小生の備忘録

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XT250 セロー 13 東紀州 2 千尋峠 水呑峠 大杉谷登山道



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千尋峠 水呑峠
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住古川

 東紀州、後半戦。紀伊長島も通り過ぎR42号を西に進む。今日の主目標は、千尋峠の探索と未踏の水呑峠リベンジ。最初に目指すは秘境大杉谷の入り口、千尋峠だ。

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大台林道

 分岐部から数キロ走ると集落から外れて舗装からダートに変わる。いいな〜、やっぱり林道は砂利道じゃなくっちゃ。踏みしめられているので走りやすくどんどん川沿いを上がってゆく。路肩はワイヤーガードレールが備わっていてこれも安心、人が行き交いしていることで管理もしっかりされている印象。しかしすれ違うクルマも民家も全然途絶えて山奥感ありあり、さっきまで賑やかな海沿いを走っていたとは思えないほどだ。

ところで側溝に使われているフタ、よーくみるとレールのようだ。なんで??

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小木森滝

 急流の左岸をどんどん高度を上げて登ってゆく。この林道を予習しておいたので、そろそろ滝が見えるんじゃないかと。。。お〜ありました、ありました。川むこうの尾根からぷっつんと滝が流れてるのが見える。これは落差がある滝だと素人目にもわかる。奥にひかえる山の端はすぐそこに見えるのに、水流があれほど豊かなのはなんでだろう?? 

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小木森(おごもり)滝 (花鳥風月さんより)

 対岸の滝に近づくには林道を外れてルートを示すテープを頼りに30分ほどでたどり着くそうだ。晴れた日に訪れた「花鳥風月さん」の写真はみごとにスケールのでかさを示している。落差100m以上の上段、さらに50mほどの下段、那智の滝を思わせるような豪快さだ。滝巡りをしている同好の中でもこの小木森滝はトップクラスの滝とされるのも頷ける。

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千尋峠 千尋隧道

 国道から約10kmで終点の千尋峠に到着。走りごたえのダートは路面のえぐれや脆弱な路肩などは少なかったけど、断崖絶壁のカーブが続き十分にクネクネ道を満腹した。似たような景色もあったりで、「多賀の大杉林道」を思い起こした。路面のガレ石は大杉林道の方がひどかったような。それにしても、林道はやっぱり未舗装であって欲しいなあ、全然おもしろい。
 千尋峠のトンネルは昭和34年に竣工、なんとほぼ小生と同じ生誕。妙に親近感がわいた。隧道の手前にはクルマを遮断するゲート、数年前のWeb上の記事ではこのゲートを見かけないので、最近追加されたようだ。トンネルくぐった先で閉め出されても困るわねえ、、、。


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千尋トンネル(大台町側)

 トンネルの向こう側に出てみると展望はきかないけど、大杉谷に至る林道が続いている。この先に秘境が広がってるんだと感慨深く眺めていたら、その秘境側から軽トラがやってきた。作業を終えたご夫婦のお帰りのようで、「よくも上がってきたな」と声をかけられる。手慣れた手つきでゲートのカギを外してポッポっと通り過ぎていった。ゲートの上げ下げはご主人、その間は奥さんが運転、毎度の事ではあろうが、極めて手慣れたお二人だった。
 降りてゆく軽トラを見送った後、小生も下山開始。セローだと2速に入れたまま エンジンブレーキでトコトコおりてゆく。軽トラもいいペースで降りていったようで、なかなか追いつけない。あっという間の下山で海が見えるところまで戻ってきた。


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県道603号

 大杉谷周囲は山が深いためか、山の稜線を貫いて、南北に通過できる幹線は県道603号が唯一だ。3年前の春に訪れていたが、災害復旧の工事で撤退した苦い思い出。バイク仲間のRipさんが最近、北からこの峠を抜けたとの情報を得て、前回のリベンジを果たそうと今日の〆のルート。まずはR42号の船津にある分岐部の電光掲示板、お〜〜、今日は通行止めとは書いていない!!

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  川沿いに登ってゆくといつしか民家は途切れ、県道はうっそうと茂る雑草に挟まれながら、奥に進んでいる。十分に走った頃にT字路に出会しこれを右「大杉」方面へ。大っきなゲートで本線も遮断できるようになっているけど 今日はちゃんと開いている。後述の「インクライン跡」はこの分岐を左にとって突きあたりまで行くとあるようだ。

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 大がかりな高架まで用意された最後の左ヘアピンを登ると、上がってきた下の道が斜面をえぐるようにくっきりと見える。このヘアピン部分は高度差もかなりのもので大がかりな構築が難儀だったろう。深い山奥にこれだけの立体構造物を作らなくてはいけない理由は何だったんだろう、木材の搬出路の確保のためだけだろうか。

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森林鉄道 索道 インクライン (三重森林管理署より)

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大杉谷森林鉄道(6月なんよ)さんより

 帰宅後、大杉谷を調べていると大杉谷森林鉄道なる廃線があったことがわかった。ブログ「6月なんよ」さんの大河内川遡行はこの森林鉄道を探求している。昭和16年から41年までの間、下流の船津からこの県道に沿って森林鉄道が北に延び、中途では「インクライン」や「索道」を介して大杉谷の深い谷まで搬出路が確保されていたのだ。
 開拓された昭和の初めの世界恐慌は日本の山村にも多大な貧困をもたらした。対する国策として森林資源の開発を建前に、山奥に向けて林道や森林鉄道などのインフラ整備が推し進められ雇用を作り出した。そのひとつとして大杉谷の国有林に多大な労力をかけて大杉谷森林鉄道が開発されたのであろう。やがて戦後になり大台林道の開通に伴って材木搬出の役が終焉を迎え、大杉谷森林鉄道は廃止となった。
 大台林道で遭遇した側溝蓋に流用されたレールは、不要となった森林鉄道のものが流用されたに違いなかった。船津から水呑峠までの県道上にはそれらしき遺構や線路跡などを見かけなかったが、線路は下流の「インクライン」まで続いた。そして峰から「索道」で谷越えをして大杉谷の深い谷間まで搬出路は延びていた。

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管ノ峠

 3年前に引き返したあたりをスルーしてここから先は未踏の地。やがて深い切り通しの峠に出会う。後に地図で確認すると管ノ峠とある。路面には落石や枝葉が散乱している箇所もあったが、崩落や路肩の落ちたところもなく舗装路が続いている。

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水呑トンネル(紀北町側)
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水呑トンネル(大台町側)

