今回はこの峠はパスすることに。

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国道260号の今昔

 さらに西に進んで次の目標地、錦峠に近づく。地図を見ているとこの錦峠の前後には峡路の山道が続いていることが分かる。旧道と新道、どんな風になっているのか興味が湧く。

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 整備されたR260号を東から進んでくると、紀州南島トンネルの手前に旧道の入り口がある。高架の国道をくぐってゆくと集落を外れて山道の旧道が始まる。分岐部にはこの先の棚橋トンネルは通れないとある。行かなきゃ分からないと先に進むが、国道とは思えないような峡路が続いている。

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棚橋トンネル

 新道を遙か左下に見下ろしながらどんどんと高度を上げて路は続いている。ずいぶんと走った感のある4km先にトンネルが現れた。隙間があるがクルマやバイクはお断りと意思表示されたフェンスに閉ざされて旧トンネルだ。噂には聞いていたが、ひどく細いトンネルで、国道の峠とは思えない規格だ。一度は通過してみたかった歴史ある棚橋トンネルであるが、2017年4月に閉鎖されてしまったようだ。

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隧道道さんより

 大正時代にこのルートが作られてこのトンネルは大正6年に完成。素掘りのトンネルであったのを、コンクリートで補強したり大型車が通れるように下部を補強したりとして、このような馬蹄形の細長い形になったようだ。幅員3mは5ナンバーのクルマですらストレスを感じながらの通過となり、10tトラックだと左右に30cmあるかないかの余裕しかない。昭和40年代に国道に格上げされて、この地域の大動脈であったはずだから、当時の離合の大変さは容易に想像される。

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紀勢南島トンネル

 通り向けられなかった棚橋トンネルを引き返し、2年雨に開通した新道のトンネルを通過する。急カーブも無くなって高規格な道路とトンネルで山を貫いている。向こうの錦町まで、旧道だと30分以上かかっていたものが、現在ではわずか8分。しかも離合の心配も無い快適な路。これで人や車の流れもずいぶんと改善されたのだろう。

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錦峠 旧R260号

 山を抜けた先には、錦町までの残りの旧道部分が存在する。これもトンネルこそ無いものの、わずかにセンターラインがあるだけの狭いクネクネ道だった。訪ねてみたが、ここもやはり旧道はフェンスで覆われて通過を拒んでいた。

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旧260号を望む

新道からは向こうの山肌を縫うように旧道が続いているのが見られる。棚橋トンネルもこの錦峠の旧道もこれまでの歴史を伝える文化遺産であるはずなのに、あっさりと閉鎖して廃道化してゆく。たまたまこの峠で地図を見ていたら、隣接する民宿の主が声をかけてくれた。小生が通過できない棚橋トンネルに向かうのではないかと心配してくれたようだ。しばし立ち話を頂き、なぜこれらの旧道が閉鎖されてしまうのか、答えを1つ聞くことが出来た。それは「不法投棄」だった。主曰く、漁師が多いこの地域では使えなくなった漁具や資材を山奥に捨てに来るのだという。なるほど、さもあり得ると納得した。

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棚橋南島大橋(建通新聞より)

 とにかく、この新道のおかげで地元の人たちの利便はかなりよくなったはずだ。しかしこれだけの道路整備には莫大な資金が投入されたのだろう。そして便利になった裏腹には、容易に地元を離れて便利な街に移り住んでしまう人たちを増やしているに違いない。不便で狭いながらも故郷で自己完結的に生活していたはずが、この路の完成で過疎に拍車をかけるという矛盾をかかえているのではないか。

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大紀町 錦湾

 できたばかりの新道を降りてくると「錦」の町並み、海が見えてくる。湾内に見える丸いものは「ハマチ」や「マグロ」のいけすだ。回遊するマグロなどのいけすは丸い形状が多い小さく見えるけどあれでも半径50mはあるそうだ。生憎の曇天、青い海を見ることができない。

