小生の備忘録

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RZ250改 10 その3 島津越え 地蔵峠 杉 保月 五僧


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霊仙山

 早朝に名古屋の自宅を出て、敦賀、小浜、京北と走り、彦根近くまで戻ってきた。目前の養老、鈴鹿の山を越えれば名古屋も近い。霊仙山はなだらかな頂きを見せて周囲の最高峰の姿を見せている。

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多度大社

 方角を頼りに多度大社を目指していたら、いつの間にか、参道街道に入り込んでお社の前に到着。鳥居前の糸切り餅などのお店はすっかり閉店して静かだ。ちゃちゃっと、手を合わせてお参りした。


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上石津多賀線(島津越え)


 さてさて、大好きな多賀のお山に入る。東から西へ抜けることが多いので、今回のように多度側から登るのは新鮮。関ヶ原の戦いに敗れた島津義弘が、命からがら逃れた裏街道がこの上石津多賀線で、いわれから「島津越え」とも呼ばれる。

 西軍の将として西軍の本陣 石田三成軍の横に山を背負って陣取った島津義弘は、小早川秀秋の行動によって戦いの大勢が決したのを見て自らの進退を決し、雄略知略をもって徳川家康の本陣前を駆け抜け、活路を牧田路から西伊勢街道(現在の国道365号の旧道)にとって背進しました。
 島津軍約1500名は、井伊直政や本多忠勝らの精鋭に追撃され、上石津の地に到着した頃は約200名、義弘の甥・島津豊久は重症を負って多良まで辿り着きましたが自刃しました。豊久の位牌を祀る瑠璃光禅寺は、西伊勢街道の勝地峠を越えて山間道を進んだ上多良樫原地区にあり、近くのカリン藪と呼ばれる地に豊久公墳墓之地碑があります。
 島津義弘らは、多良から時山、江州の保月の山道を経て、水口~信楽~上野を経由し大阪城で人質となっていた義弘夫人らを救出して、堺より海路で兄島津義久の居城 大隈に辿り着いたのは10月3日、関ケ原の敗戦から18日目でした。その時の生還者はわずか80名ほどと言われています。
 琳光寺(上石津町牧田)には、背進の殿をつとめて戦死した国家老阿多長寿院盛敦の墓が子孫によって建立され、その周囲には戦死者18名の自然石の墓標があります。宝暦治水の折、この戦いに参加した島津の子孫たちは、治水工事の合間に小さな石造りの五輪塔を作り、先祖の供養をしたと伝えられています。
国土交通省HPより

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多度町 来栖

 多度大社のあたりから、「河内の風穴」の案内にそって山あいに入ってゆく。程なく右手の橋を渡る分岐部が島津越えの始まりだ。このふもとの集落「来栖」を過ぎてしまうと、山の向こうの岐阜県時山まで人の住む集落はない。

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調宮大明神神社

 杉坂、集落杉にいたる来栖の入り口には大きな鳥居があって、調宮大明神神社(ととのみや)がある。近くの多賀大社の奥の院ともよばれ、歴史のあるお宮。杉の古木に囲まれて、苔むした大きな磐が控えて、とてもひっそりと鎮座していた。

 創祀年代不詳。社伝によれば多賀の大神が杉坂山に降臨なされ、更に栗栖の里にしばし休まれたという。その後大神は多賀の宮に移られた。当社は多賀大社の元宮といわれ、現在も多賀大社の御旅所として、4月22日古例大祭。11月15日の大宮祭には本社のご神幸がある。明治10年村社に列せられる。
滋賀県神社庁HPより

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杉坂

 ほぼ1車線しかない狭い山道。タイヤを乗っけたら大変な事になるけど、わだち以外はみどりの苔で被われて眺める分にはキレイだ。来栖から峠まで標高差は500mほど、低いギアでのんびり上がってきたら、白煙がすごいことになっている。
 この狭いところで上から降りてきた2台のクルマをやり過ごす羽目になった。本来優先されるべき上りなのに、譲る気もなくどんどん降りてくる。。。 小生は足をばたばたさせて、ガードレールのない谷側の路肩一杯にバックで寄せる。週末に集落にやってきた元住人の人たちだろう。「そこのけ、そこのけ」って雰囲気ありありで、どうよって感じ。