 尾根伝いを走るとついに水呑峠、トンネルに到達。峠はやっぱり抜けることが出来ると達成感もあるってもので、越えてみたかった満足感でいっぱい。急峻な山間だから崩落や落石は日常だろう、道路を管理している方々の労力と努力に感謝だ。

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宮川貯水池 大杉谷登山道

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宮川貯水池への峠からの下り

 トンネルを抜けて大台町に入るとつづら折れであっという間に高度を下げてゆく。雨の多い地域、路面には多量の流水があったことをうかがわせる枝葉やガレの流れ止まりが方々に見られる。それでも道はしっかりしていて、MT-01でも大丈夫そうだ。

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新大杉橋

 貯水池周囲のクネクネ道を下流に向けて進む。果てしなく続くカーブに不安になったころ、大杉谷への分岐、「新大杉橋」に到着。最後の探索はこの奥に控える登山道入り口まで、バイクで行けるだけいってみようというもの。鉄橋は路面がネット状になっていてなかなかスリル有り。

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「六十尋滝」

 貯水池にそって対岸を上流に向かうとほどなく沢が右に拓ける。計ったら60尋あったので名前がついた六十尋滝、伊勢神宮遷宮の際の御用材はこのあたりから切り出されることが多かったようだ。この滝がある沢は「美濃ヶ谷」と呼ばれ、尾張美濃のきこり達が大昔にこの沢から御用材を伐採したことに由来する。

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宮川第3発電所

 新大杉橋から6kmほど上流に進むとついに行き止まり、発電所が現れた。手前には登山者用の駐車場、トイレなどが整備されていた。バイクで行ける最も奥まったところで、この先は大台ヶ原に続く大杉谷登山道(約18km)が延びている。登山道は7つの滝、11本の吊り橋をみながら山小屋を使ってだいたい2泊3日かけて原生林の森を抜けてゆく。小生もいつか日本三大峡谷の1つといわれるこの大杉谷を自分の足で歩いてみたい。


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大杉谷方面

 車道終点から望む大杉谷方面。水は青く透き通って緑はあおあおと繁り、晴れていればもっと見替えがいいだろう。1000mほどの峰の山々だからそれほど高いわけじゃ無いけど、山奥感・秘境感は半端ない。


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大杉谷登山センター

 再び折り返して貯水池を下ってゆくと登山センターに出てきた。紀北町側から峠を越えて30km先のこのあたりまで、ほぼ民家はもちろん人の気配がないところばかりだったから、なんとなく安堵する。人里に出てきたんだ~。

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宮川ダム

 宮川ダムは50年以上前に完成した三重県最大の貯水量をもつダムだ。ここまで来ればもう大丈夫、あとは大宮大台ICまで山道降りれば、名古屋までの帰路につける。高速に乗ってしまえば、2時間後には帰り着くはずだが、、、そろそろ坐骨が痛くなってきて座りポジションが辛くなってきた。時々、姿勢を変えたりお尻をずらしたりと工夫が必要。

 高速道路をスタンディングしたままで走っていくKTMオフロード車を見かけたが。。。。きっと彼はお尻が痛かったからに相違ない。




by akane8150 | 2018-05-28 20:02 | Motorcycles | Comments(4)

XT250 セロー 13 東紀州 1 旧能見坂 藤坂峠 大紀南島線 棚橋トンネル 錦峠



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 今年の初めに訪れた伊勢の山々、とりわけ剣峠の秘境感が気に入った。その時に廻りきれなかった西の領域を探検する事を思い立つ。このあたりは紀州の東にあたるので東紀州と地域区分されている。

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玉城町

 名古屋から高速乗り継いで130km、2時間でスタート地点の玉城ICをおりる。排気系をいじってあって100~120kmあたりの巡航は余力であるが、250単気筒のセローの高速道路はぜんぜん面白くない。時間短縮の移動手段としてやむを得ず高速道路を使ってるわけで、走行車線の車の流れに乗って淡々と走った。
 クルマも空きはじめた勢和多気あたりで、白い現行クラウンを110kmほどで追い抜いた。。。覆面さんかもしれないと疑っていたが、「ビンゴ!!」ドライバーがヘルメット被ってる(^^ゞ。。。そーっと減速しつつ、走行車線に戻ったけど。。。おとがめ無し。 その区域は80km制限だから、かなり大目に見てもらえたみたいだった。

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旧能見坂峠

 一般道におりるとセローのご機嫌は一変、スラッジが飛んだためなのか、アクセルのツキがよくっていつも以上に元気な印象。県道66号を南進し、県道22号を快走する。このあたりは信号も少なく適当なカーブとアップダウンが続く。そして能見峠トンネルの手前に左から旧道が現れる。本日最初の目標地、野見坂トンネルを目指す。つづれ織りの部分が非常に狭くって、普通車でも対向できない個所ばかり。2001年に新道ができるまではこの狭い峠道がメインルートであったとは思いがたいほどの鎰路だった。

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野見坂トンネル
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野見坂トンネル内部(とりつきいver.2さんより)2017年6月


 やがて開けた峠にさしかかると、レンガ作りの野見坂トンネルが現れた。この峠道は明治中頃から開発され、昭和3年にこの野見坂トンネルが完成しバスも通れるようになったとされる。いかんせん100年前のトンネルはいつ崩落しても可笑しくない。数年前まではここも通ることができたが、新トンネルが開通してからは、リスクを残す必要ないのだろう、がっちりとフェンスで閉鎖されてしまっていた。
 とりつきいVer2さんのブログによると、1年前は通行できたことが分かる。昭和初期の主流だったコンクリート杭門ではなく明治大正の味わいをもつレンガ積み、長さは400mほどあって、素掘りやレンガ積みの天井を持っていたようだ。きっとこのフェンスが外されることは無いのだろう。もう少し前に訪れるべきだったと悔やまれる。

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南島町
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県道46号 南島大宮大台線

 南島の庁舎がある村落から大台町のある北に抜ける唯一の山越えが県道46号。地図で見てもクネクネ山道の険道であることが想像できる。峠近くには採石場もあるようで、その搬出するためのベルトコンベアが港まで続いている。県道46号の始点よりも西にあるベルトコンベアに沿って県道を上がってみることに。

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国見山鉱山ベルトコンベア

 国見山石灰鉱業株式会社が正式名称で、昭和9年より石灰石を採掘してきた。港までベルトコンベアが作られる前には国見山石灰鉱業専用線といって、2001年まで鉄道も引かれていた。今も鉄道跡は道路となっていたり、線路が残ったりして名残りを知ることができる。このベルトコンベアを横切るように林道が山の奥に続いている。


