小生の備忘録

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GL1200サイドカー 11 能登一周 4 親不知 黒部ダム 関電トロリーバス


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能登一周最終日

さて今日は名古屋まで帰らなきゃ、親不知と黒部ダムをじっくりとみてこようと計画。

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宇奈月温泉駅

 例によって朝食は一番をお願いして、7時半に出発。宇奈月の駅にはもうすでにトロッコ電車に乗る人たちが集まっていた。駅前の黒部川電気記念館に寄りたかったが、先を急ぐために諦めた。関西電力が運営する黒部ダム周辺を紹介する施設で、なかなか見応えがあって立ち寄る甲斐あり。

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親不知 

 国道8号線にのっかって東へ海沿いを進むと右側から山が迫ってきて、やがて平らな所は無くなって海に落ち込む山肌を縫うようにトンネルが始まった。天険トンネルを出たらすぐ左にホテルと駐車場が有り、その先が旧国道の残っている親不知に到着。親不知は古代から交通の難所だ。

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親不知コミュニティロードと展望台

 旧国道は天険トンネルができるまで現役の主要道路だった。いまはコミュニティーロードと名を変えて遊歩道になっている。それにしても車幅は狭い、トラックなどはすれ違えたんだろうか?

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 展望台ではこの険しい親不知に道を切り開いてきた歴史が案内されていた。かなりリアルなジオラマも作られていて面白い。道が出来るまでは海岸線の砂浜が唯一の交通路だった。

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親不知4世代道路 

展望台からは遠くに北陸自動車道(第四世代)とシェッドで覆われた国道8号線(第三世代)そして海岸(第一世代)が一望できる。


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第一世代 (糸魚川観光ガイドより)

 親不知は古くから北陸道最大の難所として知られてきた。波間を見計らって狭い砂浜を駆け抜け、大波が来ると洞窟などに逃げ込んだが、途中で波に飲まれる者も少なくなかったといわれる。 断崖と波が険しいため、親は子を、子は親を省みることができない程に険しい道であることから、親不知といわれるようになった。とくに危険が高かったのは「長走り」といわれた区間の500mほどだったそうな。

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第二世代 (不知旧道)
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昭和10年の親不知国道

 初めての人道は明治15年5月に着工し、翌16年12月に親不知国道として開通した。当時は機械など無かった時代だから、すべて人力で山を削り道路を作り上げた。実延長約1km、この開通によって人々の往来は激しくなり、それに伴って人力車は急増し、旅籠、飲食店、諸品の小売店なども増え、この地方一帯の村々に多大な利益をもたらすに至った。明治から昭和41年までの間、落石や崩落に合いながらも、地域の生命線として活躍した。

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第三世代 天険トンネル

 車社会に対応するために1966年(昭和41年)に延長734mの天険トンネルが完成し、旧国道は町道に降格しやがて観光の散策路として今に至る。路肩が狭く歩道も無いために、自転車や歩行者は旧国道を使いように指示されていた。

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天険コミュニティ広場 東遊歩道入り口

 国道横の駐車場からは遊歩道が出来ていて断崖の下まで行けるようになっている。400mと書いてあるけど、折角来たからには行ってみよう。

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波打ち際(第一世代道路)

 いやっあ、確かに400mなのかもしれないけど、落差がとんでもない。下り始めて止めとけばよかったんではないかと不安になる。途中にはなぞのトンネルや見事な滝もあって、飽きはさせなかったが。10分ほどで猫の額ほどの砂浜に到着。ここが道の無かった頃に、波を受けながら歩ききった街道だ。近年砂浜がどんどんと浸食されて干潮に関係なく海に洗われてしまったようだ。

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 帰りのことを思うとおちおち出来ない、再び急な階段を登り始める。見上げると気が遠くなるので、足下だけに集中してひたすら上がる。やがて気になったトンネルにやってくる。

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旧親不知トンネル (土木学会選推土木遺産)

 ぽっかりと口をあけたれんがのトンネル、そして沢の向こうにはシェッドとそれに続くトンネルが口を開いている。手前には案内書きがあって。。。
 このトンネルは、北陸道最大の難所天険親不知の断崖絶壁を貫通させ、整備された鉄道トンネルで、大正元(1912)年に竣工しました。鉄道網が整備されて以降、産業経済のみならず生活文化についても地域の近代化に貢献しました。しかし、昭和40年に複線化となり、貨物や旅客の輸送の役目を終え廃線となりました。建造から100年以上が経過しますが、断崖絶壁にあるレンガ積みのトンネルは、絶大な存在感があり、当時の土木工事の英知を語りかけてくれる貴重な土木遺産です。トンネルは約700mあり、フットライト等が設置され、通行できるように整備されました。また、「親不知コミュニティロード」と遊歩道で結ばれ、周遊することができます。周遊は約2㎞、所要時間は60~90分です。(案内図より)

 一人じゃ無くって、時間に余裕があれば、100年以上も昔のトンネルを歩いて抜けるのも面白いだろう。トンネル内はところどころに小さな明かりが付いてはいるが、こういった所が苦手な小生は入れないなあ。


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信濃森上

 親不知から糸魚川のあたりでは、どしゃぶりにあった。まあ、気持ちの良いほどの大雨で、瞬時に国道が川になるほど。かっぱ、長靴の完全装備であったので全く心配なかった。返ってバイクがキレイになったんじゃなかろうか。

 R148を南下して再び山岳地帯に入ると、覆道におおわれて姫川沿いをクネクネ走る事になる。山が途切れた小谷の道の駅で休憩。この先は雨もなさそうなので、カッパも脱いで気分爽快。サイドカー側はどしゃぶりのことも有り、カバーを外して天日干しだ。

 白馬が近づいてきて、山脈が見渡せるたんぼ道でバイクを止めた。正面のスキー場は八方だろう。雨上がりで景色もキレイだ。近くでお囃子の音が聞こえる。集落に入ってみるとお宮さんの前で秋祭りの真っ最中だった。ちょいと見物。

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木崎湖

 白馬の町は立ち寄らずに一気に木崎湖までやってきた。靜かでキレイな景色をながめてプチ休息。湖畔にはスキー客や体育会系の合宿ねらいの宿が沢山並んでいる。時季外れなのか、とにかくひっそりとしている。

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扇沢駅

 大町からふたたび山道になって行き止まりが扇沢駅、黒部ダムにむかうトロリーバスの出発駅だ。クルマの駐車場の方が駅に近くていいのだが、バイク置き場に案内されてしまった。

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関電トロリーバス

 1時間に2本の運行、幸いにも到着してすぐにトロリーバスに乗ることが出来た。乗客はぼちぼち、ちゃんと座って出発できた。これに乗るのは数回目、架線から電気をもらう2本の「おひげ」が面白い。

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 バスを降りてまずは半袖では寒いくらいのすずしさにびっくり。安易にダムに向かわずに、220段の階段を上って最上のダム展望台に向かう。これは辛い、何が辛いって景色もなにもないので、やる気が出てこない。

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黒部ダム展望台(標高1500m)

やっとのことで超眺めのいい展望台にやってきた。まずは、「お〜〜〜」って感嘆をあげた。何度来てもスケールのでかさに感動だ。

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 階段をどんどん下ってダムの放水がよく見えるところまで降りてきた。どでかい水柱と怒濤の音、いや〜大迫力、それにしてもよくもこんなにでかい構造物を人間が作ったモノだと感心する。