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多賀神木
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三本杉(日本観光振興協会から)

 峠のすぐ手前に古びた石の標示。この先の斜面には、多賀の神木「三本杉」という巨木が鎮座している。イザナギの大神が天から降り地面に刺した箸が成長したと言われる県下最大級の杉だ。
 イザナギは国作りのあとに「淡路島」に降り立ったとされるのが通念であるが、この杉坂こそが天地降臨の場所とする伝説が残されている。


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廃村 杉

 杉坂をクネクネ道をのぼり、三本杉も通り過ぎると猫の額ほどの平地が現れる。「杉」の集落はいつ頃から存在するのか不明であるが、神代以前の歴史をもつ多度大社や来栖の調宮大明神神社と関わってきた集落だから、かなりの古さだろう。明治の頃には18戸、74名の人口があったそうな、昭和48年頃に一人もいなくなって廃村となる。廃村となって40年も過ぎているが、点在する家屋は未だ朽ちずに残っているものもある。今も住人が手を入れているからにほかならない。


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 簡易舗装は路肩の境界もあやしく、クルマのタイヤが踏まない所は、雑草や苔で被われる。クルマの往来が残っているからなんとかこの状態でいれるけど、クルマも入らなくなるようになれば一気に草ぼうぼうの自然の姿に戻るのだろう。


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高室林道

杉の集落を過ぎてちょっと開けたところに分岐がある、ピストン林道の高室林道は未舗装のグラベル。行く先では幾つか分岐があるが、林の中で展望はきかない。

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オフロードワールド保月

 林を伐採した後にバイクには面白そうなコースが出来ている。彦根の溝口オートさんが管理しているオフロードコース。ジャンプやバンクコーナーなどなさげで、どちらかというとトライアルコースのようにも見える。こういったコースを管理、整備するのは大変なことだ、ぜひ走ってみたい人は必ず連絡を入れて許可を得てからにして欲しい。セローでトコトコ走ったら楽しそうだ。

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地蔵峠 地蔵堂

 さらに苔むした道は杉林の中を上がってゆく、すると杉の巨木が柱のようにそそり立っている地蔵峠に到着。この地域で最も古いのではないかと言われ、樹齢は1000年ほど。手前に2本、後ろに根元から枝分かれしたものが1本、どっしりと生えている。その間には立派な地蔵堂があり、伝承では「乳地蔵」と呼ばれていた。母乳の出の悪い産褥の女性から信仰を集めていたそうだ。
 それにしても、峠周囲の雰囲気とこの杉の巨木、地蔵堂の醸し出すオーラーは背筋がぞくぞくするくらい何かしらの力を感じる。宮崎駿がここを取材していたら、きっとアニメのワンシーンに使っていたのではないだろうか。この島津越えの街道の中でも小生にはハイライトな場所だ。
 ちなみにこの巨木は「薩摩杉」と呼ばれ、追いかけてくる徳川勢から保月の村人による道案のおかげで、九死に一生を得た薩摩藩から保月の集落が後に授かったものとも言われている。

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廃村 保月

 穏やかな峠を越えると夕日に照らされた保月の集落に到着。ここは近隣で最も大きな集落で、明治の初めには戸数65、人口300人の相当規模であった。立派な鐘楼を備えたお寺さんや今にも人が出てきそうな家屋が残っている。昭和51年から廃村となりすでに40年以上、小学校や旅館、郵便局まで備わっていたとは思えないほどの静けさで今に至っている。
 このように当時の姿が残っている訳は、住人だった方々が今も定期的に手を入れたり、一時的に生活したりしているからだと聞く。それにしても保月とはとても風流な地名だ、「回りの山の端に残る月を見る」意味から「月を保つ」、保月(ほうげつ)の地名が生まれたという説もあるようだ。名付けた昔の人はよほど風雅な資質を持っていたんだろうと思う。