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南島大宮大台線


 尾根伝いに高度を上げて簡易舗装の1.5車線が続く。三重県の鎰路はガードレールを見かけないことが多いような気がするし、カーブミラーも少ない印象だ。ガードレールの無い谷側の走行は気が抜けない。フロントタイヤで大きな礫石でも撥ねた際には、ハンドル取られて谷に真っ逆さまなんて起こりえる話。谷にバイクごと転落したら、現場には転落した痕跡すら残らないだろうし、探しにきた人も転落場所を見つけることは絶対にできないだろう。

 転落した場所で助けを呼ぶには。。。携帯がつながればひとまず何とかなるだろう、人気があれば大声で叫ぶか、バイクのクラクションでも鳴らすか。映画「タイタニック」のワンシーンみたいに「ホイッスル」を携帯するのもいいかも。

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藤坂峠

 落石や折れた枝葉などを避けながら8km先の藤坂峠に到着。南島側は海が遠望できて深い切り通しになっていた。峠の先には峰を走る林道との交差点、これを右に回ると山頂の通信アンテナへ、これを左に取ると採石場に続くゲートが現れた。補強のされない林道の壁面は、すっかり崩れてしまい1車線しか残っていない。路肩の道路標示も半分以上埋まっている。

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県道46号 南島大宮大台線


 峠からの下り、切り返しのヘアピンが幾つも続き、どんどんと高度を下げてゆく。道幅も1〜1.5車線ばかりですれ違う場所も用意されていない。ヘアピンもこれだけ見晴らしがよくって、対向車が見えれば離合もなんとかなりそうな気がする。身軽なセローだから狭い山奥でも気にしなくてもいい。

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阿曽温泉

 里山の木屋までくると道はすっかりとよくなって、快調快走。前回の伊勢山奥ツーリングでは、「藤越」という峠を下ってこの木屋まで来ていたはず。大紀町への近道となる七保峠方面へ左折、さらに道はよくなって勾配も緩いために、七保峠は分からずに通り過ぎてしまうくらい。
 その先の阿曽には温泉があってそこで一服休憩。もちろんお湯に浸かることはないけど、今度家族で近くに寄ったら入ってみよう。来訪客も地元の人だけのようだから、静かにゆっくりとお風呂を楽しめそうだ。

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大紀南島林道

 この阿曽の部落から山に向かうと大紀南島林道とそのトンネルが待ち構えている。案内図が立っている林道始点がそれで、前回は時間切れで来れなかった所なのでワクワクして出発。しかし雲が多くって展望は全然期待できず、かつ陽が無いので肌寒い。

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 網掛山への登山ルートが記されており、ハイカー達も多いようだ。地図によると川伝いに西に進めばやがて先ほど超えてきた藤阪峠の県道46号線に抜けることが分かる。

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 林道とはいっても完全な舗装道路、ただし交通量が少ないためか、落石や枝葉の堆積が多くって走りにくい。特に落葉の堆積した中に礫石が潜んでいるとは知らずにハンドルを取られるのが最も怖い。反対に落石が多くっても、それがどでかくても、見えてる限りは避ければ大丈夫なわけで路上の石については怖くは無い。


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大宮紀勢トンネル

 やがて拓けた丘陵にトンネルがぽっかりと口を開いている。碑文を見て2000年に完成したトンネルだと分かる。この広大な山奥にかようなトンネルまで掘って、林道を新たに作った理由はなんであったろう? 東の藤阪峠、西の古和峠、錦峠、いずれも険しい山道であったから迂回するのも困難であったから? ウエブ上で調べてもこの大紀南島林道の生い立ちなどの記事は見当たらない。

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県道33号 古和峠

 古和峠も今回訪れる予定にしていたが、県のHPでは崩落による通行止めが続いているようだった。国道260号の分岐部には大型車通行不能などのお決まりの看板が立っていて、横には復旧工事のお知らせ。しかしどこに通行止めとは書かれていない。指定時間だけの通行止めなのか、日曜は休工しているのか、情報が不十分、、、峠まで距離があるので引き返すことになるのは辛い。今回はこの峠はパスすることに。

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国道260号の今昔

 さらに西に進んで次の目標地、錦峠に近づく。地図を見ているとこの錦峠の前後には峡路の山道が続いていることが分かる。旧道と新道、どんな風になっているのか興味が湧く。

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 整備されたR260号を東から進んでくると、紀州南島トンネルの手前に旧道の入り口がある。高架の国道をくぐってゆくと集落を外れて山道の旧道が始まる。分岐部にはこの先の棚橋トンネルは通れないとある。行かなきゃ分からないと先に進むが、国道とは思えないような峡路が続いている。

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棚橋トンネル

 新道を遙か左下に見下ろしながらどんどんと高度を上げて路は続いている。ずいぶんと走った感のある4km先にトンネルが現れた。隙間があるがクルマやバイクはお断りと意思表示されたフェンスに閉ざされて旧トンネルだ。噂には聞いていたが、ひどく細いトンネルで、国道の峠とは思えない規格だ。一度は通過してみたかった歴史ある棚橋トンネルであるが、2017年4月に閉鎖されてしまったようだ。

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隧道道さんより

 大正時代にこのルートが作られてこのトンネルは大正6年に完成。素掘りのトンネルであったのを、コンクリートで補強したり大型車が通れるように下部を補強したりとして、このような馬蹄形の細長い形になったようだ。幅員3mは5ナンバーのクルマですらストレスを感じながらの通過となり、10tトラックだと左右に30cmあるかないかの余裕しかない。昭和40年代に国道に格上げされて、この地域の大動脈であったはずだから、当時の離合の大変さは容易に想像される。

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紀勢南島トンネル

 通り向けられなかった棚橋トンネルを引き返し、2年雨に開通した新道のトンネルを通過する。急カーブも無くなって高規格な道路とトンネルで山を貫いている。向こうの錦町まで、旧道だと30分以上かかっていたものが、現在ではわずか8分。しかも離合の心配も無い快適な路。これで人や車の流れもずいぶんと改善されたのだろう。

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錦峠 旧R260号

 山を抜けた先には、錦町までの残りの旧道部分が存在する。これもトンネルこそ無いものの、わずかにセンターラインがあるだけの狭いクネクネ道だった。訪ねてみたが、ここもやはり旧道はフェンスで覆われて通過を拒んでいた。