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黒部湖駅側出口

 堰堤は約500mあって向こう側まで歩いて見た。黒部湖駅からはケーブルカーで山の中をくりぬいて立山アルペンルートに繋がって行く。さらに奥に行くとケーブルカーの駅への案内が出てきた。小生は立山アルペンルートの縦走は未体験、なのでいずれ時間を作って、ちゃんとした装備でじっくりと走破してみたい。

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黒部ダム堰堤

堰堤をてくてくあるいて帰路の駅に向かう。丁度ダムの中心から放水している下をのぞき込んで1枚ぱしゃり。落差は何メートルあるんだろう。正面に見える山の向こうにバイクを止めた扇沢があるはずだ。

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殉職者慰霊碑

 ダムの傍らには銅像と工事で命を落とした人たちの名前が刻まれている。殉職者は171名におよび、そのうち墜落事故60名(35%)、落盤事故48名(28.7%)であったようだ。


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 黒部ダムレストハウスであれば、いわゆるダムカレーも頂けたようだが、混んでいたのでさくっと展望台の軽食コーナーで「ナンで食べる黒部ダムカレー」を食べてみた。グリーンカレーでけっこう辛く、パンに飢えていた小生にはナイスだった。

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関電トロリーバス

 たっぷりと見て回って駅に戻る。駅には3台のバスが待ち受けていて偶然にも前席に座ることが出来た。こりゃ動画をとらなきゃとデジカメを回し続けた。来年からは電気バスに置き換わるのでトロリーバスは今期で最後、国内でもトロリーバスなんて珍しいので、さびしいな。
 トンネルの中間地でバスのすれ違いがあるのだが、単線の電車路線などで使われるタブレットみたいなモノを受渡をして、安全を担保している。バスの格好はしているけど、まったく単線の電車と同じで面白かった。
 この黒部トンネルの掘削でもっとも困難を極めた「破砕帯」は車内案内にもあったし、現地もブルーの照明で区別されていた。石原裕次郎の「黒部の太陽」は世紀の難工事といわれたこの黒部トンネル工事を取り上げたもので、見応えのある映画だ。今も破砕帯周辺はトンネルの壁面から滝のように水が湧いて出ていた。




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大町温泉郷 湯けむり屋敷 薬師の湯

 黒部ダムも見てこれたし、あとは名古屋まで走るだけ。その前にちょいとひと風呂浴びようと大面温泉に立ち寄り。大型のホテルや旅館が並ぶが、バブルの頃の面影が悲しいほどに寂れていた。鹿島槍や爺ヶ岳のスキー場の基地となっていた大町温泉は当時めちゃくちゃ賑わっていた。それがいまは廃業したホテルが目に付き、とても悲しい気持ち。
 唯一の立ち寄り温泉施設はそれなりに人がやってきていて安堵するが、お湯が良いのにもったいないことだ。

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北アルプスパノラマロード 安曇野アートライン 県道306号

 大町からはよく知られた抜け道の県道306号を信号知らずで松本に向かう。基幹道路の国道147号は市街地を抜けるために交通量が多く、信号も数知れず。白馬でスキーに向かうときも、この県道ぬけみちががお気に入りだ。多くの美術館がこの街道沿いにあることから、安曇野アートラインとも称されるし、北アルプスの山並みを遠望できることから北アルプスパノラマロードなどども言われる。
 安曇野のあたりは水田や畑、ブドウ畑などが広がって、そこを縫うように走る快走路はバイクで来ると天気が良いと最高のツーリングロードだ。

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駒ヶ根SA

 松本ICから高速に乗って休日夕刻のクルマの流れに乗って駒ヶ根まで戻ってきた。ここまでこれば、なんとなく名古屋に戻ってきた感じがする。コーヒーでも飲んでひといき。

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守山PA

 東の上郷SA、そして北の守山PAは帰宅する前によく立ち寄るパーキング。宇奈月を出てから10時間、約400km、もうすこしでお家に帰還できる。
 GLばあさんは益々信頼性も上がってよく走ってくれた。今回は直前にバイク屋の主がフロントブレーキの調整をしっかりしてくれたので、すこぶる快適に走行できた。しかし100km以上の高速場面でアクセルのツキが悪くなったり、振動がでたりとキャブレターが完調ではない場面もあった。これはまた手の空いているときに、バイク屋さんでしっかり診てもらおう。
 この1年間で東北、九州、能登とGLサイドカーでロングツーリングを楽しんできた。荷物が多い宿泊ロングツーリングはサイドカーが楽ちんなことを再確認できた。さて、お次はどこに行こう。北海道?リピートして九州?



by akane8150 | 2018-09-30 19:14 | Motorcycles | Comments(2)

GL1200サイドカー 11 能登一周 3 輪島朝市 和倉温泉 魚津埋没林


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能登3日目は輪島から南に戻り、富山湾をぐるっと回って宇奈月の温泉に滑り込む計画だ。この日で能登半島とはお別れ、最終日は白馬、大町をぬけて名古屋に帰る予定。

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朝は、屋根をたたく雨音から始まった。一晩中降っていたようで、バイクもずっくり濡れていた。朝食を一番手で頂いて8時には宿を出立した。

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輪島 朝市

 輪島といえば朝市、朝8時からお店が並ぶようだが、この日は雨なのでお店も少ないそうだ。特に欲しいモノがあるわけじゃ無いから、朝市の雰囲気を味わうためにやってきた。生鮮魚からひもの、加工品までの海産物が中心で、農産物や工芸品もぼちぼちってな感じ。宅急便の発送も出来るけど、我が家の冷凍庫が一杯だから「干もの」は買ってくるなとかみさんから指令が入っていたので、見るだけ〜。
 何か記念にと思っていたら、味のあるおばあちゃんが唐辛子の飾り物を売っていたので、ゲット。魔除けになるらしく飾れば御利益があるようだ。写真をお願いしてシャッター切ったら、シャイなおばあちゃんは動いてぶれてしまった。

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 朝市の駐車場では見知らぬ軽自動車から声をかけられる。よくみれば、前夜の御陣乗太鼓の時にたまたま横に居合わせてお話しした人だった。奇遇だなあ。さらに交差点で信号待ちしていたら、たまたま宿の若主人が自転車で通りかかり、信号待ちなのに立ち話開始?? 後ろに車がいないことをいいことに、その場の写真を撮ってくれた。
 旅館のブログにはさっそく写真がアップされていて、ありがたくコピーさせていただく。小さな輪島市内をサイドカーなどでうろうろすると、「どこどこにいたでしょう?」などといわれてしまう。
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輪島 道の駅

 輪島を出る前に道の駅に立ち寄る。電車が通っていた時はここは輪島駅だったそうで、建物には線路とホームの屋根が記念にのこっていた。観光のまちだけあって、観光案内や展示などに力が入っていた。この頃になると夜からの雨も上がってきた、やったね。

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ツインブリッジのと

 輪島からr1で南に走り、穴水に再びやってきた。さらに海沿い走ってこれまでお初の能登島を目指すことに。立派な吊り橋を渡り、島に渡ってみると民家もまばらで信号も少なく能登島はとっても走りやすい。