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アカハギ谷林道

 保月の集落を出ると道は一転し深い渓谷に沿って下り出す。左手には権現谷の先に霊仙山の頂が夕刻の近づいた逆光の中に見えてくる。1つ沢を乗り越えて先日まで通行止めの原因となっていた崩落跡を過ぎ、権現谷の川まで降りてきた。この区間はアカハギ谷林道とも言われる。その昔、山伏に化けたタヌキの皮を朝早く剥いたことによるそうだ、、、かなりエグイ伝承だ。朝方に捕った獲物の皮を剥ぐのには、タブーだったんだろうか、きっと「朝」であったことが問題だったに違いない。

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廃村 五僧
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五僧峠

 島津越え、最後の峠に向かって西進する。五僧への上り道の法面は石灰岩で出来ているためか崩れやすく大小様々な落石でいっぱい。フロントタイヤでも乗っけてしまえばすぐに転倒、クルマもサイドウオールを傷つけたら修理も出来ないようなパンクになりかねない。法面の補強をすればいいのかもしれないが、交通量の少ないこの山奥には無理なのか。道路を塞ぐような災害があっても、ブルドーザーで谷間に落としてしまえばそれはそれで良いのかも。
 登り切ったところが五僧峠、朽ちかけた廃屋が残っている。数年前まで見かけた廃屋はいつの間にか平らに押しつぶされて姿も見えない。冬期間の積雪が昔の人たちの生業も元の自然に還しているかのようだ。

 この五僧峠を含め、走ってきた島津越えは、古代からの美濃地方と近江をつなぐ商いの道、さらには伊勢神宮と多賀神社に詣でる人たちの交通の要所でもあった。長い年月を経た現在でもこの旧道は小生の興味を引きつける。廃村になって人の気配が薄れたからこそ、いまも当時の姿を残せているのかもしれない。季節がやってくると離村に人知れず咲き誇る「桜」「シャゲ」「彼岸花」「モミジ」など人里の名残を味わうのも愛おしい。

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五僧の送電線

 峠を下りてくると谷を走る送電線が近接して見えてくる。日頃、高圧線は遙か頭上を走るモノなのでとても珍しい。鉄塔の大きさからみると100~200キロボルトくらいだろうか、送電線に取り付けられたオタマジャクシのようなねじれ防止ダンパーも大きくよく見える。500キロボルト級ともなれば、近寄ると「ブーン」ってうなり音が聞こえることも。

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上石津町 時山

 来栖から峠を幾つか越えて、人里に降りてくると時山の集落。人里に降りてきたことでホッとする。バス停のベンチでダベリング中のおばあちゃん達の訝しい視線を感じながら、バイクを停めて今日最後の写真を1枚。夕日を浴びてまだ明るいが、午後6時を優に過ぎていた。なんとか日没までには帰宅したかったが、まだまだ自宅までは80kmは残っている。今日はちょいと走りすぎたか。

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「鈴鹿の山と谷」 

 多賀の山奥に細々とした道と名前も書かれていない集落があるのを知ってからは、小生は随分とこの地に足を運んでいる。自然と人の生活が微妙にバランスを取っていた時代が今もそのまま残されていて、歴史が好きで山が好きな小生のツボにはまっているのだろう。そのような中で、ブログでつながっている先達の情報やネットで調べていると「鈴鹿の山と谷」という山岳本に出会った。とても緻密に筆者の足でつづられた山岳ガイドは、山行のみならず集落の歴史やそこに住む人たちの生活までも取り上げていて、とても充実した内容だ。多賀の山々を始め、鈴鹿山脈一帯の山行バイブルだろう。



by akane8150 | 2018-07-29 23:00 | Motorcycles | Comments(4)

RZ250改 10 その2 小浜 旧古河家別邸 堀越峠 R477百井別れ



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エンゼルライン

有料の三方五湖のレインボーラインに比べると今ひとつだけど、無料化されたエンゼルラインも高所から海を見渡せて気分がいいところ。手入れが途絶えて路面が相当に荒れてしまってはいるが、バイクでクネクネを登ってゆくと、小浜の町並みや常神半島が手に取るようによく見える。頂上のひろーい駐車場が閉鎖されてしまっているのが残念。なにか問題でもあったんだろうか。