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旧260号を望む

新道からは向こうの山肌を縫うように旧道が続いているのが見られる。棚橋トンネルもこの錦峠の旧道もこれまでの歴史を伝える文化遺産であるはずなのに、あっさりと閉鎖して廃道化してゆく。たまたまこの峠で地図を見ていたら、隣接する民宿の主が声をかけてくれた。小生が通過できない棚橋トンネルに向かうのではないかと心配してくれたようだ。しばし立ち話を頂き、なぜこれらの旧道が閉鎖されてしまうのか、答えを1つ聞くことが出来た。それは「不法投棄」だった。主曰く、漁師が多いこの地域では使えなくなった漁具や資材を山奥に捨てに来るのだという。なるほど、さもあり得ると納得した。

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棚橋南島大橋(建通新聞より)

 とにかく、この新道のおかげで地元の人たちの利便はかなりよくなったはずだ。しかしこれだけの道路整備には莫大な資金が投入されたのだろう。そして便利になった裏腹には、容易に地元を離れて便利な街に移り住んでしまう人たちを増やしているに違いない。不便で狭いながらも故郷で自己完結的に生活していたはずが、この路の完成で過疎に拍車をかけるという矛盾をかかえているのではないか。

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大紀町 錦湾

 できたばかりの新道を降りてくると「錦」の町並み、海が見えてくる。湾内に見える丸いものは「ハマチ」や「マグロ」のいけすだ。回遊するマグロなどのいけすは丸い形状が多い小さく見えるけどあれでも半径50mはあるそうだ。生憎の曇天、青い海を見ることができない。

さてお次は大杉谷に通じる秘境の千尋峠、そして万年工事で抜けることの出来なかった水呑峠に向かった。  続く。





by akane8150 | 2018-05-22 22:48 | Motorcycles | Comments(4)

CoCo壱番屋 栄広小路の花壇 



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さくら工房さんより

 自宅から職場まで、毎日の通勤路、名古屋栄の繁華街メインストリートともいえる「広小路」を走っていると、毎朝中央分離帯の植え込みの管理している人たちを見かける。午前7時前の早い時間から植え込みの手入れをしているのにビックリするともに、車道に出て作業する姿に「クルマに撥ねられはしないか」心配したものだ。花壇の整備だけでなく、歩道や路肩のゴミ拾いにもくもくと取り組んでいる。後述する「初老の男性」も毎度見かける人物だった。

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 東新町から100m道路の久屋大通の栄までの約400m、中央分離帯の花壇が黄色の花で飾られるようになったのはいつからだろうか?もう、5,6年になるのかもしれない。市内でもこれほどに車道の花壇が管理されているところは無くって、たいていの分離帯は手入れのされていないつつじだったり、雑草がぼうぼうだったりが多い。

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 ちょっと前までは水仙も植えられていたが,今はビオラで統一されている。昨年の夏から秋は、ハイビスカスが植えられていてなかなか豪華であった。それにしても、いつも黄色の花たちばかり。しかも前述のように早朝からせっせと花の管理をしていて、市の職員には思えないし、、、。

こんな疑問を持っていた小生であったが、地方紙に取り上げられているのをたまたま読んで事の次第が分かった。

「私は毎日3時55分に起きています。「さあゴー、ゴー」です。おそらく早起きでは日本一でしょう。もっと早くに起きているという人があれば、私は負けるのが嫌ですから3時45分にします。努力すれば日本一になれる。日本一は気持ちいいものです。オンリーワンではなくナンバーワンです。毎日90分、町の掃除を続けているのも日本一でしょう。名古屋のメインストリートである広小路通の413mのグリーンベルトと南側の歩道の掃除をし、樹木の下の小さな花壇の手入れをしています。6時半から8時まで毎日やります。いろいろな人が入れ替わり立ち替わり手伝ってくださいます。昨年、1人だけ365日続けた方がいました。今年の12月で2000回を迎えます。なんでもいいからコツコツとやり続ける。経営でも大事なことは地道に積み上げることです。」 宗次徳二 カレーハウスCoCo壱番屋 創業者

まさにこの人物が早朝に掃除や花壇の世話をしている「初老の男性」であったのだ。


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喫茶 バッカス

夫婦で始めた喫茶店がココイチの始まり。奥さん手料理のカレーライスが好評で、カレーライス専門店フランチャイズのきっかけとなる。お客さんを大事にすることを心がけていたという。

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カレーハウスCoCo壱番屋 一号店旧店舗  名古屋 西枇杷島

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壱号店 西枇杷島店

俄然、興味が湧いた小生はココイチの始まりとなった一号店を訪れてみた。旧店舗は周囲の店舗と合わせて綺麗に整理され、広い駐車場を備えた真新しい西枇杷島店として店を構えていた。壁には「1号店」と銘打ったパネルが貼られていて誇らしげだ。

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壱番屋記念館

興味が湧いたのは隣接する「壱番屋記念館」だった。店舗の2階がホールになっていてココイチの歴史やこれまでの商品展開、グッズなどが展示されているらしい。しかし案内には「予約制、午後2時から4時半まで」とあり、生憎見学することは敵わなかった。予約制ってのが妙に敷居が高いが、いずれ人数を揃えて見に行ってみたい。

1978年に創業したココイチは2004年には国内1000店舗を数えるまでに成長し、2013年には世界で最も大きなカレーライスチェーン店としてギネス認定までされている。その中で、創業者の宗次氏は2015年に持ち株を含めココイチをハウス食品に220億円ともいわれる価格で売却した。

「私は壱番屋の経営に一切の未練や後悔はありません。株もハウス食品グループ本社に売ってしまいました。創業者なのに、なぜこれほど会社への執着がないのかといえば、現役時代にやり切ったからです。」宗次氏談


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宗次ホール

 中区の繁華街にある宗次ホール。2007年、私財27億円を投じてクラシック音楽専門のコンサートホール「宗次ホール」を建設した。ヴァイオリニストの五嶋龍や葉加瀬太郎にストラディバリウスを、宮本笑里にはドメニコ・モンタニャーナを貸与し、ヴァイオリニストのパトロンでもある。株式売却で手にした資産を基金として財団を作った。小生はクラシックには造詣がないので、このホールを訪れた事はないが、客席300を越えた本格的なモノであるらしい。

 さらに氏はNPO法人イエロー・エンジェルを設立し、「夢と目標を持って一つの事に打ち込んでいるいろいろな方々への支援。特に経営塾による創業支援、芸術家やスポーツ選手及び福祉、早起き、掃除の実践運動、福祉慈善活動の啓蒙等々。」と目標を掲げている。初めに取り上げた広小路の清掃や花壇の管理は、このNPOの活動であった。