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道の駅 のとじま

 海沿いにあって景色も良かろうと思っていた道の駅は、高台ではあるが、残念ながら展望無し。晴れた日曜のこともあり、バイクも大勢やってきている。

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和倉温泉

能登島大橋で和倉に入る。橋を渡る手前から反対車線の渋滞がとんでもないことに、片側一方通行の信号による渋滞が原因で、遙か先の和倉温泉街まで車列は続いていた。和倉温泉は能登半島でも有数の温泉地で、全国的にも名が知られている。これまでも何度か来たことがあって、夕食後にゆかたに羽織、下駄で温泉街をだらだら歩くのは面白い。
 
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総湯

 時間もあるし、和倉温泉の立ち寄り湯「総湯」に寄ってみた。多くの客がチェックアウトする10時ごろで、温泉街は人で溢れていた。能登一周の間で、もっとも人を多く感じたのがこの和倉温泉だった。お湯は塩化物泉なので、いわゆるしょっぱい温泉。源泉が80℃以上あってお湯はかなり潤沢のようだ。

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加賀屋

 泣く子も黙る「加賀屋」さん。ロビーもお風呂もバーもすべてが豪華絢爛でなるほど〜って思ったけど、小生の好みには合わなかったなあ。加賀屋はプロが選ぶ日本のホテル・旅館100選で36年間ずーっと全国1位をキープしてきたが、2017年のランキングでは初めて3位に転落した。きっと2018年の今年はホテルを挙げて巻き返しを狙ってスタッフは大変だろう。

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道の駅 氷見

 氷見温泉が気になりつつ、お昼前に氷見に到着。ここの海鮮物をお土産で送ろうと道の駅に立ち寄った。以前来たときは、港の桟橋近くに海鮮物売り場みたいなところがあったはず。道の駅ができるまでは、どこもそんな感じだった。
 お目当ては「のどぐろ」のひらきの幾つかお店をみて価格を勉強、よさげなお店で自宅までまとめて宅急便で送って貰った。日頃、魚の干ものなど買うわけが無い小生にとって、ひとつ1000円はするのどぐろは安いか、高いのかが分からない。できるのはA店とB店の価格比較が出来るだけ。

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氷見うどん

 お腹が空いたので、なにか地元のモノを食べようと物色。氷見の古くからある商店街で通りがかったお店に飛び込んだ。「魚と白エビ料理」に引かれたわけじゃなくって、お目当ては「氷見うどん」だ。氷見うどんのことは何も知らなかったので、出てくるまで楽しみだった。
 出てきたのは、ざるうどんだった。白エビのかき揚げぐらい乗っければ、モアベターかもしれないが、かき揚げ。。。美味しいけど 小生は食後の胸焼けが必須、氷見うどんを後学で調べると稲庭うどんに似てるとおもえた。ぷりぷり、しこしこの麺が美味しさなんだろう。

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雨晴(あまはらし)海岸

 「雨を晴らした」という地名の由来となった義経伝説がここにも残っている。弁慶がこの大きな岩(義経岩)を持ち上げて雨宿りをしたというのだ。山側には真っ白なテラスが印象的なおしゃな道のの駅ができていた。人出が多くって駐車場はいっぱいで待つ車の列が並ぶ。

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観光協会より

 晴れていれば素晴らしい景色に出会うことが出来る。富山湾の荒波と澄んだ空気の向こうに冠雪した立山連峰がくっきりと見える。これはすごいなあ。望遠レンズを持ってないと辛いだろうなあ。

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魚津埋没林博物館

魚津の港近くにある埋没林博物館に立ち寄り。なぜかツボにはまってリピートして訪れている。

 魚津埋没林は、約2,000年前、片貝川の氾濫によって流れ出た土砂がスギの原生林を埋め、その後海面が上昇して現在の海面より下になったと考えられています。魚津埋没林は、天然記念物の中の地質鉱物(化石)に分類され、埋もれている樹根そのものはもちろん、それを含む土地6150㎡が特別天然記念物の指定対象となっています。その指定地は魚津埋没林博物館の敷地に含まれています。そのため、館内に展示されているもの以外に、博物館敷地の地下にはまだまだ埋没林が眠っていると考えられます。(ホームページから)

 プールほどの大きな水槽には掘り出されたままの巨大な杉の根っこが横たわっている。そこからは清水が湧き出ていて、ぷくぷく泡も浮かんでくる。とにかくでかい、樹齢は800年ほどにもなるのだそうで、想像される幹の太さもまたでかい。

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最大級の杉のねっこ
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 水槽の上からだけでなく、横からも観察できる。巨木の根っこはこんなにも横に広がっているんだ。この水槽展示室はすこぶる居心地が良い、なんたって清水の湧き出ている水槽なので夏に来ると天国のように涼しい。

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水槽の水を抜いて年末恒例のねっこの大掃除の風景。これは掃除のやりがいがある大きさだ。(北日本新聞社より)

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宇奈月温泉

 さて今日のお宿は宇奈月温泉。温泉を楽しみたいので早めに宿に入った。サイドカーで来ることを伝えておいたら、社用車用の屋内駐車場を用意してくれた。これはありがたい。宇奈月温泉の泉質は単純泉、すこし硫黄の香りがするかな。いいお湯であることには間違いない。

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 部屋からは駅を出たばかりのトロッコ電車が見えてきた。鐘釣温泉で一泊も考えたが、トロッコがすでに一杯で席を取れないばかりか、一軒宿の鐘釣温泉も3ヶ月前にすでに満室だった。トロッコの終点、欅平から歩いた先の名剣温泉、さらにその先の秘境感たっぷりの祖母谷温泉、いずれも大好きな温泉宿でまた時間が出来たら行きたいところだ。特に祖母谷温泉の内風呂、お湯が滝のように湯船から溢れている豪快さは特筆だ。

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 今宵はこの旅最後のご馳走夕飯を楽しむ。すでに風呂上がりにビールは飲んでいたので、夕食時は最初から地酒の熱燗で一杯。気の良い仲居さんに写真を撮ってもらった。さて明日は最終日。糸魚川から白馬、大町、そして今年で最後のトローリーバスに乗るために黒部ダムにいってみようかと思っている。

能登一周 最終回 に続く




by akane8150 | 2018-09-25 21:56 | Motorcycles | Comments(2)

GL1200サイドカー 11 能登一周 2 禄剛埼灯台 せっぷんとんねる 御陣乗太鼓



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 さて、今日は今回の旅でもっとも楽しみな海沿いをぐるっと走るコース。前もって観光案内に目を通しておき、寄りたい場所は概ねピックアップしておいた。アバウトなタイムテーブルとその進み具合で、取りやめたりさらにより道したり。

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総持寺祖院

 宿泊の地は門前町であったが、字のごとくお寺さんがあるからそのように名前が付いたんだろう。さて、なるほど町の中心にはお寺さんがある。調べてみると火災で建物を失ってしまう明治時代まで、ここは曹洞宗の大本山であったというのだ。全焼を機会に大本山の機能は交通の便の良い横浜へ移ってしまったが、現在も曹洞宗の祖院として親しまれている。