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小浜 旧古河家別邸 

 今日の最大の目的地。小生はこの古河家とは縁故があって、以前から訪れていた。手入れがされなくなって7,8年が過ぎた。残念なことに3年前に訪れた時よりもさらに建物が傷んでいた。木塀は倒れかけ、瓦はずれ、剥がれた木壁が痛々しい。すばらしい庭園も雑草に埋め尽くされ、石灯籠も崩れてしまっていた。

 若狭小浜の海の雄、古河屋は松前の海産物や東北・北陸の米等を小浜へ、そして京阪へ集散する回船問屋を本業とし、酒、醤油の醸造、金融業を兼業し、藩の御用達をつとめる豪商であった。
 この建物並びに庭園の築造は、古河屋の全盛時代のものであって、文化12年(1815)で5代目古河屋嘉太夫の時である。式台から杉戸をあけると書院は2室からなっていて、床の壁は貼付壁画で、襖絵、杉戸絵、地袋の絵は狩野一門のものである。建築材料は天井を始め障子の棧に至るまで杉の柾目で、柱全部が杉の四方柾を使用している。建築様式の特異な点は、庭を広く見せるために緑の角にあるべき柱が取除かれていることで、これは高度の建築設計によるもので現代でも珍しいものである。
 庭園は小浜藩主お成りのために築庭されたもので、若王子山を借景として蓬莱式書院庭園で、大小の松の多いところから護松園とも云われている。この庭園は藩主を迎えるにふさわしい風雅にして格式ある庭園で、当時の豪商の面目躍如たるものがある。

「ホームページ 若狭小浜の デジタル文化財より」

 築200年にもなる木造建築と庭園、しっかりと整備されていれば、観光に訪れる人たちの目にもとまるだろう。なんといっても北国回船の歴史遺産がほとんど残されていない現状において、この別邸は小浜の貴重な観光資源となるだろう。


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旧古河家本宅 (元 料理旅館 福喜)

 江戸時代後期、古河屋は貧窮する福井藩の財政を支えながら商いを続けたが、明治維新と共にその船をすべて失う現実に直面した。そして豪商の生活も明治・大正の近代化の中に埋もれていった。この立派な木造3階建ての本宅も別邸も、戦後に地元の料理旅館が管理することになる。しかし、その後、料理旅館の経営は行き詰まり、2015年頃に廃業してしまった。
 県の指定有形文化財であるにもかかわらず、廃業後の手入れをされなくなった本宅はもちろん、貴重な別邸も放置されている。傷んだ家屋や庭を見るのは忍びないし、これを元に戻すのには莫大な費用と労力を要するだろう。どうか現所有者と福井県で取り組んで、江戸時代に栄華をつくした「廻船問屋 古河屋」の貴重な遺産を後世に残してもらいたい。

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小浜 こだま食堂
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カツ玉丼
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玉砕した名物わらじカツ丼

 小浜港にあるB級グルメの定食屋さん。いつの頃から起業しているのかしらないけど、この界隈のツーリングライダーには知られたところらしい。生憎、小生は最近知ったばかり、名物の「わらじカツ丼」に挑戦したが、インパクトに圧倒されて敢えなく残してしまった。今回はその轍を踏まえて、単品で普通サイズの「カツ玉丼」を頂いた。
 取り立てて美味しいわけじゃなくって、お肉は薄めでごく普通のカツ丼だ。この店の売りは、面白いほどのメニューの多さとボリューム、お値打ちさだろう。名古屋のカツ丼は標準で玉子がとじられているが、他の地域だとキャベツが刻まれていたり、ソースだけがかかっていたりと、場所によってカツ丼も様々だ。

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小浜 マーメイド・テラス

 小浜の町並みに面した海岸線はきれいな砂浜、遊歩道が続く。夕日がきれいなこの遊歩道に人魚の像がおかれている。そのわけは。。。800才で死ぬまで美白で二十歳前の容貌だった八百比丘尼(やおびくに)の伝承がこの地に残っているからだ。八百比丘尼は全国に伝説を残してこの小浜で入定したと言われる。それにしても、食べられてしまった人魚の像をかざるってのは、どうよ?って。