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 1号店に入って遅めの昼食を取る。ビーフカレーにカツをトッピング、辛さは一辛、いつものオーダーだ。壱号店だからといって、接客は他店と変わりなかったしスペシャルな店員さんがいたわけでもなし。。。お味もこれまたいつも通りの美味しいものだった。でも、これがココイチの強みというか、教育された接客ということだろう。

 創業から一貫してカレーライス販売に取り組み、見事に成果をのこした創業者の生き様は感銘を受ける。生業を積んでいる小生も見習うべき部分が大ありだ。早起きは三文の徳と昔からいわれるが、確かに早起きした分だけ「何か」をすることが出来る。

かといって、小生がほうきとちりとりをもって、職場の回りを毎日掃除をして廻るってことは、かなりの難題だ。やれたとしても三日坊主は目に見えている。それよりも夜勤の病棟看護師たちにすれば、早く病棟にきて患者さんの報告を聞いてください!!っていうのが現実だろう。。。






by akane8150 | 2018-05-17 22:32 | Life | Comments(4)

Jeep グランドチェロキー Limited 5 家族旅行 その2 那智大社 那智の滝 速玉大社


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あずまや


 せっかくの休みだからゆっくり寝てればいいものを、いつもの習慣で6時前には目が覚めてしまう。そのまま布団に入っていることは出来ず、皆を起こして朝食前の朝風呂に。寝起きの体で湯船に入ると、極楽、極楽、熱めのお湯でもうたた寝してしまいそう。朝食には毎度、温泉がゆと温泉湯豆腐が出てくるのも楽しみ。今日もスケジュールがいっぱいだから、化粧に忙しい家族を急かして、いざ出発。


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湯の峰温泉バス停


 不思議なことに、観光地の多くが大陸からの人たちであふれているが、この湯の峰には欧米人が多い。これは熊野古道が知られる前から、アメリカや欧米のバックパッカー達に愛されてきたからと聞く。新宮の駅まで行くバスが出てはいるが、朝8時台に一便あるだけ。なので、バス停にはすでにバス待ちの列が出来ていた。欧米人の目には、この古風な日本の温泉街がどんな風に映っているんだろう。


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那智大社 那智の滝


 GWではあるが、さすがにこのあたりでは渋滞とは無縁。広くて走りやすいR168を熊野川に沿って南下、新宮の街にでる。信号の多い街を抜けて、昔なら紀伊勝浦の町並みを抜けるところを、区間完成している無料の自動車道路をすいすい走って那智大社に到着。


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那智大社石段


 参道は遙か下から続いているが、おふくろのことを考えて拝殿近くまで上がることの出来る駐車場を利用した。参道を上がっているのが本来だろうけど、以外とこの駐車場の存在は一般に知られていないので、とっても便利。おまけに社務所の人が、置く炉を気遣ってくれて社務所のエレベーター(なんと5階建て)に導いてくれ、おふくろはまったく石段を上がらずに拝殿まで来てしまった。


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那智大社 拝殿


 社殿は鮮やかな朱の社殿は、屋根の葺き替え工事中のためすっかり見えなくなってしまっている。昨年から始まりあと1年かかるそうだ。この拝殿のむこうにご本殿が、熊野大社のように4つ並んでいるのだが、そこは立ち入れない領域。拝殿で一度参拝すれば、4つの神様すべてのお参りを済ませることができる。


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青岸渡寺



 那智大社のおとなりに仲良く並ぶ青岸渡寺、もともと那智の滝を中心にした神仏習合の一大修験道場だったが、明治初期に青岸渡寺と那智大社に分離した。古代の日本人はとても器用な人種で、古来の新教と渡来した仏教をうまくミックスさせてきた。青岸渡寺の本殿も台風で破損して雨漏りがするようになったために、今年いっぱいをかけて修復される。なかなか来られない観光客にとっては、修繕中の姿はきっと残念だったろうな。



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大クス 胎内くぐり



 那智大社の境内には大きな洞のある大クス(樹齢800年)があり、そこをくぐることができる。無病息災と兆長寿を願うことが出来るそうな。お札に祈願を書いて、ここをくぐり奉納する。狭いところが苦手な小生は辞退させて頂き、子供達が総代でくぐってきた。



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那智の滝


 那智大社のお参りを済ませ、次は那智の滝。鳥居から滝までは長い石段を下りなくてはいけないので、おふくろはクルマで待たせようかと思ったけど、ハッパかけたらがんばると言い出して。そんじゃ、のんびり行くべ。

 今日の滝は水量も多い気がして、かなりの迫力。霊験あらたかなこの滝の回りから、熊野三山が始まったとされ、奇岩、奇景を古代の人たちは神が住むところと崇めたのだろう。これは三輪大社や玉置神社、石倉神社などの社殿がない原始信仰、自然信仰と同じ。

この滝は「一の滝」とも言われ、この先の那智山中には修行の行場として扱われた那智48滝が続いているらしい。修業の場所で、かつ非常に険しい奥地なので、その所在も写真もなかなか出てこない。


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めはりずし 総本家めはりや


 新宮まで戻って丁度お昼時、家内がめはりずしを食べたいというので、総本家めはりやへ。幸いにも席が空いていてラッキー、我が家の後はすぐに行列になってしまった。よく味のしみこんだ高菜の葉っぱがご飯とマッチして美味しい。おでんや串揚げ、豚汁などもお勧めのようで、「お試しセット」がちょうどいい。お土産用に葉っぱとだし汁を買って自宅で再現したことがあったけど、大失敗。二重に葉っぱを巻いちゃったものだから、硬くて噛めなかった(^^ゞ。やっぱり、お店で食べる味には叶わないなあ。


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浮島の森


 沼地の池に浮かんだ泥炭の島が新宮の市街にある。約70m四方の大きさで島には天然杉を含めた森のようになっていて、遊歩道で見学ができる。浮島の規模としては日本一で天然記念物に指定されている。管理人の方が丁寧に島のことを解説してくれて耳を傾ける。飛び跳ねたら足下が揺れそうでなかなか面白い。


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徐福公園


 伝承によると、徐福は秦の始皇帝に当方にある蓬莱・方丈・瀛州に不老不死の霊薬があると具申し、命を受けて財宝と共に数千人を従えて秦から東方に船出したというが、その内蓬莱に当たるのがここ新宮とされていて、徐福はその後新宮に住み着いたという。ここに住み着いた徐福とその従者たちは大陸からの文化や農耕、捕鯨、漁業に関する技術を新宮の人々に伝え、ここ新宮の地で歿したと伝わっている(ウイキペディアより)。