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道の駅 穴水

 R249から県道を使って穴水まで。穴水は能登半島の真ん中に位置して、主要な道路が交差することもあり、ツーリングをしていると何度も通りかかることになる。国鉄時代の能登線を受け継いだ「のと鉄道」は現在はここが終着点で、この先の輪島や珠洲までの路線は廃止されてしまった。

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中居湾ふれあいパーク ボラ待ちやぐら

 能登半島を海沿いにぐるっと走るのはR249で、これに乗っかって東へ走る。能登には観光スポットの近くに駐車場が整備されていることが多い。この地方特有の漁獲方法、ボラ待ちやぐらを見てくる。回遊するボラの群れを上から見て、タイミングを見て金魚すくいよろしく網をすくい上げる。ボラくらいしか捕れなかったんだろうか、小生にはボラじゃあ嬉しくないわねえ。
 朝の予報ではふったりやんだり、んっでホントに最近の天気予報はよく当たる。昼頃からは雨も上がるとの予報だ。これを信じよう。

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石川県海洋漁業科学館

 能登町に入り、石川県海洋漁業科学館なるものを見てきた。海沿いの陸揚げされた漁船が目印。定置網からイカ釣りなど、なかなか展示も面白くって時間を食ってしまった。イカの解剖写真を「下敷き」して配布していたが、これは大事に持ち帰らせて頂いた。

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真脇

 途中の真脇はそこそこ街だった。メインストリートを走っていると役場の広場でなにやら人が出てきている。Uターンして覗いてみると、「キリコ」を組み上げている最中だった。昼間は良いけど、灯りがともる夜は天気が大丈夫だろうか。和紙で張られた提灯の部分が心配だ。

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能登九十九湾

 リアス式海岸が美しいとあり期待していったが、はっきりした案内も見つからず、あやうく通り過ぎかけたので小さな入り江に入って写真を一枚。近くには遊覧船の発着場なのか、船が停泊していた。それにしても雨上がりの為なのか、流れ込んだ土砂で海水が濁ったままだ。

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のとつづりさんより

 能登九十九湾は期待外れと家に帰ってから調べたら、こんなきれいな場所であったことが判明。九十九湾の複雑な海岸線に沿って遊歩道の面白そうな飛び石が続いている。これをぴょんぴょん伝って行けば、海岸線を散歩ができる。とても透明感の強い海水と入り江の景色は感動モノらしい。勉強不足でこんな飛び石散策道があるなんて知らなかった。

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見附島

 さらに北上すると能登でも1,2位の知名度であろう見附島が現れた。手前は松林の海岸となって、開放感抜群な場所。近くに山があるわけでもない、ポツンと軍艦の舳先のように岩が切り立っているの不思議だ。
硬くない珪藻土が主な構成らしいので、大昔からもよくも削られずに残ってきたなあ。

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宝立町 幸ずし

 今年の春にお仲間のRipさんがドラマティックな展開でたどり着いたお寿司屋さん。お昼時と重なったので、ご当地の能登丼をいただこうかとよってみた。まさに先客が店に入ろうとしていたところなのだが、なにやらおかしい。やり取りを聞いているとどうやら今日のお昼はやらないらしい。
 主が出てきて、「今日はお祭りで手が回りません、すいません」とのお答え。あちゃ〜、残念。


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珠洲正院 キリコ

 お昼が頂けなかったのでさっさと行程に戻る。次にやってきたのは珠洲市、ちょうど珠洲のキリコ祭りなので会場の正院町にやってきた。農協の広場には、夕方から活躍するであろうキリコがすでに鎮座していた。掛けられているビニールシートが、町の人たちの気持ちを表しているようだ。どうか無事にお祭りができたらいい。

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正院キリコ祭り 奴振り すず観光ナビブログより


 これも後学だけど、地元のサイトにはど派手な衣装で毛槍を振り回す写真が出てきた。そういえば、ここに来るまでにもこの出で立ちの住民をみかけたような。この日は初日、写真のような奴ぶりは2日目にみられるようだ。この地に宿泊予定だったら、じっくり見れただろう。
 お昼を食べなきゃと探すと、「8番らーめん」の看板。そういえば、能登を走っていると気づくのは、コンビニや吉野屋などのファーストフードのお店が少ないことだ。その中で「8番らーめん」だけは目に付くのだ。さくっとラーメンを食べて昼食終了。なぜ8番らーめん?って調べたら、加賀市の国道8号線にあったお店が始まりと分かり、はげしく納得した。

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粟津海岸

 なんでここまで来てラーメンだったのか、よく分からないままさらに先に進む。振り返ってもこの時の天気がこの4日間で最もよかった。蒼い海と空が一直線の水平線を180度見せてくれる。あとちょっとで最北端の地という「粟津海岸」で記念写真。三脚を立てて準備するのがうっとうしいが、でもやらないと自分の映った写真が残せない。

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金剛崎
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ランプの宿

 観光化されまくって興ざめの金剛崎に立ち寄る。ここは元々、その下にあるランプの宿への駐車場があった場所。昔は舗装もされていない広場があっただけだったのに、今は「パワースポット」と称して見晴台や奇岩巡りが有料でなされていた。

 かみさんとバイクでここに宿泊した30年前が思い出された。当時から「ランプの宿」として有名で、楽しみに来たのだが。。。宿のどこもかしこも電気が付いていて、夜だけ部屋にランプが用意されるという趣向にはがっかりだった。料理は食べきれないほどの量と越前ガニが出てきた覚えがある。
 食堂でたまたま隣り合わせた年配のご夫婦と小生達は意気投合、しこたま飲んで話し込んだ。しかし翌朝、朝食にはお二人が現れない。宿の人に聞いたら、「ご主人が深夜に急性アルコール中毒で近くの病院に運ばれちゃいました。」との事。一緒に呑んだ責任を感じつつ、宿を出て病院に向かった。病棟では点滴でずいぶんと回復はされたようで、同日の夕方には退院できるらしかった。容態を聞いて安心した。

 おまけの話、どうやらご夫婦ではなかったようで女性の方は関西方面まで一人で先に帰ったそう。今となれば懐かしい思い出だ。

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道の駅 狼煙(のろし)
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禄剛埼灯台

 1時過ぎに能登最先端の禄剛埼に到着。道の駅狼煙にバイクをとめて、灯台までの激坂を登ってみた。下腿に乳酸がしこたま貯まった頃に灯台に着いた。真っ青な青空に白い灯台が映えて気分よし。




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揚げ浜塩田

 あとは海岸線を一直線、輪島まで走るだけ。道路沿いには塩田が散在、道の駅にもなっている揚げ浜塩田に立ち寄る。25mプールくらいの真っ平らな砂地に海水をまいて乾燥させ、その砂から濃縮した塩水を取り出す方法。海から桶で何度も汲んでくるのは重労働だ。