さてお次は大杉谷に通じる秘境の千尋峠、そして万年工事で抜けることの出来なかった水呑峠に向かった。  続く。





by akane8150 | 2018-05-22 22:48 | Motorcycles | Comments(4)

GL1200サイドカー 10 九州の旅 その5最終回 道成寺 和歌山ラーメン


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九州の旅 最終日の行程
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明石大橋


 上り神戸行き阪九フェリーは、8時30分に神戸に着岸の予定。うって変わって最終日の今日は快晴、朝食後にデッキに上がってみると、やがて明石大橋の下をくぐる場面がやってくる。アナウンスされた乗客もカメラをもって上がってきた。でっかい構造物がぐんぐんと迫って、真上を通り越し今度はどんどん遠ざかってゆくシーン、スピード感があってすっごく迫力、カメラでは表現できない。

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神戸港

 12時間の船旅も神戸に到着でおしまい、本州に帰り着いた。昭和の頃はこの近くの魚崎にフェリー乗り場があったのを覚えている。出発地についても、当時は小倉だったから関門海峡を船は毎回通過していたことになる。


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トラックデッキ


 さんふらわあ「あいぼり」が 9200t 、阪九フェリー「つくし」は 13300t と2廻り以上もでかく、トラックデッキもレーンが多い。車両同士の隙間も最低限、前後もぴったりで隙間なくトラックが詰め込まれている。最上フロアから車両甲板までメット、荷物を担ぎバイクの装備でながーい階段を降りるのは一苦労。実質5.6階立てのビルを上り下りするするくらい。


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六甲アイランド
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泉大津PA


 六甲アイランドに降り立ち、今日の第一目的地の京奈和自動車道路「紀ノ川PA」に向かう。同じMT-01乗りの仲間、Ripさんと合流して、和歌山近辺を走りに行く予定なのだ。阪神高速湾岸線で神戸から一気に和歌山目指すけど、どこかで休憩がしたいがなかなかパーキングが現れない。50kmほど走ってやっと泉大津のPAに滑り込んだ。


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道成寺駐車場


 紀ノ川PAには予定通りの時間に到着。すでにRipさんは待っていてくれた。ここからは2台で走行開始、これまでソロだったからなんだか心強い。Ripさんは岸和田にお住まいで小生よりもちょっとだけ先輩の、とても面倒見のいい御仁だ。関西に潜むMT-01の定例?ツーリングを毎度開催してくれているのもRipさんだ。Rip号は小生と同じ後期型、シルバーのフレームにオレンジの塗色が軽快な感じがしていいな〜。今日は不案内な小生のために同行してくれたのだ。頼りになります。



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道成寺石段


 道成寺の正面には、62段の石段があって昔から「のぼりやすく、おりやすい」と言われるそうだ。石段の高さや幅などに秘策があるのか、旧国鉄の技術者が測量に来たこともあったが、何も得ることが無かった。この石段には「錯覚を利用した視覚上の秘密があって、左右の土手の幅は平行でなく、奥が広くなっていている。これによって石段を上がる人からは、実際よりも石段の奥行きが短く感じられ、階段を上がるストレスが小さくなるという寸法だ。(道成寺ホームページより)



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道成寺本堂


 和歌山県最古の寺、天音山道成寺は大宝元年(701年)に創建された。講堂のご本尊として千手観音像(奈良時代・重文)が祭られているが、この観音様は、日本で最初か二番目の千手観音様で、1300年が経過している。。


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安珍・清姫伝説


道成寺は安珍・清姫伝説でもよく知られている。その次第が以下の伝承だ。
 時は後醍醐天皇(926年)、東北より熊野に参詣に来た大変な美形の僧侶がいた。中辺路の娘(清姫)は宿を借りた安珍を見て一目惚れ、女だてらに夜這いをかけて迫る。安珍は参拝中の身としてはそのように迫られても困る、帰りにはきっと立ち寄るからと騙して、参拝後は立ち寄ることなくさっさと行ってしまった。騙されたことを知った清姫は怒り、裸足で追跡、道成寺までの道の途中で追い付く。安珍は再会を喜ぶどころか別人だと嘘に嘘を重ねて逃げ出そうとする始末である。ここに至り清姫の怒りは天を衝き、遂に蛇身に化け安珍を追跡する。