 出雲や伊豆など全国に徐福伝説は残っていて、紀元前のお話だからどれも確証は残っていない。それにしても徐福という人はよほど日本のために尽くし、かつ親しまれたのであろう。さもなければ、こんなに日本中に伝説がたくさん残っているはずがない。



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神倉神社


 神倉神社は、熊野大神が熊野三山として祀られる以前に一番最初に降臨された聖地。天ノ磐盾という峻崖の上にあり、熊野古道中の古道といわれる五百数十段の仰ぎ見るような自然石の石段(源頼朝創建)を登りつめた所に御神体のゴトビキ岩がある。熊野速玉大社は、まだ社殿がない原始信仰、自然信仰時代の神倉山から、初めて真新しい社殿を麓に建てて神々を祀ったことから、熊野速玉大社は「新宮」と呼ばれ地名になった(観光協会HPより)

 前回、バイクで来た時にバイク用のブーツ姿で最上部まで登ってみたが。。。辛かった。今回は、おふくろも居るし下の鳥居から眺めるだけするはずであったが、体力自慢の次女が突然やる気モードになって。。。 ひとりで往復してくると言い出した。「時間計ってて」と言い残し駆け上がっていった。15分後に這いつくばるように降りてきた。頂上の巨石がすごかったこと、町並みが真下に見えてキレイであったこと、石段が急すぎて降りてくると転けそうになることなどなど、一杯話ながら帰ってきた。約千段の階段を(しかもここの石段は大きさも高さも不揃いで歩きにくい)上り下りしたことを考えれば素晴らしいタイムだ。






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熊野速玉神社


 熊野三山詣の最後、熊野速玉神社に着いた。ここは神倉神社からも近いしんぐうの市街地にある。石段もないのでおふくろも気が楽だ。イザナギ・イザナミを主祭神とし、合わせてアマテラス、スサノオが祭られている。この本殿内は撮影禁止の表示が見当たらない。そんなこともあって、三山の中では最も気さくな敷居の低い神社のように感じた(対して最も厳格なのは熊野本宮大社で、様々な注意書きはもちろん撮影禁止の場所が多かった。)。


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鬼ヶ城


 荒波に削られた大小無数の海食洞が、地核の隆起で階段上に並び、熊野灘に面して約1km続いている。災害で遊歩道も一部通行止めであったが、今回は40分ほどかかる遊歩道すべてが開通していた。おふくろをレストランに置き去りにして子供達と歩いてきた。土曜サスペンス劇場のエンディングで出てきそうな景観、きっと以前にもここでロケが行われたこともあろう。いかにも「マネキン」みたいなものが断崖を落ちてゆくシーンが想像できる。
 

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県立熊野古道センター


 尾鷲の町はずれ、海が見渡せる高台に立派な木造建築の熊野古道センターがある。パネル展示など内容はそれなりにあるので、立ち寄っても善いだろう。ここにも解説をしてくれる地元のボランティアの方々がいた。惜しむらくは、熊野古道を広報する目的で作ったのであれば、ロケーションがよくないと思う。もっと集客しやすい観光地、たとえば熊野三山の参道周囲とかにあれば、もっと周知されるだろう。今の現地はクルマしか手段が無くって、海外からの旅行者には不便だろう。

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鬼瓦 尾鷲


 開店早々の夕方5時過ぎに尾鷲の鬼瓦に到着、ここの煮付けが大好きだ。15年ほど前に主治医として治療を担当した患者さんからこのお店を教えてもらったのがきっかけだ。その患者さんは尾鷲の名士で、尾鷲に来たら是非寄るように言われていた。尾鷲は遠洋漁業の町、駅前の裏通りには小さなスナックや居酒屋が並び、昭和の港町の風情がたっぷりだ。


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煮魚定食
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まんぼうのフライ
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オニエビ


 煮魚、焼き魚、刺身、いずれも外れが無い美味しいモノばかり。お手軽な煮魚定食だと1000円、お刺身定食もそんなものだ。今日の煮魚は「クロムツ」、しっかりと身のつまった美味しいものだった。名古屋近郊で煮魚と言えば、せいぜいカサゴやメバル、クロムツなんて高級食材はでてこない。「ガスエビ」「オニエビ」などもお刺身で追加、頭ででっかちなオニエビは特徴的な形をしてるけど、味は甘エビよりも甘くて濃厚らしい

 マンボウもこのあたり独特の食材、水族館では時々観るけど、魚屋さんではあまりお目にかからない。ムニエル風にしたり、串焼きにしたり、マンボウのレシピがあるようだけど、今晩はフライで頂いた。食感はイカと白身の中間のような不思議なモノであった。

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 亀山〜鈴鹿渋滞迂回路 広域農道フラワーロード


 いよいよ帰宅に向けて尾鷲をまだ日が落ちる前の6時過ぎに出発。紀勢自動車道路に乗って一路名古屋を目指す。クルマは多いけど、流れは問題なし。しかし、毎度の上り、亀山〜四日市間の渋滞がすでに始まっていて思いやられる。
 渋滞の理由はシンプルで、伊勢自動車道、東名阪、新名神の3つの幹線が1つ東名阪になるわけだから、混むに決まってる。10kmから時に20kmほどの渋滞になることもしばしばで、道路標示では通過するのに1時間以上とでることも多い。まあ覚悟して渋滞の列に飛び込むこともあれば、迂回ルートに入ってあくせくすることもある。

 迂回ルートの1つに広域農道を利用したモノがあって、これは亀山SAのETC専用出口からスタート。工業団地内の広い道を抜けるとセンターライン付きのアスファルトも新しい広域農道に変わる。信号もまばらですいすい走ってゆくと、渋滞している新名神、東名阪を乗り越えてR306と交差する。鈴鹿ICに乗るにはこの交差点を左折して程なく走ればIC入り口になる。約20kmの距離ではあるが、最も渋滞する区間をピンポイントで抜け道ができて、あまり他人には教えたくないルートだ。フラワーロードと名称がついているらしい。もしも渋滞がさらに長い時には、このまま直進でフラワーロード、広域農道を使って四日市ICまで抜け道をすることができる。


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Geep グランドチェロキー limited


 家に帰り着くと21時過ぎ、休憩も渋滞を含め、3時間で尾鷲から帰ってきた。GWであることを考えれば、上手に走ってこられたはずだ。2日間でいろいろ立ち寄って観光してきたが、なにより85才のおふくろががんばって歩いてくれたこと、これには感謝だ。10年前は腰部の脊柱管狭窄症でしびれて歩けなかったが、積極的に手術をしてこれが奏していまの元気につながっている。みんな、おつかれさんでした。