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堀越トンネル

 小浜での用件を済ませて正午、まだまだ日は高いので、R162号で南に下って京北から琵琶湖、多賀というコースとした。小浜から堀越トンネルまでは信号も少なく、車の流れも速めでゆったりとしたカーブが続く。途中の名田庄の道の駅をやり過ごして、程なく堀越トンネルに到着。若狭国から丹後国への境界にあるこの峠は古くから栄えた街道だった。

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堀越峠 旧道入り口(京都側)

 ひんやりとした堀越トンネルをでると京都府。旧道への分岐部がその先にある。かねてから通ってみたかった旧道に挑戦しようと思っていたが、なんと!、閉鎖されていた。ありゃ〜残念。

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堀越峠 旧道

 この堀越峠に車道が通るようになったのは、昭和26年で若狭と京都が車道で繋がった。その名の通り、峠は掘って越えたと書くくらいの切り通しになっているようだ。調べてみると数年前まではなんとか通り抜けることが出来たようだが、昨年の秋以来通行止めになっているらしい。行く事が出来ないと分かるとますます行きたくなってしまう。ぜひ、情報を集めて堀越峠越えにチャレンジしたい!。

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旧旧堀越峠入り口
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昭和2年 堀越峠

 人道しか通っていなかった頃の堀越峠のルートは旧国道とは異なったルートであった。堀越トンネル京都側出口には、道しるべが立っていて、この左側の沢を登ってゆくと旧堀越峠に到着するようだ。これも趣がある旧道のようで興味がわく。

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道の駅 美山

 愛知でいうと稲武のどんぐりのように、このあたりでは沢山バイクがやってくる道の駅 美山。さすがに平日だとバイクもちらほらで、日曜なら行列の出来るソフト屋さんもすぐに注文出来てしまう。地元の警察が作ったモノなのか、南丹警察と書かれた乳牛型カウル付きバイク(^^) 牛の目の玉のヘッドライトがまたかわいい。こんなカウリングが売られていたら、しゃれっぽくて面白いのに。

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R162号

 美山の道の駅から京都方面に向かう下りの道も気分がいい。このあたりは杉の植林が進んでいて天然林が残っていない人工林、整然と背の高い杉に囲まれて日差しも届かない森林浴だ。

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国道477号

 井戸峠を経て、R477号で東に向かう。国道ではあるが、すれ違うことが困難な溢路が続くことで知られている。昔からの道が国道に格上げされただけで、拡張もされていないのが現状だ。自然保護の面などで制約などがあるのだろうか。

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常照皇寺
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紅葉の常照皇寺(NAVAERより)

 今回、たまたま道を間違えてたどり着いたお寺。山門に風情があって、本堂にいたる石段がうっそうとして美しい。常照皇寺は北朝の初代天皇、光厳天皇が都の政争を避けて京北の山国に開いた臨済宗の名刹。「九重桜」「左近桜」「御車返し」の名で知られる桜、京都でも別格といわれるほどの紅葉は素晴らしいようだ。NAVAERさんの紅葉写真は、この山門の秋の姿を教えてくれる。

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R477号 花脊峠
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R477号 花脊峠 鞍馬側

 花脊峠(はなせ)は京都と若狭をつなぐ古来からの「鞍馬街道」の峠で、前後の上り下りは「人道」を広げて作っただけじゃないかと思うくらいRのきついカーブや急坂が続く。谷を覗けば、先に自分が走る道が真下に見える。こんな所はRZのお得意の場所で楽しい。もしも、GLサイドカーで走っていたらすっかり握力を失ってしまうだろう。この坂を下りきったらもう京都の鞍馬寺だ。

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R477号 百井別れ

 ここが酷道477号でも有名な「百井別れ」、花脊峠から下ってくるとほぼ180度転回しながら向きを変え、斜面にへばりつくような細い1車線の下り坂で百井峠へと向かう。直前の道路標識を見ていても見落としやすく、国道として考えたら「あり得ない」分岐だ。この日は鞍馬への通行止めで、道路閉鎖をしていたガードマンに聞いてみると、地元民の軽自動車なら切り返さずに「一発で」廻ってゆくとのこと。まさにその直後、上から降りてきた軽自動車は道幅いっぱいをつかって回りきって抜けていった。
 このあたりの山道は、斜度が大きいのでカーブはほとんどがきついヘアピンばかり。この百井別れも内側の杉を何本か切ったところで、高低差がありすぎて道路にすることが出来ないのだろう。でも、これって、国道だから話題になるわけで、林道や市道などであれば見かける分岐のようにも思える。