 日高川を渡り道成寺に逃げ込んだ安珍を追うものは、火を吹きつつ川を自力で渡る蛇の姿である。仕方なく梵鐘を下ろしてもらいその中に逃げ込む安珍。しかし清姫は許さず鐘に巻き付く。因果応報、哀れ安珍は鐘の中で焼き殺されてしまうのであった。安珍を滅ぼした後、清姫は蛇の姿のまま入水する。

 蛇道に転生した二人はその後、道成寺の住職に現れて供養を頼む。住持の唱える法華経の功徳により二人は成仏し、天人の姿で住持の夢に現れた。実はこの二人はそれぞれ熊野権現と観世音菩薩の化身であったのである、と法華経の有り難さを讃えて終わる。(道成寺ホームページより)



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娘道成寺


 安珍・清姫伝説は形を変えて、歌舞伎舞踊の人気の演目「娘道成寺」となっている。伝説の後日談?、清姫の化身となった白拍子が新しく奉納された鐘の上に再び大蛇となって現れるという筋書き。日本舞踊を習う人たちの「娘道成寺」を舞う自身の写真が本堂にたくさん奉納してあった。


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道成寺 二代目の鐘


 道成寺の初代の鐘は、平安時代に安珍と清姫の事件で焼かれて消失。二代目の鐘は、天正13年(1585)の雑賀攻めの時に持ち去られ、その2年後に京都の妙満寺に奉納された。以来、道成寺には釣鐘は残されていない。絵巻物や能楽で有名になったために紀州から持ち去られてしまったわけだ。(道成寺ホームページより)


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入相桜


 本堂の脇の桜は、江戸時代の「紀伊国名所図絵」にも出てくる桜で、三十三本の支柱で支えられ、六間(約10メートル)離れた本堂の縁側まで枝が届くといわれた大木であった。道成寺では、釣鐘がなくなった後、鐘楼の跡を踏み荒らさないように桜が一本植えられたと言われている。夕方になり、「ああ、本当なら入相の鐘を打たねばならないのに」と思いながら僧侶達が見上げるうちに、その桜はいつしか入相桜とよばれるようになった。(道成寺ホームページより)


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日の岬 RipさんとRip号
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日の岬


 日の岬は、紀伊半島の西端に位置し、紀州灘と太平洋を望む高台にある。紀伊水道を見下ろす眺望はすばらしく、その夕陽は和歌山県の朝日・夕陽100選に選ばれている。Ripさんに連れられてこの岬のことを知った。Ripさんのお話だと地元ライダー達の冬期ツーリング先に使われるそうだ。同じように愛知も冬の間は比較的温暖な三河湾周囲しか走りに行けない。


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さんふらわあぱーる


 日の岬からくねくね海沿いを走ると由良の入り江にさしかかる。見慣れたさんふらわあマークのフェリーが係留されているのを見つける。さんふらわあの神戸 - 大分航路に就航していた「ぱーる」が昨年末のエンジン故障でずーっと欠航中だ。そっか、こんなところで修理しているんだ。


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白崎海洋公園


 太平洋にのびる群青の海と、太陽に照らされて白く輝く海岸線。”日本のエーゲ海”とも称される海岸は、地球の変動が生み出した太古の石灰岩の異様に白い岩肌が珍しい。セメント原料になる石灰岩、こんなに純粋なのによくも採掘の対象にならなかったものだ。伊吹山や藤原岳は石灰採取のために無残な姿になっちゃった。
 南からのアプローチはまだしも、北に抜ける海岸線の道路はかなり狭い。クルマの離合が困難なクネクネが続いていて、初心者のライダーを連れたマスツーリングだったら気を遣うだろうなあ。