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垂水の滝

 塩田を過ぎるとやがて大きな滝が見えてくる、垂水の滝。旧国道トンネルを乗り越えるように海に直接流れ込む。水しぶきが冷たくめちゃ気持ちよかった。

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旧逢坂トンネル

 トンネルの反対側の出たところに、曽々木ポケットパークという小さなパーキングがあってその先には旧道のトンネルが口を開けている。

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手堀の古道

 さらにそのトンネルの海沿いには、手掘りの人道トンネルが続いている。古代の旅人になった気分で奥に進むと真っ暗なトンネルが現れた。

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せっぷんとんねる

 先が真っ暗で出口が見えない。高さはヒトが立ったまま歩けるくらい、これを掘るにはどれだけ時間がかかったんだろう。昔に映画のワンシーンに使われ、この中で「せっぷん」をしたそうな。これにちなんで「せっぷんとんねる」と呼ばれる。いいねえ、キスといわずにせっぷんですからね、レトロだ。

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福が穴

 せっぷんとんねるの入り口は洞にあって、旧国道のトンネルが開窓している。この奥には、「岩窟不動」が鎮座し人々の願いを叶えるため「気」を解き放っているパワースポットらしい。こんな狭くって暗いところに一人では無理なので、当然入りはしなかった。

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本家 上時国家


 祖先は、800年前に能登に流された「大納言・平時忠 ・・・平清盛の義弟」と伝えられ、子の「時国」を初代として現在で25代目。江戸初期から300石の豪農として天領大庄屋を務め、江戸後期に21代当主が現在の巨大で格式高い屋敷を28年かけて建造した。現存する近世木造民家では最大級である。
大庄屋屋敷として公用部分と私用部分を分割した構造で、公用部分の中心に大納言格式を示す「縁金折上格天井」の「大納言の間(別名 御前の間)」を配している。広間の襖には、家紋でもある平家定紋の「丸に揚羽蝶」を金箔で描いて連ねている。 座敷の境上部には両面彫りの欄間を飾り、御前の間の欄間は蜃気楼を描いた珍しいものである。
広い空間を占める土間は、この巨大な建物を支える柱・梁組と、萱ぶき大屋根の内側構造を見ることができる。総欅造り唐破風の正面玄関も民家では珍しい。(ホームページより)

 まあ、兎にも角にも立派な民家だ。800年の祖先までさかのぼる事ができるなんてのもすごい。お湯を沸かさず、湯船にお湯を入れて浸かるのが貴族式、湯船に肌が触れないように布を敷いたのが「風呂敷」の始まりとは、勉強になった。

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 能登の北側の海岸線は平らなところがほとんど無くって、山がそのまま海に落ち込んでいる。その山腹に縫い付けられたように道が続いている。ずーっとこんな感じ。


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白米千枚田

 道の駅があるのでそれとわかるけど、国道からは見えないので通り過ぎてしまいそうな千枚田。畳半畳くらいしなないようなちっちゃな田んぼまで、とことん平らな所を作り出して水田に変えている。平坦な場所が見つからないこの地では、ここまで手を尽くしても稲作をしなくてはならなかった。人の血と汗の結晶だろう。
今は観光資源として維持され、オーナー制度で年間2万円でマイ田んぼを持つことができるそうだ。幸運な年間200組のオーナーは謝礼には10kgのお米とオーナーの標識を立ててもらえる。

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大沢 間垣の里

 輪島までやってきたけど、まだ時間があったので輪島を通り越して10km先の大沢まで足を伸ばした。木塀で防護した家屋は能登を旅するとよく見かけたが、背の高い竹がびっしりと貼られている光景は不思議なモノだった。間垣とは、長さ約3メートルのニガ竹をびっしりと隙間なく並べてつくった垣根のことで日本海から吹き付ける冬の風から家屋を守るためのもの。冬は暖かく、夏は陽射しを遮るためとても涼しいようで厳しい自然と共存してきた能登の人たちの知恵だ。

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輪島市街

 さて日があるうちに輪島に戻ってこれた。メインの通りは電柱も地下に埋められ、黒壁の建物と相まってすっきりとした景観。ぶらぶら散策するにはいいだろう。

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ぱしふぃっくびーなす

 輪島港に優雅な白い客船が着岸していたので寄ってみた。日本郵船のぱしふぃっくびーなすだった。桟橋にはテントが張られ、歓迎ムードが伝わってくる。宿の主に聞くことが出来たが、誘致の成果があってこの船は年間4,5回は輪島に寄るそうだ。この日も朝9時に着岸、乗客は輪島の朝市や輪島塗会館などを楽しんで夕方5時過ぎに離岸、出港のながーい汽笛が宿まで聞こえた。

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輪島工房長屋

 家族へのおみやげに輪島塗のお茶碗を考えていたので、お店が開いている内に立ち寄ってみた。輪島工房長屋は出店も多くって見比べる事ができて勉強になる。ちょっと広口で汁ものにも使えそうな茶碗、4色のバリエーションがあって5人家族の我が家には色とりどりで面白い。4色は家族、小生は自分の気に入った色で。

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新橋旅館


 週末の輪島は一人旅で予約を取ることが大変だった。当初問い合わせてみた温泉ホテルは、素泊まりならOKとのことだったが、これでは寂しい。一人旅で普通にオンラインで押さえることが出来たのがこの宿だった。朝市の会場にも歩いて行ける利便と口コミがよかったから選んでみた。築60年ほどの古い旅館だそうだが、和紙でインテリアが統一されていて海外からの観光客にも評判のようだった。夕飯も部屋出しのお料理で宿代と照らしても十分に満足できるものだった。
 宿の若主人は輪島の観光に大きく関わっているようで、後述する御陣乗太鼓や前日泊まった門前のホテル、今日見た客船の誘致などいろいろとお話を聞くことが出来た。

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銭湯 鳳来湯

 市街地にある旅館だからお風呂はそれなり、ならばと近くの銭湯に下駄をならして行ってみた。番台形式でお代は440円、脱衣場、湯船の作りは名古屋の銭湯とあまりかわらない。中庭のような空間が名古屋式の銭湯にはあるのだが、ここは脱衣場と浴室が扉1つでつながっていた。お湯のキレイさはまあ及第点か。

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御陣乗太鼓

宿の人に誘われ自家用車に乗せてもらって観光協会の主催するイベントを見に行った。

 天正4年(西暦1576年)越後の上杉謙信は、能登の名城であった七尾城を攻略して「霜は軍営に満ちて 秋気清し 越山を併せたり 能州の景」と詠じ、その余勢をかって奥能登平定に駒を進めた。

 現在の珠洲市三崎町に上陸した上杉勢は、各地を平定し天正5年、破竹の勢いで名舟村へ押し寄せてきた。武器らしいものがない村人達は、鍬や鎌まで持ち出して上杉勢を迎撃する準備を進めたが、あまりにも無力であることは明白であった。しかし郷土防衛の一念に燃え立った村人達は、村の知恵者といわれる古老の指図に従い、樹の皮で仮面を作り、海藻を頭髪とし、太鼓を打ち鳴らしながら寝静まる上杉勢に夜襲をかけた。上杉勢は思いもよらぬ陣太鼓と奇怪きわまる怪物の夜襲に驚愕し、戦わずして退散したと伝えられている。

 村人達は名舟沖にある舳倉島の奥津姫神の御神徳によるものとし、毎年奥津姫神社の大祭(名舟大祭・7月31日夜から8月1日)に仮面をつけて太鼓を打ち鳴らしながら神輿渡御の先駆をつとめ、氏神への感謝を捧げる習わしとなって現在に至っている。(ホームページより)