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R477号 百井峠

 百井別れから百井峠あたりが、R477でも最も狭いところ、また最も路面が荒れているところ。クルマでの離合は無理だしバイク同士でもスピードを下げたくなる。舗装がとことん痛んでいて、ひび割れ、プチ陥没などなど、なぜ補修しないのか不思議なくらいだ。国道なんだから予算がないとか、無理とか、そんな理由もないと思うが。
 それでも、ゆるやかな百井峠には、姿を失いかけたふるーいお地蔵さんが新しい花を添えられて佇んでいた。足下にはきれいなコケの絨毯がひかれ、背景には木の根っこの深そうな「洞」が開いている。峠をかざるお地蔵さん達の中でも、とっても美しいお姿だ。

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大原百井町

 ここまで降りてくると「琵琶湖大橋」なんて、ひと安心する道路標識が出てくる。今日は通行止めになっているが、これを北にとれば朽木に至る。今日は道なりに山をおりて「途中」を抜けて琵琶湖大橋を渡った。

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琵琶湖

 琵琶湖大橋を渡ってすぐに左折、強い西日を浴びながら湖岸道路を北に走る。交通量は多いけど、信号が少ない分、クルマの流れは順調で彦根をめざしてもくもくと走る。琵琶湖の向こうにはずーっと比良山地の峰が続いている。今日はあの向こうの山の中を走ってきたんだ。

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宇曽川から望む霊仙山

 さて、ここまできたらどうやって名古屋に帰ろうか。午後3時、おそろしく暑い中、まだ日はあるだろうから「涼しい」であろう多賀のお山を抜けてみようかと「やる気」が出てきた。東に見えるは、多賀の廃村を抱える霊峰「霊仙山」、あの麓をめざして走る。

その3に続く




by akane8150 | 2018-07-21 20:30 | Motorcycles | Comments(4)

RZ250改 10 その1 柳ヶ瀬トンネル 敦賀 高速増殖炉もんじゅ 



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RZ250改

 さて、梅雨も明けてお休みの金曜がやってきた。暑いさなか、どこに繰り出そうと思案してると、小浜の旧古河家がどうなってるか見に行こうと思いたつ。ここは小生にも縁のあるところで、建物や周囲の現状が気になっていたのだ。

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 今日も35℃以上の夏日が予想される。このまえGLサイドカーで走ったら、エンジンの熱気で脛に2度の熱傷をしてしまった。冬場は快適なGLも熱気が下半身にとどまり、上体もシールドで完全にプロテクトされて夏場はライダーにとても辛い。MT-01も股ぐらの1700cc空冷エンジンはたき火をしているようで、これもクソ暑い。その点セローはエンジンの暑さには無縁だけど、長距離移動は辛いだけ。消去法で今回の伴侶はRZに決まり。水冷のRZは足下は暑くはなるが、排気量が小さいせいか全然暑さにも耐えられる。

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伊吹山

 早朝に自宅を出発、名神高速道路で関ヶ原まで走って時間を稼ぐ。さらに時短するなら高速でそのまま木之本あたりまで走るのだが、幸い薄曇りの天気でのんびりと伊吹山を眺めながらと、関ヶ原ICで下道に降りる。ここから木之本までは、R365号にのっかって行けば良いけど、小生は信号を嫌って一本北側を走る農道(坂浅東部広域農道)を使うことが常套だ。伊吹山の最もふもとをノンストップでかなりの距離を稼ぐことが出来る。途中には道の駅もあって利便よし。ただし、その道の駅の近傍、西行きの直線路では「ネズミ取り」をやってることに注意が必要。