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和歌山ラーメン 泉南 泉善 


 Ripさんとの最終目的地は和歌山ラーメンのお店。和歌山ラーメンを食したいとお願いしてあって、ここに連れてきてもらった。看板には「和歌山ラーメン」なんて一言も書いていない。「中華そば」、良いじゃないですか(^^)。

 メニューも基本、中華そばだけのシンプルさ。@@系とか、和歌山ラーメンにはあるそうだが、名古屋人には区別が付かない。それよりもテーブルに置かれた「早寿司」「巻き寿司」「ゆで卵」が和歌山ラーメンらしさを感じる。ラーメンにお寿司とは、この地方の当たり前らしいが小生には新鮮。早寿司を2つも食べて和歌山を実感する。中華そばは豚骨醤油の細麺でお味がしっかりしていて旨い。Ripさん、ありがとう。これで和歌山の〆ができました。

 道に迷わないようにと近くのIC入り口までエスコートしてもらい解散。バイク同士の流れ解散って、手を振り合ったり、クラクションならしたり、一瞬でおわってしまうけど毎度素敵な場面だと思う。



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岸和田SA


 再びソロとなって、あとは一気に名古屋まで。まだ200kmはあるので岸和田SAに立ち寄ってガソリンを✓。GLのガソリンタンクらしく見えてるところは、物入れとエアクリーナーになっている。タンクはシート下にあって満タンで22L,、リザーブがなんと5L 。このようなツーリングだと13〜15km/Lの燃費、満タンで200kmをそろそろ越えるとリザーブになることを考えないといけない。
 バイクのリザーブ容量はおよそ50kmは走れる設定で作られている気がする。たとえば、MT-01がリザーブ3L で燃費20km/L、セロー250がリザーブ2L で燃費30km/L 。対してGLのようなツアラーはもう少し足が長く考えられているのか。アメリカ大陸のようなところだと、100kmさきまでガソリンにありつけないなんてあり得るだろうから。


 この旅では7回の給与を行ってきたが、各地のガソリン単価にも違いがあって面白い。ハイオクを用いたが、最高値が167円の長崎小浜、最安値は150円の熊本市内。やはり地方に行くほど高くなり、都市部では競争のためか安くなる。ただし、高速道路のSAは例外で概ね価格設定が高くって、敢えてSAのスタンドを使う必要はないだろう。

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御在所SA


 岸和田から鈴鹿周囲の自然渋滞を乗り越えて、ノンストップで三重県御在所SAまで走った。もうここまで来れば家に帰ってきたようなもの。いつものバイク用駐車場にとめてしばし休憩。1年後?には新名神が四日市から亀山まで開通して長年続いてきたこの場所の渋滞も解消されるだろう。そうすれば、名古屋から関西方面に向かうときに潜在的なストレスが減って、三重のゴルフ場に向かうクルマが増えたりするかもしれない。


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はぎ取れたくまもん


熊本で貼り付けた「くまもん」、屋内用であったのか、くまもんはどっかに行ってしまった。

 今回の走行距離1250km、往復ともフェリーを利用したので思いの外、少なかった。見切り発車で旅立った東北では、メジャーなトラブルも出て苦労したけど、少しずつ手をかけてきた甲斐もあって今回の九州で元気にGLは走ってくれた。走行の楽ちんさ、荷物を気にせず搭載できるところなど、GLサイドカーはロングツーリングにとてもいい。日帰りツーリングでクネクネを堪能するにはMT-01、泊まりの旅にはGLといった使い分けが定着しそうだ。

 さて、次はどこへGLを連れて行こう? 久しく訪れていない壱岐対馬か、佐渡島、それとも能登半島1周などなど、考えるのが楽しみだ。



by akane8150 | 2018-04-18 08:27 | Motorcycles | Comments(8)
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