 何の予備知識もなく、15分ほどの太鼓のパフォーマンスに接したのだが、その迫力に圧倒された。名舟町は70戸ほどの小さな漁村、その出身の男子にしかこの太鼓をたたくことが出来ない。町内には6名ほどの編成で3組が交代で演技に当たっている聞く。この時期は連日、輪島で夕刻からふた幕公演し、さらに国内はもちろん海外にまで公演にいくこともあるようだ。本業もありながら、地元の伝承に力を注いでいる姿が頼もしかった。





能登一周 3 に続く




by akane8150 | 2018-09-24 01:24 | Motorcycles | Comments(6)

GL1200サイドカー 11 能登一周 1 庄川湯谷温泉 千里浜なぎさドライブウエイ 


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 小生は、なかなか連休が作れなくって泊まりのツーリングは敷居が高い。しかしこの9月には土曜を休めば4日間の休みがとれる。ずいぶん前の梅雨の頃から企んでいて、やっと実現した。
 さて、どこに行こう。つらつらと思いを巡らし、たどり着いたのは「能登半島」だった。彼の地は30年ほど前にかみさんとバイク2台で巡ったなり。日帰りでは堪能できない遠い能登だから、いい思いつきと決定。3泊4日あれば、見たいところにも行けるでしょう。

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 ロングツーリングとなれば、気になるのが天気予報。この時期は秋雨前線が日本列島に鎮座する時期だから、雨に降られるのは致し方ないが、出発の朝からレインウエアと長靴、ゴム手袋姿はいただけない。めずらしくかみさんが出発を見送ってくれて、雨で気分がた落ちの記念写真。ちょうど1年前に東北1周をしていたが、やはり雨には祟られた。日帰りツーリングだったら、雨ならいさぎよく中止。しかし、休みを取ってまでのロングツーリングだから、天気予報にかまってはいられない。

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 今日は輪島に近い門前にあるホテルまでの予定。朝7時に自宅を出発。高速を乗り継いで東海北陸自動車道をひた走る。キャブ車のため、ひるがの高原あたりの高所では混合比が合わなくって、アクセルにスピードがついてこなくなる。GLには巡航用の5速があるのだが、登りでは4速に落とさなくては辛い。これは同じくRZにもあてはまり、車の流れについて行くのに一杯一杯だ。

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五箇山 岩瀬家


 東海北陸自動車道を白川郷ICでおりて下道を走り始める。寄り道として五箇山に立ち寄ってみた。このおっきな合掌作りはこの地域最大でなんと5階建て、300年ほど前からここにどっしりと建っている。江戸時代は鉄砲の火薬などを加賀藩に上納する役に関わっていたようで、南の天領である白川郷に負けじと加賀藩の威光を示したものともいわれるそうだ。家族36人が住んでいたそうだが、それも頷けるほど立派な建物だ。

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五箇山 菅沼地区


 この五箇山の2つの集落、そして岐阜の白川郷の集落、この3つがまとめて世界遺産に指定されている。R156沿いにある菅沼地区には9棟の合掌作りの家屋が残っているそうで、靜かでのどかな谷間にぽつりぽつりと点在している。観光客が溢れ商業のにおいがプンプンする岐阜の白川郷に比べれば、管沼地区は寂れた印象をもつがこれはこれで良いと思う。ただ、人が住んでいる気配もないので、厳しい自然環境の中で建物を生きた姿で継続していくのは大変だろう。

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 R156を庄川沿いに北上する。小牧ダム湖周囲は断崖の山の斜面を覆道(シェッド)が延々と続いている。糸魚川から南下する北国街道を思い浮かべながら、日本海に注ぐ大きな川はこのような渓谷を作り出して道路は覆道ばかりのような気がした。
 やっと広いところに出てくるとそこは小牧ダム。船でしか行けない秘境の大牧温泉はここから出発。一度行ってみたいお宿だけど、もう随分先まで予約が一杯とのこと。

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砺波市庄川 湯谷温泉

 小牧ダムの下にぽつんとある1軒宿の湯谷温泉。かねてから来てみたかった温泉で、やっと念願かなうことに。さびた雰囲気が小生の温泉心をくすぐる建物は大正時代から。もう宿泊はやめてしまったのだろう、昔ながらの湯治湯そのままの旅館が残っている。

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 宿の玄関をがらりと開けると目の前には書き置きが。ひとり500円、無人野菜販売みたいで面白い。1000円札を出した人はおつりも持って行けとまで案内があった。入浴1回と書きそうな所を、「一浴」と記してあるのがしゃれている。

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 電気もついていない旅館部の廊下を抜けると屋外の廊下となる。その先に水辺ぎりぎりの高さにコンクリートの浴室があった。ダムの放水が多いと浴槽が浸かって使用できなくなるとのこと。小牧ダムは雨上がりもあってがっつり放水していた。

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 脱衣場もカーテンだけのシンプルなもの。扉を開けて浴室にはいるとすぐに階段があってその先はブルーが鮮やかなお湯が蕩々とながれている浴槽だ。ひとりふたりが体を洗うくらいのスペースがあるけど、そこまで満々のお湯が押し寄せて、床面すべてが浴槽のようだ。
 お湯の温度は小生にはちょいぬるめ、わずかに硫黄の香りがしている。消防隊の消火ホースくらいの太さの湯口からは太い柱となった源泉が吹き出して、これはくみ上げでもない正真正銘の自噴泉と聞いて感動だ。
 温泉通には全国的にも有名なこのお湯に入れて満足、非常に気に入ってこれからもチャンスがあったら立ち寄りたい温泉。


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 湯谷温泉を出て北に走れば、富山の平野にでてくる。砺波ICから金沢森本ICまで高速、その後はR8と「のと里山道路」で海沿いを北上する。

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千里浜なぎさドライブウエイ




 のと里山道路 今浜ICを下りれば全国的にも有名な千里浜なぎさドライブウエイが始まる。約8kmにわたってしっかり締まった砂浜の海岸線を走るのは滅多に出来無い体験だ。日本では唯一、世界的にも道路として解放されているところは希のようだ。
 波打ち際に車を停めて、投げ釣りをしている人たちもいた。見てたら15cmほどのいいキスが連なって上がってきて、これは足場も良いし近くにはトイレもあるし、家族で釣りにくるのもいいだろう。

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宇宙科学博物館 コスモアイル羽咋

 「UFOで町おこし」という滑稽な?目的で羽咋市がつくった博物館。UFOの展示もあるけど、小生が引かれるのはNASAから提供された実物の宇宙船がいくつか展示してるコーナーだ。

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マーキュリー宇宙船

 アメリカ最初の有人宇宙船。レプリカを見るのは初めてで、レベルのプラモデルキットを製作途中なので資料に細部を写真に残した。金属製のスイッチがこれでもかというくらい並んでいて、パイロットは操縦するのは大変だったろう。当時のデラックスなアメ車を思い起こすようで面白い。

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ヴォストーク帰還用宇宙カプセル

 これまたはじめた見たロシアのヴォストーク、パイロットが乗る部分は球体をしていてここだけが、ロケットと分離して地上に降りてくる。実際に大気圏突入をした機材なので、表面は赤茶色に焼けただれていた。船内はクッションで被われており、基板むき出しのマーキュリーとは対照的だ。スイッチは数が少なくジョイスティックレバーも1本だけ。この2つの宇宙船は同時期のものだが、ヴォストークの方が洗練されているように思える。