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木之本迂回路

 快適な農道もやがてはR365号に合流して木之本を目指す。敦賀に向かうのであれば、木之本周囲の市街を避けるためにも小生は街の東側を迂回する事が多い。高時川にそってr332号、r285号、r284号と走って、信号の無い田舎道を走って木之本の北側でR365に合流する。

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滋賀県道332号

 この脇道に入ると、まずは水田の中の直線路となる。これがなかなか気分のよい道で途中にはクランク状のカーブもあったりと好きな道だ。坂内に向かうR303号の交差点には、日曜も開いている貴重なガソリンスタンドもあり重宝する。その先は高時川にそって峡谷の中を進み、パターゴルフに勤しんでいる地元の人たちを横目で見ながら、余呉湖の北で国道に合流する。

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旧北陸本線 中之郷駅跡

 R365もまっすぐに伸びて気持ちの良いコース、その途中に鉄道駅のホームらしき遺構と駅名が残っている。このR365に沿ってを旧北陸本線が走っていた証だ。

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 大正15年に当時日本最長の柳が瀬トンネルが開通するに至って、東海・関西と敦賀が鉄道で結ばれる。そして西側に現在の北陸本線が出来る昭和32年までは、このルートが日本海と太平洋を繋ぐ動脈となった。

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昭和7年 1/50000地図

 古地図では手前の柳ヶ瀬の街から刀根にぬける山道が描かれている。昭和7年の頃は、まだまだこの刀根経由が北陸本線のルートであり、近隣の駅にも賑やかさがあったんだろう。しかしこの刀根越には車道が引かれたことはなく、すでに現在のR8の塩津街道が車道として使われていたようだ。

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柳ヶ瀬集落

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刀根越

 当時の地図を探してみると、鉄道はトンネルを介して県境をこえるが、人道は昔のままの山越えであった。それが「刀根越」、柳ヶ瀬の集落からの道筋が描かれている。RZなら多少の林道も怖くない。今日はその人道をいけるだけ行ってみた。しかし数百メートル走ったところで、沢から外れて尾伝いの山道となり、残念ながらRZはここまで。

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柳ヶ瀬トンネル(滋賀側)

 ふたたび県道に戻って、柳ヶ瀬トンネルの入り口に到着。交互通行の信号は6分30秒間隔で、ラジオ体操ができるくらい待ち時間が長い。明治時代に開通した単線のトンネルは現代の規格と比べると狭くて低い。それにしても明治15年に出来てから、列車からクルマまで100年以上に渡って現役で活躍してるトンネルはとても貴重なものだ。

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 トンネル内は照明は少しだけ、RZの暗いハロゲンランプでは役不足だ。途中には2個所離合できる広さが確保されているが、現在は入り口信号で交通整理されているので鉢合わせになることはない。1300mのながーいトンネル内は、すっかり涼しくってトンネルを出たらカメラのレンズが結露してしまった。
 急坂のためこのトンネルの中で蒸気機関車が空転し立ち往生、その煙で機関手達が死亡したという痛ましい事故も、このトンネルを迂回する路線を作るきっかけになった。

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柳ヶ瀬トンネル(福井側)

 福井県側にでると刀根越の道が現れる。以前は小さな案内板であったのに、いつしか新しくりっぱな「玄蕃尾城址」への案内が出来ていた。先ほど確認した刀根越えの反対側が気になって、沢の道を上がってゆく。これも古来の越前と京を結ぶ鯖街道のひとつ。

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玄蕃尾城址登山道

 数キロの簡易舗装を上がってゆくと、道はやがて尾根の手前にさしかかりそこでクルマ止めとなる。歩道はつづら折れでさらに登ってゆき、峰にある玄蕃尾城址まで続いている。さらにその先は先ほどバイクで訪れた柳ヶ瀬集落だ。気候の良い頃に歩いてこの刀根越えをするのも気分がいいだろうな。

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スーパーオートルーブ

 国道8号線に出て敦賀市内を目指していると、「OIL」警光灯がぱっかりと点灯。途中で補給が必要そうだったので、シートバックの中には1L缶を積んであった。RZのオイルタンクは1.5L位は入るのだろう。警告灯がつくと「1L」はすっかり飲み込んでほぼ満タンとなる。再びOIL警光灯がつくのは400~500km先で、小生のRZはオイルをよく食う。