 オイル漏れ騒ぎのグランドチェロキーは、すっかり完調となってオイルの臭いも煙もなくなっている。最終的な原因は左側のタペットカバーのシールから漏れであって、これを交換している。故障原因の正解に至るまでの道のりが、ディーラーの「お粗末」な対応だったことに悔やまれる。ちゃんと修理に取り組んでいれば、とっくの昔に治っていてもよかったはずだ。

 なにはともあれ、家族フルメンバーで旅行に行けたことに感謝、次女も学生生活をエンジョイしてもらいたい。しかしいつまで、こうやって家族全員で旅行に来られるのだろう。今も一緒についてきてくれる子供達にも感謝だ。




by akane8150 | 2018-05-09 13:49 | Cars | Comments(2)

Jeep グランドチェロキー Limited 5 家族旅行 1 曽爾村 三輪大社 本宮大社 湯の峰温泉


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 次女の大学生活も始まったようで、勧誘攻撃に遭いながらどの部活を始めようかと悩んでいるようだ。世俗の人手不足の縮小版のように売り手市場になっていることは容易に想像できる。久しく家族旅行に行けていなかったから、家族には用事を入れないようにと釘を刺し、、、家族フルメンバーで一泊旅行にくりだした。宿泊先は皆が好きな「湯の峰温泉 あずまや」、この道中で行かなきゃ行けないところ、寄ってみたいところを拾い出してルートを設定。

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安濃SA


 自宅から宿まで280km。高速道路も使いながら、その2/3が下道であるから十分に時間もかかるだろう。皆をたたき起こしながら朝6時に名古屋の自宅を出発。もうすでに東名阪の四日市、鈴鹿あたりでは5kmほどの渋滞が発生していた。この勝手知ったる渋滞は上手に3車線を使い分けて最小時間で通過、渋滞情報ではあと1時間出発が遅れていたら、20km渋滞に飛び込むはめになっていた。その後の伊勢自動車道に入ってしまえば、クルマは流れ出すので「安濃SA」で名古屋から120km、1時間半、初めての休憩。朝ご飯としておにぎりやパンを手に入れて再び走り出す。


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曽爾村 屏風岩公苑


 久居ICで下道に降りて曽爾村を目指す。最初の立ち寄り場所はヤマザクラの植樹をおこなった曽爾村、小生ひとりだけの植樹であったので家族にも見せてやりたかった。空いた山道を快走し通年よりも早く桜が散ってしまった屏風岩公苑に到着。芽を吹き出したばかりの木々の緑が鮮やかで美しい。


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 植樹してから1ヶ月半が経過し、枝ばかりであったヤマザクラもあおあおと葉を茂らせていた。ちゃんと根も生きているようで凜として立っていてまずは安心した。鹿に食べられないように柵で囲われてはいるけど、この夏には柵も外されて枝葉が広がる予定だ。周囲の古木達は100〜130年を経たもので、いずれはこの木も負けないように育ってくれると期待したい。この娘達の孫、ひ孫の頃が100年後、つまりはこの子達がお婆さんになっているはずで、このヤマザクラの事をしっかりと次世代に語り伝えてほしい。


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屏風岩
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兜岳 鎧岳


 曽爾の町から見上げる屏風岩。のこぎりの歯のような山の端が印象的でその山腹に公苑が広がっている。屏風岩の北側にはそり立った岩壁と尖った頂きの2つの山がでーんとたっている。2ヶ月前は岩肌が露出していたけど、黄緑色の衣を着たように新緑で覆われていた。とっても記憶に残る姿なので訪れるたびにしばらく見入ってしまう。曽爾村からR369で西に向かい渋滞する榛原を避けてR166で三輪大社のある桜井へ向かった。


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三輪大社


 なにかお願い事があれば、なにはともあれ三輪大社。次女の大学合格のお礼に参上した。午前10時前にもかかわらず、参拝者で賑わっている。社が用意している駐車場は満車で車列が出来ているので、いつもの三輪駅近くの駐車場にとめる。最近は名古屋ナンバーのクルマも多くなったと駐車場の方からお話を聞いた。


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二の鳥居 参道


 鳥居をくぐって参道を進む。いずこの神社も砂利を踏みながら歩くとそれとなく厳かな気持ちになってよろずの神様のパワーを感じる気がする。長い石段も努めて上がることに意義を感じる。いわゆる三輪家の守り神、たしか厄年の時もここにきたっけ。

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巳の神杉


 拝殿前には「大幣」が置いてあったので、にわか神主になって家族をお祓い。祝詞など知るよしもないので、適当に?頭を下げてもらって大幣を振る。まじめに頭を下げている家族の姿が面白い。無病息災で家族がいること、次女の願いを叶えて頂いたお礼をしっかり祈祷した。境内には「巳の神杉」というご神木があって、大物主大神の化身の白蛇が木の根っこには洞に棲むといわれている。以前、次女の筆記用具を携えて祈願していたので、成就したことをお礼した。


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ほうじ茶アイス


 参道の酒屋で地酒を手に入れつつ、アイスタイム。小生は「ほうじアイス」なるものを初めて食べたが、さっぱりしていて味はまさに「ほうじ茶」、なかなか美味しかった。抹茶アイスがあるくらいだから、ほうじ茶アイスがあってもおかしくはないな。


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来来飯店 吉野神宮


 三輪大社から次の目標、谷瀬の吊橋にむけて出発。榛原市内は混むのがみえみえなので、県道37号で鹿路トンネルをぬけて南進。この路は混むことが少ないのでとてもいい。吉野川に出て混雑するR169を避けて、対岸の県道39号を西進して時間を稼ぐ。ほどなく吉野口、吉野神宮駅にやってきた。ここから吉野山にあがってゆくところで、2年前に転倒して肋骨を折った苦い思い出の場所。それにしてもここから自走して名古屋まで帰ったものだ。。。振り返っても右胸痛かったなあ。
 ちょうどお昼前になったので、前に来たときに美味しかった覚えのある中華料理屋さんで昼食。メニューも豊富で何食べようか迷ってしまうが、ボリュームも味もいい難じ。家族は初めてであったが評判良かった。夕飯は和食になるのでお昼くらいは違う系統の食事を選びたい。

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下市町商工会議所


 バイクで走るように裏道ばかり、さらにこの先もコンビニすらなくなる山に入ってゆくので、急遽下市の街道でトイレ探し。日曜にも関わらず、商工会議所がミニ道の駅みないなことをしてくれていて安堵。中では冷えたお茶まで出してくださり、気分良くした小生は杉のまな板まで購入してしまった。ここからは県道20号を快走し、あとは湯の峰までみちなりのR168にのった。