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アポロ司令船

 この司令船はレプリカのようだが、部分的にはホンモノのパーツが使われているようだ。とりわけ、このハッチのごちゃごちゃした作りには感心させられる。ほとんどのパーツはワンメイクだろうから、さぞかし高価なものになっていただろう。

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世界一長いベンチ

 夕日がキレイで「桜貝」が見つかる増穂浦海岸の全長460メートルのベンチ。どうやらギネス狙いで作られたモノのようで、行って初めて分かる「がっかり系」としては面白い。

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 国道から離れて海沿いのr49をゆっくりと走る。このあたりは集落も途絶えて静かな景色が広がる。道は細く延びて、海を見れば遠くにフェリーが航行する姿も。

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ヤセの断崖


 松本清張の「ゼロの焦点」で登場する断崖絶壁がヤセの断崖。海面から50m以上の断崖で上から覗くと「怖くて身がやせる思い」がすることから、このような名前になったとか。2007年の地震で先端部分が崩落してその迫力がそがれてしまったよう。その昔は歩道の柵もアバウトで乗り越えることも容易、その分自殺者が耐えなかったとか。
 小生は高所は大嫌いなので、端っこから海を見ようなんて思いはまったく起きなかった。

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義経の舟隠し


 やせの断崖から歩いてほど無いところには、深くて長い入り江が出来ている。兄・源瀬朝の厳しい追手から逃れる義経と弁慶らが、奥州へ下る途中、荒波を避けるため48隻の舟を隠したと伝えられている入り江の岩場。48隻なんてリアルっぽいお話だ。それにしても、日本のいたるところに義経の伝承が残っている。語り物としてよほど義経は人気があったに違いない。

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門前町黒島


 輪島市門前町黒島は北前船の船主や船頭が暮らした町として江戸時代には幕府直轄の天領となっていた。現在は国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。能登を走ればよく分かるのだが、古い町並みはとにかく黒い瓦屋根に板壁の黒い家屋ばかりだ。とりわけこの地区は保存されているだけあって、能登の集落の典型を見る思いだ。朱や群青などの色彩のないモノクロームな町並み、どんよりした天候のもとでは益々日本海の世界を強く印象づけさせる。
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輪島市門前町


 自宅を出て10時間、350km先の宿泊地である輪島市門前に到着。このあたりでは数少ない温泉の宿でまずは荷を下ろしてゆっくりとお風呂につかる。風呂上がりは早速の夕飯でひとり生ビールと地元の食材を美味しく頂く。特に赤むつの焼き魚が絶品、しっとりとよくあぶらののった身が地酒の熱燗にぴったしだった。
 明日は能登のさきっちょをくるっと回って輪島に入る予定。天気予報は朝から雨、露天のGLばあさんにはカバーを掛けておいた。
能登一周 2 に続く


by akane8150 | 2018-09-20 23:00 | Motorcycles | Comments(8)

XT250 セロー 14 東山道2 木曽峠(大平峠) 大平宿 松川入


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林道大谷霧ヶ原線 美濃側

 神坂峠の美濃側を探索し、車両では峠を越せないことがわかった。ならば、反対側の信濃側へ行きましょう。清内路峠を越して反対側へいくだけじゃあ、つまらない。時間もあるので、途中の立ち寄りと大平街道をぐるっと回ってこよう。

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馬篭宿

 東山道を美濃側に降りてくると、そこは全国的にも有名な中山道の宿場町馬籠。馬籠峠からの稜線上に宿場は上から下に細長く広がっている。駐車場にはすでに観光バスもたくさん止まっていて、昨今の例に漏れず海外からの団体客がとても目立つ。石畳の両側にお土産物屋がならび、一般の家でも当時の屋号を表札かけて史蹟の保全と現在の生活とを共存させている。今日はスナップショットだけで馬籠の町は素通り。


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馬籠峠

 馬篭と妻籠をつなぐ旧中山道の峠。この先の妻籠側は高低差が大きいので小さなカーブがいくつもやってくる。石畳の旧街道(小径)はハイカーの人たちで賑わっていた。この峠は馬篭峠となっているが、これまでの峠を巡ってきた経験から、多くの場合、越える先の集落の名を峠の名にしているような気がしている。つまり峠には2つの名前があっても不思議ではない、そこに生活している人にはそれで問題無かったはずだ。地図上で馬篭峠と命名された背景がなんであったのか、想像すると面白い。

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大妻籠 旅籠つたむら屋

 馬篭峠を下り旧街道に入ってみると昔のままの「大妻籠」の集落。うだつの上がった立派な旅籠がならんでいて、いずれも江戸時代の建築で優に200年を越えている。さらに当時からずーっと旅籠として生業をしてきたというのだからすごいことだ。まわりは自然のみ、アメニティが優れているわけでもないだろうにどんな客層なのだろうと調べてみると、欧米の旅行客が多いようだ。「日本らしさ」を彼らはこの宿に見いだしているのであろう、「いろり」や「和布団」、「郷土料理」に「日本酒」、どれもクールに映るのかもしれない。

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大平街道(木曽側)

 妻籠から清内路峠にむけてR256を快走する。清内路トンネルの手前でいよいよ大平街道への分岐、これを左に折れて峠までの登りが始まる。ここから大平峠を抜けて飯田の町までおよそ30km、冬期間は雪で閉鎖はもちろんだが、災害で通行止めになることもしばしば。でも今日は大丈夫、通行止めの表示無し。

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 路線バスも走っていた(過去形)峠道はちゃんと整備されていて走りやすい。夏のこの時期は森林がうっそうとしていて、木々のトンネルを走るようなものだ。峠では良くみかける「第23号カーブ」なんていう標識が続いている。

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木曽見茶屋

 あともう少しで峠というところに峠の茶屋がある。この街道は本来素晴らしい展望が期待できる位置にあるが、夏場は深い樹木で遠望の景色を知ることが出来ない。しかし、唯一といっていいほど、この茶屋のあるカーブは周囲が開けていて明るく見通しが良い。「木曽見茶屋」と言うくらいだから、西の方角には真下に清内路街道、遠くには先ほどの馬篭峠や中津川など、南木曽が一望できる。

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 茶屋は板で閉ざされていて休業している風情、張り紙がしてあって「体調を崩し昨年で店じまい」との内容であった。ひとむかし?ふたむかし?の頃はここでそばとおでんを食べたのだが、最近はずっと店は閉まったままでとっくに廃業したんだと思っていた。
 後に調べてみると、昭和7年からこの店は続いていたのだが、2014年頃に廃業。しかし中津川の男性がこの自然に感銘し、周囲の応援もあって2016年に営業を再開したという記事まではたどり着いた。しかし張り紙の通り、2017年秋の営業をもって再び木曽見茶屋は静かな廃屋に戻ってしまった。わずか2年で廃業してしてしまったとは。。それほど交通の多い訳じゃ無いから「やり繰りの問題」、ひとり営業の「切り盛り」などなど大変であったろう。この大平街道がたどった歴史の経緯からすれば、この木曽見茶屋の消滅も残念だが自然の流れと言うべきだろう。