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金ヶ崎城(金崎宮入り口)

 8号線のバイパスで敦賀インターを通り越し、敦賀港に到着、最初に寄ったのは敦賀の港に隣接する「金ヶ崎城」。織田信長が挟み撃ちに遭いそうになり、秀吉を殿としてこの金ガ崎から撤退してピンチをしのいだ。駐車場から城址までこれまた歩かなくてはいけない。。。お山の上がどうなってるか見てみたいのだけど、このくそ熱い真夏日にバイクの格好で石段を上がる意気地無し。


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敦賀 赤れんが倉庫

 敦賀の港には、以前に派無かったようなおしゃれな立ち寄り場所が整備されていた。昔からの倉庫がレストランやジオラマなどを含んだレジャースポットになっている。模型に目がない小生は、次回じっくりと訪れてみようと思う。

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敦賀 どんと屋

 5,6年まえに新しく出来た敦賀港にある海鮮料理屋さん。小さなお店でほぼカウンターだけではあるが、美味しい海鮮丼でお値打ちとあれば、絶えず行列ができる。この日も11時前にも関わらず、もう待ち人がいた。小生はさっさと諦めて小浜まで我慢することに


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高速増殖炉もんじゅ

 国家プロジェクトである高速増殖炉もんじゅが作られて35年、数回の稼動のみでトラブル続きが原因で廃止と決まった。対費用効果で評価してしまうと恐ろしく巨額な無駄遣いをしてしまったことになろう。それでも最後まで福井県は廃止に反対していたという。

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もんじゅ専用ゲート

 岬のつきあたりのもんじゅは厳重な監視下で守られている。もんじゅに行くには専用のトンネルを通らないと行けない作りだ。帰り際にこの正面ゲートにカメラを向けただけで、気付いた警備員は大声でこちらに向かって叫んできた。写真を撮るだけで、これだけのリアクションをするのだから、ここは尋常な地域ではないことを思い知った。

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美浜原子力発電所

 美浜原子力発電所は40年前から稼動を開始した日本最初の原子力発電所らしい。原子炉は3機あるのだが、うち2機はすでに廃炉が決まって残りの1台も検査休止中。さらにこの美浜原発の近くには敦賀原子力発電所があって、まさこの敦賀半島は原子力発電所の展示会場のようだ。その敦賀原発の1号機も廃炉が決まり、この先30年近くかけて撤去されると聞く。稼働し始めた頃は、現在のように廃炉の時期がやってくることを現実にとらえていたんだろうか? 原発が稼働できるのが40年間前後、それを廃棄するのに30年前後かかってしまう手間はいかがなモノか。

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水晶浜海水浴場

 蒼く透き通った海と粒の大きめなきれいな砂浜、水晶浜はこのあたりでも有数の海水浴場だ。知多の海と比べるもなく、海水浴場としては最高だ。若い頃はクルマに仲間を乗っけて夏を楽しみにきた。まだ北陸自動車道路も整備されていなかったから、日の出前に名古屋を出発して4,5時間かけてここまでやってきた。帰りはお決まりの渋滞で、国道8号線の数珠つなぎが大変だった思い出が蘇る。

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美浜迂回路

 高速道路が出来るまで、夏場の渋滞時には信号のせいで美浜の街を抜けるだけでも大変だった。その頃から使ってる抜け道、東の坂尻交差点からすぐにトンネルに入るところが始点で、そのまま道なりに西に向かえば若狭三方IC近くまでノンストップの道が続く。

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R162号 若狭リアス式海岸

 三方五湖の道の駅からの海沿いの道は、右手に若狭の入り組んだ海岸線を見せながらの気分のよい道だ。以前の旧道はクネクネで狭く、走り応えのある海沿いの道だった。現状は快適なツーリングコースに。トンネルを幾つかやり過ごせば、小浜はもうすぐだ。



1年前にMT-01で若狭を訪れていた。


(次に続く)




by akane8150 | 2018-07-18 08:03 | Motorcycles | Comments(6)
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