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谷瀬の吊橋


 十津川沿いの路はホントによくなった。蛇行する十津川を無視するように高規格なトンネルで山を貫いてゆく。やがて立ち寄りスポットの谷瀬の吊橋にやってきた。GWもあって、観光客でいっぱいで駐車場も待ちの状態。ならばとまずはクルマで吊り橋の対岸で家族を下ろす。皆が渡りきった頃にクルマで再び家族を拾うという作戦をとってみた。家内がとりわけ高所に弱いので、遠くから見ていてもかなりびびって歩いているのが分かった。話では相当に揺れたようだ。20名までと制限されているのに係のおじさんは制限関係なく通行させていたと家内は文句を言っていた。引き返そうと思ったようだが、そこにはクルマがあるはずもなく、決心して渡りきったそうな。

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道の駅 十津川郷


 本宮大社まであと30kmほど、十津川の道の駅で最後の休憩を取る。三輪大社からここまで約90kmの道のりを2時間半でやってきた。ここも駐車場がクルマが満車、平生は静かな所なのに流石にGWの人出はすごい。谷間の山々の緑がさわやかだ。葉を落とさない針葉樹の濃い緑と若葉の黄緑色のコントラストが美しい。これから6月頃までは、緑がうっそうとしてお山の最も力強い季節。


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熊野本宮大社


 熊野三山、最初のお参りは本宮大社で予定通り午後3時、自宅を出てから270km、9時間の道のりでたどり着いた。参道近くの社の駐車場は既にいっぱい、参道近くで家族を下ろし河川敷の臨時駐車場にクルマを止める。拝殿までまっすぐ156段の石段が続いていて、健常な小生も途中でひと息つきたくなる。膝の悪いおふくろには、本日最後の試練。毎度、長女が付き添ってくれるため、小生はその後尾を「落ちてきてもいいように」続く。

このお宮の縁記は。。

天火明命あめのほあかりのみことは、古代、熊野の地を治めた熊野国造家の祖神です。天火明命の息子である高倉下たかくらじは神武東征に際し、熊野で初代神武天皇に天剣「布都御魂ふつのみたま」 を献じてお迎えしました。時を併せて高御産巣日神たかみむすひのかみは天より八咫烏やたがらすを遣わし、神武天皇を大和の橿原まで導かれました。第十代崇神天皇の御代、旧社地大斎原のいちいの巨木に、三体の月が降臨しました。天火明命の孫に当たる熊野連くまののむらじは、これを不思議に思い「天高くにあるはずの月が、どうしてこのような低いところに降りてこられたのですか」と尋ねました。すると真ん中にある月が「我は證誠大権現(家都美御子大神=素戔嗚尊)であり、両側の月は両所権現(熊野夫須美大神・速玉之男大神)である。社殿を創って齋き祀れ」とお答えになりました。この神勅により、熊野本宮大社の社殿が大斎原に創建されたと云われています。(熊野本宮大社HPより)
 撮影禁止の拝殿内には4つの社殿があり、第一殿 熊野牟須美大神、事解之男神 第二殿 速玉之男神 第三殿 スサノオ 第四殿 天照大神が祭られている。スサノオ(素戔嗚尊)の子、大国主神は三輪大社の主祭神であり、熊野大社と三輪大社の繋がりもおもしろい。三本足のカラス、八咫烏がこの大社のシンボル、日本サッカー連盟のエンブレムにもなっている。


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湯の峰温泉


 温泉が大好きな小生、数多の温泉の中でも、この湯の峰温泉は別格。なんだかんだと家族を連れてやってきている。硫黄泉のよさ、静かな佇まい、お宿の雰囲気、リピートしたくなる要素がつまっている。
 「湯の峰温泉は四世紀ごろに熊野の国造、大阿刀足尼(おおあとのすくね)によって発見され、後に歴代上皇の熊野御幸によってその名が広く知られる様になりました。開湯1800年。日本最古の湯として愛される湯の峰温泉は、今も昔ながらの温泉情緒を残し、湯の町の風情を感じる事が出来ます。古の人々は熊野詣の旅の途中、湯の峰で湯垢離を行い、聖地での禊ぎと旅の疲れを癒しました。日によって七回も湯の色が変化するといわれている天然温泉の岩風呂「つぼ湯」は参詣道の一部として世界遺産に登録されています。」(観光協会HPより)


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湯の峰温泉 あずまや


 宿泊する「あずまや」は江戸中期から(約300年前)から、面々と続いてきた老舗旅館。夕方には玄関に草履番が立ち、純和風の伝統を守っている。白木のモダン和風な旅館も流行であろうが、小生は「寂び」の風情たっぷりのこの宿が大好きだ。


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 何が良いって、この風呂場の味わいが小生には堪らない。物心ついたころから家族に連れられて、この宿を使ってきた。玄関回りも、この風呂場もその頃からまったく変わっていない。主に聞けば、60年ほど前に手を入れたまま、いまもそのままだと言う。浴槽の檜も朽ち始めて薄く削がれてきた、湯くちからの石灰成分の堆積も時間を感じさせる。幼い頃の記憶、そのままに今も小生が同じ湯船に浸かることができる有り難さを思って、時間を忘れてお湯を楽しむ。



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湯の峰 湯筒


 お宿のお湯にどぼんと浸かってから、夕飯前に共同風呂前の90度のお湯が沸き立つ「湯筒」に出向く。売店で卵を買って、これにつけておけば12~13分で美味しいゆで卵の完成。回りには、海外からの人たちも多く見かける。熊野古道の世界遺産に登録される以前から、この湯の峰は海外のハイカー達から注目を集めていたようで、アジアよりもアメリカ、欧州の人たちが多いことに気づく。それにしても、この湯の峰温泉の良さを遠く彼方の海外の人たちが理解して、交通不便なこの地まで訪れていることに感嘆する。J-Hoppers という海外人向けのゲストハウスもできてますます賑わって欲しい。


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 二間続きのお部屋が用意されていて、気の良い仲居さんに準備してもらい揃って乾杯。小生はいつものお父さん席に陣取って、家族が楽しく食事をする姿で満足、満足。今日もいつものようにハードスケジュールであったが、おふくろを始め無事に参拝を終えたことに感謝。また明日も、みんなで走るよ〜〜




by akane8150 | 2018-05-04 20:41 | Cars | Comments(4)
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Golf Bike Cars and Beer


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