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木曽峠(大平峠)

 茶屋をすぎるとまもなく峠のトンネルが見えてくる。ここに来るたびに、その可笑しなトンネルの姿に注視してしまう。これをトンネルと呼んで良いのだろうか? まるで土に半分埋まった「土管」だ。おまけに天井部には窓が開いていて家屋の明かりとりのように日差しがはいってくる。トンネルの前後、峠部分はすべて切り通しになっている。特に伊那側のそれは深く掘られていて崩落の心配もありそうと、なれば切り通しの崩落対策と思えば、土管形状でも役に立つ。きっとそのあたりが答えだろう。

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 峠には明治時代の道標が立っていて雰囲気よろしい。標高1300mもあれば抜ける風も十分にすずしく、日陰に入っていれば名古屋の熱風地獄がうそのようだ。トンネルにつけられた表記は「木曽峠」、〇△隧道とか、□〇トンネルって書かれるのが普通だろうから、ちょっと変わっている。つまり作った人はこれを「トンネル」とする認識がなかったんじゃなかろうか?? 

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大平宿(おおだいら)

 峠を伊那側におりてくると開けた土地と集落が現れる。ふるびた建物が並ぶ姿はちょいと異様で、その昔にタイムスリップしたかのような錯覚すら感じる。そもそもこの大平街道は伊奈の町と妻窹宿を結ぶために江戸中期に飯田藩が作った街道だ。それまでの迂回する経路よりもこのおかげで随分と利便が良くなった。
 この開通により、木地師と商人たちがこの大平に入植したのが始まりで、やがて村となり宿場町となる。明治になって中央線が開通すると、伊奈の人たちがここを越えて木曽まで通うようになってますます交通は盛んになり、小学校や郵便局も開設されるほどの規模になった。
 しかし、飯田側にも電車が通るようになり、これまで難路だった清内路峠にも国道が走り、大平街道よりも便利に伊奈と木曽が繋がるようになり、交通や物流は減少の一歩となる。昭和35年には最盛期の半分、35戸になりついに昭和45年、住民の総意として集団移住を決定し、大平宿は約250年の歴史に幕を下ろした。

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大平宿(宿泊できる古民家)

 大平宿は旧街道に沿って南北に民家が連なっている。残っている古民家のほとんどが手入れ、整備されていて宿などの利用が可能だ。どれもが江戸時代に建てられて200年以上も経った民家で、いろりを囲んで自炊生活が出来るなんて面白い。ただし、小生には無理だ、夏場は日が落ちれば「虫」がいっぱい飛んできそうだし、ムカデさんやカマドウマさんなどは大の苦手。多分おちおち眠っていられないだろう。
 村の家屋たちは廃村後、リゾート開発で破壊される危機に面したが、有志(大平宿をのこす会)によってその維持が続けられた。平成29年、大平宿をのこす会は解散したが、引き続き飯田市が廃村を管理し、宿泊体験などの利用については民間に委託している。

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松川入(廃村)

 大平宿を抜けて飯田峠を越えればあとは飯田市街まで松川に沿った下りとなる。この松川の上流に入り込む林道を見つけたので、行けるだけ上がってみた。
 街道からは一変して、道は枯れ枝や落ち葉、落石の舗装林道となる。しばらくすると森林から抜け出して空がしっかりと見える広場に出る。無人であろうが、まだあまり傷んでいない木造家屋を発見。明治初期に炭焼き小屋や森林伐採など、山仕事のために開拓された「松川入」という集落で、農林事務所?が残っている。調べるとこの建物は昭和30年頃に建てられて、昭和の終わり頃まで森林整備などの作業員が出入りしていたようだ。例に漏れず、昭和41年に松川入の集落は集団移転して廃村となった。

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 さらに登って行くと左右の分岐に遭遇。右「松川入線 13kmで行き止まり」 左「小西川線5kmで行き止まり」「携帯電話も通じません」などど 心折れるような案内板。おまけに「熊に注意」の看板が至る所に見られるようになる。さて思案の結果、折角ここまで来たのだからと、奥の深い右手の道をえらんだ。
 ちなみに「神戸市御影高校山岳部遭難。。。」との案内もあったのは家に帰ったから気づいた。後学では、、

 昭和44年8月、神戸市立御影工業高校山岳部総勢7名(教諭2名、生徒5名)は中央アルプスを松川入から入山し西駒ヶ岳までを縦走するため、松川を遡った松川入の蜂の巣小屋に泊った。折りしも台風が接近し飯田地方は風雨強く、安平路山に降った豪雨により鉄砲水が発生。就寝中に小屋もろとも7名を山津波が襲った。延べ1千人余の消防団員らが下流を捜索したが、二人の遺体が発見されただけであった。

分岐を左にとって行くと慰霊碑があるとのこと、小生は立ち寄る事ができなかった。

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林道 松川入線 折り返し地点

 今日は日曜、工事関係者も山を下りているだろうと思うと、ますます山奥一人っきりの感が強い。行き止まりまで15kmを信じて走るが、展望のきかない林道を同じようなくねくねをくり返すのみで、先行きが不安になる。ましてや「熊に注意」の看板は心細い、徐々に路面に落ちている枝葉やがれきが増えてきて、交通量の少なさを実感する。ついには見通しのきかないカーブで、対向車に対してというよりも、「くまもん」に対して、情けないセローのクラクションを使い始める。
 心の中のもうひとりの自分が、「もういい、堪能したでしょ」とささやき始めた。先ほどの分岐から7.5km、行き止まりまでの半分を走行して勇気ある撤退、潔くUターンした。



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松川入

 引き返すとなれば、後は同じ道を戻るだけ。心のゆとりも出てきて林の切れたところから望める景色で一服。この山の向こうには飯田の市街があるはずだ。このような人気の無い山奥の方々で治水工事がなされている。土石流や鉄砲水の被害を防いでいる「日の目を見ない」これら工事が町の人たちの知らない所で行われているのだ。

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 リニア中央新幹線工事現場

 林道松川入線を降りきって大平街道にもどればひと安心、あとは飯田の市街に向けてどんどんと下る。途中にはこんな工事看板、「中央新幹線の工事をおこなっています。」そっか、飯田の町にリニアが通るんだ。2027年度の開通に向けて、どんなリニア飯田駅にするのか、現在企画中。 乗り換え案内で「名古屋〜飯田」を検索すると、1日2本のJR特急ワイドビュー伊那路を使っても、3時間半かかる利便の悪い環境だ。これがリニアになればなんと20分!! 普通に通勤で移動できる距離圏内となる。
通勤費用を度外視すると、名古屋が飯田の人たちの通勤圏内となり飯田で仕事を探さなくても良いようになるだろう。長い目で見て、これが飯田の人たちにとっていいことなのか、今の時点では分からないと小生は思う。

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飯田

 伊那地域の景色は東西を山脈で囲まれ、天竜川に向かって扇状地が広がるすばらしいもの。とりわけ、大平街道や松入林道などのお山の中を堪能した後は、ひろびろとした景色と市街地は安堵できる。無事に山を下りてこられたことに感謝。



by akane8150 | 2018-09-03 22:53 | Motorcycles | Comments(6)
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